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俺とちなちゃん  作者: 虹色
第一章 4月
9/59

09 勇気と弱気と


生徒会室で思わず「ちなちゃん」と呼んだあと、俺は意地で「ちなちゃん」と呼び続けた。翌日の教室でも。


最初はもちろん恥ずかしかったけど、そこは根性で開き直った。ここで撤退したら後が無いという覚悟で。


一度他人の前で呼んでしまったら、あとはもう何度やっても同じはずだ。野上と同じ呼び方をして何が悪いんだ!……と言ったって、話をするのは相変わらず朝の1、2分だけだ。


俺が「ちなちゃん」と言ったことに、クラスメイトたちは気付いていないのかと思っていた。でも、それは勘違いで、宮田はあとからこっそり「どういう関係?」と尋ねてきた。風間はクールに「露骨だな」と言った。そのどちらにも自分の気持ちは言わずに、初対面から野上にその呼び名で紹介されて以来、俺にとっては「ちなちゃん」なのだと説明した。


自分の気持ち――。


言えないのは恥ずかしいからでもあるけれど、俺の中でやっぱり迷いがあるからだ。進んでもいいのか。この気持ちはほんとうに恋なのか。


好きなような気がする。仲良くなりたいと思うし、話していると気分が上がる。


でも、それは懐かしさから来ている気持ちなのではないか、という疑問がどうしてもつきまとう。保育園時代のことを思い出してほしいという願望だとか。


あるいは、ただ単に友だちとして好きなのかも知れない。今までのそれほど多くはない接点の中でも、ちなちゃんは信頼できる相手だと感じている。そんな彼女に俺も信頼されたいと思うのは自然なことだと思う。


まあ、とりあえず……、彼女と仲良くなりたいという点だけは確かなのだけど。


ただ……。


ちなちゃんのことを深く突き詰めようとすればするほど、野上のことが気になってくる。今さら。ずっと前に納得したつもりだったのに。


あの日の生徒会室には野上もいたのだから、俺が「ちなちゃん」と呼んだ声が聞こえていた可能性は高い。でも、お互いに忙しくてちゃんと話はしなかったからよく分からない。それに、2年生になってからはまだ登下校で一緒になっていない。クラスが別れて体育以外で話すチャンスもなくなって……。


一年経ってようやく俺が「ちなちゃん」と呼び始めたことを野上はどう思うのか。


前から呼んでいたと思うかも知れない。または、当然のように受け入れられるとか。その可能性は高いと思っている。


でも、不審に思われるかも知れないし、理由を問い詰められるかも知れない。もしかしたら……嫉妬心から攻撃されるかも知れない。あるいは傷付けてしまうかも……。


問題はそこだ。俺はそれを恐れている。野上との関係が壊れることを。


つまり、俺は野上のちなちゃんに対する気持ちを勘ぐっているのだ。本当は好きなんじゃないかと。


どんなに親しくしていても、心に秘めておきたいことは誰にでもあるものだから……。





「なあ? 陸上はべつに嫌いじゃないけど、ハードルって意味あんのかなあ?」


もうすぐゴールデンウィークという日の体育の授業。綿雲が浮かぶ青空の下、みんなででハードルを運んでいるときに宮田が言った。


「陸上選手以外で、ハードルが人生の役に立つことってあるのか?」

「あるかもよ! ほら、誰かに追いかけられて、柵を飛び越えながら逃げるとか!」


合同で授業を受けている2組の誰かが答えた。周囲から「あはは、誰に追いかけられるんだよ?」「そんなちょうどいい柵ばっかのわけねえじゃん」などと声があがる。


「まあ、それも無いとは言わないけどさあ」


宮田も笑いながら続けた。


「走ったり泳いだりっていうのはいろんなところで役に立つと思うんだよな。でもハードルはかなり限定的だよな」


指定の場所にハードルを置くために俺たちはバラバラになり、俺は宮田の言ったことをぼんやりと考えながら空いている場所に向かった。「走ったり」という言葉で、トラックを走っている女子の方になんとなく視線が行った。


春から夏への変化を感じさせる日の光の中、1、2組の女子が走っている。


俺たちと同じ白い半袖の体操服に紺のハーフパンツ。だけど、俺たちとは明らかに体つきも動きも違う。それがなんとなく不思議だ。準備運動の一環で走っている彼女たちは、ほぼ軽いジョギング状態。しゃべりながらだらだら走っている生徒もいる。でも、中にはいかにも運動部のランニングという走りの生徒もいて、大きなストライドの綺麗なフォームに目が吸い寄せられる。


