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俺とちなちゃん  作者: 虹色
第四章 意地悪とお人好し
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33 お人好しのちなちゃん

第4章「意地悪とお人好し」です。


7月に入った。梅雨明けまでもう少し。


野上と仲里のことは試合の日でひと段落着いた気分で、今は何も計画していない。あの日の様子を見る限り、野上はかなり有望なのではないかと俺は思っている。だって、仲里はどう見ても俺が相手のときよりもずっと愛想が良かったから。


それよりも重要なのは、俺とちなちゃんの関係だ。


これがなかなか――いい感じだ。はっきり言って、野上と仲里よりもずっと。


以前に比べて教室で話す回数が増えた。会話も長く続くようになった。話しているときに、ちなちゃんが元気に笑うようになった。


離れていても目が合う回数も増えて、そんなとき、ちなちゃんはちょっと驚いたような顔をしたあとにちらりと微笑んでくれたりする。それがまた可愛くて、俺の胸の中は嬉しさのあまり何かが大暴れしているみたいな状態になってしまう。隠しても落ち着かない俺の様子に気付くのはたいてい宮田で、初めはからかわれたけれど、今は無言で呆れたような視線を向けられるだけになった。


そして、七夕を過ぎた朝――。


教室に入ると、女子の強い声が聞こえた。声の方に目を向けると、黒板の前で女子が数人で揉めているようだ。片方は奥津と多田と深見という普段から目立つ3人組、もう一方は寄木たちいつもアニメの話題で盛り上がっている女子たちだ。さすがに怒鳴るというほどではないものの、もともと声の大きい奥津と多田が不機嫌なのははっきりと分かる。でも、寄木たちも引かない様子だ。


「なに、あれ?」


風間の席でしゃべっていた宮田に尋ねた。今日も雨なので、野球部の朝練は早く終わったらしい。ふたりは俺に気付くと、ニヤニヤしながら教えてくれた。


「奥津たちが、自分たちの役が気に入らないって文句言ってるんだよ」

「役?」

「ほら、文化祭の劇のシナリオが配られただろ? あれで」

「ああ」


確かにきのう、シナリオが全員に配られた。さらに俺は寄木から、風間に剣道の稽古着を貸すこととそれを着せることを頼まれて引き受けた。だから一応、シナリオのその場面だけは確認はした――出だしのほんのちょっとだった――けれど、あとは読まずに放ってある。


「アイドルの役で納得したんじゃなかったっけ?」


話し合いのとき、奥津たち3人組のうち深見は嫌だと言ったけど、あとの2人は二つ返事で引き受けていたはずだ。


「それがさあ、お前、シナリオ読んでない?」


宮田に尋ねられて「最初だけ」と答えると、宮田と風間は納得したように視線を交わした。


「何かまずかったのか?」


俺の質問に、ふたりは苦笑いを浮かべて答えた。


「まあ、そうだな」

「美少女アイドルっていうのは間違いないんだけど、裏では性格が悪いっていう設定なんだよ」

「そのふたりに赤羽が利用されるって話で。注目を浴びるために」

「ああ……」


胸の中で「似合ってるじゃないか」とつぶやきながら、揉めている女子たちに目を向ける。新学期にちなちゃんへの悪意を目にしてから、奥津たちに対する俺の評価は超低空飛行のままだ。


奥津たちは目立つ見た目が売りの女子だ。「可愛い」とか「きれい」とか、容姿が優れていることを重要視していて、自分たちの自信もそれを根拠にしているのが普段の言動から分かる。実際、すらりとした体型の彼女たちは、何の変哲もない白と紺の夏用セーラー服姿もまるで学園ドラマから抜け出してきたようだ。髪型も着こなしも、たぶん化粧も、努力しているに違いない。だから、そういう部分を認められたと感じてアイドル役を引き受けたのだろう。


けれどそれは、はっきり言って憎まれ役だったというわけだ。たぶん、自分たちのイメージが悪くなるとか、嵌められたとか思ったのだろう。


「劇の筋書きとしては、そういう設定も “あり” だよなあ?」


宮田の言葉に俺と風間はうなずく。


劇は主人公たちがさまざまな困難を乗り越えて成功をつかむストーリーのはずだ。その困難の一つが恋愛スキャンダルだっていいと思う。


「お芝居なんだから、割り切ってやればいいのにな?」

「うん。悪役で人気が出る俳優だっているじゃん?」

「だよなあ。あはは」


そんな会話を交わしつつ、奥津たちだからこそ素直に引き受けられないのかも知れないと思った。普段からほかの女子を見下すような言動をしている奥津たちには、<性格の悪いアイドル> というキャラクターは自分たちのことを揶揄したものだと感じたのかも知れない。


