天敵との危険なお茶会 7
「どこも怪我はない? あいつに何もされなかった?」
スティードは少しだけ体を離すと、ひどく心配そうに問いかけてきた。
慌てて頷き返したら、彼はその場に頽れてしまうんじゃないかという態度で「よかった……」と呟いた。
「もう大丈夫だからね。僕が必ず君を守る」
「スティード……」
強張っていた体から力が抜けていくのがわかる。
安心した途端、涙が出そうになり、クロエは慌てて瞬きを繰り返した。
泣いたりしたら、もっと心配をかけてしまう。
両足にぐっと力を入れて、弱気な自分をなんとか押しやる。
「ねえ、今のなんだったの? もしかしてスティードが魔法を使ったの……?」
許可のない攻撃魔法の使用は禁止られている。
王子という立場から、規律を重んじているスティードが、ルール違反をするなんて……。
クロエの驚きに反して、スティードは「そんなこと問題じゃない」と笑ってみせた。
「君のためなら、僕はどんな法だって侵すよ。その結果、罰を受けても構わない」
「なっ……」
なんてことを言うのだ。
クロエがあんぐりと口を開けた直後、背後から痛々しい呻き声が聞こえてきた。
「あー……痛たた……。まったく……ひどいなあ……」
ハッとして振り返ると、痛みに顔を顰めたザックが、ゆっくり体を起こすところだった。
「本気でぶっ飛ばすんだから。もう少し手加減してくれてもよかったんじゃない?」
スティードはクロエを腕の中に閉じ込めたまま、庇うように抱き寄せた。
顎を上げて見上げれば、とても冷たい目をしたスティードが、ザックを睨みつけていた。
その冷静さがかえって恐ろしい。
もし自分が敵対している側だったら震え上がっていただろう。
でも味方なら、こんなに頼もしい相手もいない。
「今ので本気だとは思われたくないな。これでも君を殺さないように、なんとか理性を働かせて加減したんだから。でもそんな軽口を叩く余裕があるなら、もう一発食らわせてもよさそうだ」
「おい、俺にもぶちのめさせろ」
凶暴な顔をしたロランドが、スティードの肩を掴んで隣に立つ。
スティードは軽く肩を竦めて、ロランドを見やった。
「ロランド。状況分かってるの?」
「こいつに手を出そうとしたんだ。痛めつける理由なんて、それだけで十分だろ」
強い風が巻き上がり、ロランドが掲げた手のひらに魔力が集まっていく。
スティードと違って、ロランドは全然手加減をする気がないらしい。
さすがに頬を引くつかせたザックが、降参するように両手を上げてみせた。
「おいおい、そんな力で攻撃されたら本当に死んじゃうんだけど?」
「森に埋めるところまでは面倒見てやるよ」
さすがに彼を人殺しにさせるわけにはいかない。
クロエは急いでスティードの腕の中から飛び出すと、ロランドの手にしがみついた。
「だめ! 殺すのはなしよ!」
「こんな奴を庇うのか?」
「違う! 私はロランドを庇ってるつもりよ!」
正式な決闘でもないのに、これ以上彼らに魔法を使わせるわけにはいかない。
万が一魔法で誰かを殺してしまったら、王族であろうと死刑になってしまう。
クロエがしがみついて離れないせいか、渋々というようにロランドは魔力を収めてくれた。
それを煽るように、ザックが笑った。
「おっと。凶暴な狼だと思ったら、意外に従順なワンちゃんだったんだね」
「なんだと?」
余計なひと言をザックが放ったせいで、またロランドの目に怒りの色が戻ってしまう。
(なんなのあいつ!? 自殺願望でもあるのかしらっ!?)
クロエはロランドの腕を掴んだまま、ザックをねめつけた。
服の汚れを叩いて立ち上がったザックは、クロエたちを楽しげに見回した。
四対一という状況を気に留めているようには見えない。
「君たち、こんなことしていいの? 婚約がうまくいかなくて泣きを見るのは、マリオンなんだよ?」
痛いところを盾に取られ、言葉に詰まる。
そんなクロエの代わりに叫んだのは、本物のマリオンだった。
「婚約は破談よ!」
(え……!?)
