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不思議な男の子との出会い 1

 公爵家が所有する馬車が東に向かって数時間。

 一家は、広大な自然林と牧歌的な田園風景に囲まれた避暑地プラムに辿り着いた。


 景観の変化とともに、窓の外から吹き込んでくる風の匂いも変わる。

 濃厚な緑の匂いと、田園地帯らしい土の香り。

 日常を離れたことで、クロエの心は自然と浮足立った。


 プラムには、都会では見られない面白いものがたくさんある。

 廃墟となった古城、睡蓮の生い茂る湖、滝の裏側の洞窟。

 きっと素敵な休暇になるはずだと、クロエは確信めいた感情を覚えた。


 公爵家の敷地内に入ったあとも、私道はしばらく続く。

 不意に蹄の音が変わった。

 舗装された道に入ったのだ。

 そう気づいて間もなく、馬車は止まった。


 カントリーハウスの管理を任されている使用人たちは、いつも通り、邸の前にずらりと並んでいて、一家を出迎えた。

 数日前、突然滞在を知らされた彼らは、きっとてんてこ舞いで準備をしたことだろう。

 父である公爵は、快活な声で、ねぎらいの言葉をかけながら邸内に入っていった。


 ひらりと馬車を降りたクロエは、そのまま足を止めた。

 せっかくいい天気なのだし、このまま邸の中で過ごすのは退屈だ。


 クロエは父のあとに続こうとする母を呼び止め、散歩をしてきたいと伝えた。


「あなた、また悪戯をするつもりじゃないの? もう子供ではないのよ。ちゃんと淑女らしく振る舞ってちょうだい」

「お母様ったら、ここは避暑地よ。うるさいことを言ってないで、リラックスなさったらどう?」

「まあ、クロエ!」


 クロエそっくりのきつそうな瞳が、怒りのあまりさらに吊り上がる。

 これ以上留まっていると、お小言の嵐が巻き起こりそうだ。


「クロエ! どこ行くの、走っては駄目よ!」

「淑女の特訓をしてくるの! いってきます」

「淑女の特訓!?」


 クロエは逃げ出すように、カントリーハウスのエントランスを飛び出した。

 私道に沿って植えられたダリアは、太陽の光を浴びて優雅に咲き誇っている。

 門を出て、馬車で来た道とは逆の方向へ進んでいくと、雑木林が現れる。

 夏の陽射しを遮る木漏れ日と、さわやかな森の風が、避暑地らしい涼しさを作り出していた。


 都会の公園を散策している時とは違って、人の気配は一切しない。

 代わりに自然がどこまでも饒舌に囁きかけてきた。

 鳥の鳴き声、木々のざわめき、蜜蜂の羽音、小川のせせらぎ。


 クロエは白いサマードレスの裾をひるがえして、森の奥へと進んでいった。

 足取りに迷いはない。

 もう少し先に大きな湖がある。

 そこを目指しているのだ。

 この避暑地を訪れるのは二年ぶりだけれど、記憶はちゃんと残っていた。


「一昨年の夏と何も変わらないわね」


 スーハースーハー。

 深呼吸をして、すがすがしい空気を胸一杯に吸い込む。


(スティードもそろそろ着く頃かしら?)


 ベルトワーズ公爵のカントリーハウスは、王家の別荘の近くにある。

 クロエは、出発の前日にスティードと交わした会話を思い出した。


『僕が到着するまで、カントリーハウスでのんびりしていてね。湖でのイベントが起こるのは明日だし』

『ええっ。いやよ。退屈じゃない!」

『僕が到着したら連れ出すから。去年の夏、とっておきの場所を見つけたんだ。大切な君と、ふたりっきりで過ごしたいな。誰にも邪魔されずにね』

『え? 二人っきり? そんな素敵な場所なら、みんなにも教えてあげましょうよ! 素敵なものを独り占めするような小悪党には、絶対なりたくないもの』

『ひどいな。僕の誘いをあっさり躱すなんて。――ねえ、クロエ。分け隔てがないのは君の美徳だけど、ヒロインにだけは注意してね。関わると、必ずクロエは不幸になる。できれば、クロエにはヒロインと一切接点を持って欲しくないんだよ』


 ヒロインの話題が出るとき、スティードの目つきはいつも少し鋭くなる。

 ゲームの展開次第では、彼女を好きになるかもしれないのに。

 現在のスティードからは、そんな未来、まったく想像がつかなかった。


「とにかくヒロインとは極力関わらない人生を目指せばいいのよね。楽勝楽勝」


(あとはのんびりしていればいいわけでしょ。任せてスティード。余計なことはしないから!)


 クロエは自信満々な顔で、王家の別荘のほう見ながら頷いてみせた。


(余計なことはせず、いつも通り悪行に励むとするわ!)


 ◇◇◇


 軽快な足取りで森の中を散策して回ったクロエは、下見も兼ねてイベントの発生する湖に寄ってみることにした。


 湖は小径に沿って森を進んだ先にあり、多くの貴族たちで賑わっていた。

 クロエの知っている顔もいくつかある。

 避暑地に集まる貴族たちは、皆、この美しい湖を愛しているのだ。


 広々とした湖の東側には水蓮が生い茂り、キャンバスを広げた人々がスケッチを楽しんでいた。

 西側には小さなボートハウスがあり、そこから貸し出されたボートが今も湖の上に浮かんでいる。


 夏の午後は時の流れが遅くなる。

 ボートの縁にもたれかかり、気だるげに水をなでているレディー。

 頬杖をついて彼女を見つめる恋人も、あくびをかみ殺している。

 幸福で退屈な時間が、湖を覆い尽くしていた。


 クロエは湖畔にそって歩きながら、この空気をイタズラによって壊してしまったらどんなに楽しいだろうと妄想した。


(鮫のヒレでも作ってこようかしら?)


 それを見つけた人々はきっとパニックになるだろう。


(ふふふ、想像しただけで口元がにやけるわ!)


 問題は水がかなり澄んでいることだ。


(作りものだとバレないように、ヒレをこっそり動かす方法を考えなくちゃ)


 閃きを求めて黙々と歩いていたとき、クロエは気になる人影を見つけた。


 浅瀬で遊ぶ子供たちに紛れて、ひとりの少年が屈み込んでいる。

 年齢はおそらくクロエと同じぐらい。

 白い夏帽子を目深にかぶっていた。

 ベストと短パンは上等な素材で、貴族の子供だと一目でわかる。


 湖底に両腕を突っ込んでいるから、最初は彼が水遊びをしているのかと思った。

 でもどうもおかしい。


(周囲の様子をすごく気にしているわよね?)


 それにコソコソした態度が不審だ。

 バカンスを楽しむ人々は、遊びに夢中で気づいていないようだ。

 けれどクロエの目だけは誤魔化せなかった。


(ははーん。あの子って!)


 閃いた瞬間、絶対的な確信を抱いた。

 だってあの挙動。

 人がああいう振る舞いをするのは、いかなる状況下におかれた時か。

 クロエはよーく知っていた。


(ふふ。せっかくだし声をかけてみましょう!)


 あくどい笑みをかみ殺しつつ、クロエは少年に近づいていった。

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