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涼花、ダメ男と初めて出会う。その3

(前回の続き)

すると通路側の座席で腕組みをしながら涼花ちゃんと醇ちゃんの話を間近で聞いていた歳三ちゃんが5月の連休中に警察官の仕事が忙しい両親に代わって剣道師範をしている祖父と書道教室を開いている祖母と3人で中華人民共和国遼寧省の省都で中国東北部最大の都市瀋陽(しんよう・シェンヤン)に2泊3日で旅行してきた時の土産話を二人にしたのである。


「実は自分もこの前、祖父母と一緒に生まれて初めての海外旅行として札幌市の姉妹都市である中国東北部は遼寧省にある瀋陽という街に行ってきた。そこは中国でも五本の指に入る重工業都市で、近年はIT関連分野やサービス業さらには観光産業にも力を入れていて上海に劣ることのない経済成長を遂げていることを肌で実感することができた。一方でさすがは四千年の歴史をもつ中国ということもあって、現存する二つの皇宮建築群のひとつで清朝の太租ヌルハチと二代皇帝太ホンタイジが暮らしていた瀋陽故宮やそのヌルハチ・ホンタイジと二人の妃がまつられている福陵(東陵)や昭陵(北陵)、さらにはかつて張学良の官邸兼私宅であった“張氏師府”と柳条湖地区にある“九・一八歴史博物館”に行ってきた。そして夕食には瀋陽の中心部である瀋河区で30年以上も剣道の道場をやっているという祖父の知人の案内で瀋陽のみならず中国全土において名の知れた餃子の老舗でその店の名物である“蒸し餃子”を思う存分堪能してきた。焼き餃子や水餃子も美味かったが、“蒸し餃子”は格別の美味しさだった。」


「私のおじさんも土木の仕事の関係で台湾に行くことも結構あるのよ。こないだも台湾の北部にある新竹という街に出張に行っていたおじさんから焼きビーフンの麺を10袋もお土産としていただいたの。早速お母さんと一緒に北海道産SPF豚バラの薄切り肉80gとおじいさんの知り合いの丘珠の玉ねぎ農家からもらった“札幌黄”1個と“タケノコ”50gと新冠町産のピーマン2個と南富良野町産の人参2本と上ノ国町産の干しシイタケ2枚と“日高昆布しょうゆ”大さじ2杯と“新潟住乃井 純米料理酒”大さじ2杯と国産サクラエビの干しエビ30gのほかに、かど屋の“金印純正ごま油”や“赤穂の塩”、ヱスビー食品の“テーブルあらびきコショー”などを使って4人前の焼きビーフンを15分で調理したのよ。フライパンを用いての料理は今までやったことはなかったけれど、お父さんは私とお母さんが作った“五目焼きビーフン”をとても美味しいとほめてくれたの。それなのに春華はその“五目ビーフン”があまり好きではなかったみたい。ほとんど口にしなかったのよ。」


「さすがは涼花ちゃん。6歳にしてフライパンを使えるなんて大したものね。実は私もこの前マーガレット・ラドキンさんというアメリカの女の人が書いた“ペパーリッジ・ファーム料理ブック”という全文英語で書かれたお料理の本を参考にしてお母さんと一緒に無添加のパンやクッキーを作るようになったの。」


「マーガレット・ラドキンさんって石臼で碾いた小麦粉を使って添加物を一切使わずに高品質の原材料にこだわったパンやお菓子などで有名なあの“ペパーリッジ・ファーム”社を創業したアメリカ人の女性実業家でパン作りの名人だった人ね。」


「涼花ちゃん大正解。大都会ニューヨークで生まれたラドキンさんは勤め先で知り合ったヘンリーという男の人と1923年に結婚して、3人の男の子を儲けたの。その6年後にラドキンさん一家はコネティカット州のフェアフィールドという田舎町に移り住んで牧場の経営を始めたのよ。そんなラドキンさんに転機が訪れたのは1937年、40歳の時に地元のお医者さんから子どもたちの喘息の治療の一環としてパン作りを勧められてそれから石臼で碾いた小麦粉を使って自家製のパンを作り始めることになったの。ラドキンさんはしだいに近所の人たちにもパンを焼くようになって、地元のお店でも自分の作ったパンを販売したりして次の年にはついに自分自身でパンを製造販売する会社を立ち上げるまでになったのよ。」


