04 予想と違う…
(ああ……、出だしは良かったんだけどなあ……)
新学期3日目の午後。自分の席でそっとため息をついた。
初日の最初にちなちゃんとあいさつを交わすことができて、明るい未来が広がっているように感じた。でも、あれからも朝のあいさつしか接点が無いままだ。
(やっぱり照れくさいんだよなあ……)
あのやわらかそうな頬とメガネの奥の問いかけるような瞳、そして一年経っても大きいままのセーラー服。見慣れていたはずなのに、春休みをはさんだせいか、なんだかひどく新鮮だ。後ろの下の方で結んだ髪は彼女を少し大人っぽく見せていて……。
「はぁ……」
近付くことができない。
(初日の勢いで行けるかと思ったのに……)
今になって思えば、あれは離れていたから平気だったのだ。気合が入っていたし。
(席も微妙に離れてるもんなあ……)
クラスは36人、6人ずつの列が6つ。俺は窓から2列目の4番目だ。ちなちゃんは俺から1列置いた右の列の一番後ろ。
ゆったりめの机の配置は荷物や移動には有り難い。けど、仲良くなるにはちょっと距離が遠い。男の変なプライドと照れくささで、自分から歩いて行く決心もつかなくて。
担任が入ってきて、5時間目のホームルームは委員決めをすると言っているのをぼんやりと聞く。
(ああ、情けないなあ……)
毎日、夜になると「明日はこんなふうに話しかけよう!」なんてことばかり考えている。「おはよう」の次に「生徒会、忙しいのか?」とか席のこととか、担任の印象とか、何でもいいから世間話的なひと言を付け加える。するとそこから会話が広がる……はずなんだけど。
(なんて遠いんだろう……)
教室を見回すふりで右側からぐるりと振り向くと、斜め後ろの金髪の女子が不機嫌に見返してきた。
「あ、いや……」
(はぁ……)
つくづく俺は運が無いのではないかと思えてくる。やっぱり運命の神さまは応援なんかしてくれてないのかも。
右後ろの女子は仲里美亜。小柄なくせに、俺とちなちゃんの間に立ちふさがる大きな壁だ。
ちょうど俺とちなちゃんの間に座っていて、しかも金髪で化粧バッチリだから目立つ。クラスで一番――いや、学年で一番派手だ。そのため、振り向くと必ず仲里に目が行ってしまうのだ。で、目が合うと強気に見返される。
中学のときも派手だったけど、金髪までは行ってなかった。まあ、威圧的な雰囲気で近寄り難いのは変わらないけど。
ただ、つるんで騒がない分、あの三人組よりは気が楽だ。いざというときは普通に会話ができることも分かっているし。
(こいつらはなあ……)
頬杖をついて、前の席でひそひそやっている二人をぼんやりと見る。いや、これは「ひそひそ」じゃないな。話が丸聞こえだから。
俺の前の深見麻耶とその右隣の多田秋恵。このクラスで目立つ女子三人組のうちの2人だ。授業中もしょっちゅうしゃべってるし、時には廊下側の奥津にまで話しかけたりする。注意されると少し黙るけど、ぶつぶつ反論してるのが聞こえることもあってなんだか不快だ。
この三人は初日から目立っていた。
気合の入った髪とスカートの上げ具合、そして口調。同じじゃないけど雰囲気がそっくりだ。休み時間は大きな声で話しながら、自分たちの結束と優位性――「あなたたちとは違うのよ」――をアピールしている。俺の頭の中ではただの「三人組」としてひとまとめの認識だ。
(よくやるよ)
はっきり言って、女子の対立は面倒くさい。中学の時は授業や行事のグループ分けでもめたことがあったし、仲裁しようとしたヤツが逆に攻撃されたこともあった。でも、去年は女子同士のトラブルは無かった気がする。高校生になると、そのあたりは大人の対応ができるようになるのかも知れない。
まあ、関わらなければいいわけで、あの派手なグループに俺が巻き込まれることはまず無いはずだ。なんたって、俺は見た目も性格も成績もすべて普通だから。ああいう女子の眼中には入らないのだ。ありがたい!
(うん! それよりちなちゃんだ)
もっと普通に話せるようにならなくちゃ。お互いに顔見知りなんだから、仲良くなるのは簡単なはずだ。
だいたい、緊張するのがおかしい。べつに彼女になってほしいわけじゃなくて、ただの友だちなんだから!
