141.裏路地敗走
◇◇◇◇◇
「ハツカ……離れ、ろ……」
「くっ……」
ハツカは、かすれるようなシロウの言葉に逡巡するも、戦いの場から離脱する。
シロウの事を見捨てて行くような事は出来ない。
そう思ったハツカだが、不思議と直ぐに行動に移らなければ、と言う衝動に駆られた。
作業小屋から離れ、この状況をコウヤに知らせるべく走る。
乱雑に建てられた家屋によって形成された複雑な裏通り。
人通りの無い道を抜けて、人の目がある大通りを目指して角を曲がる。
「そこまでだ。止まってもらおう」
大通りに出るまであと少し、と言った所で、男がハツカの前に立ちはだかった。
「バカな……なぜ先回りなど出来るのです!」
逃走に当たってハツカは、追撃を警戒して男の探知反応を常に捕捉し続けていた。
その間に、シロウも二人の男の反応も、作業小屋からほとんど移動していなかった。
ただし、反応を追ったのは、菟糸の自動防御の余力を残した40メートルまでの事。
ゆえに、ハツカはシロウの反応が範囲から外れた事で、改めて警戒態勢を取る。
──が、その直後に、裏通りの角を曲がったハツカの前に、男は再び立ちはだかった。
それは、先にハツカが男から不意打ちを食らった状況と酷似する。
ただし、先程とは男が回り込んだ距離にあまりにも大きな開きがあった。
ハツカは目の前の男に、それほどまでの探知能力と移動能力があるのか、と訝しむ。
逃走経路と同時に、改めて正面を切って対峙した男を観察する。
そこで、男の首からミスリルのプレートが下げられているのを確認した。
「ミスリル……リヨンと同格の者だったのですか」
ハツカは、自分を逃がそうとしたシロウの事を思い出して迎撃用の菟糸を展開する。
目の前の男は、まともに戦って勝てる相手では無い。
それは、男と同格の冒険者リヨンとの昇格試験で、思い知らされた実力差。
ハツカには、目の前の男クラスの者に対して、有効な攻撃手段が無い。
それを理解しているがゆえに、迎撃態勢を取って新たな逃走経路へと走り込む。
リヨンと男では、大きな違いがあった。
それは、両者が主体としている間合いの違い。
リヨンは遠距離戦を主体としていたが、男は近距離戦を主体としている。
この違いは、逃走するハツカにとって、追撃の有無に直結する要素となる。
間合いを十分に取っておけば攻撃を受ける事は無い。
その情報が保険となり、ハツカの精神的な負担を軽減させる。
過度な精神負荷は焦りを生み、情報の精査と判断を誤らせる。
その懸念を限りなく排除して、ハツカは周囲の家屋の隙間を駆け抜ける。
菟糸の探知能力を使って、男の位置を把握し、こちらを見失っている事を確認する。
そうして、複雑な裏通りを抜け、大通りへと繋がる道に駆け込む。
「えっ!」
「残念だが、ここは行き止まりだ」
直前まで置き去りにして来た男の反応が、実体を伴ってハツカの目の前に現れた。
男は、大通りへの侵入を封鎖するように、再びハツカの前に立ちはだかる。
ここに至りハツカは、シロウの背後を取った男の探知反応を思い出した。
「これは……移動系の能力ですか」
先の交戦時に感じた実力差と、この状況が示す不合理な封鎖。
単純に男の身体能力が高くて回り込まれた、とは考えられない状況。
そうなると、自ずと、男が所持している能力を疑う事となる。
それが、男が扱う魔法、道具による効果なのかは分からない。
ただ、男が、ハツカと他者が接触する事を良しとしない、と言う事は間違いなかった。
ハツカは、男の封鎖の間隙を縫って、包囲を突破する事を試みる。
しかし、その全てが、男の先回りによって阻止された。
ただ、その先回り先は、必ずしも大通りの手前、と言う訳では無かった。