「それがあの“ペパーリッジ・ファーム”社ね。」


「ラドキンさんの活躍は“リーダーズ・ダイジェスト”などアメリカの有名雑誌にも取り上げられ、販売主任としてアメリカ各地でセールスを担当するようになった旦那さんのヘンリーと二人三脚で数百万ドルの収益を誇るパン・菓子メーカーを築きあげたのよ。」


「まさに女性起業家の草分け的存在ね。」


「それは素晴らしい。日本でも明治の初めに木村安兵衛という現在の茨城県出身の侍が“あんぱん”を発明して人々の間で評判をよび、それが山岡鉄舟にも認められてついに明治天皇にも献上されることになり“皇室ご用達の品”として重宝されると同時に“文明開化のシンボル”となったのがテレビでもやっていたぞ。」


「その木村安兵衛さんって東京・銀座に本店を構える“木村屋總本店”の創業者よね。」


「さすがは涼花ちゃんと歳三ちゃん、毎週日曜夕方の大河ドラマと毎週水曜日の夜10時からやっている“日本史・世界史のできごと”を欠かさず見ているだけあってあなどれないわね。」


「最近では“日本企業家列伝”も面白くてよく見ているわ。先週のキャノンの創業者で産婦人科医でもあって御手洗毅博士の放送回が非常に面白かったわ。御手洗博士も私のひいおじいさんやおじいさんと同じ北大医学部産婦人科のOBで他の会社に先駆けて週休二日制や企業ぐるみの夏季休暇を実施したりするなど独特の経営哲学や先見の明を持っていた人物だったのね。」


「自分もその“日本企業家列伝”をしばしば拝見しているが、来週はあの“佐藤水産”の創業者である佐藤三男について放送するそうだ。出身は福島県で若いころを柔道家として鳴らしていたらしい。それが石狩の個人商店を振出しに国内でもトップクラスの鮭の製造販売会社を築きあげるまでになるとはかなりの大人物だぞ。」


歳三ちゃんが祖父母と一緒に瀋陽へ旅行して“蒸し餃子”を美味しくいただいたことから始まって涼花ちゃんがお母さんと一緒に“五目焼きビーフン”を作った話からさらには醇ちゃんがアメリカにある大手パン菓子製造販売会社“ペパーリッジ・ファーム”社の創業者マーガレット・ラドキン女史(1897~1967)の話を始めたことから涼花ちゃんと歳三ちゃんが“木村屋總本店”や“キャノン”、“佐藤水産”の創業者の話をするまでになったまさにその時、またもや醇ちゃんが二人の興味をそそぐような話をはじめたのである。


「実は私もこの前、“日本史・世界史のできごと”でアメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーという人についてとりあげた放送回を見たの。イギリスのスコットランドにあるダンファームリンという港町で機織り職人の家に家に生まれたカーネギさんは13歳のときに両親とともにアメリカに移り住んで蒸気機関の火夫や機械工、速達便配達夫、電信技手、鉄道員、駅長などいろんな職業を経験して苦労を重ねながら持ち前の投資の才覚とアイデアでアメリカでも1・2を争う大富豪にまで登りつめたのよ。とりわけ1861年から1865年までの南北戦争を契機に鉄鋼の需要がより一層増えることを見込んだカーネギーさんは、鉄鋼業経営に手腕を発揮してその類まれなるリーダーシップとベッセマー製鋼法をはじめとした最新の技術を取り入れた経営によってピッツパーグを中心に製鉄所、鉄鉱山、炭坑を手中に収めて1889年にはカーネギー鉄鋼株式会社を設立してアメリカの鉄鋼の50%を生産するまでになったのよ。それから1901年に当時のアメリカの金融界ならびに経済界の大きく勢力を伸ばしていたジョン・ピアポンド・モルガンの率いるユナイテッド・ステール・スチール社に5億ドルですべての事業を売り渡して66歳で実業界を引退してカーネギーさんは、“富豪の使命は人類の進歩のためにその富を大衆の利益に帰することにある”を信念として教育・文化・平和事業に邁進して、ニューヨークのマンハッタンにあるカーネギー・ホールや計算機科学などの研究で世界的に有名なカーネギーメロン大学の前身であるカーネギー工科大学やワシントンD.C.にあるカーネギー研究所、カーネギー教育振興基金やカーネギー国際平和財団などの設立に貢献したり、アメリカ各地やイギリスおよびカナダなどで公共図書館や学校、大学の創設にあたったりしたのよ。」


