44 野上の恋バナ
「ねえ、ホントにごめんってば」
「もういいよ」
「良くないよ。水澤、まだ怒ってるし」
「怒ってない」
短く答えてグラスにささったストローを無造作にくわえる。思いっきり吸ったら、すぐにグラスからジュジュー、と音がした。野上がおごってくれたサイダーはもう無くなってしまったようだ。
「もう一杯飲む?」
俺の機嫌を窺うように野上が尋ねた。
「いらない」
グラスを傾けて氷を口に流し込み、ガリガリと噛み砕く。周囲のテーブルには笑顔や楽し気な声、でもここは黒いもやもやに包まれているような気がする。
怒っているんじゃない。情けなくてイライラしてるんだ。
野上の気持ちを利用してちなちゃんに近付こうと思った自分に。野上には好きな相手に告白する勇気があるのだと今さら気付いて。それでもまだちなちゃんに自分の想いを打ち明ける決心がつかないことも。
向かいに座る野上が肩を落としてうつむいた。
――俺はいったい何をやってるんだ?
せっかく遊びに来たのに野上にこんな顔をさせて。仲里と付き合うことになって幸せなはずの野上に。それを聞いた俺がどんな反応をするか想像するのも楽しかっただろうに。
「……野上、ごめん。ちょっとびっくりしただけだから」
「ううん」
野上がほっとしたように微笑んだ。
「俺がふざけすぎたんだ。ごめん」
お互いにきまり悪そうな視線を交わす。もう、これで不機嫌はおしまいだ。
「で?」
身を乗り出した俺に野上が「え?」と訊き返した。
「いつ仲里にコクったんだよ?」
罪滅ぼしの意味も込めて冷やかし気味に尋ねると、野上は照れくさそうに頭を掻いた。
「夏休みの前日。帰る前につかまえた」
「じゃあ学校で?」
「そう。電話だといつまでも決心がつかないと思ったから」
「野上でも?」
意外だ。野上ならどんなことにもひるまずに立ち向かえるのだと思ってたのに。
「当たり前だよ。でも、覚悟したのに緊張で心臓バクバクでさ、途中で気絶しちゃうかと思ったよ」
胸に手を当てて話す野上に、なんだか妙に癒された。生徒会長とかルックスがいいとか優秀だとか、いろいろなレッテルがくっついているけれど、中身は入学初日に感じたままの素直で飾らないヤツだ。それを俺に見せてくれることがとても嬉しい。
「それにしても、お前が仲里に惹かれる理由が分からないな」
心の中で「すぐそばにちなちゃんがいるのに」とつぶやいてから、もう一言。
「そりゃあ、見た目はまあまあかも知れないけど」
「見た目じゃないよ」
野上が素早く反論した。一瞬遠い目をして、すぐに何かを思い出したらしくクスッと笑う。
「1年生のときからあの金髪は知ってたよ、目立ってたから。あの頃はただ『すごいな』って思ってた。2年になったとき、廊下でちなちゃんが彼女と話してるのを見てびっくりしたよ、タイプが全然違うのにって。間近に見たらお化粧もバッチリだし」
金髪の仲里……というとクラス替えすぐのころだ。そう、委員会を決めた日くらいまで。そうだ、あれから仲里とちなちゃんが仲良くなったのだ。
「ちなちゃんに紹介されたの?」
「いや。ちなちゃんは俺を見たらすぐに教室にカバンを取りに行っちゃったんだ。ミアちゃんもすぐに帰るんだろうと思ってたら、突然『生徒会って何すんの?』って訊かれたんだよ」
そこでまた野上はクスッと笑った。
「それが退屈そうな顔でさあ。興味ないのに訊くんだなあって思って『今日は部活紹介』って答えたんだ。そうしたら」
言葉を切った野が夢見るような表情を浮かべる。きっとそのときの仲里が見えているんだろう。
「ぱあっと表情が変わって。キラキラした目で真っ直ぐに俺を見て、『去年のあれ、すっごく面白かったよね!』って言ったんだ。そこからなんだよなあ……」
「へぇ……」
恋って、どこにころがってるか分からないものなんだなあ。
「気が付いたら、手伝いに来ないかって必死で誘ってた。そしたら乗ってくれて、それからも生徒会に顔出してくれるようになったんだ」
「良かったなあ」
「まあそれは……。でも、仲良くなれたわけじゃなくてさ」
野上がふっと息を吐いた。
「ミアちゃんは俺には興味無さそうだった。俺もあんまり話しかけられなくて。水澤と仲良かったし、俺じゃダメかなあって思ってた」
「俺?」
そう言えば、一時期、野上にうらめしそうな顔をされてたっけ。
「お前がダメなわけないだろ? 俺なんかより何でも上なんだから」
「そういう謙遜、やめろよな」
嫌そうな顔で言われて、少し驚いた。謙遜じゃないのに。
「水澤の方が俺よりも背が高いし、筋肉もついてて男らしいじゃないか」
「ほら」と言われて比べた腕は確かに俺の方が逞しい。でも、俺は剣道部なんだから当然だ。
「それに、素直で可愛げがあるし」
「男に『可愛げ』とか言われてもなあ」
「顔もそこそこいいし」
「そこそこって微妙な表現だな」
「成績だっていいじゃないか」
「同じくらいだろ? 俺は頑張ってやっとだぞ」
まあ、“頑張っている” という点については、ちなちゃんも褒めてくれたし、自分でも認めたいと思うけど。
一息つきながらアイスティーを飲んでいる野上をながめる。こいつが俺に対して劣等感を抱いていたなんて初めて知った。しかも筋肉とか「可愛げ」とかどうでもいいようなことで。
(そういうものなのか)
自分を他人と比べて、足りないものを羨ましがる。足りないからダメだと思う。でも、考えてみたら、全員がすべて満たされた状態っていうのは、人類すべてが同じ人間だってことじゃないか?
