169.琥珀粘雫
ディゼの足下に落とされた大月白鳥の首に粘雫が付着し、増殖する。
その粘雫が大月白鳥を包み込んだ姿を見て、ディゼは嫌悪感を抱く。
なぜなら、それは製錬都市での衛兵時代に見た、忌まわしい記憶を思い出させる光景。
それは現在『バブルスライム事件』と呼ばれる出来事の事であった。
当時、街中に現れた粘雫は、一人の人間を飲み込み、周囲の物も取り込んでいった。
次々に物を取り込み、養分としていった粘雫は、遂には冒険者ギルドをも包み込む。
冒険者ギルドにいた者達の協力を得て、幾多の炎弾を浴びせるも、倒せなかった魔物。
その間にもギルドに集積されていた素材類を取り込み、巨大化していった魔物。
そのような忌まわしい記憶が甦えり、ディゼは、ハッとしてルネに視線を戻す。
ディゼが、わずかに硬直していた間に、すでにルネは粘雫に覆い被さられていた。
ルネは、突然現れた粘雫に襲われ、恐怖の表情を浮かべ、声も出ない状態に陥る。
「ルネさん、いま助けます!」
ディゼは、そんなルネを助けるべく、琥珀色の粘雫に手を伸ばす。
しかし──
「ダメなのです!」
ディゼの救いの手を、ルネの下から這い出したダーハが体を張って止めた。
「ダーハちゃん何を! 早くルネさんを助けないと!」
「あれは、おねえちゃんの琥珀粘雫なのです。ルネさんを治療しているのです!」
「ええっ?」
ディゼはダーハから、これがハルナが魔法で創り出した使い魔だと知らされる。
ハルナが、この魔法を編み出したのは、件のバブルスライム事件の直後。
ある意味、あの事件がハルナに、この魔法の構想を与えている。
その結果、ハルナは自身の宝杖を『琥珀雫の杖』へと進化させていた。
こうして生まれた『含水粘液』と言う魔法。
その効果は、生み出した琥珀粘雫を使った攻撃と治療。
粘雫と同じく、粘液で捉えたものを養分とする、捕食吸収能力での攻撃。
負傷者を取り込み、自身を構成する治癒能力を促進させる分泌液での治療。
琥珀粘雫は、この相反する能力を使い分けて運用が出来る使い魔だった。
つまり、あの時ハルナは、ルネに『回復』を掛けても、追撃が防げないと判断した。
ゆえに、その代替として『含水粘液』を放って、それを魔物達に攻撃だと誤認させる。
実際、含水粘液には、攻撃性能もあったが、それはあくまで要救助者の護衛用の能力。
しかも、その琥珀粘雫の維持と制御には、かなりの魔力を費やす事となる。
ハルナは、周囲に降らせた琥珀粘雫を回収して、ルネの下へと駆け寄る。
「ルネちゃんは、ジェルちゃんの中で治療に集中。息苦しい事は無いから安心してねぇ」
「は、はい」
琥珀粘雫はルネを包むと、護衛兼治療の態勢に入る。
「大丈夫。ジェルちゃんのオイルなら、傷痕が残る事なくキレイに治るよぉ」
ハルナがルネに説明した琥珀粘雫が分泌するオイル。
それは、ベスがミランダに渡した塗り薬と同じ成分であった。
人間の皮膚組織に限りなく近い、ある魔物由来のオイル。
その物質で構成された琥珀粘雫の治療とは、ヤケドや裂傷に対する特効を持っていた。
加えて、琥珀粘雫には、他の活動と同時に治療が施せる活動治療能力がある。
ルネは、この移動可能な最小の治療室、と言った能力によって守られた状態であった。
「ボク達の魔法はトリさんがいると通じないけど、ダーハちゃんはトリさんの牽制ね」
「はい、なのです」
「ディゼくんはネコさんをお願い。代わりにサンちゃんをトリさんに向かわせてねぇ」
「分かりました」
残る魔物は、樹鼬猫が一体と大月白鳥が一体。
襲撃を受けた際は、勢いでを蹴散らしたが、数が減ってからは、むしろ押されている。
それは、奇襲力はハルナ達の方が優れていたが、地力は魔物達の方が上だった証。
そして、その事実を浮き彫りにしたのが、ツガイの大月白鳥だった。
樹鼬猫だけに襲われた時は、ほぼ問題なく魔物の数を減らせていた。
初動で、サントスとコウヤが、早々に二体ずつ倒し、ダーハも一体倒している。
しかし、そこに大月白鳥の乱入が入った事で、場が掻き乱された。
飛翔する大月白鳥への攻撃が、ことごとく当たらない。
魔法が当たったかと思えば、水も炎も無効化される。