その醇ちゃんの話を両足の上履きを脱いで体ごと醇ちゃんの所に向けて最後まで聞き入っていた涼花ちゃんが両手をパチパチと拍手しながら最後に醇ちゃんに対してこんな一言を述べたのである。


「醇ちゃん、今の話本当に素晴らしかったわ。醇ちゃんなら一流の研究者になれること間違いなしよ。」


「うん、今週の水曜日に“日本史・世界史のできごと”でそのカーネギーさんの話をやるまでの一週間、近所の児童会館や図書館に行ってカーネギーさんのことをいろいろと調べたり、テレビを見終えた後もカーネギーさんの伝記を隅から隅まで読んできちんとおさらいしておいたのよ。」


「それは立派だったぞ、醇。知ったかぶりをせずに丹念に調べて裏付けまでするなど万人ができそうなことでも案外実行にうつすことができる人間なんかそういるものではないぞ。」


まだ幼稚園児である醇ちゃんの粘り強さを年少の時から同じクラスで仲良しの涼花ちゃんと歳三ちゃんが褒め称えていたまさにその時、当の醇ちゃんのすぐ隣の通路側の座席に腰かけていた微笑んだ目元がミステリアスな切れ長の目と口本の艶ぼくろ、そして紫色のストレートロングヘアが特徴の6歳児とは思えないほどの艶やかさをもった女の子が三人の話を間近で聞いていたのか歳三ちゃんが祖父母と一緒に中国の瀋陽へ旅行に行ってきたのと同じ時期に家族でニューヨークのカーネギホールに行って瀋陽出身の世界的ピアニストラン・ラン(郎朗)とニューヨークフィルハーモニーとの共演コンサートを鑑賞してきたことを3人に話した後に、家族とともにウィーンやミラノ、モスクワの有名な歌劇場や去年の8月には“バイロイト音楽祭”にまで行ってきたことを3人の前で話をしたのである。


「私、この前パパやママ、ニューヨーク大学ビジネススクールに留学しているお兄さんと東京の私立高校に通うお姉ちゃんと5人でカーネギーホールでおこなわれたラン・ラン(郎朗)とニューヨークフィルハーモニーとのスペシャルコンサートの見に行ったの。彼の18番であるフレデリック・ショパンの“ピアノ協奏曲第2番”とピョートル・チャイコフスキーの“ピアノ協奏曲第1番”を久々に聞いてそれも大変良かったんだけど、コンサートもそろそろ終盤に近づいたころにサプライズゲストとしてあのアラン・ギルバートが突然現れて約7年ぶりに指揮台に立つことになって”ウェストサイド物語(ウェストサイドストーリー)”の演奏が始まったの。その時のラン・ラン(郎朗)の表情といったらもう可愛くて可愛くて胸にキュンと突き刺してしまうくらい刺激的だったわ。今年の元旦にはウィーン国立歌劇場で“フィガロの結婚”を、春休みの間はミラノのスカラ座で“アイーダ”を、モスクワのポリジョイ劇場で“白鳥の湖”をパパやママと一緒に楽しんできたわ。去年の夏休みにはバイロイト音楽祭に行って“ニーベルングの指輪”4部作を思う存分堪能することができる良い機会となったわ。」


