36 ◇◇ 智菜:心配がいろいろ
生徒会の文化祭の出し物は、二回目の話し合いで「二人羽織りアンサンブル」に決まった。二人羽織りで合奏をするのだ。
楽器はリコーダーやピアニカなどの吹くものと、トライアングルやシンバルなどの叩くものを試してみようということになった。羽織りは演劇部が貸してくれる。
最初に話し合った日、あのまま話し合いが進んでいたら、みんなの中にわだかまりが残ったと思う。チカちゃんが仕切り直しにしてくれて、本当に良かった。
あの日、わたしが心配したとおり、チカちゃんはかなり腹を立てていた。梨杏のやり方が許せなかったのだ。
普段は穏やかなチカちゃんは、怒り出すとまったく容赦がなくて、ものすごく厳しい言葉で攻撃する。最近は許容範囲が広くなってチカちゃんが怒ることはめったになくなっていたけれど、あのときは危なかった。もしもチカちゃんが梨杏にそれをしていたら――それも会長という立場で――その後の生徒会の人間関係に影響が出たと思う。万が一怒り出したら、わたしがすぐに止めるつもりではいるけれど。
だから、チカちゃんが感情を抑えて話題を翌日送りにしたときはほっとした。それができるくらいチカちゃんが成長したことに心の中で拍手したくらいだ。
あの日の帰りは、みんなと別れたあとはずっとチカちゃんの不満を聞いていた。翌朝の登校時に、水澤くんにも電話で愚痴を聞いてもらったのだと言っていた。
二度目の話し合いの手順を相談して、少し正式な感じにして黒板を使い、前日に出ていた案をすべて書き出そうと決めた。校歌だけじゃなく、コントも漫才も二人羽織りも物まねも、全部復活させて。
そんな形で始まった話し合いで、二人羽織りで楽器を演奏できないかと言ったのはわたし。するとみんながどんどんアイデアを広げてくれて、あっという間に決まってしまった。梨杏も呆れた顔はしたけれど、最後は笑顔で話に加わっていた。その雰囲気にチカちゃんも満足そうだったし、わたしも生徒会やチカちゃんの役に立てて嬉しかった。
そんなふうに一件落着してみたら、別なことに気付いた。それは水澤くんのこと。
この2、3日、ため息をついているのを何度も見かける。何か悩んでいることがあるのだろうか。わたしでは役に立てないのかな――。
「智菜先輩」
数日後、お昼休みに初乃ちゃんが来た。思いつめたような表情にちょっとびっくりした。
「どうしたの?」
廊下の端に寄って尋ねると、初乃ちゃんは怒った口調で言った。
「ネットに生徒会のことで書き込みがあって」
「生徒会のこと? ネットに?」
「はい。九重の生徒用のサイトに」
そういうサイトがあるということは知っている。OBも見ていたりして、おもに情報交換のための場所だ。でも、ときどき誰かの悪口を書き込む人がいるとも聞いたことがある。初乃ちゃんの様子だと、今回もそういうことなのだろうか。
「見たの?」
「はい。友達が教えてくれて。もう、ひどいんですよ!」
悔しそうに訴える初乃ちゃんに気付かれないよう、そっとため息をついた。
わたしはそういうサイトは見ないようにしている。自分の悪口が書いてあったら嫌だから。友達……いいえ、面識が無い誰かの悪口でも嫌だ。
悪口はわたしにとっては必要のない情報で、わざわざ見つけて嫌な気持ちになりたくない。そのサイトにあるかも知れないほかの有用な情報も、今のところは知らなくて致命的だったという経験は無い。だから見ない。まあ、これはわたしが他人から悪口を言われたことがあるからこその自己防衛の術なのだけれど。
「ウソばっかりなのに信じてる人がいて。面白がってコメント書いたり。ホントに悔しくて」
拳にした両手を体の前で振って初乃ちゃんが訴える。可哀想に、その書き込みを見て傷付いてしまったのだ。
「まさか反論したりしてないよね?」
「してません。でも」
「しなくていいよ。それに、気にする必要ないよ。信じてるのは一部の人たちだけだから」
言い返すと逆に攻撃されることもあるかも知れない。顔が見えなくても、攻撃されるとショックが大きいと思う。
「でも、悔しいじゃないですか! 今年の一年生役員は低俗だなんて書いてあるんですよ!」
「低俗? それは失礼だねえ……」
「ですよね? 『普段からくだらない話ばかりしてる』とか『品性が足りない』とか」
「そんなことないよ。みんなきちんとしてるよ」
どうしてそんなことを書かれなきゃならないんだろう。憂さ晴らしだろうか。
「それに、生徒会は智菜先輩に牛耳られてるなんて書いてあるんですよ!」
「えぇ? なにそれ?」
あまりに的外れな指摘で、腹が立つよりも呆れてしまう。
「野上先輩と佐久間先輩が智菜先輩を取り合ってて、智菜先輩に気に入られるために何でも言うこときいてるって」
「いや〜、よくそんなこと考えたねえ」
いったい誰が信じるんだろう、そんな話。このわたしにそんな役割を振ったことが信じられない。
