171.傷痕
「でも、なんだかコレって、リディアーヌ様も可哀そうですね」
ルネは、サントスの事情は分かったが、同時に、お嬢様への同情の念も抱いた。
「いえ、サントスさんが、そう感じているのなら仕方がありません。僕も協力しますよ」
「あ、ありがとう。ディゼ……」
しかし、今回の経緯を知ったディゼは、俄然やる気となってサントスの味方をする。
そんな、ただならない忠犬さに、ルネは若干、困惑した。
「ルネ、別にサントスもディゼも特別な趣向の持ち主って訳じゃないからな」
「そ、そうですよね……」
コウヤが言うようにサントスよりも、ディゼの方が圧倒的に熱量が高い。
ルネは、困った様子のサントスを見て、必ずしも両者が特殊では無いのだと理解した。
「って事で、サンちゃんの事で協力してもらったし、夕食はボク達の方で用意するねぇ」
ルネへの今回の共同依頼の事情説明が一通り終わる。
ハルナは、夕食の準備を引き受ける事を告げると、ダーハと作業を分担した。
「いえ、私は狩りでも何も出来なかったので手伝います」
「う~ん、でも、ルネちゃんは、ケガで流した血が多いから、無理しないで休んでてね」
「そ、そうですか……いえ、そうですね。分かりました」
ルネは、慌ててハルナの手伝いを申し出る。しかしハルナは、その申し出を断った。
それは、ハルナがルネの事を邪険にした、と言う訳ではない。
そこには、ポーションにしろ回復にしろ、治癒の大原則が関わっていた。
薬師が作たポーションや魔法の回復の治癒では、負傷は癒せても血の補充は出来ない。
それは、ルネを治癒した琥珀粘雫も例外では無い。
そして、自然治癒能力を高めて治療する、と言う点では琥珀粘雫はポーションに近い。
その共通点と事を、現在のルネは、失念していた。
薬師であるルネが、その事を見落としている時点で、まだ冷静ではないと言う事の証。
その事を自覚したルネは、素直にハルナの忠告を受け入れた。
「ルネさん、お湯を用意したのです。良かったら汚れを落とすのに使ってなのです」
ルネが、所在なくしているとダーハが話し掛けて来る。
そうして出されたのは、水の入った桶に、ダーハが熱した石を入れて温めた温水。
それをダーハは、一日の疲れを取る為の清拭に使って、と用意してくれた。
「こんなに水を使って良いんですか?」
「水は、おねえちゃんが、いくらでも出せるので平気なのです」
「あっ、確かにハルナさんの流水が、ありましたね」
冒険者にとって、重量がかさむ水の携行は重要な問題だった。
少なければ、いざと言う時に命に関わり、多すぎれば、その重量の為に進行が滞る。
この問題は、マジックバックを所持して以降は、比較的容易に解消される問題。
しかし、今回のルネのように、突発的な野営時には、補充が十分でない時がある。
加えて『流水』の魔法が使えても、普通は、このように水を贅沢には使えない。
なぜなら『流水』は、生活魔法と呼ばれている魔法の一つ。
生活魔法は、一般人にも使いやすくされた代わりに、一定の制限が掛けられている。
焚き火などで火をつける際に使われる生活魔法の『着火』
この魔法で、瞬時に高火力の炎が生み出せたとする。
その場合、犯罪に使われれば、治安を維持する為には多大な戦力が必要となる。
手軽に使える魔法であるがゆえに、その性能が制限された魔法。
そうでなければ支配階層の者達が、反乱を危惧して生活魔法など認めず、法で禁じる。
三大生活魔法と呼ばれる『着火』『送風』『流水』
これらには魔力を抑制する魔力構造式が組み込まれている。
ゆえに生活魔法は、単一の初歩魔法の『炎弾』などよりも面倒な魔法式となっていた。
その中で『流水』が、最も短かい魔法式なのは、その目的が水分の補充である為。
最も生命の維持に必要とされ、最も使用頻度が高く、最も運搬の労力が大きいもの。
『流水』は、そう言った面が考慮されて、広く普及されるように組まれた魔法。
だが、それでも本来は『流水』でハルナのような潤沢な水量の捻出は出来ない。
それを可能とするハルナは、無意識に魔法の抑制構造式をも制御している事となる。
それは、ハルナと水属性魔法との親和性の高さ。
そして『流水』と言う魔法との相性の良さから来ているものであった。
だが、そんな世界や魔法の構造を知る者も、気にする者も、この場にはいない。
ただただハルナの規格外っぷりに驚き、呆れ、そんなものなのだ、と認識する。
世の中とは、そんなもので十分に回った。
「ボク達だと野営時に、お風呂を作って入る事もあるから、気にしないで使ってねぇ」
「風呂か……こっちに来てからは、お湯は沸かしても風呂を沸かした事は無いな」
「夜は馬車で休むからテントも必要もないし、コウヤくんも一休みしてて良いよぉ」
「いや、おれは念の為、周囲を見張っておく。ルネは、いまのうちに行ってこい」
「はい、ありがとうございます」
ルネは、狩猟時も戦闘時も何も出来ていない事を引け目を感じながら、お湯をもらう。
幌馬車の中を使わせてもらい、マジックバックからタオルを取り出して身体を拭う。
その際に、背中に受けた傷痕を改めて触ってみた。
新調したばかりの野絹のローブが裂かれ、大きな刀傷を負った。
だが、それもハツナの魔法で生み出された琥珀粘雫の効果で治療されている。
しかも、最初にハルナが説明したように、傷痕が全く残らず、キレイに完治していた。
薬師が作ったポーションと同等の効果をもたらす琥珀粘雫。
しかし、ポーションには、ここまでキレイに傷痕を残さない、と言う効果は無い。
即効性ではポーションが勝る。
しかし、治療後に痕跡を残さない点では琥珀粘雫の方が優れていた。
この肌の見た目に関しては、ハイポーションに近い効果であった。
生命維持の為に、多くの戦場での使用を目的とされているポーション。
緊急時の回復手段であるポーションに、傷痕がどうこう、と言う者はいない。
必要なのは、誰にでも使え、大量に確保が出来る即効性がある調薬。
ゆえに、魔法による回復の使い手が多く育成されても、ポーションの需要は尽きない。
琥珀粘雫は、即効性では劣るが、傷痕を消す効果はハイポーションに匹敵する。
ルネのように戦闘で深手を負い、消えない傷を負った女性。
そのような者にとって琥珀粘雫は、決して目が離せないものとなる。
ポーションとは異なる需要が見て取れる琥珀粘雫の効果。
その事を身をもって知ったルネは、薬師としての実力でハルナに負けた思いとなった。
「(いけない、いけない。私は何を考えているんでしょうね)」
不意にハルナに対する劣等感に苛まれたルネは、その不当な思考を振り払う。
そして、湯が冷める前に手早く清拭を終えると、身支度を整えて幌馬車から出た。




