38 ◇◇ 智菜:梨杏と不安
水澤くんは本当に元気になったみたい。あれ以来、表情が生き生きとしているし、前よりもたくさん話しかけてくれるようになった。わたしを認めてくれたってことだよね? 嬉しい。
水澤くんが笑っていると、なんだかほっとする。保育園のころとつながっている気がして。
ときどき、あのころみたいに一緒に楽しいことができたらいいなって思う。折り紙とか積木とか、そんな単純なことでいい。一緒にやれたら楽しいだろうな、って。
遊ぶチャンスは無さそうだけど、少しだけ期待していることがある。それはクラスの劇の準備。同じ大道具係になっているから、もしかしたら、一緒に何かを作ったりすることもあるかも知れない。できたらいいなあ……。
なんて、夢ばかりみていてるわけにはいかない。
今日は生徒会でやる二人羽織りの組み合わせを決めることになっている。メンバーは7人だから、2人ずつ3組と1人は司会。
「借りてきた羽織りはこれ」
佐久間くんが見せてくれたのは本物の羽織り。紺と黒とこげ茶の3色。演劇部にあったというそれらからは強烈な防虫剤の匂いがする。
「どんな感じになるのかな?」
「背の高さは関係あるんでしょうか?」
首を傾げるみんなに応えて佐久間くんが一つの羽織に袖を通し、「すげえ匂い」と言いながら後ろ襟を引っ張って頭から被った。
「後藤、前に来て」
隣にいた後藤くんを前に立たせ、後ろから羽織の襟を左右の肩にかぶせる。隙間から手を出した後藤くんが前の紐を結んでいる間にほかのメンバーは正面にまわって出来栄えを確認。
「後ろの人が小さい方がいいでしょうか」
「でも、それほど気にならない気もするね」
確かに、羽織の色が黒っぽいせいか、ただ立っているだけならあまり違和感は無い。
すると佐久間くんが手を動かし始めた。開いたり閉じたり、両手を握り合わせたり、胸に手を当てたり。少し短めの腕が真面目な後藤くんの顔の下でコミカルに動きまわる。その顔と手の動きのアンバランスさが絶妙だ。
「面白いね!」
「佐久間先輩、上手です!」
「何か持たせてみようか」
机の上に出ていた定規を「はい」と差し出す。探すように伸ばされた佐久間くんの手に定規を触れさせると、しっかり握ってくれた。
「司会担当が手渡し役もやればいいかもね」
「合奏以外も何かできそうですか?」
「持ち時間は20分だから、時間的には余裕があるよ」
「この中はどうなってる?」
チカちゃんが近付いて、佐久間くんの頭から羽織をはずした。中から赤い顔の佐久間くんが「暑いし、くさいし」と言いながら現れた。後藤くんはきをつけの姿勢で後ろから佐久間くんに抱きかかえられている状態だ。
「うーん、男子と女子じゃ、やりにくいなあ」
「ですね」
同感だ。だとすると、3人いる女子の1人が司会ということだ。
「あたしはべつに男子と組んでもいいよ」
梨杏の明るい声が響いた。みんなの視線がサッと集まる中、梨杏はさわやかな微笑みを浮かべて周囲を見まわした。
「男女平等の時代だし。このメンバーならみんな変なこと考えないでしょう? あたしは平気。だからくじ引きでもいいよ」
みんなが戸惑いの表情を浮かべた。わたしもどうしたらいいのか迷う。確かにこのメンバーは信用できるけど……。
信用できてもわたしは男の子が相手では恥ずかしい。触れたり近付いたりすると考えただけでドキドキしてくる。相手がチカちゃんでも、自分が後ろならどうにか、というところだ。でも、そんなことを言ったら、純情ぶってると思われてしまう?
いや、でも、黙ってちゃダメだ。これは無理だもん。相手が梨杏でも、ちゃんと言わなくちゃ。
「あ、あの、あたしは」
「ええと、僕」
佐久間くんから解放された後藤くんが、わたしとほぼ同時に口を開いた。ほっとしながらここは後藤くんに譲る。
「僕は男子同士じゃないと、ちょっと……」
「あ、そうだよね」
初乃ちゃんがすぐに応じた。
「後藤くん、彼女が気にするよね、きっと」
「あ、それじゃあ、後藤くんは男子同士でいいから、あとは」
「いや」
断固とした声で梨杏の言葉を止めたのはチカちゃん。
「男子と女子は分けよう。で、女子から司会を1人。どうだろう?」
チカちゃんと最初に目が合ったのはわたし。「うん。それでいいよ」と答えると、梨杏以外もほっとした様子で同意した。それを見て最後に梨杏が「そうだね」と言った。その態度はいかにも「仕方なく」という感じで、わたしはなんとなく居心地が悪い。
梨杏はわたしが嫌がってるからチカちゃんが男女別にしたって思った? それとも、梨杏の意見だからわたしが反対したって思ってる?
――ああ、ダメだよ。
こんなふうに考えちゃいけない。梨杏がわたしに反感を抱いてるなんて思っちゃダメだ。一緒に活動している仲間を信じきれないなんて情けない。
でも。
この前は物まねを「下品」だと言って否定した梨杏が、二人羽織りの男女のペアは構わないなんて。なんだか変な気がする。それとも、わたしが意識し過ぎなの?
