11歳の春 4
数日後――。
王宮のバラ庭園にいるクロエは今、こそこそ身を潜めているところだ。
ちゃんと若草色のドレスを着てきたし、頭に草や葉っぱをつけるくらいの徹底ぶりだ。
(ふふ、完璧な隠れっぷりだわ。普段からここで隠れんぼしている努力が報われたわね)
王宮の厳かな雰囲気には場違いな振る舞いなのは、もちろんわかっている。
もしも見つかったら大目玉だろうから、絶対に見つかるわけにはいかない。
クロエの父ベルトワーズ公爵は王弟であるため、王宮内に邸を与えられ、一家はそこで生活をしている。
スティードが気ままにクロエのもとを訪れられるのも、そのためだった。
クロエのほうも、王宮内をある程度は自由に動き回れる。
だから今日も、スティードに言われたとおり、こうして生け垣の裏でこっそり待機していることなど容易かった。
(それにしてもこれから本当に、スティードの言っていた通りのことが起こるのかしら……)
スティードから前世の話を聞かされたのは5日前のこと。
あの日、「証拠を見せる」と宣言したスティードは、今日これから起こる衝撃的な事態を、事細かに予想してみせたのだった。
そのときのスティードの言葉を、クロエは思い出した。
「――5日後、僕は城のバラ園で、ブルーム公爵令息たちと植物学の勉強会を行う」
ブルーム公爵令息たちは、スティードの学友であり、クロエやスティードにとって従兄弟にあたる存在だ。
「その場に宰相が一人の少年を連れてくる。宰相は従兄弟たちの存在を少し気にしたあと、その少年を紹介するんだ」
「少年? どこかの御令息なの?」
スティードは首を横に振った。
「宰相はこう言うんだ。『この方は陛下のご意向により、今日から王宮で共に生活することになりました。母君を亡くし、天涯孤独の身の上となられたお方です。殿下におかれましては、兄弟君として接せられますよう』」
「……スティードの兄弟としてって……それってつまり……」
「『貴方様とは、半分同じ血が流れていらっしゃるのです』って言い方を宰相はしていたな」
(半分、同じ……)
その意味に気がついたとき、クロエは言葉を失ってしまった。
「そう。この少年は父上のご落胤――僕の異母兄弟になるんだ」
この国では、例え国王であろうと、奥さんをたくさん作ることは認められていない。
ただ男の人が妻以外の人と子供を作ってしまったりする事実もあると、クロエだってなんとなく聞いたことがあった。
とはいえ今回は国王の子供。
しかもそれを引き取ったということは、王がそれを認めたということになる。
それって大変な問題だ。
「少年の名前はロランド。僕と同い年だよ」
あんぐりと口を開けたまま時が止まってしまったクロエにたいして、スティードのほうはいたって冷静だった。
「現時点では、このことを知る人はとても少ない。秘密裏に捜し出されて、母上すら知らない話なんだよ。父上の口から聞かされるのは母上と、第一王子である兄上だけ。本来だったら僕が知るはずもない情報だ」
「なのに事細かに知っているのは、前世の知識があるからだって言いたいの?」
「そのとおり」
「で、でも……」
(もしご落胤の話が真実だとして、偶然知ったのかもしれないし……)
そんなふうに思っていると、スティードに考えを言い当てられてしまった。
「今の情報だけじゃ、僕が未来を知っている証明としては弱いよね。わかっている。だから5日後に起こることを細かく説明するよ。クロエには僕が言ったことがあっていたか、その目で確かめて欲しいんだ」
「そんなに細かいことがわかるの?」
「ロランドが城に来た日の出来事は、重大なイベントとして彼がメインの物語の中で語られるからね」
スティードはそう言って説明を続けた。
「ロランドは燃えるような赤毛をした少年だ。顔立ちは僕とはあまり似ていないかな。でも意志の強そうな目つきが父上とよく似ている。たぶん着慣れていないのだろう。きちっとした服を窮屈に感じているらしく、彼は何度も襟に指を突っ込んでいたな」
ロランドの容姿の説明だけじゃなく、そこで交わされる会話も具体的に聞かせてくるから、クロエは少しゾクッとなった。
