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俺とちなちゃん  作者: 虹色
第五章 思いが交錯する夏
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59 ふたり並んで


駅で志堂と会った日、部活の休憩中にちなちゃんから返事をもらった。


道場から出て校舎を見上げたら廊下を歩いているちなちゃんが見えて、嬉しさのあまり思わず大きな声で呼んでしまった。すると、大急ぎで出てきてくれたのだ。呼んだあとに、志堂が一緒にいたのが見えて少しばかり間の悪い感じがしたけれど、出てきたのはちなちゃんだけだったから、思い切りにこにこすることができた。


「きのう、連絡できなくてごめんね」


半ばこっそりと、そして早口で彼女は言った。


「いや、いいよ」


首にかけた手ぬぐいの端を握ったのは照れ隠しのため。仲間は後ろで見ているだろうか?


「あのね、梨杏のこと、解決した。もう大丈夫」

「そうか。良かったね」


この話題なら照れる必要はない。そのことにほっとしつつ、少しがっかりもしてしまう。


「水澤くん、梨杏に話してくれたんでしょう? ありがとう」

「ああ、聞いたんだ?」


急いで今朝の志堂との会話をたどってみる。俺は多少、意地の悪い言い方をしたかも知れない。でも、最後に志堂は満足したようだった。それに、ちなちゃんのこの笑顔。たぶん、俺はちゃんと役割を果たせたんだ。


「でね」


声を落としたちなちゃんの靴が地面の砂の上で音を立てた。


その瞬間、何を言われるか分かった。息を詰め、手拭いを握る手に力が入る。


「あの、お返事」

「ん、うん」


聞き逃さないように、少しだけ体を傾ける。


「はい、です」


ちなちゃんがそっと俺を見上げた。俺が理解したか確認しようと。


「うす。了解」


短く答えると、ちなちゃんはうなずいた。俺はほっと息を吐く。


「じゃ」

「うん。また」

「部活頑張ってね」


さっと走り出すちなちゃん。校舎に向かう彼女の背中で三つ編みが跳ねている。それを見ながらじわじわと実感がわいてきた。今から俺はちなちゃんの彼氏だ!


「野上、元気かなあ?」


背後で声がした。ちなちゃんを見て野上を思い出したのだろう。


今のわずかな時間で、しかもみんながいる前で俺とちなちゃんの関係が進んだなんて、きっと誰も気付いていない。そう考えると口許がにやけそうになる。それをこらえて振り向き、楽しい秘密は心にしまったまま会話に加わった。


「今日も生徒会で来てるはずだよ。練習終わったら寄ってみる?」

「お、いいな。生徒会室って冷房あるんだろ?」

「天国じゃん!」


みんなで笑いながら、おととい聞いた野上とちなちゃんの話がちらりと頭をかすめた。それらは過去の出来事だけれど、それがなければふたりは今とは違う状況だったはずで、だとしたら、俺がふたりとこれほど仲良くなることはなかったかも知れない。


そんなふうに考えたら、今のふたりと出会えたことはとても幸運だったな、と、しみじみと思えてきた。





夏休みが終わった――。


ちなちゃんと出かけた思い出もできて、楽しい夏休みだった。ちなちゃんのおじさんとも顔見知りになった。


休み明けのテストが終わると、9月末の九重祭に向けて、クラスの劇の準備が佳境に入った。俺とちなちゃんは道具係の一員として、段ボールや絵の具や画用紙と格闘する日々が続いている。


「ねえねえ、水澤くん」


放課後、小道具のマイクを仕上げていたら、ちなちゃんが荷物の間を抜けてやって来た。


「これ」


周囲を気にしながら開いた手のひらには、黒い折り紙の……。


「これ……カエルだ!」

「そう! 作ったの」


一気にはじけたちなちゃんの笑顔に胸の中の何かがくにゃっとなった。この笑顔が自分に向けられていると思うと、未だにそわそわしてしまう。


「あのカエルだよ」


言われてもう一度、折り紙に注目。


小さめの手のひらにのった黒い五角形の体。左右に開いた後ろ足と、その下に折りこんであるお尻部分。確かにこんな感じだった気がする。


「きのう、家で折り方を確認してみたんだ。余ってた折り紙もらっちゃった。ちゃんと跳ぶんだよ。見てて」


ちなちゃんが机の上にカエルを置き、お尻部分を上から人差し指で押さえる。その指を引くようにずらすと――ぴょん、と、カエルが前に飛び出した。ほんの5センチ程度だけれど。


「おお! 跳んだ!」

「ね? 昔はもっと跳んだような気がするけど……」

「俺も作りたい。折り紙、まだ余ってた?」


こうなったらぜひ競争しなくては!


