28 ◇◇ 智菜:計画進行中!
水澤くんと打ち合わせをした翌朝は雨。チカちゃんと駅までの道を歩きながら、いつあの話が出るだろうと傘の下でドキドキしている。
きのうの夜のうちに、水澤くんとチカちゃんの間で試合の応援の話が決まったと、水澤くんから連絡が来た。計画では、チカちゃんがその話をわたしに知らせる――はずだ。
「そうだ。ちなちゃん、今月の29日は空いてる?」
(来たかもっ)
あれから何度も確認している日にちだ。傘を握る手にぐっと力がこもる。
「29日?」
「うん。日曜日。きのう、水澤から電話があってさあ」
返事の代わりに傘をずらして無邪気な顔でチカちゃんを見上げた……つもりだったけど、不安で視線が泳いでしまい、すぐに傘の下に隠れた。
「今度の試合で団体戦に出ることになったんだって」
「だ……団体戦?」
「5人で順番に戦うんだよ。勝った数で勝敗が決まるんだ」
「5人? その中に入ったの? すごいね」
「そうだね」
もう一度見上げると、チカちゃんが嬉しそうに微笑んでいた。チカちゃんが水澤くんのために喜んでいることが嬉しくなる。
「ずっと頑張って来たから」
「うん」
わたしも水澤くんの打ち身や傷を見たことがある。気落ちしてチカちゃんに慰められていたこともあった。でも、練習をサボったりごまかしたりすることはなくて、真剣に取り組んできたことをチカちゃんもわたしも知っている。
「それで、試合を見に行こうと思って。智菜ちゃんもどう?」
ドキン! と心臓が鳴った。予定どおりの展開なのに、いざとなったら心の準備ができていなかったような気がして……。
「い、いいの?」
「もちろんだよ。県立武道場だから見学席もあるって。朝は少し早いけど」
「そうなんだ? ……行きたいな。剣道の試合って見たことないし」
「じゃあ、行こうよ。水澤も喜ぶと思うよ」
「うん」
チカちゃんの最後の言葉でハッと気付いた。水澤くんは試合なんだってことに。
昨夜からチカちゃんのことばかり気になっていたけれど、そもそもこれは水澤くんの試合。先行き不明のチカちゃんの恋と比べたら、剣道部の試合の方がはるかに重要だ。
「しっかり応援しないとね」
急に気持ちが引き締まった。水澤くんが元気が出るような応援をしてあげたい。
「あ、そうだ、智菜ちゃん。水澤に『おめでとう』って言ってあげてよ。きっと喜ぶと思うから」
「うん、そうする」
返事をしてまたすぐに傘の下に隠れる。お祝いはすでに言ったということが、不自然な表情から知られてしまいそうな気がして。でも、考えてみると、ミアの前で言う必要があるかも知れない。
何度言ったってかまわないはずだけど、顔を見て言うのはちょっと恥ずかしいな……。
(それよりも……)
次はわたしの番だ。学校に着いたらミアを誘わなくちゃ!
「ねえ、ミア、29日の日曜日って、何か予定ある?」
ミアが教室に来る時間を見計らい、廊下で彼女をつかまえた。朝のあいさつもそこそこに話を切り出すと、少し考えてから「無いよ」と答えてくれた。
「あのね、剣道の試合に行かない? 水澤くんが出る……ことになったから、チカちゃんが見に行くんだって」
(危ない危ない)
ミアに水澤くんの名前を出してもあんまり効果が無いんだった。効果が無いどころか、「なんで行かなきゃいけないの?」なんて言われかねない。仲が悪いわけじゃないのにね。
「剣道の試合?」
「うん。団体戦だって。県立武道場って知ってる? 横崎から地下鉄で行ったところにあるらしいんだけど……」
少しのあいだ、ミアはわたしの顔を見ながら考えていた。それから……「ふっ」と笑った。なんで?
「いいよ」
「わ、ほんとに?」
「うん」
思っていたより簡単にオーケーしてくれた! チカちゃんの名前を出したのが良かったのかも!
「そんなに嬉しい?」
ミアが半分呆れたように笑いながら言った。
「え……? うん……」
言われている意味がよく分からない。
(ミアと一緒に出かけるのを喜んだら……変?)
戸惑うわたしにミアが声をひそめて続けた。
「いいよ、一緒に行ってあげる。チカちゃんと二人じゃ、思いっきり応援できないもんね?」
戸惑うわたしにミアが畳みかけるように言った。まるで「ちゃんと分かってるから」っていうような表情で!
「い、い、い、行ってあげるって」
あわてたせいでどもってしまう。もしかして、ミアは誤解してる? “わたしが” 応援に行きたいのだと――。
「あの、べつにあたしは」
「いいっていいって。誰にも言わないから心配しなくていいよ。」
(「誰にも言わないから」って!)
