天敵との危険なお茶会 8
「オリヴァーですって!?」
スティードが気をつけるように何度も警戒した相手。
クロエを破滅に追い込むはずの人物。
この避暑地で幼いマリオンと出会い、淡い恋心をいだく少年。
オリヴァー・ブルームについて覚えた情報が、クロエの頭の中をぐるぐる駆け巡る。
どれだけ混乱していようが、最悪な形でオリヴァーと接触を持ってしまったことだけは理解できた。
(この男がザック・ニールじゃなく、オリヴァー・ブルームだなんて……)
スティードが言うのなら、きっと事実なのだ。
でも、どうしてスティードは、彼がオリヴァーだってわかったのだろう。
「……僕が偽物? どうしてそんなことが言い切れる?」
クロエが抱いたのと同じ問いを、ザックもといオリヴァーが投げかける。
オリヴァーは今までになく動揺していた。
嫌味っぽい余裕な態度も維持できなくなっている。
クロエは胸がすく想いがした。
それどころじゃないのはわかっているけれど、心の片隅でざまあみろと舌を出す。
「単純な話なんだ。君はマリオンの顔を知っていただろう。僕も同じさ。オリヴァー・ブルームの顔を知っているんだよ」
スティードの言葉を聞き、クロエはハッとなった。
(ああ! そっか。スティードは、ゲームでオリヴァーを見たことがあるんだわ!)
「顔を? ふうん。おかしいな。俺は三ヶ月前まで父の仕事の都合で外国にいたんだよ」
「三ヶ月間、人に会わず閉じこもっていたとでも言いたいのか?」
「いいや。社交の場は好きなほうだ。でも付き合う相手は選んでるんでね。君らと顔を合わせたとは思えない」
「おや。どういうことかな」
「だって身代わりを演じたその子、庶民の娘だろう? 粗野で乱暴でマナーがなってない。マリオンみたいな貧乏貴族の言いなりで、身代わりまでやらされてるくらいだしな。君たちの身なりはまあ悪くないけど、そんな女の子とつるんでるくらいだ。たいした階級じゃなさそうだ」
王子様二人を捕まえて「大した階級じゃなさそう」とは。
たしかにスティードもロランドも、まだ公務に携わってはいないから、王子と名乗って人前に顔を出す機会は少ない。
高位の貴族でもなければ、彼らの外見を知らなくても当然の話だ。
とはいえ、得意げな顔をして見当違いな推測をして見せたオリヴァーがなんとも憐れだ。
だいたいクロエだって、マナー違反を連発しまくったのは、わざとだというのに。
「はっ。こりゃいいな」
ロランドがおかしそうに吹き出す。
スティードはクロエが馬鹿にされたのが気に入らないらしく、「本気で殺したくなってきた」などと物騒な独り言を呟きはじめた。
庶民だと勘違いされたことなんてどうでもいい。
クロエの頭の中は、知らない間にオリヴァーと関わってしまった事実でいっぱいだった。
振り返ってみれば彼は、スティードから聞いていたとおりの性格をしていた。
軽薄で女好き。息を吸うように嘘を吐くし、本音を口にすることは皆無。
(なんで気づかなかったのかしら……)
自分にげんなりするのと同時に、気持ちが沈んでいくのを感じた。
男の子だと思って近づいたのが、自分を破滅させるらしいヒロインだったり。
別人だと思って接触していた相手が、関わってはいけない攻略対象だったり。
そこには抗えない運命の力が働いていて、どう足掻こうが、ゲームのシナリオどおりに事が運んでいくような気がしてきた。
ぞくっと悪寒が走る。
「クロエ」
不意にスティードから呼ばれ、ハッと顔を上げる。
クロエの恐怖心に気づいたのか、彼は大丈夫だというように肩を優しく抱いてくれた。
取り乱していた気持ちが、すっと軽くなっていく。
スティードが自分にとって、安定剤となっていることを、そろそろ認めないわけにはいかなそうだ。
落ち着きを取り戻したクロエは、寄り添うスティードの存在を感じながら、周囲の様子に目を向けた。
おそらく一番状況を理解できていないロランドは、敵味方さえわかっていればそれで問題ないという顔をしている。
一方、マリオンのほうは、もう少し説明をして欲しそうに見えた。
「マリオン。君がお見合いを避けたくて入れ替わったように、ザック・ニールの側も同じような行動を取ったんだ。僕らは君に会う前、クロエを探してニール家を訪れ、ザック本人からそう説明を受けてる。それから、君との婚約に関しては、ザック側から断るよう約束させてきたから」
「え!?」
マリオンはどうしてそんなことができたのか不思議そうにしている。
もしかしたら、スティードは彼のやんごとなき立場を利用したのかもしれない。
もちろん普段のスティードは権力を笠にする人ではないけれど、状況によって武器を使い分けるタイプではある。
「なんだ。ザックのやつ、種明かしをしちゃったのか」
オリヴァーはどうでもよさそうに言った。
「だったらもう隠すこともない。俺はザックから、不愉快な態度を取って、あちらから婚約を断るよう仕向けて欲しいと頼まれたわけだよ」
「どうして……!? だって、私の家から断れるわけもないのに……」
「いくら金持ちとはいえ、ニール家は単なる商家だ。由緒正しい貴族の家との結婚を持ちかけられて、容易く断れるような立場だとでも言うのかい? そんなことザックが望んでも親が許さない。君の両親と同じようにね」
思わぬ言葉にクロエははっとした。
自分たちは、マリオンの家の方が断れない立場にいると思い込んでいた。
でも商家の側から断り辛いというのも、考えてみれば当然のものだった。
(お互いに、なんとか相手の方から断ってもらうよう、画策していたわけね。……え!? でも、ちょっと待って!?)