これにより、ハルナ達、魔法使い組は有効な攻撃手段を失った。
その為、唯一、弓銃で対抗出来るサントスに大月白鳥への対処を任せる。
「(まーくん、たぶんこれが、いま出来る最適解だよね……)」
ハルナは、いまは離れているマサトなら、こうするだろう、と心の中で確認する。
しかし、弓銃に持ち替えたサントスでも、大月白鳥を捉えきる事が出来なかった。
それは、特別サントスの腕が悪い訳でも、大月白鳥が素早い訳でもない。
大月白鳥と樹鼬猫の連携によって、好機を作らせてもらえない為であった。
サントスが換装連射を仕掛けようとすれば、大月白鳥は上昇して射程外へとの逃れる。
その隙にダーハが、樹鼬猫へ攻撃しようとすれば、回り込まれてディゼを盾にする。
そうして手をこまねいていると大月白鳥がダーハを襲い、樹鼬猫がサントスを襲う。
魔鳥達は、それぞれ標的を入れ替え、サントス達に狙いを定めさせない。
サントスとダーハは、魔鳥と、まともに対峙する場面を作る事が出来なかった。
「考えてみればボク達って、空を飛ぶトリと、まともに戦った事が無かったよねぇ」
先に狩猟した魔雉は、飛ぶと言っても、飛行が苦手な部類の魔鳥だった。
その飛行能力の差もあって、サントスもダーハも大月白鳥に良いようにあしらわれる。
総じて雷鳴の収穫の飛行する魔物への対応力の無さが、ここで浮き彫りとなった。
「結局、なぜ炎の無効化が起きたのか不明だが、それは倒してから調べるとするか」
「えっ? コウヤくん?」
「ワウッ!」
ディゼが引き付けた樹鼬猫の首に、戻って来たチワワ獣が噛み付く。
これを切っ掛けにコウヤは、先程ダーハが無効化されたにも関わらず、炎を生成した。
『幻炎散弾』
コウヤは、大月白鳥を中心として集束していく無数の炎弾を浴びせていく。
それは、以前に炎舌鳥に放った炎弾の連弾攻撃の改良版。
より炎弾の回避を困難にする虚実の像を混ぜた炎弾の包囲攻撃。
熱量の異なる炎弾を複数放ち、空気の温度差を生み、光の屈折率を変化させる。
大月白鳥は、目に映った炎弾を避けるも、そこに実像は無い。
誘導された場所に、隠蔽されていた本命の高威力弾が飛来し、大月白鳥を捉える。
コウヤは大月白鳥を魔法の実験台として、その動向の観察をしていた。
一定の収穫を得たコウヤは、容赦なく大月白鳥を最終的な標的に使う。
【コォー、コォー、コォー、コォー】
コウヤの幻炎散弾が大月白鳥を捉えた直後。
魔鳥が、けたたましい鳴き声を上げる。そして──
【ゴォォォーッ!】
激しい炎が一気に燃え上がり、一瞬にして大月白鳥が焼失してしまう。
そのあまりにもな光景に、その場にいた全員の思考が、驚愕によって止まった。
「えっ? 何が起きたんですか?」
「はわわわわ、スゴイ炎だったのです?」
「コウヤくん、一体何をしたんだよぉ?」
「非火属性耐性、と言う事だから、強引に押し切ってみたが、まさか、これ程とは……」
「ほら、自分が言った通りだったじゃないですか!」
「……」(ゴボゴボゴボッ)
「あっ、ルネちゃんが驚いて、ジェルちゃんの中で溺れてるぅ!」
結果として、サントスが視た非火属性耐性と言う弱点が正しかった事が確認された。
しかし、その結果、大月白鳥一体分の狩猟品が丸々焼失する。
苦労に見合わず、ダーハの狐火が、なぜ無効化されたのかも分からない。
ルネが炎に驚いて、琥珀粘雫の中で溺れ掛けたりもした。
しかし、こうして無事にルネ達は激戦と化した襲撃を乗り越える。
そして、この戦闘での最終戦績は、以下となった。
0体、ルネ、ハルナ
1体、ダーハ
2体、サントス、ディゼ、ガブリエル
3体、コウヤ
そのうち、苦戦を強いられた大月白鳥を仕留めたのは、コウヤとディゼだった。
大月白鳥を倒した一人であるコウヤは、ルネサンズの魔術師。
そして、もう一人のディゼが、雷鳴の収穫に加入したのが十日ほど前の出来事。
そのディゼが大月白鳥を倒したのは、手にした鞘盾による地上戦であった。
二組のパーティで比較した時、何かと優秀に映っていた雷鳴の収穫。
だが、今回の戦闘で対空戦闘の経験と力不足、と言う弱点がある事が浮かび上がった。