絶対に誤解してる! これはチカちゃんのための計画なのに!
「いや、違うんだよ。あたしはチカちゃんが行くから」
「うんうん、そうだよね」
ミアの表情は変わらず、勘違いを修正してくれた様子は無い。梅雨のむしむしする空気の中でますます顔が熱くなって、汗が噴き出してくる。
「ミア、ほんとに、あ……」
廊下の向こうに水澤くんが見えた。朝練が終わったのだ。
(どうしよう?!)
水澤くんはいつも後ろの入り口から入る。ということは、ここを通る。このままここにいて、ミアが水澤くんに何か言ったら困る! すっごく気まずいよ!
(あ〜、もういいや!)
勘違いされたままでも、本人の前で恥ずかしい思いをするよりましだ!
「ミア、そろそろ教室に」
「あ、水澤来たじゃん」
(見つけちゃった!)
顔を合わせずに教室に入ろうと思ったのに!
(どうかミアが変なこと言いませんように!)
もう祈るしかない。
水澤くんもわたしたちに気付いて、こちらに笑顔を向けた。
こうなったら覚悟を決めて開き直ろう。水澤くんはわたしがミアといる理由を知っているのだから、ミアが勘違いしていることに気付かなければ問題は無い。
背すじを伸ばして顔を上げて。
「おはよう」
(よしっ)
完璧なあいさつだ。これならミアだって冷やかす隙など無いはずだ。
水澤くんが笑顔で「おはよう」と返してくれた。やっぱり直接聞く声の方がいいな。少しだけ照れくさそうに見えるのは、秘密の計画を共有しているからかも。計画が上手く運んでいることが雰囲気で伝……わったかな?
「水澤〜。あたしも応援に行くからね」
「え? 何のこと?」
水澤くんが不思議そうにミアに尋ねた。
(す、すごい!)
表情が自然過ぎ! そして。
(んー……)
この角度、ちょっと好きかも。左斜め下から見た感じが。こっちを見ていないときの方が落ち着いて見ていられるし……。
「剣道の試合なんでしょ? 今月の、ええと?」
ミアがわたしを見たので、急いで「29日」と答える。
「ああ……、野上から聞いた?」
今度はわたしに笑顔が向けられた。目が合ってドキッとしたけれど、ここは気を引き締めて、平常心で答えなくては!
「うん。団体戦のメンバーに選ばれたんでしょ? おめでとう」
「あー…、ありがとう」
照れくさそうに笑う水澤くん。こんな顔を見られるなんて、朝から縁起がいいよ!
「チカちゃんが一緒に応援に行こうって言ってくれたから、ミアも誘ったの。いいよね?」
「もちろん! ただ、行儀良くしてくれないと困るけど」
水澤くんが意味ありげにミアを見ると、ミアは軽蔑するような表情で応じた。
「あたしの行動を心配する前に、集中力を磨いた方がいいよ。客席が気になって負けたりしたらカッコ悪いもんね」
「そんな心配、いらねーよ」
「智菜がミニスカートで行っても?」
「は?」
「ミア!」
まったく、何を言いだすのか。怒るよりも呆れてしまう。
「ミニスカートなんかで行かないよ。持ってないし」
呆れた勢いで恥ずかしさも消えた。教室に向かって歩きはじめると、ミアと水澤くんが後ろでしゃべりながらついて来る。二人の気楽なやり取りを聞いていたら、突然、気分が落ち込んだ。
(なんか……、水澤くん、やっぱりあたしなんかどうでもいいんだね……)
わたしと仲良くするのはチカちゃんのため。そうなのだ。それはちゃんと分かってる。分かってるけど……。
小さくため息をついてしまった。一番後ろの自分の席の椅子を引き、座るために向きを変える――と。
(あ……)
前を通り過ぎる水澤くんがちらりとこっちを見た。それからニヤッと微笑み、小さくうなずく。
(う……)
顔の筋肉を固定したまま着席。机からペンケースを出すふりをして下を向く。その途端、唇が歪んだ。
(う、嬉しい)
水澤くんから目配せされちゃった。みんなから見えないように、こっそり。
(ダメだ。顔が)
ニヤニヤ笑いが抑え切れない。ペンケースを探すふりも限界かな。前髪とメガネが少しは表情を隠す役に立っていると信じたい。
(ふう)
そっと深呼吸をして、机の上にペンケースを置いた。ちょうど先生が入って来て、目と気持ちを向ける対象ができてほっとした。
(だけど……)
さっきの水澤くんの様子が忘れられない。目の前を通り過ぎながらこっちを見て……。
(う…、ふふふふふ)
やっぱり嬉しい。
今ので今日一日、いいえ、これから一週間くらいは楽しく過ごせる気がする!




