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俺とちなちゃん  作者: 虹色
第五章 思いが交錯する夏
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50 夏の夕方の道


ちなちゃんとゆっくり話がしたいという思いは、その午後ずっと続いた。続いただけじゃなく、どんどん強くなった。


仲里が言ったことを、ちなちゃんはもう気にしていないようだった。でも、俺はそれがちなちゃんだから心配だった。それこそ彼女の「鎧」のために。場の雰囲気を壊さないように、自分の感情を隠しているのではないかと。


だから、何度も頭に浮かびつつあきらめていたことを実行しようと決めた。――ちなちゃんを家まで送ることを。


用事を手伝ってもらう口実で野上をキッチンに連れ出し、話をした。今回は小細工なしで、ちなちゃんを送って行きたいと打ち明けた。実際のところ、そうすれば野上は仲里と帰れるわけだけど、それについては敢えて言わなかった。


野上は俺がちなちゃんとの距離を縮めたいのだと思ったようで――まあ、それも当たっている――ニヤリとした。それからしばらく思案したあと「いいよ」と言った。


「でも、条件がある」

「条件?」

「うん。必ず、家の玄関まで送り届けてほしいんだ」


俺をまっすぐ見つめて野上が言った。


玄関までということは、ちなちゃんの家族にあいさつしてほしいということだろうか。それがちなちゃんの家の方針なのかも知れない。なんとなく恥ずかしいけれど、今後、いつかは通る道だ。ちなちゃんも今日、うちの親と顔を合わせている。お互いの家族が知っているというのは、俺たちにとって悪いことじゃないはずだ。


ということで、俺はそうすると約束し、話が決まった。


ちなちゃんと仲里にそれを話したのは夕方、うちを出るときだった。仲里は自分と野上が気をまわされたと思って苦い顔をし、ちなちゃんもたぶんそう思ったのだろう、野上を真っ直ぐ見てただ一言「分かった」と言った。まるでこれから出陣する野上を見送るような真剣さで。それを見た仲里はぶつぶつ言うのをやめた。


「ちかちゃんに頼まれたんだよね?」


野上たちと別れてすぐ、ちなちゃんが尋ねた。下に向いたままの視線は俺に申し訳ないと思っているせいだろう。


8月の夕方は風がなくまだ蒸し暑い。背後では低くなった太陽が白っぽく輝き、ゆっくり歩く俺たちの前に長い影をつくっている。


「いや、そうじゃなくて」


ちなちゃんの正直な気持ちを聞くために、俺も素直に心配を伝えようと決めていた。


「ちょっと心配だったんだ、ちなちゃんのことが。ほら、今日――」


ちなちゃんが問いかけるように顔を上げた。


「ちなちゃんの鎧? …のことで、仲里がいろいろ言っただろ? ああいうのって簡単には割り切れないっていうか、一人ひとり事情が違うっていうか……その、とにかく大丈夫かなって思って」


話すつもりでいたのに上手く説明できなくて、いつの間にか頭を掻いていた。


「で、野上に頼んで代わってもらった。へへっ」


照れ隠しに笑う俺をちなちゃんはまた驚いたように見つめ、それから「ごめんね」とつぶやいた。


「あたし、いろんなひとに心配かけてるよね。水澤くんにはこの前も話を聞いてもらったし。ほんとにごめん」

「謝ることないよ」


しょんぼりするちなちゃんに急いで言う。


「ちなちゃんだって、俺のこと心配してくれたことあるよね? それと同じだよ。お互いさま。だから気にしなくていいよ」


続けて「友達なんだから」と言おうとした瞬間、いや、このあとそれ以上の関係になる可能性があるからこれは言えない、と思った。


でも、だとすると、俺の気持ちを伝える必要がある。それはいつ? この帰り道か、夜の電話か、それとも、また会ったときか――。


「ありがとう」


ぼんやりしていた耳にちなちゃんの声が聞こえた。見下ろすと微笑みが返ってきた。


「今日も庇ってくれたよね? どうもありがとう。ミアのことは本当に気にしてないんだ。あたしを心配してくれてるって分かってるから、逆に嬉しいくらいで。それに、鎧のことはあたしもちょっと考えてて――」

「無理にやめる必要ないよ」


急いで言った。


「だって、それはちなちゃんが自分を守る方法なんだよね? だったらやめる必要ないよ。これからも使えばいい。もちろん、仲里が言うように、我慢しないで言い返せるならそれでもいいけど」

「そっちの方が難しいんだよね、あたしの場合」


仕方なさそうに、ちなちゃんが、ふふ、と笑う。それから視線を前方に移し、小さく息を吐いた。


「でも、鎧に頼りすぎてもいけないよね」

「だけど、必要だったんじゃないの?」

「そう思って使ってたんだけど、間違ってたみたいで」

「間違ってた?」

「うん。失敗しちゃった」


よく分からない。ちなちゃんの鎧が困ったことを引き起こすなんて、なさそうなのに。


そこで倉ノ口駅に着き、改札を抜けてホームへ。ちなちゃんの家はここから一駅乗って、徒歩10分弱。一緒にいられるのはあと20分もない。


「さっきの話なんだけど」


電車を待ちながら、中途半端になっていた話を思い切って持ち出した。ここで話さなければ、ちなちゃんは失敗を一人で抱えたまま帰ることになる。それでは俺が一緒に来た意味がなくなってしまう。


