166.記録に残らぬ戦果
「大月白鳥に水を操る能力が無いにしろ、他に何かあるんじゃないか?」
「そんな事を言われても、おかしなものは無いです」
コウヤの問いに、サントスは『観察』で視た大月白鳥の特徴を上げる。
①、特殊な技能は特に無いが、魔鳥としては比較的に力が強い。
②、耐性は二つ。水属性耐性と非火属性耐性──つまり、水に強く、炎が弱点となる。
「まぁ、美しい羽根は、高級な装飾品として重宝されるので、炎で攻撃する者は稀です」
「それは……まぁ、見ていれば、なんとなく分かりますね」
「ルネ、いまは、そんな感想は、どうでも良い。サントス、他には何かないのか?」
サントスは、そんな大月白鳥の狩猟品としての価値も添えて説明をする。
しかし、襲撃で命のやり取りをしている場面では、そんな事に構っている余裕はない。
コウヤは、この状態から脱する為の情報を求めた。
「変わり種として『オイリー』と言うのが視えます。これは……ああ、脂性の事ですか」
「脂性? 脂ぎった感じの肌って事か?」
「コウヤくん、その表現はちょっと……正しくは、皮脂の分泌が過剰な肌って事だねぇ」
「とにかく他に目ぼしいものは見当たりません。おかしな所など、どこにもありません」
サントスは『観察』の結果から、コウヤ達に、そう断言した。
「「……」」
サントスの言葉から、これ以上の推測材料が消え、場に沈黙が落ちる。
「「それだろ!」だよぉ!」
「えっ? 何がです?」
サントスは、なぜツッコミを入れられたのかが分からず、樹鼬猫の抑えに専念する。
『優雅に泳ぐ白鳥も水面下では激しく足を動かしている』
あまりにも有名な漫画の作中で、登場人物によって語られた事から広がった一説。
真しやかに語られた一説は、単純明解であるがゆえに、信じる者が後を絶たない。
しかし、それは原作者の創作による、とんでも理論。
実際には白鳥は、それほど激しく足を動かしている訳ではない。
白鳥が水面に浮かぶ原理は、水鳥達が持つ油脂腺から分泌される油脂による作用。
分泌された油を羽繕いで羽に塗る事で、水鳥達は撥水作用を得て浮力を得ている。
「つまり、大月白鳥は、水を操っていたんじゃなく、弾いていた、って事なんだよぉ」
「それが『油性体』で、全身が撥水状態、って事か?」
「白鳥を含む水鳥の油脂線は、お尻だから、そこを、なんとか出来れば……」
「どちらにせよ、その『油性体』が、ここまで厄介な特性だとは思わなかったな」
大月白鳥が陽光に照らされ、美しく輝いて見えたのも、その効果の一端だった。
コウヤは、あの『油性体』が、弱点に火属性を持つ由縁なのだろうと理解する。
だが同時に、この池泉での戦闘では、それが単純に弱点になり得ない事も理解した。
ツガイの大月白鳥は、常にどちらかが池泉上空で旋回している。
それは即ち、仲間のいずれかが、炎に巻き込まれた際の火消し役。
その対象がツガイの大月白鳥であった場合、軽傷であったなら自ら水中にダイブする。
大火に包まれるような事があれば、火消し役が水に飛び込み、水柱の落水で消火する。
これが、大月白鳥の炎に対する対策のようであった。
対して、ハルナの水に対しては、自ら体当たりを敢行する事で対応していた。
それは『油性体』と言う、自らの身体の特性を利用した、水の発散。
大月白鳥の魔力が通う油性体は、ハルナの魔力が通う水球を容易に拡散させる。
それは、水属性の魔法を主軸とするハルナにとって、天敵と言える魔鳥であった。
大月白鳥は、コウヤ達への攻撃を樹鼬猫に任せ、後方支援に徹する。
対して、こちらは前衛のサントスが、樹鼬猫の鼻先に槍先を突き付けて牽制する。
前衛は前衛。後衛は後衛で戦闘を受け持つ。
ハルナは流水、コウヤは炎弾を主軸に大月白鳥を狙う。
一つ一つは効果が薄くとも、数の優位を考慮に入れて魔法を放つ。
しかし、飛翔する大月白鳥への命中は、元々難易度が高い。
加えて、ハルナの流水は、命中しても無効化される。
その事を理解する大月白鳥は、炎の回避を徹底して、やりたい放題に飛翔した。
コウヤの事を、注視しながら樹鼬猫と連携して前衛を襲う。
やむなくハルナは、氷弾や石弾へと、その攻撃手段を変える。
しかし、元々ハルナの魔法の命中精度は高くない。
それをハルナは、得意とする水属性魔法の大規模行使で補っていた魔術師だった。
それが、不得意な魔法を使っていては威力も伴わず、大月白鳥への牽制にもならない。
「はわわわわっ!」
ゆえに、連携が連携として機能せず、生まれたスキを突かれる。
軽量な子狐のダーハが、大月白鳥の爪で捉えられ、水辺へと掻っ攫われた。
まんまと浅瀬へとダーハを拉致して落とした大月白鳥は、上空へと舞い上がる。
入れ替わりに上空からツガイの片割れがダーハを捉え、急下降攻撃を敢行する。
水浸しとなったダーハに、一息つかせる間も与えない急降下攻撃が降り掛かる。
