32.暢気な男
エピローグ的な話です。
「ここが、兄さまのおウチですのね」
「うむ‥‥」
「そして、今日からは私が住むウチでもある」
グラムが頷くと、リリーシアの顔にパアァァっと天使の微笑が生まれた。
「──入っても、いいですよね?」
そんな小首を傾げる姿も愛らしく、例え特殊性癖がない男でも思わずその道に堕ちてしまいそうな可憐な笑顔。グラムも兄妹でなかったら危なかったかも知れない。
まぁ冗談はさておいて。
兄との短い二人旅を楽しんだリリーシア。アリカ郊外へと辿り着いた彼女は、これから始まる新しい生活を想い、木造二階家のグラム邸の扉をワクワクと開けた。
すると、玄関には黒っぽいローブ姿のスケスケが浮かんでいて、
〈でーてーいーけぇぇー‥‥。ここは私の家だぁぁぁー‥‥〉
少女は一瞬虚を突かれたが、だがしかし次の瞬間──
「セイクリッドアローッ!」
〈ぎゃあぁーーッ!!〉
──驚かすつもりで逆に悲鳴を上げたのは、この家の同居人のエルマの方だった。
軟弱なゴーストなど一発で浄化できそうな聖なる光の矢が少女の手から放たれ、ソレをエルマは間一髪で辛うじて躱すと魔法障壁のある安全地帯の地下室へと慌てて逃げ込んだ。
「兄さま、今、目の前にゴーストがッ。この家は呪われています!」
「ま、待て、リリーシア。落ち着け」
「ですがゴーストですよッ。あの“G”とも呼ばれ、一体でも見かけたら三十体は潜んで居るという、嫌われ者のゴーストッ!」
どうやらこの世界では、ゴーストとゴキブリは同じ扱いらしい。
「確かにアレはゴーストだが悪いヤツではない、多分‥‥」
「多分‥‥?」
不思議そうな顔をするリリーシア。その足元から不意に声が聞こえた。
〈いや、“多分”じゃなくって、私悪いゴーストじゃないよ。──あ、白!〉
「キャアァーーッ!!」
スカートの中を下から覗かれて、これにはリリーシアも流石に仰天した。
驚いて、全力の聖魔法を床へ向かってブチかます。
白く輝く魔法陣が彼女を中心にして現れ、玄関から部屋に、更には家の敷地全体へと拡がっていき、屋敷のあちこちがカタカタと震え始めた。
リリーシアは呼吸を整え瞑目し、やがて大きく息を吸い込むと、
「──セイクリッドぉぉーーー‥‥」
〈「待て待て、待てぇーーッ!!」〉
グラムとエルマが慌てて止めに入り、彼女の極大浄化魔法の発動をからくも阻止できたのだった。
そして、それから十分後──。
グラム邸の居間の長椅子の真ん中をリリーシアが腕組みで陣取り、その斜め前に座っているグラムと宙にプカプカ浮いているエルマは何とも言えない気まずい顔をしていた。
リリーシアは完全に小姑の目でエルマを冷ややかに見詰めている。
「──兄さま、確か“一人暮らし”って仰ってましたよね?」
「うむ‥‥」
「──では、こちらのゴーストの方は?」
「エルマだ」
「それは先ほど聞きました。どういう関係か聞いているのですッ」
少女は語気を荒げてトンっと自分の腿を拳で叩く。
〈いや、関係ってお嬢ちゃ‥‥ヒィッ!〉
会話に割り込もうとしたエルマだったが、リリーシアは鋭いガンを飛ばしてソレを許さない。今にも聖魔法を放たんばかりに、既に彼女の魔力は練り上げられていた。
「──居候だ」
グラムの応えは簡潔だった。
「いそうろう‥‥ですか。ただの‥‥?」
「そうだ。只の居候だ」
〈そうそう。只の居候──って、ホントは私がこの家の主なのよ。このエルマ・ウォーゼン様が、ねッ!〉
「エルマ‥‥ウォーゼン‥‥」
その名を聞いたリリーシアが急に怪訝な顔をする。秀でた額に人差し指を当てて暫し考え込んだ後、「あッ!」と声を上げて手の平を拳を打った。
この子の動作は一々芝居染みている。そういう年頃なのかも知れない。
「ひょっとして、あの有名な時空魔道師のエルマ・ウォーゼン‥‥博士、ですか?」
〈あら何、お嬢ちゃん、私の事知ってんの?〉