「ん? あれって……ちなちゃん?」


思わずつぶやいた。


一つに結んだ髪をなびかせて、まっすぐ前を向いて気持ち良さそうに。トップグループではないけれど、ずいぶん走り慣れた雰囲気だ。ほこりっぽいグラウンドの空気を彼女が浄化しているのかと思うほど清々しくて。


「そうだよ」


突然、近くで声がした。驚いて顔を向けると、野上が笑顔で続けた。


「ちなちゃんは元陸上部だから。長距離やってたんだよ。綺麗なフォームだろ?」

「う、うん」


(聞こえてたんだ……)


独り言のつもりだったのに。「ちなちゃん」と言ったのを聞かれただろうか。


「長距離の選手? 中学で?」


気まずさに気付かれないように、野上がくれた情報に話題を持って行く。ちょうど集合もかかって軽く走り出して。


「うん。途中でやめちゃったけど」

「ふうん。もったいないなあ、あんなに気持ち良さそうに走るのに」

「そうだね」


(生徒会に入ったからやめたのかな……)


野上はもともと帰宅部だったそうだし、ちなちゃんも真面目だから、部活との掛け持ちで中途半端になるのが嫌だったんだな、きっと。中学とは言え、二人の中学の生徒会はよほど熱心に活動していたに違いない。


「なあ?」


整列の前に野上がそっと肘でつついた。


「ん?」

「やっと『ちなちゃん』って呼んだな」

「な……っ?!」


思わず出た声を腹に力を込めて止めた。野上はニヤニヤと目くばせをしながら自分のクラスの列に入り込む。


(くっそ……!)


熱くなる頬に気付かれないように列を整えるふりをして下を向く。でも、なんだか首も熱い。いや、これはきっと日差しのせいだ!


(気付いてたのか……)


この一年、俺がちなちゃんの名前を呼んでいなかったことに。


少し前にいる野上はもう俺のことなど忘れたような様子だ。一方の俺は先生の話が頭の中を素通りしていく状態で。女子の集合の笛が鳴っている――。


(いいじゃないか、「ちなちゃん」で)


断固として恥ずかしさを振り払う。


(それが彼女の名前なんだから。野上だってそう呼んでるんだから)


そうだ。恥ずかしいことなんか無い。顔を上げろ。野上は面白がって冷やかしただけだ。


(でも……)


野上の話を思い出す。今まで知らなかったこと。


(陸上部だったのか……)


俺は勝手に彼女は部活に入っていなかったと思っていたけれど。


(野上が帰宅部だったって聞いたから……)


でも、そうじゃなかった。つまり。


(野上とちなちゃんは、中学時代に一緒に行動していなかった時期がある……?)


俺は自然と、二人はずっと一緒に活動していたのだと思い込んでいた。でも、そうじゃない時期もあったのだ。いや、野上が陸上部のちなちゃんを待っていて一緒に帰っていたという可能性もある。けど……。


(そんなことするかな?)


わざわざ部活が終わるのを待つなんて、中学生がやるだろうか? そんなのはよほどの事情があるか、あるいはカップルとして認定されている場合……か。


(そうか……)


今まで思い付かなかったけど。


(中学時代に付き合ってた可能性もあるんだ……)


付き合っていたから野上と一緒に生徒会に入って陸上部をやめた。その後、二人の関係は解消したけれど、幼馴染みの信頼関係は続いて今に至る……。


あくまでも「可能性」に過ぎない。でも、あり得ない話ではない。


(気になるよなあ……)


別行動の期間があったとすれば、毎日一緒に登下校するほどに二人の関係を復活させたものは何なのか。


ずっと一緒だったとすれば、中学生という多感な時期にそれを貫いてこれた理由は何なのか。


(幼馴染み……だけなのか?)


もしもそうなら。


俺が保育園で遊んだ相手だとちなちゃんが思い出したら、あのころのように俺と一緒にいてくれるのだろうか。屈託なく笑って。


(難しいなあ……)


こういうのって、男同士なら何も迷うことなんてないのに……。







お立ち寄りくださってありがとうございます。

第1章「4月」はここまでです。

次から第2章「5月」に入ります。

引き続き、お楽しみください。

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