きっぱりと言い切ったあと、マリオンはクロエを見て頷いてみせた。
マリオンの口元が動き、「任せて」と呟く。
そのまま彼女は、ザックの前まで歩いていった。
いったいマリオンは何をするつもりだろう。
ハラハラしながら見守っていると、彼女はさらなる爆弾を投下した。
「私が本物のマリオンよ。ザック・ニールさん。申し訳ありませんが、婚約のお話はこちらからお断りします!」
「ちょっと……!?」
クロエはロランドの手を離すと、今度は大慌てでマリオンを止めにいった。
なんで突然、皆して、無茶な振る舞いをしはじめたのか。
普段、暴走して止められるのはクロエの側なのに。
「あなたが出てきたらだめじゃない!」
「ありがとう、クロエ。でも大切な友達が私のせいで危ない目に遭ったのに、これ以上じっとしてなんかいられないの」
「だけど……!」
婚約者候補と会うのに入れ替わっていたなんてバレたら、マリオンの立場はますます悪くなってしまう。
「やれやれ、次から次へと……。本当のマリオンはどっちなんだい?」
「私です!」
「私よ!」
マリオンとクロエが同時に答えると、ザックは可笑しそうに笑い声を零した。
「クロエ、そいつの言動にかまう必要はないよ。そもそもそいつは、君がマリオンじゃないって、とっくに気づいているんだから」
「は……? なんですって……?」
愕然として、スティードを振り返る。
(それ本当に……!?)
もし本当だとして、なぜスティードが知っているのだろう。
「なんだ、そっちの彼はお見とおしか」
ザックにあっさり認められて、クロエはさらに動転した。
「どういうことよ、ザック・ニール!」
「ははっ。茶番に付き合うのは楽しかったよ。でも、君に嘘は向いてないな。思ってることが顔や態度に出過ぎるし」
「嘘が向いてない……」
それって悪役を目指す者として、致命的な欠点なのでは。
ぼう然と立ちすくむクロエの前で、ザックがペラペラと語り続ける。
「だいたい考えてみなよ。お見合い相手の顔を把握しているなんて当然の話だろう?」
なんてことだ。
要するにザックは、マリオンの顔を知っているにも関わらず、クロエの嘘に騙されているふりをしていたのだ。
しかも茶番に付き合うのは楽しいなどという理由で。
嘘に気づいている相手に向かい、必死に演技を続けていた自分を思い返し、クロエは頭を抱えたくなった。
「さて、本物のマリオン。ぜひ君の話も聞かせて欲しいな。いままでこの女の子を身代わりにして、自分は安全圏にいたわけだけど。友達に嫌な役を押しつけて、隠れているのはどんな気分だった?」
婚約を断った瞬間のマリオンは、普段のおっとりしている彼女とは違い、強い決意を感じさせる顔つきをしていた。
きっとクロエのために、勇気を振り絞ってくれたのだろう。
そんな彼女の想いを、ザックの意地悪な言葉は容赦なく踏み躙った。
(ああ、マリオン……! ザックが言ってることなんて気にしなくていいのに……!)
青ざめた顔でクロエを振り返ったマリオンの目には、涙が浮かんでいた。
「ごめんね、クロエ。怖かったよね。私のせいで……」
「あなたのせいなんかじゃない! 私が入れ替わりたいって言ったんだから! ――ちょっとザック・ニール! 何も知らないくせに、マリオンにひどいこと言わないで!」
「ははは。悪者は俺だって言いたいの? ひどいなあ。安易な考えで偽物と入れ替わったのは君たちだろう? この状況は、考えなしの行動が招いた結果なのに」
「――これ以上、僕の婚約者にひどいことをしないでくれるかな?」
冷たい声で言い放ったのは、スティードだ。
スティードの声音には、静かに沸き立つ怒りが滲んでいて、さすがのザックもヘラヘラした表情を引き締めた。
別に声を荒げたりしていないのに、今のスティードには圧倒されるような凄味がある。
「入れ替わりを責める権利なんて君にはないだろう。君だってザック・ニールの偽物なんだから」
クロエは思わず目を見開いた。
今日一番、衝撃を受けたと言っていい。
そのせいで理解がまったく追いつかない。
(だって……。ザックが偽物って……)
混乱したまま、スティードの次の言葉を待つ。
その直後――。
信じられないことに、スティードは挑むような眼差しを向けた相手のことを、驚くべき名で呼んだ。
「君の本当の名は、オリヴァー・ブルーム。そうだね?」
思わぬ名前が飛び出し、身がすくむような思いがした。
オリヴァ・ブルーム。
彼はゲームに出てくる三人目の攻略対象であり、この避暑地のイベントでキーパーソンとなる人物だ。