「あったよ。あっち」


ちなちゃんがそっと教室後方の材料置き場を指差した。


ふたりでこそこそと材料置き場に移動。残り物の折り紙は、地味な色しか残っていない。その中から、多少はマシかと灰色を選んだ。


「最初は半分に折って……」

「こう?」

「そうそう。で、今度はこっち」

「うーん、全然覚えてないや」


くすくす笑ったりやり直したりしてようやく完成。でも、俺のカエルはどこか間抜けな感じだ。子細に眺めていたちなちゃんが「ちょっと足が短くない?」とまた笑った。


「まあ、跳べばいいんだから。よし、勝負!」

「うん」


ちなちゃんの笑顔がきらきらと輝く。


机の上に置こうとして、今はみんなが働いていることを思い出した。机の陰に一緒にしゃがみ、床に2匹を並べて指を乗せる。


「せーの」


ぴょぴょん、と、2匹が跳ねた。どちらもたいした距離じゃなかった。


顔を見合わせて「あんまり跳ばないね」と笑う。そのとき、正面から足音が。つられて顔を上げると、教室の入り口に短めのスカートとすらりとした脚が見えた。


「あ」

「芽衣理」

「智菜」

「水澤?」


立ち止まったのは奥津と多田。口の悪いふたり。一番見られたくなかった相手だ。


なにしろ俺たちは床に四つん這いで、仕事をサボっていて、しかも、ちなちゃんと俺の組み合わせ。馬鹿にされるのは間違いない。


「……何やってんの?」


奥津が眉をひそめる。俺は答えを探す間を求めてとりあえず正座したところですぐ失敗を悟った。これではまるで、叱られる覚悟をした子どもみたいだ。


「ええと……、ちょっと遊んでた」


隣でちなちゃんが答えた。体を起こしながら「へへっ」という感じで笑い、床の黒いカエルを手に乗せるとふたりの方に差し出す。


「これね、跳ぶの。ぴょんって。知ってる?」


のんきに説明したちなちゃんにぎょっとした。でも、そんな俺にはお構いなしに、ちなちゃんは奥津たちに向かってにこにこしている。


奥津が疑わしげな表情でカエルを見た。それからまたちなちゃんに視線を戻し、「ふん」と鼻を鳴らした。


(ああ、やっぱり)


絶対に馬鹿にされる。嫌味を言うのか、悪口を言うのか、何にしても絶対に何か言われる。


「下手くそ」


べつにいいじゃんか――なんて言い返すと余計に面倒なことになりそうだし、立ち去ってくれるのを待つだけだ。


「これじゃあ、たいして跳ばないね」

「……ん?」


もしかして、俺たちのことじゃなく、カエルのことを言ってる? 嫌味じゃなく?