「だいたい生徒会を牛耳っても何も意味ないよね?」
「それが、あるんですよ。今まで仕事をいい加減にやってきたことがバレないように、改善提案を邪魔してるって」
「いい加減?! それはあり得ない!」
思わず声が大きくなった。仕事がいい加減だなんて、わたしのプライドに賭けて否定する。一緒にやってきた先輩に対しても失礼だ。
「それに、新しく入った梨杏先輩に人気を奪われそうになった智菜先輩が、裏でいろいろ画策してるとか」
「そんな……」
またしてもくだらない話で力が抜ける。一年生役員のことをくだらないと指摘したようだけど、このウソの方がもっとくだらない。
第一、わたしが人気を維持するために裏工作するなんて、一般生徒にとってはどうでもいいことではないか。チカちゃんと佐久間くんの話もそうだ。そういうことをわざわざネットに書き込むなんて、それこそ低俗だ。品性を疑う。
「なんだろうね? そんなことして楽しいのかな? それとも何か恨みを買うようなことあったっけ……?」
生徒会とどこかの委員会や部活が揉めていることは無かったはず。予算も活動も、特に不満を言ってきた団体は無かった。初乃ちゃんも「トラブルは覚えていません」と首を横に振った。
「いったい何なんでしょう? 本当にひどいです。意地が悪いっていうか……」
――意地が悪い。
ふと気付いた。これは生徒会ではなく、個人への攻撃ではないだろうか。それも、もしかしたらわたしへの……。
(そうかも知れない)
ほかのメンバーの名前も出ているけれど、わたしが生徒会を牛耳っているなんて書いているあたり、わたしが諸悪の根源だと言いたいのだという気がする。だとしたら……悔しい。そして腹が立つ。
「ひどいね」
初乃ちゃんには苦笑してみせたけれど、怒りが体から漏れ出している気がする。
わたしを嫌っていることはべつにいい。好き嫌いは仕方がないことだから。それよりも、それをこんな形で発表したことが――生徒会のみんなを巻き込む方法をとったことが、許せない。
「教えてくれてありがとう、初乃ちゃん。それと、ごめんね」
生徒会のために怒ってくれたことはとてもありがたい。でも、初乃ちゃんが悔しい思いをすることになってしまったことは、生徒会の先輩としてとても申し訳ない。
「なんで智菜先輩があやまるんですか? 智菜先輩は悪くありません。絶対に」
力強く言い切ってくれる初乃ちゃんのためにできるのは、わたしが気にしていないことを見せること。そして、彼女を傷付ける情報から遠ざけること。
「そう言ってもらえるとほっとするよ。もうそのサイトは見ない方がいいよ。頭に来るだけだし、何日かたてば新しい話題が出て、すぐに忘れられちゃうから」
「あ、そうか! 人の噂も…って言いますね」
「うん。ネットの世界だと七十五日よりも短いよ、きっと」
「はい。分かりました」
笑顔になった初乃ちゃんを見送り、教室に戻りながら、自分の中の怒りと向き合った。怒りと……さっき生まれた一つの疑惑と。
(梨杏……なの?)
初乃ちゃんから聞いた内容が全部、梨杏とつながっているような気がする。
一年生を「低俗」だと決めつける言葉。わたしが梨杏の人間関係を邪魔しているという指摘。生徒会の仕事の改善を何度も申し出ていることもチカちゃんから聞いている。これは反対しているわけではなく、九重祭が終わって時間に余裕ができてから始めようとチカちゃんが説明したはずだ。
でも、梨杏は納得していない? 梨杏には本当にわたしが生徒会を牛耳っているように見えているの?
――いや、決めつけちゃダメだ。梨杏が書いたのではないかも知れない。
確かに後夜祭の出し物のことでは少し気まずい時間もあった。でも、誰も梨杏のことは責めなかった。梨杏の提案どおりにはならなかったとは言え、最終的には話し合いにも積極的に参加していて、恨みを溜めこんでいるようには見えなかった。
それに、ぼんやりしているわたしよりも、みんなと楽しそうにしている時間は多いと思う。つまり、梨杏にはあんな書き込みをする動機がないのだ。
でも。
業務改善提案のことは、外部の生徒が知る機会はないはず。あれが含まれている以上、内部の――。
ううん、勝手な推測はやめよう。昨日も一昨日も、梨杏は変わらずみんなと仲良くしていた。わたしに対しても同じだった。
疑うのはやめよう。いつも前向きで親切な梨杏を。それこそ失礼だ。もしかしたら、梨杏が何気なく言ったことを、他人が大袈裟に書き込んだのかも知れないし。
(そうだよね)
もともとネットのウワサは気にしないことに決めているのだから、今回も聞かなかったことにしよう。それよりも、現実の方に目を向けなくちゃ!
――水澤くんは元気になったかな?
ミアとノエちゃんのところに向かいながら、そっと水澤くんを確認。めずらしく机に突っ伏して……寝てるのかな?
やっぱり元気がないのかも。ちょっと心配。




