08 ◇◇ 智菜:帰り道のおしゃべり
「遅くなっちゃったね。手伝ってくれてありがとうね」
正門を出ながらミアに言うと、笑って「いいよ」と返してくれた。
生徒会の仕事を終え、みんなで一緒に学校を出たところ。雲の無い空は夕焼けが終わり、薄い青から群青色へのグラデーション。西側にすっきりした三日月が輝いている。
学校から最寄りの椿ケ丘駅までは住宅街の中を歩いて15分。生徒会メンバーのうち電車通学は5人で、今日はミアを加えた6人で駅へと向かっている。わたしとミアは一番後ろ、その前をチカちゃんと先輩たちが行く。
「智菜には風紀委員の仕事手伝ってもらっちゃったし。だけど、生徒会がこんなに忙しいとは思わなかったよ」
「あたしもこの時期を迎えるのは初めてなんだけど……、先輩の話では、ここから生徒総会までがピークらしいよ。間に選挙もあるし」
新しい学年が始まり、いろいろなことが一気に動き出した。中学のときには無かった予算の管理もあり、中でも各部活の前年度決算のチェックはかなり大変だ。部の数が多いし、提出された領収書が無くなったり混ざったりしないように気を付けなくちゃならない。
生徒会役員は全部で7人。いろいろな仕事が一気に始まると人手が足りない。だから「応援員」というものを募っているのだけれど、申し出てくれた人は誰もいない。つまりミアは――正式ではないけれど――貴重な存在なのだ。
「水澤も手伝えば良かったのに」
「それは悪いよ。部活があるんだから」
「そうだけどさ」
不満そうに口をとがらせるミアの横顔に思わず微笑む。本当に、なんて綺麗なんだろう。
なめらかな肌も頬のラインも、無造作に見える髪の毛も。すべてが完璧。お友だちが綺麗なことがこんなに嬉しいなんて思わなかった。
でも、それよりもっと好きなのは、ミアが自分を偽らないこと。意見も、言葉遣いも、ファッションも、誰かに気に入られるためになんて考えない。ただまっすぐで、とても憧れる。
もう一人、クラスで仲良くしているのはノエちゃん――北井ノエルという素敵な名前の女の子。少しぽっちゃりなことが悩みだと言う彼女は、とても可愛らしい声の持ち主。一部の女子からは「アニメの妹キャラの声」と称賛されていて、彼女が授業で教科書を読むと、うっとりしたため息が聞こえたりもする。
わたしも彼女の声のファンだけど、それよりも彼女の明るさが好き。嫌なことがあっても、ひとしきりそれを報告したあとに「よし、がんばろ!」と言えるところを尊敬している。まあ、その「よし、がんばろ!」がまた可愛いんだけど。
(うん。今年の出だしはかなり順調だな)
芽衣理たちとはやっぱり仲良くなれない。無視されることもあるし、失敗に言葉が飛んでくることもある。でも、ミアとノエちゃんがいてくれるから、嫌な気分を隅っこに押しやることができている。それに、このクラスには芽衣理たちに負けない女子たち――その一人はミアだ――もいて、その結果、彼女たちの傍若無人さが抑えられているのだ。
「ねえ、智菜?」
「ん?」
「水澤さあ、『ちなちゃん』って呼んだね」
突然の話題に心臓がギュ……ッと痛くなった。続けてドキン…、ドキン…、と何かを確かめるように打ち始める。
「そうだね」
まっすぐ前を向いたまま答える。どうしてこんなに動揺しちゃうのかな。保育園時代にも呼ばれていたはずなのに。
「初めてなんじゃない?」
「うーん、どうだったかなあ? 今まであんまり話をしてなかったから……」
再会してからは間違いなく初めてだ。呼ばれたときはすごくびっくりした。もしかしたら昔のことを覚えているんじゃないかと思ったりもした。でも、それを認めるのがなぜか恥ずかしい。
「もしかしたら、水澤、智菜のこと気に入ってるのかも」
「あはは、そんなこと無いよ。あれくらいでそんなこと言ったら悪いよ」
うん。それは無い。だって、そんなきっかけ、何も無いもん。わたしがミアや芽衣理たちみたいな外見なら可能性もあるけど。
「たぶん、今までチカちゃんが一緒のときだけしか話したことが無いから、『智菜ちゃん』が刷り込まれちゃってるんじゃないかな? もしかしたら、あたしの名字知らないかもよ?」
「そんなことないよ。この前、『小坂』って言ってたもん」
「ふうん……」
(じゃあ、知ってるのか……)
でも、今日はつい出ちゃったってことかな。話が弾んでたから? 一回呼ばれたあとは、ずっと「ちなちゃん」だったよね?