「それよりこいつだよ」


宮田が声をひそめて風間を指差した。


「なに?」

「相思相愛の役。北井と」

「え? 北井――」


思わず声が大きくなりかけたところで、立ち上がった風間に口をふさがれた。その手をはずし、宮田に顔を寄せる。


「ラブシーンとかあり?」

「それが」

「ないだろ!」


顔を赤らめた風間に遮られた。


「電話で話すだけ」

「違うだろ? 離れて見つめ合うシーンがあるじゃん」


二人の簡単な説明が俺の記憶を呼び覚ます。ちなちゃんとの電話。視線を交わした瞬間。


「いいなあ……」


甘い疼きが胸の中に広がる。そういう奥ゆかしい愛情表現の方が俺には合っている気がする。


自分の席に向かいながら、いつものとおり、ちなちゃんにあいさつをするのが少し気恥ずかしかった。ちなちゃんは俺を見てにっこりしてくれたけど、すぐに視線を揉めている女子たちの方に向けてしまった。がっかりしている俺の目に映ったちなちゃんは、心配そうに表情を曇らせていた。


そのあとずっと、奥津たちは不満を態度で表していた。休み時間になると3人で足音荒く教室から出て行き、クラスの誰とも口を利かない。いつもお気に入りの男子とふざけたり甲高い笑い声で存在を主張したりしている奥津たちがいないと、教室が静かで快適であることにふと気付いた。


誰かと話していても、奥津たちのこれ見よがしな声に会話を邪魔されることがないのだ。彼女たちの声を耳障りだとずっと感じていたけれど、実際にどれほどストレスになっていたのか、これではっきりと分かった。この環境が少しでも長く続いてくれたらありがたい。


ただ、そう思う一方で、微かな後味の悪さを感じているのも事実。他人の不幸を笑って流すということが、俺は昔からあまり得意じゃない。


そしてちなちゃんは俺よりももっと気になっているようだった。


休み時間のたびに奥津たちを目で追い、昼休みも奥津たちが出て行ったドアを気にしている。北井と一緒に俺や風間と話している今も、相槌の合間に心配そうな目をドアや寄木たちに向けている。


「気になる?」


小声でちなちゃんに訊いてみた。はっとした様子で目を上げた彼女に「奥津たちのこと」と付け加える。


「うん……、そうだね」


微かに微笑みつつも、やっぱり心配そうな様子は消えない。


「教室が静かになっていいじゃん」


ジョークっぽく笑って言ったけれど、心の底からは笑えなかった。ちなちゃんは小さく微笑んで「それはそうだけど」と迷いながら続けた。


「やっぱり可哀想かな、って思って」

「どうして?」


自分も完全には納得できていないけれど、ちなちゃんのお人好し加減に呆れた。


だって、奥津たちがこのクラスで一番攻撃対象にしているのがちなちゃんなのだ。新学期の委員決めのあとも、ぶつかると睨むとか、ちなちゃんがあいさつしても無視するとか、俺は何度も目にしている。ちなちゃんこそが、奥津たちの不幸を笑ってもいい生徒第一位だと思う。なのに「可哀想」だなんて。


「芽衣理たちってなんて言うか……、このクラスであんまり仲良くしてる女子、いないでしょう?」


声を低めて言ったちなちゃんが同意を求めるように俺を見上げた。


「まあな」


要するに、浮いてるってことだ。でもそれは、奥津たちが望んでそうしているように俺には見える。ほかの女子に対して「あなたたちとは違う」と宣言し、一般男子には「あんたたちは相手にしない」と蔑んで。だから自業自得だと思うのだ。でも。


「そういう中で性格が悪い役をやれって言われたら……、しかもそれを知らされないで、いい部分だけを説明されて頼まれたわけだし、そういうのって、自分たちが意地悪をされたと思っちゃっても仕方ないかなって思うんだよね」

「まあ……、それはわかるけど」


そう。意地悪。それなのだ。実際に自分があいつらに何かをしたわけではないけれど、その片棒を担いだような気がしてしまう。


「夢佳たちは単なるキャラクターとして書いただけなんだろうけど、芽衣理たちの立場を考えるとちょっとね」


ちなちゃんが小さくため息をついた。劇の設定がわざとだとは思わないらしい。俺はちょっと怪しいと思っているけれど。


「事前に話を聞いたときには、単純にアイドル同士の恋だと思ってたんだけどなあ」

「ああ、そうか。べつに性格が悪い必要は無いわけだよな」

「あ、水澤くんもそう思う?」


メガネの奥の目がまっすぐに俺を見つめてきた。以前より仲良くなったとはいえ、これほどしっかりと目を合わせてくれることはなかなかなくて――。


「うん。そう思うよ」


舞い上がりながら力強くうなづいた。


「良かった。じゃあ、一緒に行ってくれる?」

「え?」


嬉しそうに尋ねられて戸惑う。同意したことで何かが動き出したらしい。


「夢佳たちのところ。シナリオを変えられないか、話してみようと思って」


可愛らしく小首をかしげて「ね?」と言われたら断れない。奥津たちのために積極的に何かしようなんて、さっきまでまったく考えなかったけれど。


机の間を抜けて行くちなちゃんについて行きながら、こんなつもりじゃなかったのに、と思った。でも、意地悪の片棒を担いだという罪悪感が減るのは間違いない。


そして。


奥津たちの被害者と言ってもいいちなちゃんの公正な態度――単なるお人好し?――に、俺の中の彼女への愛情と信頼はますます膨らんだのも間違いない。







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