「あたしに挑戦してるわけ?」


そう言われて、俺とちなちゃんはそっと視線を交わす。奥津の後ろで多田がくすっと笑った。


奥津が「折り紙」とつぶやいて周囲を見回した。すぐに俺たちが物色した折り紙を見つけ、袋の中を覗き込む。「地味」なんてぶつぶつ言いながら。


「芽衣理、折り紙得意だったんだよ。小学校のころ」


多田が笑顔で言った。そこには意地の悪さのかけらも見当たらない……と思う。


「器用だし、几帳面なの。七夕飾り程度でも、芽衣理のは仕上がりが違ったんだよ」

「入院してたとき、暇だから折り紙ばっかりしてたもん。いっぱい作ったわー」


奥津の声がした。その手はほとんど迷わずに折り紙を折っていく。


「入院……してたの?」


ちなちゃんが遠慮がちに尋ねた。


「5年生のときに3か月。病気で。今は何ともないけどね」

「そっか……」


思いがけない経歴と態度に、俺は成り行きを見守っていることしかできずにいる。


「よし、できた。うーん、やっぱり色が気に入らない」


奥津の手に乗ったカエルは黄土色。色は地味だけど、角がどこもピッととがっていてなんだか凛々しい。しかも、折り方を覚えていたというところがすごい。


俺たちの隣に膝をついた奥津が「行くよ」とカエルを床に置く。背中を押さえた指は爪がきれいに整っていてる。その指を後ろにずらすと、ぴょん、とカエルが――。


「あ」

「あれ?」

「え〜?」


カエルは30センチほど真上に跳ね上がり、後ろ側にひっくり返って落ちた。


「……前に跳ばないと」


思わず言ったら、奥津にぎろりと睨まれた。やっぱり怖い。でも、さっきみたいな警戒心はもう湧いてこなかった。


奥津が手と膝をパンパンとはたきながら立ち上がる。


「くだらないことやっちゃったじゃん。あんたたちのせいで」


そう言うと、サッとしゃがんで自分のカエルを拾った。


「小学生、いや、幼稚園児並みだね。ばっかみたい。ねー?」


最後は自分のカエルに向けた言葉だった。


「なんかさ、ふたり、似てない?」


多田がにやにやして言った。俺とちなちゃんのことらしい。


奥津も並んで床に座っている俺たちをじろじろと見る。俺とちなちゃんもお互いを。確かにちなちゃんを見ていると心が和むけれど……。


「ぷ。似てるかも」


奥津が噴き出した。


「だよね! のんきっていうか、純粋っていうか」

「うんうん。お人好しでさ」


奥津と多田に笑われても、似ていることは嫌じゃないし、それどころか嬉しい。だって、俺はちなちゃんのすべてが好きだから。


「お似合いでいいねー」

「ねー」


奥津と多田が意味ありげにうなずき合った。


冷やかされた! ――と気付いた途端、自分の顔が真っ赤になるのが分かった。奥津たちはそこで興味をなくしたらしく、べつな話をしながら行ってしまった。


「似てるかなあ?」


隣でちなちゃんが首を傾げた。


――いやいや、ちなちゃん、注目するのはそこじゃなくて、「お似合い」じゃないの?


そう思ったけれど、口に出すことができない。熱い頬のまま、淋しさとうらめしさを込めて見つめると、ちなちゃんはにっこりした。


「だから一緒にいるとほっとするんだね」

「あ、う、うん」


そうか……。


ちなちゃんはほっとするんだ。俺と一緒にいると、ほっとするんだ。


それはきっと、俺がちなちゃんの役に立っているということ。ちなちゃんの力になれているということ。


――ちなちゃんの、力。


思わず「ふふっ」と笑いが漏れた。


(ちから)。俺の名前。ちなちゃんのための俺。俺はちなちゃんのもの。――なんて考えてにやにやしていたら、ちなちゃんが立ち上がった。


「折り紙、もう1枚もらっちゃお。もっと跳ぶのを作りたい」

「あ、俺も。奥津のカエル、あんなに跳んだもんな。上にだけど」

「だよね? 5センチじゃ悔しいよ」


俺も立ち上がった途端、ほかの道具係に見付かって呼ばれてしまった。折り紙を選ぶのは後回しだ。


移動しながらさっきのちなちゃんを思い出した。奥津と多田に「これね、跳ぶの」と語りかけたところを。


あのときのちなちゃんは奥津たちを怖がっていなかった。多少の迷いと遠慮はあったのかも知れないけれど、ふたりに対等な立場で話しかけていた。4月とはたぶん、違ってる。


ちなちゃんは変わりつつある。きっと、夏休みの決心――鎧に頼りすぎないこと――を実行に移しているのだ。


怖いことや苦手なことに立ち向かうのは簡単なことじゃない。勇気なんて、言うほど手軽に湧いてこない。剣道だって、もう5年もやっていても、怖いときは怖いのだ。


だけど、その小さな端っこだけでも乗り越えられたとき、やったな、と思う。頑張れた、と自分を褒めたくなる。


前を見ると、あまりにもたくさんの難しそうなことが続いていてやり切れない気持ちになることもある。進むことをあきらめてしまおうかと思うこともある。


でも、後ろを振り返ると、実は、乗り越えてきたことが結構あったりする。いつの間にかこんなにやっていたんだ、と驚く。自分はちゃんと前進しているんだ、と。それが、また前進する勇気をくれる。


だから、これからも少しずつでも頑張っていこうと思う。そして、頑張っている誰かを応援したいとも思う。もちろん、ちなちゃんとも一緒に頑張っていきたい。


いつになったら自信が持てるのか分からないけれど、前に進んでいるあいだは自分を好きでいられそうな気がする。


そして、そういう俺を、ちなちゃんも好きでいてくれるような気がする。






------------------- おしまい







最後までお読みいただき、ありがとうございました。

楽しんでいただけたでしょうか……。


開始当初から追いかけてくださった方は、途中のお休みをはさんで一年以上のお付き合いとなります。

もしかしたら、完結するかどうかご心配をおかけしたかも知れませんね。

お陰さまで、無事に書き上げることができました。これも、読んでくださる方がいらっしゃるからこそです。本当に、ありがとうございました。


いつものとおり、大きな波のない作品です。

読んでくださった方に気持ち良く読み終えていただけたらいいなあ、と願うばかりです。

そして、どなたかお一人にでも、力や智菜たちがお役に立てていたら……というのはちょっと高望み過ぎるかな。


ともかく、今は完結できてほっとしております。

機会がありましたら、またお会いしましょう。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ネガティブな感情を全面に出しても暗くならない、そして表裏を描きながら、優しい解決に導くところでしょうか。 [一言] 語彙力がなくてイマイチ伝えられませんが、全体的に色々と同調してしまいます…
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