艶やかな雰囲気と幼稚園児らしかぬ話し方をするその女の子の話を聞いた三人は、こう反応したのである。


「私も“ニーベルングの指輪”4部作をはじめとしたワーグナーの楽劇は結構すきなのよ。ちなみにオーストリアではヘルベルト・フォン・カラヤン、イタリアではクラウディオ・アバド、ロシアではイーゴリ・ストラビンスキーを挙げることができるけれど私は断然邦楽のほうが好みね。ちなみに私の推しは宮城道雄と米川文子、あとは中島みゆきね。」


「私はワーグナーの楽劇は大げさすぎてあまり好きになれないわ。それよりも私は伊福部昭さんや早坂文雄さんといった北海道出身の作曲家が好みかな」


「自分の家では琴古流尺八家で人間国宝でもあった山口五郎の『琴古流尺八本局シリーズ』全5巻をもっているぞ。山口五郎は技量・人格ともに右に出るものがなく、山口五郎こそ間違いなく戦後の日本を代表する邦楽家といってもいいだろう。あとは“北海太鼓”の大場一刀もいいぞ。魂のすべてをそそぎこんだあの力強い演奏と精悍な男らしさはなんとも素晴らしい。」


まだ6歳の幼稚園児なのに和楽器系の音楽が大好きな歳三ちゃんが戦後日本の代表的な尺八奏者山口五郎(1933~1999)と“北海太鼓”の創始者大場一刀(1933~1997)について熱っぽく語ってから仲良しの涼花ちゃんや醇ちゃんと一緒に北海道が生んだ二人の偉大な作曲家-伊福部昭(1914~2006)と早坂文雄(1914~1955)についてしばらく語り合ってから再び醇ちゃんの隣の通路側の座席に座っていた女の子が、今年の夏休みに両親や東京の私立の学校に在籍している二人のお姉さんとともにニースへバカンスに行くことを三人に話した。


「伊福部昭さんと言ったら『ゴジラ』や『ビルマの竪琴』、『コタンの口笛』などの映画音楽で有名ね。また北海道帝国大学農学部林学科を卒業して厚岸(あっけし)の森林事務所で林務官をしているときに書き上げた『日本狂詩曲』や1954年に作曲された交響曲の『シンフォニアタプカーラ』、1961年に作曲された『ピアノと管弦楽曲のためのリトミカ・オスティナータ』といった北海道などの民族音楽を基調にした作品もダイナミックてとても素晴らしい作品よ。さっき話に出てきた私のひいおじいさんが札幌二中ー現在の札幌西高等学校を卒業してから北海道帝国大学すなわち現在の北海道大学医学部へ進んだんだけど札幌二中の三年先輩にその伊福部昭さんがいたそうなの。同じ札幌二中のOB同士だった私のひいおじいさんと伊福部昭さんは長らく親交があったみたい。」 


涼花、早坂文雄もかの巨匠黒澤明が監督した『羅生門』や『七人の侍』といった名作映画の音楽をてがけているのを忘れてはいかんぞ!黒澤明の映画といったら何が何でも『七人の侍』を欠かすことはできないぞ!三船敏郎が演じる菊千代もいいが、千秋実演じる林田平八や加東大介演じる七郎次、宮口精二演じるさすらいの剣客久蔵もなかなかのものだぞ!あと伊福部昭といったら『座頭市』シリーズの音楽もてがけているぞ!勝新太郎演じる座頭市は国宝級そのものだ。」 


