138.発注
◇◇◇◇◇
「それで、見てもらいたい、と言った布地は、どれだ?」
「ルネ、預けておいた物を出してくれ」
「はい、これです」
コウヤが、ハツカと別れて数分後。
コウヤは、裁縫所の扉を叩いて、ルネと共に中に通される。
そこでコウヤは、さっそく親方との話の場を設けてもらう。
そして、目の前の親方の気を引く為の手札を切って、一つの注文を持ち掛けた。
「ほう、コイツは野絹か……しかも、かなりの上物だ」
親方の感嘆の声が、仕事中の職人達の下にも届く。
すると、興味を持った職人達の手が止まり、自ずと視線が集まりだした。
「野絹だって?」
「これはまた珍しい物が持ち込まれたね」
「確か、繭蛾って蛾の魔物の繭から取れる生糸の事だったよな?」
「ちょっと、あたしにも見せてちょうだい」
集まって来た者の中には、人狼化が疑われている二人の調査対象者もいた。
一人は、採寸された型紙に合わせて布地を裁断する長身痩躯な男性の裁断職人。
もう一人は、仮縫い品の針仕事を任されている、やや丸みのある女性の縫製職人。
どちらも、親方の声を聞いて、野絹を見ようと集まって来ていた。
そんな中にあって、一人だけ仕事の手を休める事なく進めている者がいた。
それが、コウヤが裁縫所に見に来た目的のフードの人物であった。
(あいつは、職人だったのか)
それは、コウヤが、フードの人物の素性として、最初に除外した可能性。
しかしながら、フードの人物は、この場に居る理由として最も適切な枠の中にいた。
「にいさん。コレをどこで手に入れたか聞かせてもらっても良いかい?」
親方の下へと案内してくれた男性が、野絹の入手についてコウヤに訊ねる。
同様に、周りに集まって来た職人達からも強い関心の眼差しが向けられる。
それは、フードの人物も同様であったようだ。
直接こちらを向く事はなかったが、話の節々で、体温の上昇を確認している。
その者の視線は常に手元にあり、手を止める事なく、仕事を進めていく。
しかしながら、その意識が自分に向けられている事を、コウヤは感じ取っていた。
その者は、たった一人で一着を完成させると、次の仕事に取り掛かる。
裁縫所内を見渡すと、そんな仕事が許されているのは、その者と職人頭のみ。
その事から、その者が職人頭と同等の扱いを受けている事が見て取れた。
裁断職人や縫製職人は、分業職人として働いている。
他の職人達も、親方の弟子扱いで、実力に見合った仕事が割り振られていた。
これは、裁縫所の『経営』に起因する体制であろう、とコウヤは考える。
つまり、裁縫職人として確固たる腕を持つ職人気質の親方。
その矜持から来る赤字の舵取りをしている職人頭。
その補填の為の助っ人として、急ぎ仕事の消化に雇われたフードの人物。
そんな構図が、現在コウヤの脳裏に、なんとなく浮かんでいた。
「野絹は、行きずりで出会った者との縁で手に入れた」
「そうでしたか。それでは、どこで入手出来るか分からないですね……」
コウヤは、さすがに子猫の村で入手したとは言えない為、答えを濁す。
すると、さすがにケリィも、これ以上の話は聞けない、と理解したようであった。
「それで、コイツを、どのように仕立てるんだ? あと、こっちの仕事はオマエがやれ」
「親方、いい加減に途中で仕事を放り投げるのを止めてくれ」
「と言って、その仕事を、更にこっちに回すんじゃないにゃ!」
「えっ? にゃ?」
「おっと、思わずツッコんでしまったにゃ」
「おまえ……まさか子猫種か?」
親方は、この仕事は自分が受ける、と言い出して、いまの仕事を放り投げる。
それがフードの人物へとタライ回された結果、思わぬ事実が浮かび上がった。
「私は子猫種じゃないのにゃ」
フードの人物は、諦めた様子でフードを取る。
すると、その下からネコ耳をピンと立てたネコの獣人が姿を現した。
ただし、その体格は、子供のような子猫種とは違い、成人の人間サイズ。
その相違から、確かに子猫種とは別に区分される種族である事は間違いなかった。
「子猫種の仲間だと思われると迷惑だから隠していたのに失敗したにゃ」
そう言うと目の前の獣人は、冒険者ギルドのギルドカードを提示して身の証を立てた。
「と言う訳で、そこの職人達、あんま睨むんじゃないにゃ」
猫職人は、職人頭から振り回された仕事を、止むを得ず受け取る。
そして、仮止めされた服地をバラし、数度の仮縫いを経て得た追記を追った。
チョークを取った手が、服地に補正を加えた線を引く。
そうして浮かび上がた裁断補正に猫職人は、躊躇いなくハサミを入れていった。
滑るように走る裁断に、親方と職人頭以外の職人達の血の気が引く。
時間を掛けた仮縫いによって調整されていく一品物。
この後の縫製工程の難易度と仕上がりに関わる大切な裁断工程。
そこで求められる精密さを気にも掛けない所業を見せた、子猫種を思わせる猫職人。
それらが相まって、職人達の神経が逆なでされた。
「おい、オマエ。ふざけるな!」
「いや、構わない」
裁断職人が、猫職人のあまりにもな暴挙に声を荒げる。
しかしながら、それを職人頭が制し、猫職人に自由を認めた。
だが、猫職人は、そんな抗議や了承など元からお構いなしだ。
猫職人からすれば、自分に仕事を振った時点で、勝手にやらせてもらう気でいる。
それが、冒険者ギルドから、この依頼を受けるに際して交わした条件だったのだから。
そこからの猫職人の仕事は早かった。
手にする獲物を針へと持ち替えると、瞬く間に服飾パーツを縫い合わせていく。
フードで素性を隠していた時の制限がなくなった猫職人の手捌きは、格段に上がる。
そうしてペースを上げた猫職人の縫製に、四半刻ほど職人達は魅入らされてしまう。
それを親方と職人頭は放置した。
親方の興味は、すでにコウヤが持参した野絹に移っていた。
その思考は、野絹との巡り合わせの幸運と仕立てへの夢想で埋め尽くされている。
また、職人頭は、自分とは違う猫職人の興味深い仕事の一挙手一投足を見逃さないように勤む。
同様に他の職人達も、猫職人への子猫視を捨てて、その針運びを注視していた。
これによりコウヤ達は、一着のローブ作成を発注する間、平和な時間を得る。
ただ、その間に、ルネが唖然と驚かされる一幕があった。
「えっ? コウヤさんの物を作るんじゃなかったんですか?」
「いや、これはある意味経費だ。ルネは採寸してもらって来てくれ」
「ふむ、では採寸係。嬢ちゃんの採寸をやってくれ」
「はい。それじゃあ、あたしが採寸の担当させてもらうよ。こちらへ来てちょうだい」
「ちょっと、コウヤさん!」
「おれ達は冒険者だ。だから、あまり過度な装飾が無いシンプルな物を頼む」
「ふむ、心得た」
ルネは、採寸係の女性に引っ張られて、急な採寸の為に奥の一室へと連れて行かれる。
コウヤが、そんなルネを送り出したのは、調査対象達の観測をする為でもあった。
ルネの装備の新調、と言う経費を支払って、コウヤは、調査対象者の観測時間を得る。




