135.調剤素材の購入
◇◇◇◇◇
「あっ、これにも解毒作用があるんですね」
「ああ、そいつは、岩虫って魔物を乾燥させて粉にした物だ」
「他にも鎮痛作用や利尿効果なんてものがある、と書いてあるな」
「あと、こいつの幼体は非常食にもなる。買ってくかい?」
「好き好んで、非常食にしたいとは思わないな」
「そ、そうですね」
ルネが訪れた薬剤店。
そこの店主に品を見せてもらいながら、コウヤも調薬に目を通していく。
ちなみに、岩虫とは、岩の外殻を持つ巨大なダンゴムシの魔物の事であった。
「それで、肝心の人狼化を、なんとか出来る物は得られそうか?」
コウヤは、店主から人狼化に関する有効な手段の情報を得られていなかった。
それは、人狼種に襲われた者が、街に帰還する事自体が稀であった為。
そして、それが叶った者で人狼化の調査を受けた者が、更に少なかった為である。
冒険者ギルドを中心とした調査員達は、この調査によって一つの結論を得る。
それは、すでに人狼化した者を人間に戻す事が、ほぼ不可能である、と言う事。
ゆえに、コウヤ達は、人狼化に於ける潜伏期間に注目していた。
人狼種による眷属化現象である人狼化は、即時効果ではない。
人狼種の攻撃を受け、何かしらの影響を受けた後に、人体に変調をもたらすのである。
ゆえに、大半は、襲撃と帰還までの間に人体に、変調をきたして人狼化する。
この、いくらか存在する人狼化の潜伏期間。
人狼化後の対処が、ほぼ不可能なのであれば、この潜伏期間に対処するしかない。
──が、野で人狼種と戦闘した直後に、打てる手を常備している者など、まず居ない。
よって、この潜伏期間に於ける調査と研究は、更に行き詰っている状態であった。
だが、人狼化に潜伏期間が存在する、と言う事は、そこに介入する余地がある。
だからこそ、コウヤ達は、そこにルネの薬師としての知識を期待していた。
しかし──
「そうですね、いくつか試したい事は思い浮かびますが、おそらく、その程度では……」
「他の薬師も、それくらいなら、すぐに思い付くような物、と言う事か?」
「はい」
ルネは、それが、期待に応えられる物ではないだろう、と申し訳なさそうに伝えた。
「だが、それを人狼化の潜伏期間に使った例は無いのだろ? なら用意しておいてくれ」
「わかりました」
「店主、他に珍しい物を扱っている店を知っていたら教えてくれ」
「そうだな、それなら店を出て右に一本入った通りの野草売りの露店を覗いてみな」
「露店か……行ってみるか」
「はい」
コウヤは、ルネが見繕った品の代金を支払うと、話に聞いた露店へと足を向ける。
疎らな人の流れに乗って街中を歩く。
その道程で、ルネは途中の露店の品に目を配っていく。
「そう言えば、ムカデやクモを粉にした物にも解毒作用があるんでしたよね……」
時折ルネが、何かを思い出しては呟き、頭を整理している。
それをコウヤは、調薬の知識が無いだけに、邪魔にならないように黙って見守った。
ルネの護衛に専念して、薬剤店で教えられた露店への道を、特に慌てる事なく歩く。
「あっ、コウヤさん、少し待っていてもらえますか?」
「ああ、必要な物があったなら、気にせず購入してくれ」
何かが目に留まったようで、買い物の了解を取ってくるルネ。
コウヤは、そんな事を、いちいち気にしなくて良い、と了承の意を伝える。
するとルネは、背を向けて商品を並べている小さな獣人がいる露店へと向かった。
コウヤの視界に、子猫種かと思える小柄な獣人の後ろ姿が留まる。
だが、よく見ると、その頭の上に生えている耳は、ピンと尖っていた。
その姿は、子猫と言うよりも、むしろ人狼に近い。
「おい、ルネ!」
ゆえに、コウヤは、その獣人に無防備に近寄って行ったルネに慌てて声を掛けた。
コウヤからすれば、人狼種が街中に潜伏している現状でのルネの行動が信じられない。
しかしながら、当のルネは、キョトンとした反応で、コウヤの顔を見返す。
そして、コウヤの声に反応した獣人の少女は、慌てて振り返って接客に出て来た。