「何かあったの? 失敗って、最近のこと?」


困ったような、気弱な表情でちなちゃんが俺を見た。何秒かそうしてから、力なく肩を落とした。


「そうなんだ。おとといね」

「おととい? 学校で?」


コクンとうなずくちなちゃんの向こうから電車が入ってきた。夕方の上り電車には乗客は多くない。俺たちは隅っこの席に座って小声で話を続けた。


「怒らせちゃったんだ、梨杏のこと。あたしが――上辺だけ愛想よくしてたから」

「そんな」


上辺だけ愛想よく、なんていうのは大袈裟だ。確かにちなちゃんの鎧は感情を隠すためのものかも知れないけど、心の内側で意地の悪いことを考えていたわけではないだろうから。


「難しいんだな」


思わずため息が出てしまった。


「野上と仲里がまとまって、志堂のことは落ち着くのかと思ったけど……」

「ん……、悪いのはあたしなんだ。前からの積み重ねなんだから」


ちなちゃんは、志堂が生徒会に入ってから何度も鎧を使っていたと話してくれた。そのことに志堂が気付いたこと、そして金曜日に交わされたやり取りも。


「じゃあ、志堂は自分が馬鹿にされたと思ったのか」

「そんなつもりじゃなかったんだけど、梨杏はそう感じてたんだよね」


柿川駅で電車を降りながら、ちなちゃんがしょんぼりと続けた。


「そもそもあたしが鎧なんか使っていたからいけないんだよ。あたしが本心で梨杏と向き合ってたら、もっと信頼関係が築けていたかも知れないでしょ?」

「そうは言っても、志堂だってあんまり感じ良くなかったよ。ほら、団結式のあと」


夏休み前の体育館。親し気に声をかけてきた志堂は、ちなちゃんを中傷するようなうわさ話をあの人混みで披露した。


「あれは……、あれもあたしのせいなのかも知れないよね。鎧への仕返しみたいな」

「何でも自分のせいだって思わない方がいいよ。志堂は前からちょっと他人に厳しいんだから」


ちなちゃんが鎧を使いたくなった気持ちは分かる。


それに、志堂がちなちゃんに投げつけた言葉は強すぎる。特に「嫌い」という言葉。相手の存在すべてを「消えてしまえ」と言うのと同じだと思う。冗談ならともかく、本気では絶対に面と向かって使ってはいけないと思う。


駅から出ると、ちなちゃんが「こっちなの」と指差した。一緒にいられるのはあと少し。俺の気持ちを伝えるべきだろうか……。


「ほんとにごめんね、電車に乗ってまで送ってもらちゃって」


ちなちゃんがまた申し訳なさそうな顔をした。


「い、いや、違うってば。俺が話したかったんだから、いいんだよ」

「……うん。ありがとう」


駅前の高い建物の隙間から淡い夕焼けが見える。周囲はまだ十分に明るくて、スーパー前の道はにぎわっている。


「ちかちゃんから聞いてる? あたしのこと」


信号を渡っているとき、そっと尋ねられた。目が合うと、ちなちゃんはすぐに下を向いてしまった。


「ちなちゃんのこと?」

「ほら、こんなふうに……送ってもらうこと」

「ああ」


やっぱり気にしているのだ。


「玄関まで送れって」

「――それだけ?」


ちなちゃんが探るように見上げてくる。


「それだけって……」


マンションの角を曲がったら大通りの音が遠のいて静かになった。ちなちゃんに歩調を合わせながら考えてみる。野上が言っていたこと。野上の言葉。


「その……理由があるって」

「理由」

「今は話せないけど、って」


ちなちゃんが唇を噛んで立ち止まった。宙を見据えた表情は何かを迷っているようだ。並んで立ち止まった俺たちを、女のひとの自転車が追い越して行った。


「話さなくてもいいよ、まだ。決心がつかないなら、ずっと話さなくてもいい。俺は」


ちなちゃんが顔を上げた。


――もしかして、今?


突然のひらめき。今がチャンスかも知れない。告白の。


この道は人通りは多くなさそうだ。通っても、知らない人ばかりだ。誰も俺たちなんかに注目しない。


「俺、は」


声がかすれた。肺が震え出したような感じがする。いつの間にか心臓も勢いを増している。そして……、ちなちゃんは俺の言葉を待っている。


――やっぱり今だ。だけど。


どういう言葉で? 俺の気持ちが伝わって、ちなちゃんが負担に思わないような言葉はどれ? 単刀直入に「好きだ」って言うのはやっぱりちょっと……。


中学生のジャージ集団が俺たちをじろじろと見ながら通りすぎた。


(言いづらい)


鼓動と汗でただただ焦るばかりだ。







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