29 生徒会の事情
試合の日が近付いて来る。
団体戦の一週間前に個人戦がおこなわれ、3年生の先輩が一人、6位に入賞した。
団体戦のメンバーは実戦重視の稽古が続いている。ちなちゃんとはときどき剣道の技や疲労回復の方法などの話をするようになった。彼女がメガネの奥でぱっちりと目を見開いて見上げてくれると、自分が強くなっていくような気がするから不思議だ。
俺は今回初めて、応援が気持ちに影響するということを知った。プレッシャーもあるけれど、後ろから支えられ、押されているような力を感じる。今まで誰かに個人的に応援に来てもらったことがなかったから――親にも――これは初めての経験だ。応援が力になるというのは本当なんだ!
金曜日の休み時間、廊下で呼ばれたような気がして振り向くと、1年のときに同じクラスだった志堂梨杏がいた。梅雨も後半で蒸し暑くなってきたのに、彼女はやたらと爽やかな雰囲気なのが不思議な気がした。
「元気?」と隣に並んできた志堂に「うん」と答えた。席が近くになったことがあって、そのころはよくしゃべっていたっけ、と思い出した。
「ゴールデンウィークのクラス会、行けなくて残念だったな。結構たくさん参加したって聞いたよ?」
歩きながら志堂が言った。言われてみれば、確かにいなかった気がする。
「ああ……、二十人近くいたかな。意外と盛り上がったよ」
「そうかー。行きたかったなあ」
「部活だったのか?」
「ううん、違う。あたしは帰宅部だよ?」
咎めるような視線を向けられて “しまった” と思った。俺が彼女に興味が無いことを示してしまった気がして。
「あ、ああ、そうだったな。じゃあ、家の用事か」
急いで取り繕いながら、どうしてこんなふうに気を遣う必要があるのかと、ちらりと思った。
「そう。お祖母ちゃんの三回忌でね」
「ふうん」
生返事をしながら廊下を見通す。うちの教室は一番奥、まだ先だ。彼女の教室は……?
「志堂って、今、何組だっけ?」
「7組。理系クラス」
「あれ? じゃあ……」
教室は一つ下の階だ。今は……?
「野上くんに用事があって来たの。ほら、あたし、今年から生徒会に入ったから」
「ああ……、そうだったな」
これもすっかり忘れていた。確かに選挙のときに名前があった。
でも、生徒会の話なら少しは分かる。今年から入った2年生ということは、役職はちなちゃんが抜けた書記のはず。
「書記だったよな? 仕事はどう? もう慣れた?」
「そうねえ、難しくはないかな」
彼女は考えながら答えた。正しい質問をしたようで、ほっと胸をなでおろした。
「でもね、すごく面倒なの」
「へえ」
「面倒って言うより非効率的、かな。昔のやり方のまま、ただ引き継いで来たって感じ? 誰も改善しようと思わなかったなんて信じられないよ」
「ああ……、そうなんだ……」
志堂の勢いに驚いた。そして、彼女の非難がちなちゃん――だけじゃないけど――に向けられたものであるということに少し嫌な気分になる。
(そう言えば、前からそうだったな……)
以前に感じていた引っかかりが、今になって何なのか分かった。
彼女はいつも「正しい」のだ。
議論でも、ちょっとした相談でも、常に「正しい」ことを言う。「こうあるべき」を当然のように口に出す。
もちろん、本人はそう行動するわけだけど、周囲にも同じことを同じレベルでやれと要求する。彼女と話していると、「当たり前でしょう?」「できるはずだよね?」という言葉が、実際に口にされなくても聞こえてくるような気がしたものだ。
周囲としては、正しいことを突き付けて来る相手には反論ができない。反論を試みても、彼女の場合、穏やかな口調で説き伏せて来る。それをやられると、それができていない自分を感じて居心地が悪くなる。あるいは、正しさだけでは解決できない現実を思って虚しい気分を抱いたまま引き下がるしかない。
そういう周囲の気持ちには気付かないのか、汲み取る必要を感じないのか、正しさを信じている彼女はいつも自信に満ちていた。
「じゃあ、これから志堂が改善していくってことだな」
ちょっとばかり皮肉を込めてみたけれど、彼女は気付かない様子で微笑んだ。
「そうするつもり。もちろん、野上くんと相談しながらだけど」
そういう話で来たってことか。放課後になれば顔を合わせるのにわざわざ休み時間に来るとは、なんとも気合の入ったことだ。
2組の前で志堂と別れてほっとした。野上は少し気の毒だけど……と思いながら、うちのクラスの前に仲里がいるのに気付いた。戸の前に突っ立ってこっちを見ている。笑顔じゃないのはいつものことだけど……。