(気持ち悪っ)
みんなが違うからいいんだな。相手のいいところを認めて、不得意なことを誰かが補って。みんなが自分で何でもできて、自分に満足していたら、他人なんかいらないよな?
「水澤の応援に行ったときからかな、少し自信が持てたのは」
「あの試合の日?」
思わずニヤッとしたのは、もちろん俺とちなちゃんの計画が成功したと分かったから。
「ミアちゃんが、なるべく水澤とちなちゃんの邪魔をしないようにしようって言ったから」
「は? 俺?」
「それを聞いて、ミアちゃんが水澤に対して恋愛感情はないって分かったから、頑張ってみる気になったんだ」
「あ、そう。へえぇ……」
ふたりで俺に協力しているつもりだったなんて。そう言えば、野上にも仲里にも “分かってるから〜” みたいな言い方をされたことがあったなあ……。
「でも、さっきミアちゃんの名前を出されたときはちょっと驚いたな。水澤が俺の気持ちに気付いてるとは思わなかったから」
「へへっ、結構分かりやすかったぜ?」
そう。顔に出ていたのは俺だけじゃない。野上だって同じだ。
野上は「そうかなあ?」と首をかしげてから、「あ、そうそう、それでね」と笑顔になった。
「今度は俺たちが協力するよ、水澤に」
「何を?」
「ちなちゃんのことだよ。一緒に出かけたいんだろ?」
ズバリと言われ、思わず顔が熱くなった。返事に詰まって野上を見つめる俺を小さく笑い、野上が続ける。
「夏休みだもんな。会うチャンスは作らないと」
「それはつまり……4人でってこと?」
「そうだよ」
それは俺とちなちゃんの計画どおりではあるけれど。
「でも……、邪魔じゃないかな? そっちの」
「そんなことないよ。俺もミアちゃんも、水澤とちなちゃんと一緒なら楽しいよ」
「そう? それならいいけど」
確かに野上と仲里はふたりの世界に閉じこもってしまうようなタイプじゃないだろう。そもそも俺もちなちゃんも、この4人なら楽しいと思って計画したのだし。
「それに、俺と一緒の方がちなちゃんも出かけやすいから」
野上が何気なく付け加えたひと言に少し傷付いた。
「ああ……、俺が誘っても来てくれないよな」
「あ、違うよ。そういう意味じゃないんだ」
あわてて野上が否定する。でも、それは言い訳だって分かってる。俺をなぐさめるための――。
「ちなちゃんは……ちょっと理由があるんだ」
静かな口調にはっとした。野上の表情はさっきまでとは違い、ふざけている様子は無い。
もしかしたら。
これは俺が以前から疑問に感じていた部分に関わる話なのでは? 野上とちなちゃんの関係についての。
「理由……?」
「ごめん。今は話せないんだ、いろいろあって……」
野上が困ったように視線を下げた。
「――あ、うん、いいよ。分かったから」
複雑な事情なのだろうか。でも、野上が初めてふたりの関係について口にした。そのことに胸が震える。
今まで何度もふたりの間に何かがあるのではないかと感じてきた。幼馴染みの延長としての親しさだけなのかと疑問を抱いていた。そこに、小さいながらも答えをもらった。「理由がある」と。
どんな理由なのか話せないなら、俺はそれでもかまわない。ふたりの絆がただの幼馴染みとは違うと分かったから。事情があることを打ち明けてくれた野上を信じられるから。
「じゃあ、どこに行くか候補を考えようぜ」
明るい口調で話題を変えると、野上がほっとした様子で微笑んだ。
俺と野上とちなちゃん、そして俺としては渋々だけど仲里も、お互いを信じて思いやっている。こんな仲間に出会えたことは、きっと俺の財産だ。




