2.放逐された男
二話目です。
「──グレイアムにも困ったものだ‥‥」
過剰に装飾された非実用的な机の天板に肘を突き、大きな溜め息と共に深刻に呟いたのはグラハム家の現当主、オットー・フォン・グラハム。
爵位は男爵。大昔、最後の戦争でご先祖様が大活躍して得た位階である──が、今やその地位も降爵の危機に瀕していた。
原因は皮肉にも泰平の世にある。
軍閥で武門の家系であるグラハム家には、活躍しようにも活躍する場がここ百年余り一切なかったのだ。
その一方で、新興の小貴族がその勢力を着々と伸ばしており、昇る者がいれば当然堕ちる者もいる。
オマケにグラハム家の現在の嫡子は無愛想の塊、あのグレイアム。
「アイツが当主を継いだら、我が家は間違いなく没落する」
オットーは預言者めいた口調で断定する。
その呪われた禍々しい予測が外れる事は、残念だが先ずあるまい。
「‥‥だとすれば、どうしたらいい? どうすれば我がグラハム家を救えるのだ?」
応える者は居ない。だが、答えは決まっている。
オットーは手にした真銀製の呼鈴を強く鳴らすと、隣室に控える執事に向けて大声で言い放った。
「すぐにマーカスをここに呼べッ」
静かではあるが足早に進む靴音が、扉の向こう側で遠ざかっていく。
グレイアムの異母弟、グラハム家次男のマーカスが母屋に居るオットーの前に現れたのは、それから半刻ほど経った頃だった。
「お呼びでしょうか、父上?」
マーカスは煌く金髪の髪を軽く指で掻きあげると、優雅に父に一礼する。
「もしかして、あの事‥‥ですか?」
「うむ、そうだ。例の件、お前の忠言に従うことにした」
「そうですか‥‥。それは重畳。これでグラハム家も救われる。多くの使用人たちを路頭に迷わせずに済みます。父上の英断に皆もきっと大いに感謝するでしょう」
「うむ‥‥」
息子の言葉にオットーは満足気に頷く。
(そうだ、これは我らの為だけではない。家に仕える者たちの為でもあるのだ)
半ば自分に言い聞かせるように心の中で念を押す。
これから彼がグレイアムにしようとしている事は、父親として人として咎められるべき事柄だ。だが、やるしかない。全ては家を守る為なのだから。
そうした苦渋をオットーが僅かに眉根寄せて見せる一方で、マーカスはまるで春陽を楽しむかのように柔和な笑みを浮かべ続けていた。
そんなマーカスの容貌はグレイアムとは対照的であった。
まるで絵物語から出てきたような如何にも美男子然とした金髪碧眼の貴公子。
細くしなやかな肢体が伸びる均整のとれた体型に甘いマスクが乗り、その僅かに口角の上がった口元から紡ぎ出される流麗な歌声は、本職の吟遊詩人にも勝るとも劣らず、貴族令嬢のみならず王宮の女官たちまでも虜にしてきた。
身分が男爵の次男と低く最低限の卿しか持たない事を除けば、央国貴族としての資質はグレイアムと較べるまでもない。
そして彼自身も、その事を充分に理解していた。
「何も心配は要りません。策は既に整っております。後は全てお任せを」
「‥‥そうか。わかった、全てお前に任せる」
「かしこまりました、父上」
マーカスは入って来た時よりも恭しく頭を下げて、ゆっくりと部屋を出て行く。
父親に背中を見せて退出する彼の青い双眸の奥には、抑えようにも抑え切れぬ狂喜の色がハッキリと浮かんでいた。
オットーはその事に気付きながらも何も言わない。ただ静かに瞑目し、
(──すまぬ、グレイアム。そしてシルビア‥‥)
そう心の中で、息子と亡き前妻に向け洩らすのみだった。
それから一ヵ月後、グレイアムは嫡子としての地位を剥奪され、グラハム家から放逐される事となったのだった‥‥。