32 ◇◇ 智菜:ドキドキの連続
フ……ッと水澤くんの竹刀が止まった。
竹刀だけじゃない。体全体が静かになった。と思ったら。
(あ)
動いた、と思った瞬間、かけ声とパーン! という音がして、水澤くんと相手がすれ違った。場所を入れ替えてすぐにまた向き合った二人のまわりで審判3人が赤い旗を上げている。周囲の剣道部員たちがどよめいた。
「え? ど、どうなったの?」
あわててミアに尋ねたら、反対側に座っていた寺川さんが答えてくれた。
「うちが一本取ったよ」
「一本……?」
(じゃあ、あれが……)
ほんの一瞬のことだった。動いたと思ったら終わっていた。
(初めて見ちゃった……)
水澤くんが一本取るところ。……まあ、剣道の試合を見ること自体が初めてなのだけど。
(カッコいい……)
かけ声も動きも凛々しくて。ほかの人たちよりも、そして想像していたよりもずっと。
「緊張がとれたみたいだね。良かった」
後ろからチカちゃんが言った。
「水澤くん、緊張してた?」
「たぶんね。始まる前、いつもより表情が硬かったよ」
「そっか……」
再び構えに入った試合場に目を戻す。三本勝負だから、二本取らないと勝ちじゃない。
(頑張って)
膝に乗せた手を握りしめた。
勝ち負けよりも内容が大事だとは思う。でも、水澤くんが頑張ってきたことを考えると、やっぱり勝てたらいいな、と思う。
そして、「おめでとう」って笑顔で言いたい。
「あ、出てきた」
前の方で誰かの声がした。一回戦が終わって出てくる選手たちを迎えるためにロビーに出た剣道部の人たちと一緒に待っていたところ。選手たちは外した面と竹刀を手に、扉から現れた。みんなまだ頭に手拭いを巻いている。
試合は水澤くんから3人連続で勝って、2回戦に進むことになった。もう一度あの雄姿が見られるのだと思うと、嬉しくてにやにやしてしまう。
「お疲れ!」
「いい試合だったな!」
3年生の先輩たちが選手たちに駆け寄る。そのあとに2年生の部員が続く。剣道部の人たちと親しいチカちゃんもそこに混じって行った。
わたしも行きたい――。
けれど、足が動かない。邪魔をしたらいけない気がして。わたしなんかがでしゃばるときじゃない気がして。だって、今日は公式の試合で、わたしはチカちゃんのついでに呼んでもらっただけで……。
「どしたの、智菜? 行かないの?」
ミアが尋ねる。
「うん……、ええと……混んでるからあとでいいかな……」
選手たちは部員に囲まれて、剣道の先生からのお話を聞いている。さっきの試合の講評とアドバイスらしい。選手たちが真剣な表情でうなずいている。
ゆっくり見回すと、周囲でも同じような光景が展開中。みんな真剣だ。わたしなんかの出る幕じゃない……。
「はいっ」
元気の良い返事にハッとした。うちの剣道部の輪が崩れて、それぞれに笑顔で言葉を交わし始めた。次の試合まで休憩らしい。
(水澤くんは……?)
一緒に出場したもう一人の2年生と一緒に部員と話している。チカちゃんも一緒だ。
「智菜、行こうよ」
ミアがわたしを見る。「うん」と答えたけれど、足が出ない。剣道部の人たちとはチカちゃんほど親しくなくて、あの中に入る勇気が出なくて。
けれど、ミアの手前、ここで突っ立っているわけにもいかない。一緒に応援に行こうと誘っておいて水澤くんと話もしないなんて変だし、愚図な性格に愛想を尽かされてしまうかも知れない。覚悟を決めて、行かなくちゃ。
やっと動いた足は、時間稼ぎをしようとしているのが見え見えの遅さ。でも、そもそもそれほど離れていたわけじゃない。何歩か進んだところで水澤くんがこちらに気付いた。
「智菜ちゃん!」
びっくりしてまた止まってしまった。だって、あんまり親し気な笑顔で名前を呼ばれたから。
水澤くんはまるで当たり前みたいにこっちに来る。そりゃあ、応援に来ることは知っていたのだからそれは当然なのだけど。おろおろしているわたしの方が間違いなのだと思うけど。
「来てくれてありがとう」
「う、ううん、そんなこと……」
(どうしよう! なんだか恥ずかしい!)
ミアが隣にいるのに。ほかにも人がたくさんいるのに。こんなに堂々と話しかけてくれるなんて。
学校で話すときとどこか違う。まっすぐできっぱりしてて、なんだか……。
「勝てて良かったよ。出だしはちょっと危なかったけど、智菜ちゃんの言葉を思い出したら落ち着けたんだ」
「あたし、の?」
どうしよう? ドキドキしてきた。なぜか泣いてしまいそう。
「うん。ちゃんといい試合をしなきゃって思って」
「うんうんうん。いい試合だったよ。すごかったよ」
何か言わなくちゃと思うとますます頭がぐちゃぐちゃになる。まっすぐに見つめる水澤くんに「いいの?」と確認したいけれど、「何が?」と訊き返されたら上手く答えられないと分かってる。
焦って汗ばむ手をぎゅっと握り締めた。何か言うことがあったはず。
「そうだ、おめでとうって言わなくちゃって思ってたんだよ。おめでとう」
(ああ!)