「あっ、お客さん、いらっしゃいなのです」
「はい、砂狐さん、こんにちわ」
「砂狐?」
コウヤは、ルネが砂狐と呼んだ獣人の少女を改めて視界に捉える。
その者は、まだ幼さを残す顔立ちの狐耳の少女だった。
子狐の小柄な体の影から、新たに小型の魔物が姿を現す。
それは、子狐の使い魔だったのだろうか。
チワワのような魔獣が、ダチョウのヒナ鳥を体に乗せて、あとを付いて回っていた。
「砂狐さんは、この辺りでは珍しいですが、よく宿屋さんで働いているんです」
「はい、わたしも前までは狩猟都市の宿屋で働いていたのです」
「あっ、そうなんですね。私も狩猟都市から来たんですよ」
「同じなのです」
コウヤは、妙な意気投合を始めた二人を静観する。
そして、周囲の様子を見て、人狼種で無い事を確認して一安心した。
コウヤが、砂狐の少女を子猫や人狼かと疑念を抱いたのは仕方がない事だった。
なぜなら、ネコやイヌ、オオカミやキツネは、『ネコ目』と呼ばれる分類に属する。
そして、そこからネコは、ネコ亜目。
イヌ、オオカミ、キツネは、イヌ亜目のイヌ科へと分類される。
つまり、イヌ、オオカミ、キツネは、外見上では極めて近い存在の生物であった。
「ルネ、親睦を深めるのも良いが、何か買おうとしていたんじゃないのか?」
「あっ、そうでした。そこにある物を一本ください」
「はい、こっちですね」
コウヤが、ルネの脱線を嗜めると、やっと本題の買い物を再開する。
すると、子狐はコウヤから死角となっていた品を持って来てルネに手渡した。
そうしてルネが入手した物。それは──
「おいルネ、酒の中にヘビが入っているぞ!」
ヘビが瓶の中で酒に浸されて浮かんでいるヘビ酒であった。
その不気味な酒瓶の姿に、コウヤは思わず、ギョッとして身を引く。
だが、そんなコウヤとは対照的に、ルネ達は普通に代金のやり取りをしていた。
「はい、良いヘビ酒があったので。ついでに他の店で普通のお酒も買っておこうかと」
「なんだ? ルネは酒飲みだったのか?」
「違います。これは薬酒です」
「薬酒? ああ、マムシ酒とか、そう言った類の物か?」
コウヤは、なんとか醜態を取り繕って、ルネの手にある品の意図を問う。
するとルネは、平然とした様子で手にした薬酒についての説明をしてくれた。
その過程でコウヤは、ルネが平然としていた理由を理解するに至る。
ルネが、露店で購入した物は、ヘビが酒に漬けられたヘビ酒。
つまり、それは薬師から見れば、薬草や魔物の一部を酒に漬けて作る調薬の一種。
その為、薬師であるルネにとっては、手元にあるそれは、薬と言う認識でしかない。
ゆえにルネは、ヘビ単体で見た時のような嫌悪感をヘビ酒に持っていなかった。
だが、コウヤの方は、見慣れないヘビのビン詰めに本気で嫌悪感を抱く。
魔物を前にしても恐怖感を露にしなかったコウヤ。
だが、こう言った生理的な感覚に訴え掛けて来る対象への嫌悪感は、拭えなかった。
ゆえに、コウヤは、ルネの意外な胆力に素直な感心を抱いた。
「はい。薬酒は、同じ生薬を使っていたとしても薬湯とは違った効能になります」
薬湯は加熱して服用するが、薬酒は加熱しないで服用される。
その為、薬酒には、熱で成分が損なわれる事なく留まる、と言う特性が生じる。
この特性により、一種類の生薬を酒に漬けた物は、効能の一点強化が成される。
短期間で効果が現れる事を目的として生成されるのが、この薬酒となる。
逆に二種類以上の生薬を漬けた物は、複数の効能のバランスが取られていく。
複雑で慢性的な症状を、長期的な服用で改善するなら、こちらの薬酒が用いられる。
「薬酒は、調薬の効果を高める方法の一つなので、少し試作してみようと思います」
ルネは、受け取ったヘビ酒をマジックバックに収納すると、子狐に手を振って別れる。
こうして銀髪の子狐と別れたルネは、調剤屋で聞いた露店へと赴く。
そして、いくつかの薬草を入手したルネは、冒険者ギルドの一室へと戻った。
かくして、ルネは調薬の作成、と言う戦いの場に身を置くのであった。




