7.スケスケ魔導士と男
〈ちょ‥‥ちょ、ちょっとアンタ、いきなり何よぉッ。入る前にはノックしろって、この前言ったでしょ!!〉
カンテラの強い光に照らされて、慌てた声でそう言ったのは、先ほど姿を消したゴーストだった。
「ああ、スマンな。忘れてた」
生者ではないのでグラムは気楽に応じる。
ゴーストは完全に油断していたらしく、だらしなく横になった格好でフワフワ浮いており、頭をスッポリと隠していたローブのフードが外れていて、その下の顔が剥き出しになっていた。
幸いにして損傷や半腐りではなく、普通に生きていた時と同じ状態。
家の由来が事実なら、このゴーストが例の高名な魔導士とやらなのだろうが、見た目はかなり若い。二十台半ばといった所だろうか。
如何にも研究者といった感じの分厚いメガネをツンとした鼻に乗せ、癖のある赤いボサボサの髪をポニーテールに纏めた“若い女性”だった。半透明では在るが。
〈──ったく、これだから男って。もう、さっさと出ていきなさいよッ!〉
さっきの低く唸るようなモノではなく、今度は見掛け相応のキンキン声でゴーストはグラムを非難する。
透けていなければ生者と区別できない程の元気な様子で、こんな奇妙なゴーストは彼も他では見た事がない。
「ああ、分かった分かった。ちょっと通り抜けるだけだ。すぐ出て行く」
ここはまだダンジョンではない、単なる地下室。
この部屋には何らかの対魔法障壁が施されているらしく、浄化魔法が効かなかったのはここにゴーストが避難したからのようである。
そして、この部屋より更に下から本当のダンジョンが始まるのだ。
上の部屋より遥かに多くの乱雑に積み上げられた書籍の山と山の間を潜り、グラムは下へと続く階段へと向かう──が、それをゴーストが待ったを掛けた。
〈ちょっと、下へ行くならアレも持ってって〉
そう言って指差したのは壁に立て掛けてある一振りの刀──カンダチである。
普段は盗難防止にマジックバッグの中か、この地下室に置いてあるのだが、霊体である彼女にとっては浄化能力がある真銀製の刀は、例えは悪いがゴキブリに対する殺虫剤みたいなモノで、近くに在るだけでもかなりのストレスなのだろう。
まぁゴーストがストレスを感じるのならばだが。
「おお、コイツを忘れたら命に関わるところだ。スマンな、ゴースト」
〈はあぁぁ?! アンタ、勘違いしないでよね。私、そんなつもりじゃないから。それに“ゴースト”なんて呼ばないでよッ〉
「うむ。なら、何と呼べばいい?」
〈‥‥‥‥‥‥‥‥エルマ、よ。エルマ・ウォーゼン、それが私の名前〉
「そうか、エルマか。分かった。今後はそう呼ぶとしよう。俺はグレイア‥‥いや、グラムだ。ではエルマ、行ってくる」
〈いってら‥‥‥‥。い、行けばいいでしょ、勝手に。さっさと行って魔物に食われろッ!〉
そんな罵声を背中に受けながら階段を降りていくグラムの顔には、我知らず自然と笑みが浮かんでいた。
いい感じに余分な緊張が緩和され、集中力が増した気がする。そして、ある事に気が付いた。
(ゴーストでも顔が赤くなるのだな‥‥)
先ほどのエルマの様子を思い出し、思わず笑い出しそうになる。だが、ここは既にダンジョンの中。不用意に声を出すのは厳禁だ。
グラムはカンダチを鞘から音を立てぬよう引き抜くと、一歩一歩探るように歩を進めていく。
地上から数えるなら地下二階のダンジョン一階層は、アリカのそれと同じで石のブロックを積み上げた通路が続く迷路状の形態をしていた。
横幅は四メートルほど、高さは五メートル位のやや長方形の地下道。
背中の大剣を振り回せないではないが、それでも手狭なので浅い層では専らカンダチの出番である。
その壁にはご丁寧にも一定の間隔で淡く光る蛍石が埋め込まれており、カンテラ無しでもある程度は先を見通せる。
グラムはカンテラの灯りをギリギリまで絞って、少しずつ目を暗闇に慣らしながら進んでいき、五分ほど行った所で最初の魔物と接敵した。
「ふんッ」
相手の正体を確かめると同時に、一刀両断する──が、すぐにその厳つい顔に動揺が拡がった。
「ッ! しまった。俺とした事が‥‥」
後悔の念が押し寄せて、彼は唇を固く引き締める。
こんな初歩的なミスをするとは、浮ついていた自分が許せない。
「──モールバットは無視する筈だったのに‥‥」
真っ二つにされたカラスほどの黒い翼をもつ異形を見下ろしながら、グラムは小さく自嘲の溜め息を吐くのだった‥‥。
初めて感想をいただきました。嬉しい‥‥