だったらオリヴァーは、どうして邪魔をしたのだろう。
「ねえ、オリヴァー。あなたなんで知らんぷりしていたの? どちらも婚約が成立しないことを望んでいるのなら、協力しあうほうが断然いいじゃない」
(なにがなんでもマリオンの側から婚約を断らせるように、ザックに頼まれたのかしら?)
ところがオリヴァーは、予想外の返答をよこした。
「さっき言ったじゃないか。俺は君の用意した茶番を楽しんでいたってね。こっちが全部お見通しなのにも気づかず、馬鹿正直に一生懸命俺に嫌われようとして。本当に傑作だったよ。君ほど楽しませてくれるおもちゃと出会ったのは初めてだ」
(……なんですって?)
「でも、おもちゃってみんなあっさり壊れてしまうんだよね。ボロボロになって、すぐに俺の手元からいなくなる。きっと君もそうだろうから、どうせなら友達を思う気持ちごと踏みにじって、華々しく壊してやりたかったんだけど」
(好き勝手言ってくれるわね)
上等じゃない。
そのケンカ、買ってやるわと言い返そうとしたとき――。
「黙れ」
スティードらしからぬ口ぶりに、本気の怒りを見た気がして、クロエは驚いた。
「スティード。やっぱこいつ、一発殴らせろ」
「それじゃあ甘い。もっと徹底的に苦しめてやらないと、気が済まない。そうだな、永遠にしゃべれなくなる魔法をかけるのはどうかな?」
「だめよ、ふたりとも!」
物騒な相談をしはじめたロランドとスティードの間に割って入る。
「止めないで、クロエ」
「そうだぜ。こいつのにやけた顔を歪めてやる」
「そうじゃなくて」
クロエはふたりを押しのけて、ずんと前に立った。
「獲物は私のものよ! 報復は私が自分でするわ!」
「え……」
守ってもらうばかりのお姫様でなんかいたくない。
目指しているのは、自分から先頭に立ち、悪知恵と高潔な悪意に則って、敵を叩きのめす悪役令嬢だ。
「そうよ。こんなぶちのめし甲斐のありそうな獲物、誰が渡すものですか」
肩を揺らして低い声で笑いはじめたクロエを見て、その場にいる全員がぎょっとなった。もちろん、ロックオンされたオリヴァーも含めて。
「たった今、あなたは私の天敵に認定されたわ!」
友達であるマリオンにひどいことを言ったし、スティードやロランドのことも馬鹿にした。
それにあんな魔法でクロエの唇を奪おうとするなんて……!
思い出すだけでむかむかしてきた。
スティードやロランドに、代わって貰う必要なんてない。
「覚悟なさい! 絶対に復讐してやるわ。やられた分を百倍にして、一生かけて苦しめてやるから!」
「……一生?」
「ええ、そうよ!!」
オリヴァーの瞳が見開かれる。
(ふん、今さら恐れをなしたって遅いわよ)
「この私に手出ししたこと、後悔させてあげるわ!」
クロエは高笑いをしながら、オリヴァーのことをビシッと指さした。
「これからは夜道に気をつけることね!!」
「一生をかけて、か。それってつまり、一生、俺のことを考えてくれるってことだな? あっさり壊れるおもちゃたちと違って、君だけは死ぬまで俺を楽しませてくれるわけだ」
「楽しませるんじゃなくて、ぶちのめすって言ってるでしょ!?」
「ふふ、そうか……。ははは……」
意味不明なことに、オリヴァーは肩を揺らして笑い出した。
でも今の笑い方はこれまでのものとは違い、邪悪な感じがしない。
恐怖のあまり壊れてしまったのだろうか?