自分の言葉に落ち込んだ。
簡単に「おめでとう」だけで十分なのに。余計なことまで言って、まるで言い訳してるみたい。もちろん水澤くんは喜んでくれているけれど。
落ち込むわたしの隣でミアが「おめでとう」と言っている。そして「結構カッコいいじゃん」と……。
「えぇ? そうか? あははは」
(ああ……)
この笑顔はわたしにじゃない。ミアみたいに素直に思ったことが言えないから……。
「水澤、写真撮っていい?」
チカちゃんの声がした。手にはスマホを持っている。
「せっかく応援に来たし、その姿で一緒に」
「お、いいぜ、撮ろう」
話題がほかに移ったのでほっとした。それに、これならわたしが役に立てる。
「チカちゃん、あたしが撮ってあげるよ」
でも、チカちゃんは笑いながら私の手からスマホを遠ざけた。
「何言ってるんだよ? 智菜ちゃんも一緒に写るんだよ」
「え?」
「ほら、こっちに来て」
どうやらチカちゃんが自撮りをするということらしい。水澤くんの隣で手招きしてる。
「ミアちゃんも」
呼ばれてミアが動いた。チカちゃんと水澤くんの前でくるりと振り返る。
「智菜、早く」
「う、うん」
行かなくちゃと思うけれど、どこに立てばいい? 今日の主役は水澤くんだから、水澤くんが真ん中……だよね?
(ということは……)
水澤くんの隣……?
(いいのかな?)
でも、待たせるのも悪い。思い切って――並んじゃえ!
「うーん…、もう少し寄って」
チカちゃんが腕を伸ばして構えたスマホの自撮り画面。チカちゃんが入り切れていない。
「智菜ちゃん、前に来て」
「あ、はい」
(え?)
動こうとしたとき、びっくりして息が止まりそうになった。肩をそっと押されたから。
ドキン、と心臓が跳ねた。右腕の上のところ。これは。これは――。
(み、水澤くんの手だっ!)
ドカドカドカッ…と鼓動が乱れる。なんとかそれを隠してスマホに笑顔を向けると、ひきつった自分の笑顔のうしろに水澤くんの笑顔があった。肩の手はいつの間にか消えていたけれど、今度は距離の近さをどう整理したらいいのか……。
「撮るよー」
カシャ、とシャッターの音。
「はあ……」
これで離れられるとほっとして、思わずため息が。なのに、同時になんだか惜しいような気もする。そんな気持ちになった自分がまた恥ずかしい。
(見られたくないよ……)
写真を確認する輪から一歩下がった。とにかく早く落ち着かなくちゃ。
壁の方を向いてのびをしてみる。それからそうっと目を戻すと水澤くんと目が合った。途端に恥ずかしさが戻って来る。
「俺、汗臭くなかったかな?」
くんくんと肩のあたりを嗅ぎながら水澤くんが言った。
「う、ううん、気が付かなかったけど」
頭の中がそれどころじゃなかったから。
「そう? ならいいけど」
恥ずかしくて顔を見ていられなくてさりげなくチカちゃんに視線を移すと、ミアと一緒にスマホを覗き込んで楽しそうに話してる。
(そうだった。今日はこのふたりを会わせることが目的だったよね)
急に気持ちがしゃんとした。
今、ここにいるのはチカちゃんのため。正当な目的があるのだ。
視線を戻すタイミングが重なって、今度は少し落ち着いて微笑むことができた。チカちゃんたちの楽しそうな様子に目配せしながら同時にうなずいて。
「いい感じじゃん?」
「うん」
こっそりささやき合って。秘密の仲間って、楽しい。
ふたりが話しているならわたしは近付かない方がいい。だとしたら……。
そっと目を上げると水澤くんが「ん?」と首を傾げた。
「ええと……、剣道の防具、近くで見るの初めて」
頑張って話しかけてみたものの、途中でさっきの肩にかけられた手を思い出してまたドキドキしてきてしまった。わたしが水澤くんと一緒にいるのにはちゃんとした理由があるのに。わたしの気持ちとは関係が無いのに。
「ああ、そうだよな。普段はバッグに入れてるから。叩いてみる?」
水澤くんは何も感じていないみたい。気軽に言って、お腹をコンコンと叩いてみせてくれた。
「いいの?」
「どうぞ」
真似をして叩いてみる。コンコンという軽い音になんだかほっとした。
見上げたら水澤くんがにこにこしていて……。
仲良くなれて良かった、と思った。
ゆっくりの展開にお付き合いいただき、ありがとうございます。
第三章「6月」はここまでです。次から第四章「意地悪とお人好し」に入ります。
どうぞよろしくお願いします。