ちょっと恥ずかしいけど、当たり前みたいに何度も呼ばれてるうちに気にならなくなった。もともとチカちゃんにも呼ばれてるし、生徒会でもそうだ。
「それにさあ、水澤、嬉しそうだったよ?」
「やだなあ、それはミアが一緒にいたからでしょ。ミアと水澤くんって、すごく気が合うんだなーって思ってた」
「え〜? あたしはそんなつもり無いけど。今までだって、まったく接点無かったし」
「そうなの?」
もとから仲良しのわけじゃないのか……。
「だとしても、あんなふうに遠慮なく話せるんだもん、気が合う証拠じゃない?」
「あたしはもともと遠慮しない性格だもん。でも、智菜だって、今日はけっこう言ってたじゃん」
「うーん、まあ、つられて?」
ミアと水澤くんだったら思い切って言っちゃおう、という気になった。そうしたら、水澤くんの反応が面白くて、そんなやり取りができることが嬉しくて……。
「智菜はクラスでもあのくらい言えばいいのに」
「それは無理かなあ……」
中学時代にはなんとか話題に乗ろうと頑張ったことがある。でも、無理をした揚げ句にズレたことを言って場をしらけさせたことが多かったのだ。そのときの何とも言えない空気から、自分は集団の中では話さない方が良いらしいと悟った。今は芽衣理たちがいるから、そういう失敗は極力減らしたいし。
「イメチェンするチャンスなのに」
「地味から普通に? あはは」
「うん。……でも、最近の智菜はそんなに地味じゃないかな。よく笑うようになったから」
「あ、それはミアとノエちゃんのお陰だよ」
「でも、ときどき怖い顔もしてる」
「怖い顔? 怒ってるみたいに見える?」
「そうじゃなくて、無表情なの。石みたいって言うか……」
「ああ」
たぶん、緊張して身構えているときだ。鎧をまとうっていうのは、外からの攻撃に備えると同時に内側の感情が漏れないようにすることだから。
「まあ……、そのギャップがいいのかな」
ミアがにこーっと笑って言った。ああ、ホントに可愛い!
「いいかなあ?」
嬉しくなって、わたしもにこにこしてしまう。
「いいよ! 感情が無いみたいなのに、何かの瞬間に笑ったり、面白いこと言ったりするなんてさ。石が割れて光がパーッと差すみたいで、みんなが『おお!』ってなるよ」
「あはは、まるで天岩戸だね。だとしたら、あんまりしょっちゅうじゃ、有難味が無くなっちゃうね」
「うーん、そうか。じゃあ、一年に一回とか」
「あたし、その日まで笑っちゃいけないわけ?」
「そうそう、ずっと怖い顔してるの。で、当日は朝から智菜を笑わせたい人が順番に登場するの。でも、智菜はなかなか笑わないんだよ」
「うふふ、今度は何だっけ? 昔話にあるよね? 笑わないお姫様を笑わせたら――」
思わず口をつぐんだ。
だって、笑わせたらそのご褒美は……。
「笑わせた人が智菜の彼氏になれるの! どう?」
「いや、そんな景品じゃ、チャレンジするひとがいないでしょ」
少しだけ苦々しい気分。わたしなんかを望む人なんていない。べつに彼氏が欲しいとは思っていないけど、誰にも望まれないというのは自分で言っていながら虚しい気分になる。
「そんなことないよ! でも、思わず笑っちゃった相手がタイプじゃなかったら困るよね?」
「う〜ん、それは困るわ〜」
(あれ……?)
頭の中に映像が浮かんだ。たぶん、保育園の教室。板張りの床、おもちゃ箱、ブロックを組み立てているお友だち。そんな中、目の前でヒーローの変身ポーズを見せてくれている男の子。水色のスモック姿で真剣な表情。あれは……水澤くんだった? そして、手を叩いて笑っているわたし。
「ねえ、誰だったらいい?」
(えっ)
不意の質問にまたもや心拍数が上がる。
(そりゃあ、水澤くんだったら……)
思わず思ってしまう。ほかの人のときは笑いたくないな。もしそんなことがあったらチャレンジしてくれるだろうか。まあ、こんなこと言えないけど。
「んー……、特にいないかな」
「好きな俳優とかタレントとかいないの?」
(あ、そうか)
そういう答えでいいんだ。変な反応だと思われてないといいけど。
「あ、いるいる! サイダーのCMだっけ? 去年、ドラマで主人公のライバル役でブレイクした人」
「ああ、分かった、あの人ね! 智菜ってイケメンがタイプなんだ〜。意外〜」
「あの人、イケメンかなあ? 顔が好きっていうことじゃなくて、あの爽やかな雰囲気がいいんだけど」
「なるほど。理由が智菜っぽいなあ」
(爽やかな雰囲気……か)
水澤くんも、わりとそうだよね……。
「ミアは?」
「あたしはね、……へへ、言わない。ひ、み、つ!」
「え? なんで? ……ってことは、誰かいるんだ、身近な人で! そうでしょう!」
「言わないって言ったじゃん。ひみつ」
「ふうーん。まあいいや。そのうち教えてもらうから」
無理に聞き出すのはかわいそうだと思う……けど。
(もしかして、水澤くんだったりするのかな……)
わたしは「自分が」なんて思ってはいないけど……。
あの仲の良さ、やっぱり気になっちゃうよね。