13.怒り嘆く男
王都でリリーシアの死を知ってから二ヶ月後、漸くグラムはアリカ郊外の自宅へと帰ってきた。
その姿を見た途端、エルマは呆れて言った。
〈‥‥‥‥‥‥アンタ、随分とやさぐれたわね。ホントに生きてる?〉
「──生きて‥‥いる」
髪の毛ボサボサ、髭も伸び放題。纏っていた外套は穴だらけで冒険者というよりはホームレスか経済難民みたいな姿。そんなボロボロはヨロヨロとした足取りで部屋に入ると、そのままベッドにバッタリと倒れ込んだ。
そして一瞬で意識を失い、ホントに死んだみたいに眠り始め、その変わり果てたグラムの姿をエルマは心配げに見下ろしながら、小さく呟く。
〈一体、何があったんだか‥‥〉
王都で知った妹の死。
グラムは当初、それを受け入れられなかった。
桃色ディンボのレポートに拠ると、宮廷裁判所から本来の死刑を減刑され、奴隷身分に堕とされた彼女の身は、王都にある大手奴隷商“ゲローニ商会”に卸されたのだそうだ。
そこで二ヶ月ほど教育を受けた後、さる外国の富豪貴族に売られたらしいのだが、リリーシアがその貴族の元に辿り着く事はなかった。
護衛を連れて出立したゲローニ商会の馬車が国境近くの森の中で魔物の集団に襲われて、彼女を含めた全員が殺され喰われてしまったのだった。
折角斬首を逃れたのに、何とも痛ましい事である。
「ホ、ホントに襲ったのは魔物なのか‥‥? 野盗の連中じゃないのかッ?!」
そう意気込んで尋ねるグラムの気持ちは分かる。相手が野盗なら、獲物の女性を傷物にする事はあっても殺す事はまずない。
命だけでも助かっていれば──そんな一縷の望みを賭けて問うたのだが、キャロンの返答は冷徹だった。
「──襲われた現場には、ダークウルフの死骸が数匹あっただけ。護衛、それに奴隷や奴隷商が乗っていた馬車の中は血まみれで、僅かな肉片以外、遺体らしき物は残ってなかったってさ。コイツは人間のやり口じゃない」
グラムも冒険者の端くれである。その説明に納得するしかない。
「この情報は、現場を実際に検分した国境警備兵から聞いた話だ。丁度、人員の入れ替えで王都に戻ってきてたから、アタシが直接会って確かめた。信じたくない気持ちは分かるけど、この報告に間違いはないよ」
キャロンの言葉を聞きながら、グラムは自分の心が急速に乾いていくのを感じた。
悲しくて哀しい筈なのに、感情がどんどん失われていく。
最後に依頼書の隅に依頼完了のサインを書き込んだ後から、不意に記憶が途切れ、次に気が付いた時にはリリーシアが襲われたという国境近くの森の中に、彼は一人佇んでいた。
(ここは一体‥‥? 俺は何を‥‥?)
見知らぬ深い森の中で、グラムは自分自身に問い掛ける。
(リリーシアは‥‥。そうか、死んでしまったのか‥‥)
その時、ガサリと近くの茂みから葉擦れの音がして、一匹の魔物が姿を現した。
体高一メートルを優に超えるダークウルフ。
ダークウルフは単体でもそこそこ強い魔物だが、その真骨頂は群れに拠る狩りにある。
獲物を追い詰め、取り囲んで逃げられないようにし、一撃で仕留めるのではなく数の暴力で何度も何度も無数に傷を与え、相手を弱らせてから確実に仕留める。
格上のドラゴン種さえも餌食になる事がある、生粋のハンター。そんな見かけ以上に厄介な魔物が、ダークウルフだった。
だが──。
「ぐ‥‥うぅぅ、うおぉぉぉぉッッ!!」
グラムはダークウルフの姿を認めた瞬間、咆哮した。
その叫びにダークウルフは竦み、反射的に逃げ出して──が、その前に久遠流縮地歩法で一瞬で間を詰めたグラムは背後からバスタードソードを打ち下ろす。
「ギャブッ‥‥ン」
切るというより叩き潰す勢いで剣が唸り、ダークウルフは簡単に肉のへばり付いた汚い毛皮へと変貌した。
そんな力任せの一撃の響きが森の奥まで届いたのだろうか、彼の前に次々と新たなダークウルフが姿を現す。総勢三十数頭、熟練の冒険者パーティでも、これは死を予感させる群れの大きさだ。
中でも一頭、黒光りする美しい毛並みを持つ巨体がいて、ソイツが群れのボスに間違いない。
けれど、グラムには微塵も恐れている様子がなかった。
「ガゥ‥‥?」
ボスウルフもその異常さに気付いたらしく、岩の上から慎重に様子を伺う。
襲うべきか、それとも本能に従って引くべきなのか、逡巡は短い時間だったが、決断した時には既に遅すぎた。
「はあぁぁッ、はッ!」
グラムの大剣が、まるで草を刈るように横薙ぎに討ち払われ、数匹の魔物の身体が無造作に引き裂かれて飛び散った。仲間を殺された怒りが本能を上回り、ダークウルフの群れは男に攻撃を開始する。
いつも通りのルーティンワーク。獲物を中心にして死角から絶え間なく攻め続け、相手が疲れ弱るのを待つ常勝の法則──の筈が‥‥。
「ギャオンッ」
十五分後、ボスウルフの今際の奇声を最後にダークウルフの群れは全滅した。
全身に血を纏ったグラムだが、怪我はない。全てが返り血だった。
「フー‥‥、フー‥‥、フー‥‥」
背中から白い湯気を滾らせて彼は呼吸を整える。しかし、胸の内側からこみ上げてくる激しい怒りは一向に鎮まらない。
ダークウルフに対する憎しみの炎は益々勢いを増していき、彼は再び咆哮した。
「うおおぉぉぉぉーーッッ!!」
それから一ヶ月間、グラムは国境沿いの森を彷徨い歩いてダークウルフばかりを狩りまくり、遂にはその地域からほぼ完全に駆逐してしまった。
それでも猶、彼の心が慰められる事はなかったのだが‥‥。