11歳の春 7
「クロエ!? お前、そこで何してるんだ!?」
ぎょっとして驚いている従兄弟たち。
そんな彼らを押しのけるようにして、スティードが慌てて駆け寄ってきた。
「クロエ!! 大丈夫!?」
(うわ……。やってしまったわ……)
このタイミングで生垣の向こうから転がり出てきたりしたら、覗き見をしていたのがバレバレである。
こうなったら仕方ない。
助け起こそうとするスティードの手を適当に拒んで、自力で立ち上がったクロエは胸を張ってみせた。
鼻の頭が土で汚れていることには、気づいていない。
「話はすべて聞かせてもらったわ! そう、この悪役令嬢がね!」
「悪役令嬢……?」
従兄弟たちはクロエの『悪役令嬢宣言』に慣れっこだったが、ロランドはそうじゃない。彼は胡乱な目で、闖入者であるクロエをねめつけてきた。
「貴族の血が高貴だったか? 覗き見するほど下世話な血が流れてるくせに、よく言えたもんだな」
「――待て。いま彼女になんと言った?」
「うげげっ」
スティードの低い声を聞き、いやな予感を覚えた。
慌てて隣を見上げると、ああ、やっぱり。
天使のようだと形容される微笑みを浮かべているけれど、目が全然笑っていない。
これはスティードが真剣に怒っているときだけ見せる表情だった。
これまではどちらかというとロランドを擁護していたスティードが苛立ったのを見て、当のロランドは面白そうに目を細めた。
「はーん? おまえその女に惚れてんのか。きっつい顔した底意地悪そうな女なのに。どこがいいんだよ」
「クロエに対する侮辱は、誰が相手でも許さないよ。すぐに取り消せ、ロランド」
スティードはクロエの前に出て、ロランドの視線から彼女を隠してしまった。
きっと庇ってくれるつもりなのだろう。
でもクロエはそれをよしとしなかった。
守ってくれなくても自分でなんとかできる。
もう子供の頃のように、意地悪な顔を恥じてなどいないから。
むしろ絵本と出会った今のクロエは、この顔にプライドを持っていた。
「邪魔よ。どいてて、スティード。こんなのどう考えても悪役令嬢の本領を発揮する場面じゃない!」
見せ場を奪ってもらっては困る。
城にやってきた、見込みのある少年。
そんな彼と対立するなんて素敵な役割を、ギデオンみたいにしょぼい小悪党に譲ってなどいられない。
スティードを押しのけ、ロランドの前に出ていく。
ロランドは受けて立つというような態度で、新しく現れた敵であるクロエを眺めてきた。
ところがそのとき――。
「……っ!?」
後方から飛んできた石が、ロランドのこめかみに当たった。
痛みに顔をしかめたロランドが、石を当たられた場所に手を当てる。
「ちょっと、大丈夫!?」
思わずロランドに駆け寄ったクロエは、頬を流れた一筋の血を見てぎょっとした。
完全に不意をついた汚い攻撃。
それを仕掛けた相手は当然、ギデオンだった。
「ざ、ざまあみろ! 見ろよ、みんな! 庶民の汚い血が流れてるぞ! こいつの母親もさぞかし汚かったんだろうな!」
(ギデオンのやつ、なんてこと言うのよ……)
「……っ、テメエいい度胸だな。先に手を出したのはそっちだからな」
低い声でそう言ったロランドの掌から、ばちっと光が漏れた。
金色の稲妻のような眩しい輝き。
(あれは、魔法……!)
「俺を怒らせたこと、後悔させてやる……」
「ひい!」
怯えるギデオンに向かって、ロランドが魔法を放とうとしている。
彼の手のひらの上に湧き上がった輝きはどんどん大きくなっていく。
手加減をするつもりなんて一切ないのだ。
そう気づいた瞬間、クロエはムカッと腹を立てた。
(ギデオンが悪いけど、それはやりすぎよ……!)
「やめなさい!」
「クロエ!?」
引き留めようとするスティードを振り払い、クロエは庭のテーブルに載っていたティーカップをむんずと掴んだ。
湯気が出ていないのを確認してから、そのまま冷めた紅茶をロランドに向かってびしゃっとぶちまける。
「うわっ!?」
あまりに予想外の展開だったのだろう。
さすがのロランドも目を丸くして、言葉を失っている。
ずぶ濡れにされたことに驚いたせいで、稲妻のような光は消えていた。
「おい! 何しやがる!」
「それはこっちのセリフよ!!」
クロエは腕を組み、ロランドを睨みつけた。
「あなたこそ何をしようとしたの!」
「何って……魔法だよ。見ればわか――」
「最低!!」
ロランドの言葉にかぶせてクロエは怒鳴った。
「なに、今の魔法! すっごく強いやつでしょ!? さっき口でギデオンを言い負かしたときは感動したのに。あっさり魔法で解決しようだなんて残念すぎるわ。見込みのある子が来たなって感動した私のときめきを返してちょうだい!!」
「クロエ、落ち着いて……!」
「スティードは黙っていて! だいたい許可なく攻撃魔法なんて仕掛けたら、謹慎処分を受けるわよ! ひどいと塔に閉じ込められて、反省するまで出してもらえないんだからねっ」
ぜえはあと息をしながら言い切る。
魔法を使おうとして閉じ込められたのはクロエの実体験だ。
もっとクロエの場合は攻撃魔法を使おうとしたわけではなかった。
それでも5日間の謹慎処分を言い渡されたのだから、魔法で他者を傷つけたりしたら相当なお咎めを喰らうはずだ。
ロランドはぽかんとしたまま、クロエを見つめ返してきた。
その頬が不意にぶわっと赤くなっていく。
「と、ときめきって……」
(なんで赤面してるのかしら?)
突然、様子が変わったロランドを少し不思議に思うけれど、いまはそれどころではない。
「は……はは! 女に怒られて、無様だな!」
ギデオンが気を取り直したように、再びロランドを罵りはじめる。
懲りない男には制裁が必要だ。
クロエは黙ってギデオンのもとに歩いて行くと、勢いよく胸倉を掴んだ。
「ギデオン、しつこい! 悪口の内容も質が悪すぎ。悪役として程度が低くて聞いていられないわ! もっと品のいい内容で、敵を言い負かせるぐらいになりなさいよ!」
「はあ!? 程度が低いだって!?」
「そうよ。とくに家族のことを貶すなんて最低ね。あなただって大好きなお母様の悪口を言われたら、ルール違反されたように思わない?」
「なんだよ、大好きなって。気持ち悪いこと言うな」
「あら、否定するの? お母様に添い寝してもらえないと眠れないぐらいマザコンなくせに」
そう言った瞬間、ギデオンが真っ青になった。
「ななななんでそれを知ってるんだ!?」
「他にも色々情報を掴んでるわよ? たとえばちょっとでも体調が悪いと、お母様に食事をあーんして食べさせてもらいたがるとかー?」
「わあああ、や、やめろ! それ以上言うな……!」
「悪女たるもの、情報通でないと。私の情報網を甘く見ないでよね」
「く、くそ……。なんでおまえはそんなに性悪なんだよ……!」
「あら、それは当然よ。だって私は悪役令嬢なんだから!」
ギデオンはこれ以上、恥ずかしい秘密を暴かれてはたまらないと思ったのだろう。
半泣きで口を噤んでしまった。
(私の勝ちね!)
腰に両手を当てて、ふふんと顎を上げる。
得意げな気持ちに酔いしれていたクロエは、相変わらず顔を赤くさせたままのロランドが自分をじっと見つめていることになど、まったく気づいていなかった。