160.道行く馬車
「サントスさん、中に入っている黄身は一つ分なので、さすがに端には入ってないです」
御者台から掛けられた、卵焼きへの抗議。その声の主はサントスだった。
「では、ハルナが作る時は、黄身を二つ入れて下さい」
「サンちゃん……そう言うのは自分で作ってみてから言おうね。あと、太るよ?」
「なっ、ハルナ、いきなり何を言うんです!」
「あのあのサントスさん、それだと、さすがに卵の食べすぎだと思うのです」
卵焼きへの注文が、ハルナへと飛び火する。
それを受けたハルナは、手慣れた様子でサントスをあしらい、ダーハが身体を気遣う。
そして、こうなると何かとサントスの味方に付くディゼが、間に入って調整に回った。
「ええと、それじゃあ、次の時は僕の分の真ん中の部分をサントスさんにあげますよ」
「それです! その時は自分の分の両端は、ディゼにあげましょう」
「あ、ありがとうございます」
「なんだか、タイ焼きの尻尾に餡子が入って無い、と文句言うやつみたいだな」
「タイ焼きが何かは知りませんが、餡子は好きです。なんなら、それも作って下さい」
「う~ん、作るのは良いんだけど、型の関係上、大伴焼き辺りになるかなぁ」
「よくは分かりませんが、それでお願いします」
サントスには、自分が言っている無茶振りが、どの程度のものなのか把握していない。
コウヤは、自分の不用意な発言に巻き込まれたハルナを、申し訳なく思う。
だが、ハルナは、そんなサントスの我儘に応えようと思考を巡らしていた。
それは、明らかに日常的に同じような事が繰り返されている証。
そして、この世界には、大伴も小判も存在しない。
ゆえに、ハルナはサントスに、この言葉の意味も通じないか、と思い直していた。
「ああ、それなら、もうパンケーキで餡子を挟んじゃおうか。ドラ焼きみたいに」
そして、次第に悪ふざけが入って、方向性が変わっていった。
「ほら、サンちゃんのマジックバックって、四次元ポッケ並みの収納量だしねぇ」
「ああ、あの未来型青タヌキのリスペクトか」
「いま、どちらかと言うとバカにされた気がしましたが、美味しい物なら大歓迎です」
こうして、馬車では、親睦を深めながらの昼食が進む。
そして、ハルナも使い魔達の世話を一段落させると、少し遅れて昼食に入った。
穏やかな足並みで馬車を進めるサントスの操車。
その揺れに誘われて、使い魔達が横になって昼寝を始める。
馬車が進んでいる道路に、魔物は基本的には近づかない。
それは、魔物にとっての道とは、いわゆる縄張りの主張の一種な為。
そこに道が在る、と言う事は、そこを頻繁に行き来している者がいる証。
ゆえに、そこに踏み込む、と言う事は、敵対を意味する事に等しい行為となる。
そんな中でも、人間が使う道路とは、他の獣道よりも顕著に自己主張がされた物。
ゆえに、知恵が回る魔物は、必勝と判断しない条件下での襲撃を控える傾向があった。
それは、魔物にとっての人間とは、その強さが計り知れない異質な存在な為。
弱肉強食が常である魔物は、敵の力量を計る能力に長けている。
その為、魔物は基本的に、自分が優位に立てる獲物のみを狙う。
そんな中で、彼らが敬遠している人間とは、魔法や特殊な能力を持った人間。
魔物に比べれば、脆弱な身体能力しか持たない人間種。
しかし、これらが加味される事で人間種は、魔物によっては旨味の無い獲物と化す。
ゆえに、人間を襲う魔物とは、空腹に耐え兼ねた者。
魔物の領域に侵入して、逆襲の対象となった者。
過去に人間と対峙して、人間狩りが容易だと学習し、さらに、その味を覚えた者。
と、言ったものが要因の大半を占める。
道行く馬車は、一見すると魔物に美味しい獲物として映っているように思われる。
しかしながら、人間と同様に、魔物も未知を恐れる。
むしろ、人間よりも強く自然界の弱肉強食を意識しているからこそ、敵を侮らない。
人間種が引いた道路。
それは、両者の領域主張と観察眼、畏怖と実行力によって牽制され、確保されている。
のんびりした足並みで、道路を進んむ幌馬車。
一見すると、のどかで、ほのぼのとした旅路。
しかしながら馬車は、しっかりと魔物達の目に捉えられ、遠目に様子を覗われている。
彼らは興味津々と、近づき、そして離れていく幌馬車に注視していた。
樹林の近くに差し掛かった幌馬車の者で、その事に気づいていた者は、たった二人。
一人は、広域での探知が出来る魔術師のコウヤ。
そして、もう一人──いや、もう一匹は、チワワ獣のガブリエル。
正しくは,獣の身体、コウモリの翼、サソリの尻尾を持つ新種の魔獣。
外界の目が、幌馬車に興味を持ち、近づこうとしなかった要因。
その最大の要因となっていたのが、この未知の魔獣の存在だった。
コテリ、とチワワ獣の横に倒れて眠るヒナ鳥。
その睡眠を邪魔をしないように、ガブリエルが、そっと立ち上がる。
そして、勝手に馬車から抜けて出して、どこかへ行ってしまう。
だが、その事にハルナ達は、特に慌てる様子もなく、落ち着いていた。
「あの~、いまガブリエルちゃんが、飛び出して行ったんですが、良かったんですか?」
ルネは、チワワ獣が出て行った事を心配に思って、その放置っぷりについて訊ねた。
「ガブリエルの事なら心配いらないよぉ」
「あのケダモノは、なりは小さいですが、その辺りの魔物に後れを取る事はありません」
「たぶん、馬車にちょっかいを掛けようとした魔物を、追い返しに行ったんだと……」
「エルちゃんのおかげで、馬車まで近づく魔物は、ほとんどいないのです」
「そ、そうなんですか?」
「ああ、おれの探知でも、接近していた魔物の反応が一つ消えたのを確認した」
コウヤが、そう答えた直後にチワワ獣が戻って来る。
そして、好奇心と自尊心に負けた若い個体が、チワワ獣の狩猟品と化していた。
チワワ獣は、いつものようにダーハに狩猟品を差し出す。
それは、この辺りで頻繁に目撃されているピューマの魔物である灰細獅猫。
本来は上位種である黒細獅猫をボスとして集団で狩猟をする魔物。
それが単体で動いていたと言う事は、狩猟の為の斥候ではなく、ハグレの個体。
どちらにせよ灰細獅猫は、単体でも十分に脅威となり得る魔物。
チワワ獣は、その自身の何倍もある灰細獅猫を返り討ちにして来た。
その事から、猫盗賊に駄犬と呼ばれているチワワ獣だが、確かな実力を証明した。
コウヤは、チワワ獣の良い番犬っぷり認め、感心する。
そして移動中の周囲警戒を十分に任せられる、と判断して改めて自身の休息に入った。




