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俺とちなちゃん  作者: 虹色
第五章 思いが交錯する夏
53/59

53 野上とちなちゃんの過去 その2


驚いた。そして悲しくなった。野上の今までの気持ちを思って。


自分の行動でちなちゃんに悪いことが降りかかったなんて、とてもショックだっただろう。それが原因でちなちゃんが部活をやめることになったことも、辛かったに違いない。だからあんなにちなちゃんを心配していたんだ。


体育の時間に走っていたちなちゃんを思い出す。綺麗なフォームの気持ち良さそうな姿を。それを見ながら野上がちなちゃんが陸上部だったことを教えてくれたのだった。


あのとき俺は、彼女が陸上部をやめたのは生徒会役員になったからだと思った。けれど、根本の理由は野上と一緒に帰るためだったに違いない。


あの話をしながら、野上は静かにちなちゃんを見ていた。自分のせいでちなちゃんができなくなったいろいろなことを考えていたのかも知れない。野上はきっと、そういうことを何度も繰り返し考えたことだろう。それを思うと、ただ悲しい。


そんな野上を見てきたちなちゃんも悲しかったに違いない。だから野上を解放したいと思っているのだ。


自分に何かできないかと考えてみるけれど、今は俺の出る幕ではない気がする。


今ごろ野上はちなちゃんと話しているはずだ。


ふたりは長い時間を一緒に過ごしてきた。お互いを大事に思い、幸せを願っている。だから、分かり合えないはずはない。今はふたりの優しさと深いつながりが、彼らを良い方向に導いてくれることを願うだけだ。


ちょうど親から食事だと声がかかったので、ただ待つだけという時間は過ごさずに済んだ。食後もあれこれと用事を考え出して、ぼんやりする暇をつくらないようにした。


でも、野上の言葉が何度も頭をよぎる。今まで聞いたさまざまな言葉を野上がどんな気持ちで口にしたのかと考えると胸が痛くなる。俺にできることがあれば何でもするのだけれど……。





電話をくれたのはちなちゃんだった。


もう夜の10時をまわっていて、『遅い時間にごめんね』と謝られた。でも、翌日まわしにされるよりも良かったからそう伝えた。


『あたしがお願いしたことでちかちゃんに怒られちゃったんだよね? 本当にごめんね』


ちなちゃんはまた謝った。


『ちかちゃんには分かってもらえたから、心配しないで。水澤くんは悪くないから。ちかちゃんも、大きな声出して悪かったって言ってた。あと、水澤くんにはちゃんと説明した方がいいねって』

「べつに、俺は不愉快だとか思ってないから」


ふたりが謝る必要なんて何も無い。


「野上の気持ちが分かったし、ふたりとも大変だったんだなって思ってるだけ。それと、話してもらえてほっとした。」

『ほっとした?』

「うん。だって俺、手伝いたいから。野上とちなちゃん、両方を」


そう。ふたりが抱えている重い荷物を分かち合いたい。


「事情が分かってる方が手を貸しやすいだろ? これからは俺、役に立てるよ」

『ありがとう。水澤くんはいつも『手伝いたい』って言ってくれるね』

「それしかできないから」

『ううん。すごく嬉しい』


伝わってくる気配が緩んだ。俺の思いは無事に届いたようだ。


「野上は強いなって思ったよ」


そっと続ける。


「ひとりで頑張ってきたんだなって。強い決意で……覚悟も必要だっただろうなって」

『うん。全然辛い顔は見せなかったけど、ちかちゃんが犠牲にしたものは少なくないと思う』

「そうだね。でも、野上にとってはちなちゃんを守ることが何よりも大事なことだったんだよ」


そう。それは間違いない。


「前に、ちなちゃんは自分の良心だって言ってたよ。今の自分があるのはちなちゃんのお陰だって」

『あたしも言われたよ』


ちなちゃんが静かに言った。


『でも、それは大袈裟に考えすぎなんだよ。たぶん責任を感じてるから……』

「それは、野上が『自分のせいで』って言ってたこと……かな?」

『そう。ちかちゃん、どこまで話した?』

「野上が親とケンカして家を飛び出して、ちなちゃんが探しに出て危ない目にあった……って」


答えながら、また背すじがぞっとした。


『それは間違いないんだけど、でも、あたしは家にいるように言われたのに勝手に外に出たんだもの、自分が悪いんだよ』

「だけど……」

『うん。ちかちゃんが責任を感じちゃうっていうのは分かる』


ちなちゃんの声が沈む。


『だから、あたしも責任を感じてる。あれからずっとちかちゃんの時間を奪って申し訳ないって思ってる。もう心配かけないようにしようとも思ってる』


ふたりとも、お互いのことを思って、責任を感じて……。


『ちかちゃんがあたしのことを自分の良心って言ったのは』


少し明るい声がした。


『たぶん、あたしがちかちゃんを見捨てなかったって思ってるからだよ』

「見捨てなかった? どういうこと?」

『ちかちゃん、あのころ……、ちょっと危なかったから』


危なかった?


『中学に入ってから、ちかちゃん、ちょっとふらふらしててね』

「ふらふら?」

『その……、あんまり良くない感じの先輩たちと遊んだり』

「え? 野上が?」


いわゆる不良の仲間に……ってこと?