「涼花ちゃん・歳三ちゃん、その『七人の侍』で林田平八を演じた千秋実さんと作曲家の早坂文雄さんって生前あまり面識がなかったみたいなんだけれど二人とも昔の北海中学ー現在の北海高校のOBらしいの。早坂文雄さんは仙台の生まれで4歳の時に一家で札幌に移り住んで北海中学に入ってからピアノやオルガンに親しむようになってそのころから作曲家を志すようになったの。でも家が貧しくて、16歳の時にお父さんが家族をおいて家を出ていってしまいさらにはお母さんも病気で亡くなり2人の弟妹の面倒を見なければならなくなったことから北海中学を卒業してからは働きながら独学で音楽を勉強するようになったの。それから早坂文雄さんは伊福部昭さんらとともに「新音楽連盟」の創立メンバーとなって札幌を拠点に活動を開始して、山鼻カトリック教会でオルガン奏者をしていた時に作曲した『二つの讃歌への前奏曲』や『古代の部曲』が認められて東京へ上京して東宝に音楽監督として入社することになったの。第二次世界大戦中トーキー音楽の仕事や「独立作曲家協会」での活動がメインだった早坂文雄さんは戦後になってから黒澤明監督と出会って『酔いどれ天使』や野良犬、『羅生門』、『七人の侍』をはじめとした黒澤明監督の作品や溝口健二監督の『雨月物語』などの映画音楽を手がけることになって一躍その名が知られるようになったの。

一方で早坂文雄さんは若い時から結核と闘いながら自ら提唱した(はん)東洋主義をベースとした多くの作品をつくりつづけ、1955(昭和30)年には代表作である交響的組曲ユーカラが東京交響楽団の定期演奏会で

披露されたんだけれど、その年の10月に原水爆の恐怖を取り上げた黒沢明監督の映画『生きものの記録』の収録作業をしているときに、突如としてこの世を去ることになってしまったの。」


「そう言えば早坂文雄って,上京する以前に札幌にあるカトリック系の私立学校で英語と音楽の教師をしていたらしいわ。多分伊福部昭さんとともに「新音楽連盟」で活動していた時期だと思うの。」


「その終生の友人でライバルでもあった伊福部昭は早坂が亡くなった時に新聞で“日本の映画音楽を最高の芸術にまで高めた功労者”と讃えているし、早坂の葬儀が行われた際には黒沢明は『七人の侍』のレコードを流したそうだ。」


「『交響曲詩ユーカラ』もそうだけど『雪国に寄せる交響詩』や『左方と右方の舞』、『弦楽四重奏曲』、『交響曲詩ユーカラ』といった“(はん)東洋主義”の結晶ともいうべき作品の数々はつい先週中島公園のKitaraで開催された“早坂文雄生誕109周年メモリアルコンサート”でも取り上げられたわね。」


「言い忘れていたが、黒沢明は早坂が亡くなったとき一週間泣き通しつづけ、その結果仕事に身が入らなかったらしい。10年以上前に歌志内にある安楽寺で早坂が生前愛用していたオルガンが一般公開されたが、そこの前の住職である相河直昭は早坂と北海中学の同級生だったらしく早坂の生活の面倒も見ていたらしいぞ。」


「あと千秋実って黒澤明が監督した『隠し砦の三悪人』で藤原釜足と演じた農民コンビはスターウォーズシリーズのR2-D2とC-3POのモデルにもなっているわ。現にスターウォーズのジョージ・ルーカスは黒澤明を尊敬していたのよ。」


「あら、映画といったら今年の2月に私のおじいさんが北海道観光連盟や北海道温泉協会の人たちとドイツのバーデン・バーデンやウィズバーデン、札幌の姉妹都市であるミュンヘン市を視察することになって私と東京の私立高校に通うお姉ちゃんも一緒に着いていって、視察が終わった後にベルリン国際映画祭に特別に招待されることになったの。」


「ベルリン国際映画祭といったら、黒澤明が監督、志村喬が自らの死期をさとって市民のために公園を建設しようと奔走する市役所の市民課長を演じた東宝創立20周年記念映画『生きる』がドイツ上院議員賞を、『隠し砦の三悪人』が監督賞と国際批評家連盟賞の栄誉に輝いているわね。」


「私のおじいさんがその大会のディレクターさんやベルリン市の市長さんとも知り合いで、今回おじいさんがドイツを視察するのに伴って今回のベルリン国際映画祭に招待されることになったの。『ベルリン女神大戦』や『ニュルンベルクの中央広場でおたけびを挙げる』のヴィルヘルム・マウラッハ監督や『DEATHCITY-柏崎2023』で本年度の金熊賞を受賞した長谷川信次監督とも直接お会いする機会にも恵まれたわ。』