だんだん彼の話が真実ではないのかという気がしてきたのだ。
とくにスティードが印象に残っていると言って口にしたロランドの言葉を聞いた瞬間、すうっと体温が下がった。
「『王子様やボンボンたちと遊んでやるつもりなんてねえから。まじでうざい。俺のことは構うな』」
スティードの口からお行儀の悪い言葉が飛び出したことが信じられない。
誰かの台詞を再現したのでなければ、絶対に言わないような口調だ。
「今のやり取りが全部僕の説明したとおりになったら、さすがに信じてくれるだろう? 5日後のお昼過ぎ、クロエは庭園の生垣に隠れて見ていてくれ」
本当にその通りになるのか、確かめてみたい気持ちがムクムク湧いてくる。
それで今日の話の白黒がハッキリするなら、いいかという気持ちにもなってきた。
この中途半端にわけのわからない状況は気持ち悪くて仕方ない。
「……わかったわ。どのぐらいスティードの言ったとおりになるのか、気になるしね」
「そうだろう? クロエは好奇心旺盛だからね。いまはまだ、そのくらいの感覚でいてくれればいいよ」
優しげに微笑むスティードを見て、クロエは複雑な気持ちになった。
(この話が万が一事実だったら……。スティードは傷ついていないのかしら)
新しい王子の出現なのだ。
国王が引き取ったなら、王位継承権もあるのだろう。
スティードたちにとっては大問題といえる。
そんな大事なことを、国王直々ではなく宰相から、しかも従兄弟たちといるときにまとめて伝えられるなんて。
そもそも父親が自分の母親ではない人と色々あっただなんて、やはりショックだと思う。
(もし私がスティードの立場だったら……。お父様がお母様以外の人と色々あったなんて、想像するだけでむかむかしてくるわ)
「クロエ、どうしたの? 唇がとがってるよ。怒っている顔も可愛いね」
「だって! 無礼を承知で言わせてもらうけれど、陛下はひどいわ。スティードの気持ちをちっとも考えてくれてないもの!」
「僕を心配してくれてるのかい? 嬉しいな。君の心を翳らせるのは忍びないけど、クロエに思いやってもらえるなんて幸せだよ」
「もう! わたしは真剣に怒ってるの!」
「……そうだよね。ありがとう、クロエ」
「あなたは頭にこないの?」
スティードは大人びた微笑みを浮かべて、困ったように眉を下げた。
「今の僕は前世の記憶が混じったせいか、色んなことがどこか他人事のようにも思えるんだ。人格や記憶のベースはスティードのものだけど、そんな自分をゲームと照らし合せて冷静に分析している前世のぼくもいる」
自分の気持ちがぼんやりしている感覚だとスティードは言った。
でもそんな彼の瞳の中には、寂しそうな色が浮かんでいる。
「そんな中で、クロエに対する感情だけが、僕の中で唯一はっきりとしているんだよ」
「私……?」
「だから、君の破滅を防ぎたいってことで頭がいっぱいで、他のことはどうでもいいんだ。僕自身のことも」
「ちょっと何言ってるのよ……!」
「記憶が戻ったばかりで混乱しているせいだと思う。だからクロエも心配しないで」
「……スティード……」
「そうだな。いまの時点では他人事みたいな感覚だけど、実際その場になったら不快に思うのかも。でもまだ自分が自分の心で体験したことじゃないから、想像がつかないのかな」
スティードはクロエを安心させるように、冗談めかして微笑んだ。
「ねえ、クロエ。もし僕が傷ついたら、慰めてくれる?」
珍しく気弱な瞳で、スティードが見つめてくる。
そんな目で見られると胸の奥がざわついて、どうしたらいいのかわからなくなる。
だから腰に両手を当てて、威勢を張った。
困った時には、強気な態度を取るに限る。
「慰めたりするわけないじゃない。悪女はそんなことしないもの! もしスティードがしょぼくれてたら、くすぐりまくって苛めてあげるわよ!」
ふふんと得意げな顔をして見せたら、なぜだかスティードはとてもうれしそうに笑った。
なんでスティードがそんな表情を見せたのか、クロエには意味がわからなかったのだけれど……。