017.調理技能
「うわぁ、ハツカさん、スゴイですぅ。なんでそんな事が出来るんですか?」
それなりに難易度が高い卵焼きを作るハツカを見て、ルネが感嘆の声を上げている。
どうやら、ハツカは味付けにさえ手を出さなければ普通に料理が出来るようだ。
「このように作ります。ルネもやってみて下さい」
「はい、ハツカさん、がんばります」
「失敗しても大丈夫です。いざとなればスクランブルエッグにすれば良いのです」
「うん? スクランブルエッグにする?」
シロウは、二人の会話を聞いて頭を傾けた。
卵焼きは失敗しても、そのまま巻いていけば、中に隠れるから問題は無いはず。
なぜスクランブルエッグにする必要があるのだろうか?
シロウは不審に思って、手元にある卵液を持って様子を見に行く。
するとハツカが、卵液に少量の水を加えて思いっきり掻き混ぜていた。
「おい、ハツカ、何をやってるんだ」
「むっ、目ざといですね」
ハツカはシロウに小細工が見つかると顔を背けた。
卵液に塩を加えて、しばらく放置すると、黄色い色味が薄くなる。
これは卵のタンパク質の構造が緩んで光が通るようになる為。
そこに水を加えておくと、加熱時に水蒸気が増して、大きな気泡が出来るようになる。
この気泡が出来る事を嫌う人もいるが、出来たら出来たで潰せば良い。
ともかく、こうして焼いていく事で、ふわふわ感が増す。
ただし、この方法には、調理難易度の上昇と味が薄くなると言う問題があった。
この問題を解決する方法は、いくつかある。
一つは、水の代わりに牛乳やバターなどを加える方法。
これは塩同様に、更にタンパク質の結合を阻害して柔らかくする、と言う方法。
一つは、水の代わりに出汁を加えると言う方法。
これによって奥行きのある味わいと柔らかい食感を得た物が『だし巻き卵』となる。
ただし、出汁の量が多くなれば、更に調理難易度が上がっていく。
そして最後に、ザルなどで三回こす、と言う方法がある。
こちらは、卵液が泡立って、気泡が出来る事を嫌う人が良く使う方法となる。
つまりハツカが細工した卵液とは、ふんわり感が増すが調理が難しくなる仕様だった。
「味なんてものは、あとから調整が出来ます。何よりも見た目と食感が大切です」
「初めて作る人間に、調理が難しくなる方法で教えるなよ……」
シロウは、ハツカの呆れた言い分に頭を抱えたのだが……
「ハツカさん、出来ました。こんな感じですよね」
嬉々とした声色のルネが見せに来た料理を見て、二の句を封じられた。
「あっ、シロさん、見て下さい。ハツカさんに教えてもらった『オムレツ』です」
「何を教えてたんだぁーっ!」
それは真ん中で切り分けられた断面が、ふわトロ感で半端ない見事なオムレツ。
「どうですシロウ、この見た目の鮮やかさがあれば、文句は無いでしょう」
シロウは、ハツカの言い分が形となったルネのオムレツを、素直に食いたいと思った。
と言うか、オムライスにして食べたい。チキンライス、プリーズだ!
「ってかさ、なんでルネは、高難易度のオムレツをアッサリと作れてるんだよ」
「それは、ハツカさんの教え方が上手かったからだと思います」
ルネは、ハツカが作ったと言うオムレツをシロウの前に持って来る。
そのオムレツは、プロが作ったものかと思うほどキレイに形が整えられていた。
ハツカは、味付けにさえ手を出させなければ、本当に料理が上手いようだ。
「ハツカ、今回作るのは卵焼きにしような。それはオムライスにして食べたくなるから」
「むっ、確かにそうですね、では、この勝負は私の勝ちと言う事で良いですね?」
「ああ、それだけ物のが出て来たからにはハツカの勝ちだよ。参りました」
別に勝負事をしていた訳では無かったはずなのだが……
シロウは、それでハツカの気が晴れるのならと思って、もう何も言う気は無かった。
その後、ハツカに、ちゃんとルネに卵焼きの作り方を教えてもらう。
シロウの当初の目的は、教会への差し入れ返しだ。
周囲に良い顔をしてもらった卵を、たらい回しにするな、と言う意味を込めて……
だから、一口サイズで手軽に摘める卵焼きの方が、消費させやすくて都合が良い。
シロウは、二人がせっせと作った卵焼きを切り分けて皿に盛り付ける。
そして全てを調理し終わると、ファロス経由で教会の食卓に一品追加して来た。
「シロウ、なぜ私のオムレツは差し入れから外したのですか?」