「じゃあ、組み合わせを決めよう。女子は1人は司会で頼むよ」
チカちゃんの声で我に返った。梨杏を疑うなんて、否定するのと同じだ。そんなの良くない。
「くじ引き? あみだかな?」
女子3人で集まったところで訊いてみる。初乃ちゃんが「そうですね」とうなずく隣で、梨杏が小声で「ごめ〜ん」と首をすくめた。
「あたし、司会がいいなー」
男子に背を向けて拝むように手を合わせ、初乃ちゃんとわたし申し訳なさそうに微笑む梨杏。思わず出そうになった「ええええぇ?」という声を瞬時の鎧装着で遮断した。
「あ、そうなの?」
さり気ない笑顔で尋ねつつ、胸の中で「それ、おかしくない?」という質問がぐるぐるしてる。だって、さっきは男子と組むのは構わないって言ってた。男女平等って。それは「カッコ悪くてもやる」という意味じゃなかったの? なのに、今は司会をやりたいだなんて。
「本当はね」
声を落とした梨杏が打ち明けるような様子で言った。
「最初から司会が良かったんだけど、わがまま言っちゃいけないなーと思って、さっきは言わなかったの。でも、智菜と初乃ちゃんだから、お願いしてみようかなって」
甘えるような言い方は男子になら大いに効果はあるかも知れない。でも、わたしは “面倒なひと” という印象を抱いてしまう。
「うん。あたしは構わないよ」
即答した。梨杏と組むよりも、初乃ちゃんとの方が気楽だ。
「あ、は、はい。わたしも、いいです」
それまで呆気にとられて梨杏を見ていた初乃ちゃんもあわてて答えた。
「じゃあ決まりってことで、よろしくね」
梨杏は一応、申し訳なさそうな顔をしている。でも、たぶん最初から、わたしたちが断るとは思っていなかったはず。……なんていう憶測は意地が悪いからやめよう。それよりも、二人羽織りを初乃ちゃんとやるのは楽しそう。ラッキーだった!
組み合わせが決まってから、合奏以外に何ができそうかみんなで挙げてみた。「食べ物以外でよろしく」というチカちゃんの言葉が合図となり、次々と声が上がる。
「手品!」
「パソコンの操作をプロジェクターで見せるのは?」
「お化粧」
「思い切って、歩くとか」
「習字」
「借り物の羽織だから、汚れるのはナシで」
「ダンス」
「シャボン玉……は液体だからやめた方がいいかな」
一旦声が途切れ、一息つきながら黒板をみんなで確認。これも前回と同じように一晩考えようということになった。
学校から駅までの道で、初乃ちゃんと一緒に一番後ろを歩きながら二人羽織りの可能性について話した。思いのほか盛り上がって、気付いたら、みんなからだいぶ遅れていた。申し訳程度に足を速め、前を行くチカちゃんと梨杏からすぐに分かる距離を保ってついて行く。前のふたりも楽しそうで、話が弾んでいるみたい。
「ときどき思うんですけど……」
初乃ちゃんが前に目を向けたまま言った。
「ん?」
「梨杏先輩って、野上先輩が好きなんじゃないでしょうか」
「え」
思いがけないことだった。前を行くふたりを注意深く見てみる。
「智菜先輩はそう思ったことないですか?」
「あたしは……気付かなかったけど」
梨杏については自分の身を守る方向にしか注意が働いていなかった。離れた場所にいると安心していられたというだけで。
「わたし、梨杏先輩に、野上先輩がファーストネームで呼んでくれないって愚痴られたことがあるんです。智菜先輩だけが特別扱いみたいって。それでわたしに『一緒に交渉しない?』って」
そういえば梨杏に、チカちゃんにファーストネームで呼ばれないのはわたしが原因だって言われたっけ……。
「で、チカちゃんに言ったの?」
「いいえ。わたしがあんまり乗り気じゃなかったので、梨杏先輩もあきらめたみたいです」
「そう」
今から呼び方が変わることは無いだろうなあ……。
「名前だけじゃないですよ。仕事の質問も、必ず野上先輩のところに行くじゃないですか」
「会長だからじゃないの?」
「書記の仕事でもですか?」
「それは……」
わたしが蔑ろにされているように感じていたのは事実ではある。
「今日だって、二人羽織り、野上先輩と組みたかったんだと思いますよ」
「え? でも、組めるかどうか分からないじゃん?」
「たぶん、何か理由をつけて組めるように考えていたんじゃないかと思うんですよね」
そう言われると、確かに梨杏なら理屈を考えるのは得意そう、と思う。だから男女ペアでもいいって言ったの?
「梨杏が……?」
チカちゃんを好き? でも、無理だよ……。
チカちゃんはミアが好きなんだもの。しかも、梨杏はチカちゃんを怒らせるようなことをやっちゃったし。……ということは。
これからも梨杏のアピールが続くってこと? それとも、思い切ってチカちゃんに告白したりするのかな? チカちゃんはどうするだろう?
いいえ、これは単なる憶測で……。