(まあ、どうでもいいわ)
ちゃんと宣戦布告もしたし、今はもうオリヴァーに用はない。
クロエはオリヴァーから視線を逸らし、駆けつけてくれた友人たちに向き直った。
最初に目が合ったマリオンは、クロエの両手を握ろうと、泣きそうな顔で駆け寄ってきた。
クロエの側からも慌てて手を差し出す。
「本当にごめんね、クロエ! 私のせいでたくさん迷惑をかけちゃって……」
「迷惑なんて思ってないわ。それより助けに来てくれてありがとう。でもどうしてこの場所がわかったの?」
「実は……やっぱりどうしても気になって、あなたたちの後をこっそりつけたの。そしたらふたりきりで人気のない花畑に向かったから、ますます心配になって……」
何かあったらいけないと思ったマリオンは、家に引き替えし使用人を連れてこようとしたらしい。
その途中で、スティードたちとばったり出会ったのだという。
そこでマリオンの外見を知っていたスティードが彼女を呼び止め、クロエの居場所を聞き出したわけだ。
「だから三人で助けにきてくれたのね。ありがとう、マリオン」
マリオンは涙の浮かんだ目をぎゅっとつぶって、ふるふると首を振った。
マリオンの優しさはわかっている。
あのとき襲われたピンチに対して、責任を感じて欲しくはない。
「これからも、友達でいてね。マリオン」
離れて行こうなんて思わないで欲しいから、先回りしてそう伝える。
マリオンはハッと息を呑んだ後、泣き笑いになって何度も頷いた。
マリオンと手を握ったまま、今度はロランドを見る。
「ロランドもありがとう。スティードとふたりで行動するようになったのね」
「まあ、今回はたまたまな。スティード、おまえと喧嘩したんだろ? この世の終わりみたいな顔して帰ってきて、それからずっと心ここにあらずって状態だったんだよ。それを横で眺めてるのは結構面白いから、ついて歩いてたんだ」
「え!?」
驚いてスティードを見ると、珍しく赤くなっている。
「余計なことを言うなよ、ロランド」
ロランドを窘めたスティードは、気まずそうに視線を逸らしてしまった。
金髪の隙間から除いた耳まで、真っ赤になっている。
マリオンから離れたクロエは、少し勇気を出して、スティードの前に立った。
何か言わなくては。
でも、伝えたいことが多すぎる。
まずはどんな言葉から告げるべきだろうか。
「あ、あのねっ、スティード。えっと、そ、その私、色々ごめんなさい。あと……助けに来てくれて、ありが――」
クロエがなんとか口を開こうとすると、その唇にスティードの人差し指が押し当てられた。
「クロエ。少し待って」
スティードは相変わらず赤い顔をしているけれど、振る舞いはいつもの彼らしくなってきた。
「え……?」
「僕へのお礼を言ってくれるつもりなら、ふたりきりの時がいいな」
甘えるように強請られて、頬がカアッと熱くなる。
(マリオンとロランドがいるのに……!)
おそるおそる二人の方を振り返ると、真っ赤になってガッツポーズを作っているマリオンと、呆れ気味に腰に手を当てたロランドが、ばっちりクロエたちのやりとりを見守っていた。
「おふたりってつまりそういう関係だったんですね……! 素敵です!」
(ち、違うわ……! マリオン、変な勘違いをしないで……!)
「まあ、落ち込みまくった顔を見てるからな。ここはスティードに譲ってやる」
「あっさりふたりきりにさせるなんて、君たちどうかしてるね。彼女を奪い合う愛憎劇のほうが断然盛り上がるよ。君たち二人にその気がないなら、当て馬役は俺が引き受けてもいいよ」
最後に聞こえてきた余計なひと言は、オリヴァーによるものだ。
ここで茶々を入れられる図々しさは、ある意味すごい。
案の定、クロエ以外の全員から睨みつけられ、黙っているように命じられた。