『部活に入ってなかったし、時間を持て余してたんだよね、たぶん。あたしは危ないなって思ってたけど、そのころはあんまり話さなくなってたから、直接は言えなくて』

「話さなくなってた? 野上と?」

『うん。6年生ごろからだんだんね』

「そうだったんだ……」


野上とちなちゃんにもそんな時期があったんだ。それが……。


『中一の夏休みごろ、ちかちゃんの言葉とか態度が乱暴になってきて、注意したおばさんとケンカして出て行っちゃうようになって……、だけど、あたしは何もできないままで』


もしも俺がそこにいたら、何かできただろうか。


『あたしは親伝いに話を聞いたり、下校の途中でちかちゃんたちを見かけたりして、どうしたらいいんだろうって思ってた。家が近いってことで、先生からちかちゃんの様子を訊かれたこともあったよ。でも、直接は何もできなかったの』


荒れていく幼馴染みの様子にためらってしまう気持ちは俺にも分かる。


『そうしたら、9月の終わりごろ、夜にちかちゃんのお父さんが来たの。ちかちゃんがうちに来てないかって。おばさんとケンカして出て行ったきり帰って来ないって。もう十時を過ぎてた』


それが――その日。


『うちの親も一緒に探すことになって、あたしは留守番するように言われたの。大人たちがどこを探すか打ち合わせして出かけて……、そのあとで、ちかちゃんたちをときどき見かける場所を思い出したの』


野上たち(・・)――つまり、一人じゃなくグループで。


『近くだけど、小さい場所で大人が見落とすかも知れないから行ってみようと思ったの。もしかしたら……親たちに見つかる前に自分で帰ってきたことにできれば、おばさんとの関係も少しは改善するかも知れないって思って』

「そうか……」


ちなちゃんのこの思い。これが、野上にとって大きな意味を持っていたんじゃないだろうか。


『でも、行ってみたらいたのは違うグループで、高校生ばっかりで……。で、その人たちに『なんで覗いてるんだ』って囲まれて』

「囲まれた?」


中学一年生の女の子だ。それを高校生が集団で囲んだ?


『あたしのこと知ってるひともいたの。大きな声でからかわれたり、押されたり腕をつかまれたりして、どこかに連れて行くって言われて』

「ちなちゃん」


ぞっとする。今聞いても怖い。そんなところにちなちゃんが……。


『ちょうどそこにちかちゃんのお父さんが通りかかって助けてくれたの。ちかちゃんは一人でいるところを見つかって帰ってきて……、あたしがそんな目に遭ったせいで余計に叱られちゃって』

「うん」


それでも野上は危険を冒して自分を探してくれたちなちゃんに感謝したに違いない。日々の関わりは少なくなっていても、ちなちゃんが変わらず自分を心配してくれていることを知って。


だから野上はちなちゃんを自分の「良心」と言ったんだ。野上を心配するちなちゃんの気持ちを船の碇のように心につないで。


『あたしは……そのあとも怖かったことが頭から離れなくて。向こうにあたしの名前も住んでる場所も知られてるし。それで外に出るのが怖くなって』

「だから野上が一緒に」

『うん。一つだけ良かったことは、ちかちゃんが悪い方向に進むのをやめたことだね。あたしに付きそわなくちゃならなくなったから』


ちなちゃんの声が少し明るくなった。


『先生たちは先生たちで、ちかちゃんに生徒会役員をやらせて方向修正しようと思ったみたい。それで『立候補しないか』って持ち掛けてきて』

「え? 野上が自分で言いだしたんじゃないのか」

『違うよ。先生に言われたけどどうしようって相談してきたもん。うちの中学は自分から立候補するひとがほとんどいなかったの。だからあたしも一緒にやれたんだよ』


ちなちゃんが「ふふふ」と笑い、俺もニヤリとした。


「そうやって今の野上が生まれたわけか」

『そうなの。立派になったでしょう?』


ふざけた言い方の中に感慨深い気持ちがこもっていた。今の野上はきっと、ちなちゃんにとって自慢の幼馴染みだろう。


『ちかちゃんを見てるとね、役割がひとを成長させるんだなあって思うの』

「そうだね」


ちなちゃんは生徒会役員のことを言っているのだろう。でも俺は、ちなちゃんを守る役割の方が野上に大きな影響を与えたんじゃないかと思う。


野上が「ちなちゃんのお陰で今の自分がある」と言ったのは、こんな事情があったからなんだ――。


『ちかちゃんはね』


ちなちゃんの声が少し沈んだ。


『うちのお母さんに言われたの。あたしを守ってほしいって』

「うん」

『そのあと、お母さん、死んじゃって、ちかちゃんをその約束から解放できなくなっちゃったの。あたしがいくら言ってもダメなの』


ああ……。


俺は少しも分かってなかった。ふたりが心の底に抱えてきた思いを。


「これからは俺が手伝うから」


俺が、ふたりのためにできること。


「大丈夫だよ。少しずつやっていこう」

『うん。ありがとう』


きっと大丈夫だ。俺たちはお互いを大事に思っているのだから。







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