29.キマイラvs.男
真銀の刀を手に、馬上のグラムはもう一頭のキマイラ目がけて突進して行った。
仲間を殺され復讐に燃える魔物もまた、ソレに正面から応じる。
「うおりゃあぁぁッ!」
「グルウオォォッ!」
二つの気合がぶつかって、刃と爪の接点から火花が飛んだ。
一見、互角のようであったが、そうではない。
刃零れすらしていないカンダチに対して、キマイラの爪は見事に切断されていた。
グラムは豪胆な笑みを浮かべると、カンダチの刃に指を添えて付与魔法を施していく。青い刀身が更に鮮やかな紺碧へと変化して、水属性の力を新たに得た美しい刃文は一層鋭さを増したようだった。
「──妹が世話になった礼をさせて貰うぞ」
決して声を張った訳ではなく、寧ろ押し殺した言い方だったが、万人の恐怖の対象である筈の四種混合型キマイラがソレに気圧される。
天を突くように持ち上げられていた竜種の尾の先端が、ヘナっと垂れ下がった。
腰もやや引けていて、攻めるか逃げるか迷っているのかも知れない。
一方、グラムは機動力の有利を捨てて敢えて下馬すると、正面から敵を見据える。
『俺は逃げない。だからお前も逃げずに立ち向かって来い』という魔物に向けたアピールだった。
ソレに触発されてか、キマイラは反射的にグラムに飛び掛るが、闘気の削がれた苦し紛れの攻撃など彼にとって脅威でも何でもなかった。
猫パンチならぬキマパンチを不用意に繰り出してきた手首を、あっさり断ち切り、敵の最後の気力までも完全に挫く。
「グオッ‥‥オォォ」
今更ながら身を翻し、翼を羽ばたかせ逃げに転ずるキマイラだったが、
「流絶覇ッ!」
──スパンッ!
けれどグラムは、ソレを許さない。刀を弧の字に振るって魔法の水刃を飛ばし、翼の一端を切り取られたキマイラは無様に地に堕ちた。
「まだ、せねばならぬ礼が残っているのでな‥‥」
彼の視界の端には変わり果て、躯と化した冒険者が映っていた。
「──大人しく、ここで死ね」
グラムは死刑執行人の如く冷徹に告げると、刀を奮って舞を踊る。
蒼い光の軌跡を残して幾つもの円が、彼を中心にして生まれていく──以前、エルマ・ダンジョンの地下七階で彼が試演して見せた“久遠流天円の舞”の片手剣バージョンだった。
「グギャッ!? ガ‥‥ハガッ、ギャウッ! ギャ‥‥オ、ガァ‥‥ガ‥‥‥‥」
その清流の流れを想わせる淀む事なき流麗で苛烈な連続攻撃に、キマイラは為す術がない。全身のあらゆる場所を切り刻まれて血潮を噴き出させ、やがて悲鳴も途切れがちになっていった。
素人目には水属性より火属性の付与魔法の方が敵に対して有効に見られがちだが、実際にはそうとは言い切れない。
火属性付与で敵に傷を付けても肉が焼かれて出血を止めてしまうし、またその痛みから魔物が暴れまくって却って手が付けられなくなる場合があるからだ。
その点、水属性付与は武器に鋭さが増す上に、中型以上のしぶとい魔物に対しては出血多量による弱体化も狙える。
それに加え、こうしたやり方も出来るのだ。
「血昇散華ッ!」
鋭い掛け声と共に久遠流の奥義が炸裂し、カンダチがキマイラの体奥へとズブリッと一際深く突き刺さった。
刀身の半分以上が埋まる程の苛烈な突きではあるが、それ自体は奥義ではない。
奥義の発動はここからである。
水属性魔法とは文字通り“水”を媒介にした魔力の行使だが、水が混じった液体にもその効力が発揮される。例えば、酒や牛乳、インク等々。
そして、ソコには血液も含まれる。
カンダチの刀身から発せられた魔力の波動が、音叉の打音のように共鳴連鎖して伝播していき、魔物の体内に存在する血液を支配していく──その間、僅か一秒程度。
いくら魔法耐性があろうが、弱った魔物の能力など強引にねじ伏せてしまい、
「──はッ!!」
最後はグラムが発したダメ押しの気合が引き金となって、遂にキマイラの身体は針で突かれた水風船みたいに内側から弾けた。
──バクォッ、バシャアッ!!
巨大で毒々しい褐色の徒花が一輪、暗闇の中で咲き誇った。
見事、惨たらしく舞い散る血煙。
その中心で一人静かに佇むグラムの姿を、密かに彼の援護の機会を伺っていたカエデは半ば放心して注視したまま、
「──美しい‥‥」
と、言ったきり絶句する。
グラムの到着前、二頭のキマイラが共闘せぬよう、その片方と一人で相対していた彼女だったが出来たのは足止めまで。
四種混合型キマイラ相手に、それは善戦以上の働きではあったが、そこまでが彼女の限界だった。
だが、グラムは桁が違った。
初手は不意討ちではあったが、立て続けに二頭の強敵を屠るなんてカエデにとってはとんでもなく埒外に思える。
本当に何という男なのだろう!
そして、そこから少し離れた場所からも、カエデ以上にグラムに熱い視線を送っている者が居た。
「──やっぱり兄さまは、スゴイです‥‥」
両手を胸の前で堅く組み、リリーシアが子供らしからぬ熱い吐息を洩らす。
すると、その横に馬車から降りてきたゲローニが弛んだ腹を揺らしながら近付いてきて、
「確かにリリーシア嬢が言った通りでしたな。グラム様が最強です」
リリーシアはゲローニに向かってニッコリと微笑み、
「当然です。兄さまに敵うモノなんて、この世には居ないのですッ!」
それは紛れもなく、世界で最も愛らしいドヤ顔だった‥‥。
兄さま、無双でした。