「長谷川信次って『DEATHCITY-柏崎2023』や『豚肉の運命』のような社会派作品のほかにも、北海道や九州・沖縄などを舞台にしたアクション物や警察物のヒット作を次々と連発しているわよね。」


「今度その長谷川信次監督が夕張の炭鉱をテーマにした作品をやりたいというので、うちの会社もわずかながらだけど出資することになったの。」


「そう言えばベルリン国際映画祭ってあの宮崎駿監督の作品が金熊賞を受賞したわよね。その作品のタイトル名って何だったっけ〜。“となりのトトロ”でもないし。」


「“もののけ姫”か。“風の谷のナウシカ”でもないしな・・・。」


「そのベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した宮崎駿の作品って『千と千尋の神隠し』じゃない。2001年に公開された長編アニメーション映画で、興行収入300億円を超え、日本歴代興行収入第1位を達成したのよ。アメリカや台湾・香港といったアジアの国々などでも公開されて、2003年の第75回アカデミー賞では長編アニメ映画賞を受賞したのよ。」


「それって人が豚の姿に変えられてしまったり巨大な赤ちゃんがでてくる物語でしょ。」


「その『千と千尋の神隠し』には、主人公の少女が本名を奪われて“油屋”で働くことになったり、二頭身の強欲で口うるさいけれど度量がある“湯婆婆”や蜘蛛のような姿で伸縮可能な六本の手や腕を自由自在に操ることができる“釜爺”、黒い影のような物体にお面のような物をつけた“カオナシ”、主人公の少女ともに名前を奪われて油屋で働いている魔法使い見習いの少年で主人公の少女が以前住んでいた家の近くを流れていた川の神だった“ハク”などといった個性的な個性的なキャラクターが数多く登場したり、作品の舞台が台湾の九粉のような幻想的かつレトロチックな街並みなのよ。最後に主人公の少女と“ハク”が自分たちの本当の名前を取り戻してから敢えて自由の身となって“油屋”を去り、いつか再会することを約束して、主人公の少女は両親と再会することができたのよ。」


「その『千と千尋の神隠し』で主人公の少女が働くことになる“油屋”って愛媛県松山市にある道後温泉本館や東京都目黒区にある目黒雅叙園、さらには二条城の天井画や日光東照宮の壁画彫刻などが参考なっているそうよ。」


「それに神仏混浴の湯治場という“油屋”の発想は、長野・愛知・静岡の県境にまたがる地域の各地で行われている“霜月祭”や日本各地で行われている“湯立神楽”といった祭事からヒントを得ているそうだ。」


「そもそも“油屋”という場所そのものが、-あいまいになってしまった世の中-や-あいまいなくせに、侵食し喰い尽くそうとする世の中-の縮図として設定されていて、監督の宮崎駿自身がペルーの少年労働を扱ったドキュメンタリー番組を見たことがあって、子供が労働することが当然である世界の現状を忘れたくなかったので、過酷な環境下で主人公の少女が労働を強いられるストーリーを執筆するはこびになったことをインタビューで語っているわ。」


「ペルーでの少年労働ってかなり残酷・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


三つ編みお下げの涼花ちゃんと侍女の歳三ちゃんとしっかり者で博学の醇ちゃんが日本を代表するアニメーション映画界の巨匠宮崎駿監督が放った空前絶後の大ヒット作『千と千尋の神隠し』についての話をしたその直後、醇ちゃんの隣の通路側の座席に座っていた紫色のストレートロングヘアを持ち艶やかな雰囲気を醸し出している3人と同い年の女の子が、ベルリン国際映画祭金熊賞の受賞者でもあるデイヴィッド・リーンならびにイングマール・ベルイマン両監督の作品についてこう語りだしたのである。