ハツカは、自分達の朝食として残されたオムレツを食べながら、不本意そうに訊ねた。
「普通に美味そうで、俺が食べたかったからだよ」
「そうですか、それなら仕方がないですね」
ハツカはシロウの答えを聞いて、満足そうな様子を見せた。
実際、差し入れをオムレツにしなかったのには、いくつか理由がある。
作る側としては、人数分×卵2個を必要とする調理の負担が大きかった事。
そして食べる側が、卵料理に飽きている人間だったと言う点だ。
オムレツだとボリュームが有り過ぎる。
食べてもらう対象は、卵を食べ飽きている者なのだ。
下手をすると、その見た目の大きさで、口をつける事すら拒否をされる可能性もある。
そこで大量に残されでもしたら、作った二人のショックは大きいだろう。
その点、切り分けられた卵焼きなら、食べる者の食欲に応じられる。
また、残されて冷めた物でも、残飯感がなく食べやすい。
小腹が空いた時の間食用に摘んで食べてもらえれば、自然と消費してくれるだろう。
シロウには、そんな思わくがあったが黙っておいた。
気分を良くしているハツカが、何をきっかけに急変するか分かったものではない。
これは、そう……お互いの為の良いウソだ。
こうして平和的に朝食を終え、街中に出向こうとしていた所にファロスがやって来た。
差し入れた卵焼きが好評で、そのお礼を言いに来たと言う事だったが要は催促だった。
彼らは自分達では消費出来ないとしていた量の卵焼きを、たった一食で完食していた。
だから、また作ってくれと暗に伝えて来たのだ。
その証拠に、教会の物影から小さな子供達が、こちらの様子を覗っていた。
「はい、構いませんよ、ねっ、ハツカさん」
ルネが答えると子供達の顔に満面の笑みが浮かぶ。
しかし、それにハツカが異を唱えた。
「ルネ、卵の食べ過ぎと言うのは、あまりよろしくありません」
ハツカとしては、栄養面からの気遣いだったのだろう。
しかし、その一言が子供達を地獄へと叩き落した。
子供達の顔が絶望感で満ちていく。
ハツカは、中毒患者のようにフラついている子供達の様子に気づいて思わず引いた。
「……他の物も好き嫌いなく食べるのなら、また作りましょう」
ハツカが、子供達のあまりにもな状況に、思わず足りなかった言葉を補足する。
すると、その一言で子供達の顔が晴れていく。
そしてその眼差しは、すでにハツカの事を崇拝の対象として捉えていた。
傍から見ると、なかなかに不気味な光景である。
そんな子供達を若い修道女が迎えにやって来た。
修道女はシロウ達の姿を確認すると、少しためらいがちに挨拶を交わす。
そして何か物言いたげな感じだったが、子供達を連れて孤児院へと戻って行った。
早朝のやり取りを経て、ようやく解放されたシロウ達は街中へと繰り出す。
そしてハツカは市場に着くと、いろいろと並んでいる食材へと目を配らせた。
どうやら子供達に、何かを作ってやろうと考えているようだ。
その様子にシロウは、なかなか母性的な所があるんだな、とホッコリしていた。
「おい、いま何を手に取った!」
「むっ、シロウ、手を離して下さい」
しかしそれも次の瞬間、それは自分の過ちだったと気づいた。
ハツカが手にしていたのは、唐辛子にワサビ、辛子菜と言った色彩豊かな刺激物。
「子供は見た目がキレイな物を好みます」
「だからって、それらを色彩の為に選ぶなよ、泣くぞ」
赤色ならトマトやニンジン、緑色なら他に山菜がいくらでもある。
なぜハツカは、こんな物を選択をするのだろうか。
「トマトやニンジン、ピーマンなどを嫌う子供は結構います」
「だからって、そんな薬味ばかり選ぶなよ、俺も泣くが子供達は、もっと泣くぞ」
「そうですか……シロウが泣く分には問題ないのですが、分かりました」
「あと、買うのは良いけど、料理に使う時は必ずルネと相談してからにしろよ」
「信用がないですね、分かりました」
どうしてハツカは、いままでの言動から自分の料理が信用されると思えるのだろうか。
シロウは、同じく食材を見て回っていたルネを呼び戻してハツカの監視を頼む。
ただルネも衝動買いで結構の量の食材を買い込んでいたので、少し注意をしておいた。
そして仕方がないと諦めると、冒険者ギルドで合流する事だけを決めて別行動を取る。
こうしてルネ達は買い込んだ物を宿舎に置きに帰り、シロウはギルドへと向かった。