「あ、はい。リーパード魔法大学の初代学長で数々の新魔法を世に送り出した天才魔導士のエルマ・ウォーゼン博士の事は有名ですから。古典魔法学のポリカリウス、中世魔法学のメンリッヒ、そして近代魔法学のエルマと言えば、その道を志す者には神にも等しい存在です。勿論、私も尊敬しています」
〈ほぉ、そーか、そーか。くるしゅーないぞ〉
先ほどの聖魔法に怯えた見苦しい姿など何処へやら、エルマは鼻高々に腰に手を当て胸を反らせる。
一方、グラムは疑わしげに、
「──そんなに有名なのか?」
「はい、兄さま。魔法に携わる関係の方なら知らぬ人は居ないと思いますよ。それに例え名前を知らずとも、多くの人がエルマ博士の恩恵を今も受けているのです。兄さまだってそうです。そのマジックバッグとか」
「リリーシアが作ってくれたコレ、か?」
兄の手に在るソレに、リリーシアは軽く頷いて、
「マジックバッグには、主に三つの構成魔法が使われています。『空間圧縮』『空間拡張』それと『状態維持』。これらは全てエルマ博士が独自に開発したモノで、つまりはマジックバッグを初めて世に産み出したのは‥‥」
〈そうよ、私よ。この私、エルマ・ウォーゼン様が基礎から設計し咒文を組み上げ、マジックバックを作ったの〉
「ほぉ‥‥!」
これにはグラムも感嘆せざるを得なかった。
マジックバッグは冒険者になって以来、毎度お世話になっている絶対に欠かせぬ必需品だ。コレ無しのダンジョン探索行なんて最早考えられない。
〈ソレを作るのには骨が折れたわ。でも、作った後の方がもっと大変。マジで骨折られたし〉
「どういう事ですか?」
〈あれ? その辺の事は伝わってないんだ。私、コイツを作った所為で殺されかけたんよ、何度もね〉
「えぇッ?! ど、どうしてッ? 一体誰にッ?!」
リリーシアは思わず問いを繰り返す。エルマは苦々しい顔で宙を見詰めて、
〈──大学の教授連中によ。あいつら、マジックバッグの製作に関わる空間魔法とその制御に関する情報を自分達だけで独り占めしようとしたの。そんで、作ったマジックバッグをとんでもなく法外な値段で貴族やら豪商に売りつけて、大儲けしようとしてたのよ〉
エルマはそこまで言うと、キッと立ち上がって片手を前に指差し、
〈だけど、そんなの私は許せなかった。学問は、その恩恵を含めて特定の者達だけで独占すべきではない。多くの人に情報を与え考えさせる事が、更に新しい“いのべーしょん”を生み出し、明日への進歩へと繋がるのよッ!〉
“いのべーしょん”とは何なのか、グラムもリリーシアも分からなかったが、二人は取り合えず拍手をした。
〈──と思ってさ、マジックバッグに関する全ての記録を大学側に無断で、魔法士ギルドを通して全面開示しちゃったの。そしたら奴ら、マジで怒って刺客まで送り込んできてね、流石にまだ死にたくなかったんで、身を隠してここノーグリスタにトンずらしたって訳〉
「はぁ、そんな事があったんですか‥‥。ちっとも知りませんでした」
〈まぁ大学側からしたら大醜聞だもんね。でも結局、その後で暴走事故を起こして死んじゃった。ハハハ、我ながら情けねーわ〉
自嘲するエルマを前に、リリーシアは立ち上がり、
「そんな事ありません。エルマ博士は偉大です!」
〈お嬢ちゃん‥‥〉
「リリーシアです。博士」
〈リリーシアちゃん、ありがとう‥‥〉
何故だか感動的な眼差しで見詰め合うリリーシアとエルマ──二人は互いに抱き合おうとしてスカッとすれ違い、それでも何やら盛り上がっていた。
そんな彼女らの姿を、グラムは傍から他人事のように見詰めながら、
(──さっきの出会いの時はどうなるかと思ったが、どうやら二人とも上手くやっていけそうだな。うむ、良かった良かった)
などと暢気に考えていた。
その後、急速に友好を深めた二人が結託して色々としでかす事になるのだが、神ではないグラムには、ソレを見通す事など出来よう筈がなかったのだった‥‥。
次回から新章、魔剣製造編が始まります。
今後も宜しくお願いいたします。それと出来ましたらブックマーク、評価、感想などいただけますと創作のモチベが上がりますので、お時間のある方は是非お頼みします。