「やはり……そろそろ現れると思っていました」
「なるほど。闇雲に逃げていた訳では無い、と言う事か」
そして現在、防壁際を駆けていたハツカの前に、男が再び姿を現す。
当初、男に逃走経路の先回りをされて冷静さを欠いたハツカ。
しかし、その傾向とシロウの言葉を思い出した事で、再び冷静さを取り戻していた。
対して男の方も、ハツカの察知力の高さの仕組みに当たりを付け始めていた。
「シロウは『逃げろ』ではなく『離れろ』と言ったのでしたね」
「こちらの先回りに気づいて反転する反応が良すぎる。つまり──」
互いに相手が伏せている能力の正体に切迫する。
「現在、瞬間的に移動可能なのは、あの作業小屋から約50メートルですね」
「探知系能力の保有。範囲は自身の10メートル圏内。技術や経験によるものではない」
ハツカは、そこまで分かってしまえば……と抜剣して男と一合、打ち合う事を選ぶ。
男は、攻勢に出たハツカが、強引な突破を謀っている事を察知して拳を構える。
家屋と防壁に阻まれた逃げ場のない狭い空間。
その間隙で、両者の間合いが急速に削られる。
ハツカは、先んじて菟糸の一糸を男の腹部に向けて投じて仕掛ける。
身動きが制限されている空間において、腹部は最も回避が困難な位置。
だが、それは言い換えれば、構えを取った男にとっては、最も防御が容易な攻撃。
ハツカは、男に防御される事を前提に先手を打つ。
対して男は、ハツカの思惑を理解しつつ、ドッシリと構えて迎え撃つ態勢を取った。
そこに、一拍遅れて地面から第二糸が急襲し、男の右足を拘束する。
男の視線を第一糸に向けてから、第二糸で攻撃に力を乗せる軸足の拘束。
そこに、跳び上がったハツカの上段からの振り下ろしが襲う。
「その鎖には、任意で物体を透過する能力もあるのか」
男は、ハツカが初めて見せた菟糸の地中からの攻撃に興味を向ける。
だが、そのような事は些末だと第一糸を無造作に掴み、第二糸を強引に力で制する。
それは、菟糸で繋がったハツカを、防御と同時に空中から引きずり下ろす狙い。
しかしながら、ハツカが現在使用している菟糸は二本。
その射程距離は、単純計算で片方を25メートルまで融通が出来る余裕を持っていた。
この状況で男が二本の菟糸を引き寄せたとしても、ハツカの挙動に全く影響は出ない。
むしろ、ハツカは、この状況を想定して菟糸を運用していた。
ハツカは、男の無為な抵抗を余所に、上空から剣を振り下ろす。
【ガキーンッ!】
だが、その剣は、男に届く事なく防がれた。
「くっ!」
「なかなか頑丈だな……いや、むしろ非力か」
男は、ハツカの剣を、両手で引きずり出した菟糸を張って受け止める。
自身の剣で菟糸を攻撃したハツカ。
本来なら、菟糸に与えられたダメージが自身の身に返って来る所。
しかしながら今回は、その非力さが幸いして、菟糸に傷一つ負わせる事はなかった。
男は、両手で張った菟糸の張力を利用して、再びハツカを空中に跳ね返す。
そして、用済みとなった菟糸を放り捨ると、身体を半身引く。
それは、右利きの構えから左利きの構えへと切り替えた体勢。
男は、体勢を入れ替えた事で、死に体となったハツカの落下地点に入る。
そして身体を捻り、右の拳に力を収束させたフックとアッパーの中間軌道の拳を放つ。
ハツカを完全に昏倒させるつもりで放った男の一撃。
しかしながら、その男の拳がハツカを捉える事は無かった。
『菟糸』
ハツカは、宙空で新たに出現させた菟糸を、防壁に向けて射出する。
この時、同時に先の攻撃で使用した二糸を回収。
そして、防壁に打ち込んだ菟糸に自身を引き寄せさせ、男の攻撃を回避した。