予想以上の力を持つ大月白鳥の容赦のない抑え込み。
成す術も無く水中に押え込まれたダーハは、逃げ場のない水底で身動きを封じられた。
水底で、必死に手足を動かして抗うダーハ。
だが、その身が置かれている場所も大月白鳥の力も、あまりにも理不尽な暴力。
水辺に陣取った大月白鳥とは、かくも恐ろしい攻撃力を持つ魔鳥であった。
「ダーハちゃん!」
ルネが、大月白鳥の恐るべき奇襲力で抑え込まれたダーハに、慌てて救助に入る。
しかし、ルネが大月白鳥の下へと駆け寄ろうにも、浅瀬が移動を阻害していた。
時間が掛け過ぎれば、ダーハが溺れてしまう。
ルネは、マジックバックから手当たり次第に物を取り出して、スリングで狙い撃つ。
一つ一つは他愛もない物だが、それで大月白鳥の気を削ぎに掛かる。
その内の一つが、大月白鳥に当たり、中身を拡散した。
それは、調味料が入った瓶だった。
小瓶が破裂し、中身がバラ蒔かれた事で驚いた大月白鳥が、その場から飛び立った。
水面から発った大月白鳥の後、ダーハが咳き込みながら起き上がった。
その姿を見たルネは、濡れたローブで鈍る脚を全力で働かせて駆け寄る。
そして、スリングで大月白鳥を牽制して、再接近を阻んだ。
「ダーハちゃん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫なのです」
「ひとまず、このポーションを飲んで回復してください」
「えっ? でも、これくらいなら大丈夫なのです」
「ポーションなら私が作れますから、気にしないでください」
「あ、ありがとなのです」
かろうじて窮地を脱したダーハだったが、その顔には恐怖が色濃く浮かぶ。
それを感じ取ったルネは、ダーハに声を掛け、ポーションを飲ませる。
ダーハはポーションを断ったが、ルネは、その言葉を制して飲むように言い聞かせた。
ルネが惜しげもなくポーションを飲ませたは、まさに一息つかせて、落ち着かせる為。
物を飲む、と言う行為は、それだけで気持ちを一度、切り替える切っ掛けになる。
また、視覚的な外傷を癒やす事は、同時に精神的に負った負荷を取り除く効果も生む。
ゆえにルネは、ダーハが負った心身へのダメージを読み取り、その回復を優先した。
大月白鳥の強襲により、水中に引き込まれたダーハ。
その時、ダーハが負った負荷は、間違いなく精神に刻まれるだけの恐怖。
それは、戦闘中はまだ、ダーハが自覚していない精神的外傷要因。
しかし、このような精神的な負荷は、あとになって増幅され、精神を蝕む。
ゆえにルネは、目に見える外傷を癒す事で、精神的外傷となり得る要因を取り除いた。
大月白鳥に襲われた事実は消せないが、そのあと無事で済んだ、と言う記憶を残す。
いや、上書きする事で、ルネはダーハの精神を守ったのであった。
「とにかく水から上がるのです。ルネさんは、わたしのあとに付いて来てなのです」
「そうですね」
気力と体力、そして冷静さを取り戻し、薙刀を構え、今度はルネを守るダーハ。
気丈に振る舞い、一生懸命に先導して浅瀬からの脱出を試みる。
その顔には、先程までの大月白鳥から受けた恐怖の色は無かった。
それは、ルネだから出来た、記録に残る事の無い成果だった。
浅瀬からの脱出を図り、ディゼ達との合流を目指すダーハ。
その小さな後ろ姿を見てルネは、以前から感じていた自身の無力さを再び感じる。
目の前の小さな子に守られている状況が、拭いきれない劣等感を募らせる。
ただ、いまは、そのような雑念に気を取られている場合ではない。
池泉の上空を旋回する大月白鳥は、ルネ達を視界に捉えたままでいる。
自分が得意とする水辺で獲物を逃す気が無い事は明白。
ルネは、自身の葛藤を胸の奥に抑え込み、目の前の状況に向き合う。
自分が出来る事は、誰かが傷ついた際、可能な限り、その回復と支援をする事。
そしてルネは、何があってもダーハを守ろう、と心に決め、その身を案じた。
そんな想いをルネが抱いていた時、ダーハは心境は、少しズレた方向を向いていた。
ダーハは、大月白鳥に、水中に抑え込まれる恐怖を初めて知った。
それは、他の魔物との戦闘で受ける外傷とは違った絶望感。
そして、圧倒的な力の存在と無力感であった。
大月白鳥が、いままでにない恐怖をダーハに与えたのは間違いない。
だた、大月白鳥がやった事とは、ハルナが平常運転で使っている『溺死』と同じ。
その事を理解したダーハは思う。
「(おねえちゃんを怒らせると、大変なのです)」
と、ある意味ハルナの恐ろしさを身をもって知った、と言う意味合いの方が強かった。
そして、そのズレた発想が真っ先に出て来る辺り……
そこには、大月白鳥への精神的外傷は全くなかった。
このダーハのズレた認識も、またルネが勝ち取った成果の一つであった。