「あらベルリン国際映画祭の金熊賞といったらアンリ=ジョルジュ・クルーゾーが監督し、イヴ・モンタンが主演した『恐怖の報酬』やロバート・アルトマンの西部劇映画でポール・ニューマンがバッファロー・ビルを演じた『ビッグ・アメリカン』なども良かったけど、私のイチ押しはデヴィッド・リーンが監督・脚本・製作を全て手掛け、マルコム・アーノルドが音楽を手掛けた『ボブスンの婿選び』と1957年に公開されたイングマール・ベルイマンの監督作品で、ヴィクトール・シェストレームやビビ・アンデショーン、グンナール・ビョルンストランドなどが出演した『野いちご』ね。


紫色のストレートロングヘアーの少女はデウィッド・リーンの作品についてこう付け加ええる。


「『ボブスンの婿選び』はチャールズ・ロートンとジョン・ミルズの演技が素晴らしかったけど、デウィッド・リーンといったら何といっても『アラビアのロレンス』や『ドクトル・ジバコ』、それとセリア・ジョンソンとトレヴァー・ハワードの主演で、アイリーン・ジョイスが全編にわたってラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を演奏した『逢びき』が傑作ね。


そこに一つ手前の窓側の座席に座っていた三つ編みお下げの涼花ちゃんがすぐ後ろの通路側の座席に座っていたその女の子の方へと体ごと向けて一言声をかけてから今度はその女の子と北欧映画界の巨匠イングマール・べルイマンと終生にわたるベルイマンの友人で彼の作品の常連であったスウェーデンを代表する性格派俳優グンナール・ビョルンストランド、さらにはスウェーデンが生んだ往年の名女優イングリット・バーグマンやエキゾチックな顔立ちとスキンヘッドがトレードマークのロシア出身のハリウッド男優ユル・ブリンナーについてしばらくの間語りあった。


「そう言えばイングマール・ベルイマンが監督した『野いちご』って、日本でも人気が高くて1962年度のキネマ旬報外国語映画ベスト・テン第1位にも選出されているんだけれど、『エクソシスト』でランカスター・メリン神父を演じたマックス・フォン・シドーもわずかながらヴィクトール・シェストレーム演じる老教授イサクを慕うガソリンスタンドの店主という役で出演しているのよ。」


「マックス・フォン・シドーはビビ・アンデショーンも出演した『第七の封印』やカンヌ国際映画祭特別賞なとを受賞した『処女の泉』が良かったけれど、私としてはベルイマンの盟友だったグンナール・ビョルンストランドの方が好きで『第七の封印』や『野いちご』のほかにもビョルンストランド自身が主演した『夏の夜は三たび微笑む』やかのイングリット・バーグマン最後の映画出演作品である『秋のソナタ』も非常に良かったわ。」


「そのイングリット・バーグマンが奔放な恋に生きるピアニストを演じた『秋のソナタ』でビョルンストランドは映画の終盤の列車中のシーンでおいしいところを持っていく役どころを演じているわよね。」


「あと私はバーグマンの初めてのアメリカ映画出演作品である『別離』やハンフリー・ボガードと共演した『カサブランカ』、ケーリー・グラントとの共演作でアルフレッド・ヒッチコックが監督した『汚名』なども気に入っているわ。」


「私としてはバーグマン最後の出演作で、イスラエルの女性政治家で1969年から1974年までの5年間同国の第5代首相であったゴルダ・メイアを主人公とした『ゴルダと呼ばれた女』が個人的に面白かったわ。」


「でも涼花ちゃん、バーグマンの歴史映画といったら1948年に公開された『ジャンヌ・ダーク』や帝政ロシア時代のアナスタシア伝説について描いた『追想』の二作品がお薦めよ。」


「『追想』ってあのユル・ブリンナーがバーグマン演じる記憶喪失の女性アンナ・コレフをアナスタシア皇女に仕立てて、しまいにはアンナに恋心を抱くことになる元将校のペテン師パブロヴィッチ・ボーニンを演じている作品ね。そういえばユル・ブリンナーってロシア極東部のウラジオストクかサハリン島の出身らしいわよ。しかも父親がスイス国籍のモンゴル人で母親がユダヤ系ロシア人」


(幼稚園篇10へ続く)












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