「選出する委員は以上」
担任が黒板にずらりと書いた委員の種類は十を超える。クラス委員に始まり放送、保健安全などの通常の委員会と、九重祭や修学旅行などのイベント系がある。人数はそれぞれ1人か2人。クラスの半数以上が何かをやることになる。
(どうしようかな……)
べつに嫌じゃないけど、やらなくて済むなら……と思っている間にクラス委員2人が決まり、担任から司会を引き継いだ。その後も順調に、ほぼ早い者勝ちで委員が決まって行く。俺の出る幕など無い……と思ったが。
(やっぱりこの二つが残るのか……)
図書委員と風紀委員。図書委員は性別問わず2人、風紀委員は男女各1人。
図書委員は本好きな生徒がいるとわりと早く決まるけど、それ以外の生徒には人気が無い。なぜなら、昼休みや放課後に当番があるからだ。部活や遊びに力を入れている生徒は、もともと興味の無い図書館に時間を取られるのが嫌なのだ。
そして、風紀委員はイメージで敬遠される。
去年、剣道部で風紀委員になったヤツが、仕事はそれほど重くないと言っていた。でも、そもそも「風紀委員」という名前がダメだ。「風紀」なんて日常生活では使わない言葉だし、なんだかひどく真面目そうで、メガネをかけた優等生っぽい生徒が――。
(……って、ちょっとちなちゃんっぽいかも)
彼女は絶対に校則違反などしないだろうと誰もが思うだろう。生徒会の役員なんかもやっているし。委員会と生徒会は兼務できないわけじゃないと野上は言っていた。
(ちなちゃんとならやってもいいなあ……)
ふたりで並んで廊下を歩く姿が目に浮かぶ。ノートを見ながら打ち合わせをしたり……。
(でも……)
今の時点で申し出ないということは、ちなちゃんはやりたくないんだろう。
「莉々ー。図書委員やるよ。あたしとコンちゃん」
窓際で手が上がった。前後に並んだ女子二人が図書委員を引き受けるらしい。
「あ〜、ありがとう。良かった〜」
司会をしていたクラス委員の上田莉々が拝むようにお礼を言い、もう一人のクラス委員、須東新が黒板に名前を書く。
「この勢いで風紀委員、誰かいない?」
上田が期待を込めて教室を見回す。それを前にうつむくのはまだ何も引き受けていない生徒だ。俺も含めて。
(うーん、やっぱり風紀委員はなあ……)
去年、風紀委員の友人をからかったことを思い出すと、自分が逆の立場になるのは気が進まない。
(ん?)
前の深見と多田がしゃべり出した。「ちな」という言葉が聞こえた気がする。
「できるよね……」
「似合ってるし……」
「生徒会だって……」
(え……?)
二人の動きを追って視線を向けると、廊下側の奥津がこちらを見て何度もうなずいている。そっと後ろを指差しながら。
(もしかして、ちなちゃんに?)
やらせようというのだろうか。推薦でもするつもりなのか?
三人組の嫌な雰囲気に胸騒ぎがする。
自分から言わないということは、ちなちゃんだってやりたくないはずだ。でも、ここで名前が挙がったら、彼女は嫌だとは言えないだろう。それをこいつらも分かってるんだ。それで押し付けようとしている。
そんなのは可哀想だ。
(でも、俺と一緒なら?)
もしかしたら、ちなちゃんも少しは気が楽になるかも知れない。先に俺が決まっていれば。
(でも……)
前の2人がうなずき合った。司会の方を向いて、もう一度顔を見合わせる。それから手を――。
「ええと、俺」
「あたしやる」
(え?)
手を半分上げた俺の後ろでほぼ同時に声がした。
「え、美亜、マジで……?」
司会の上田が表情をこわばらせた。周囲も半信半疑の表情で振り返っている。
そりゃそうだ。手を上げたのが「校則とは無視するもの」のお手本みたいな仲里なんだから! 俺だって、「お前、最初からやる気ないだろう!」と言いたくなる。
そんな俺たちに仲里が尊大な表情を向ける。
「何? あたしじゃダメなわけ? 委員になるのに何か規定あんの? どうなの生徒会?」
言いながらちなちゃんを振り返った。驚いたちなちゃんが大慌てで首を横に振る。
「う、ううんっ、無いよっ。生徒だったら誰でも大丈夫」
「じゃあ、問題無いじゃん。あたしがやるって言ってるんだから。それとも誰かやりたいヤツいんの?」
不敵に見回す仲里の視線に周囲はうつむいたり顔を見合わせたりするだけ。最後に目が合った俺は「お、おう」ととりあえず返事をしておいた。
「じゃあ」
上田の声で緊迫した空気が緩んだ。
「風紀委員は仲里さんと水澤くんでいいですね?」
俺もうなずくしかない。
須東が黒板に仲里と俺の名前を追加し、上田が順番に読み上げていく。風紀委員として名前を読み上げられたとき、体の力が抜けて行くような気がした。
(仲里とやるのか? 風紀委員を?)
ただただ不安しかない。