「あたし、あいつ嫌い」
「え?」
近付くと唐突に言われて驚いた。そんな俺に、仲里は鋭い視線で2組の方向を示した。その様子が「あいつ嫌い」という言葉そのものだ。
「ああ、志堂のこと? 知り合いなのか?」
「15分だけね。それ以上は無理だった」
仲里が戸を開けると、さわやかな空気と一緒に教室のざわめきが流れ出てきた。
「15分? それじゃ知り合いって言えないだろ」
仲里に続いて教室に入り、戸を閉める。そこで仲里が振り向いた。
「そうかも知れないけどね。でも十分だよ。あたしには分かる」
「何が?」
「あいつの外側は見せかけだってこと。親切そうにしてるけど、本心では他人のこと馬鹿にしてる」
「すげぇ言いようだな」
いかにも仲里らしい言い草に感心してつぶやくと、じろりと睨まれた。自分が非難されたと思ったらしい。
「男って馬鹿だね。可愛いだけで評価が甘くなるんだから」
「えぇ? 俺、べつに志堂のこと庇ってないよ。それに、可愛いとか思ったこともないけど。…ってか、可愛いのか?」
「可愛いって言うか、美人の顔立ちだよね。分からない?」
「うーん、べつに……」
ちなちゃんの仕事に文句つけた相手に興味なんて無い。それに、見て嬉しくなるのはちなちゃんだけだ。
俺の表情に仲里は「ふうん」と言ったあと、ニヤリとした。
「まあ、水澤の好みとは違うよね」
「な、何だよ、俺の好みって」
「いやいや、ここでは黙っておいてあげるから」
「う……」
返す言葉を思い付かない。こういう話ではいつも仲里に負けてしまう。
あきらめて席に向かおうとすると、「まあ、そういうわけで」と仲里が続けた。
「もう生徒会に行かないことにしたんだ」
「あ……、それか!」
ちなちゃんの話と一致して、思わず指を差してしまった。その指を仲里がうるさそうに払いのける。
「何よ?」
「いや、の…、ちなちゃんが残念がってたから。仲里が来なくなったって」
やっぱり、野上が淋しがってたとは言っちゃいけないだろう。
「ああ、智菜には悪いと思ってるんだ。それに、ちょっと心配なんだけどね……」
「心配?」
「そう。一人であいつに立ち向かえるかなって。智菜ってお人好しだからさあ」
それは言えてる。
「でも、野上がいるよ。何かあれば気付くだろ?」
言った途端、仲里の視線に軽蔑の光が宿った。
「頭のいい女子は、男子に悟られるようなことはやらないよ」
(こわっ!)
目付きにも言葉にも背中がぞわっとした。
「え、じゃ、じゃあ、ちなちゃんが……?」
「まあ、あいつが智菜をいじめるって決まったわけじゃないけど」
軽く否定されたのでほっとした。でも、仲里はすぐに真面目な顔に戻った。
「一緒にやっていくのは大変だと思う。要求が多くて、失敗すると『自分は知らない』って言うタイプだと思うんだよね。だからあたしは最初から関わらないって決めたの。絶対に喧嘩になるし」
「それは……」
仲里の決断は正しい。部外者が生徒会に口を出して揉めたら、野上もちなちゃんもやりにくくなるから。だけど……。
「ちなちゃん、大丈夫かなあ……」
「だから、教室では気を付けてあげるつもり」
迷いのない仲里の表情にハッとした。
「何でも話せる関係を続けて、ときどき気晴らしにも付き合ってあげて、強くなれるように応援してあげるの。ノエもいるしね」
(何でも話せる関係、気晴らし、そして応援……)
語られた言葉が胸の中に広がっていく。
俺もそうしてあげたい。そんなふうに彼女を支えられたら……。
「水澤も協力してよね」
「おう、もちろん」
具体的なことはすぐには思い付かないけれど――。
「じゃあ、まずは今度の試合に勝つんだよ?」
「え? それ?」
それがちなちゃんのためになるのか?
「何よ? 自信ないの?」
「そういうわけじゃないけど、勝とうと思っててもどんな相手か分からないし、やってみないと……」
「でも勝って。絶対。水澤が勝ったら智菜は喜ぶよ」
(ちなちゃんが喜ぶ……?)
勝利をちなちゃんに捧げる――それはカッコいい。勝つことが彼女へのエールになるなんて、まるで青春ドラマみたいだ。
でも、同時に怖くもある。もしも負けたら彼女に不幸が降り注ぎそうで。
(できるのか……?)
ちなちゃんのためなら絶対に勝ちたい。でも、どうなるかはやってみないと分からない……。
頭の中で決意と不安が堂々巡りしてしまう。
どうにも落ち着かない気分でいたら、その夜、ちなちゃんからメッセージが届いた。




