26 ◇◇ 智菜:新しい生徒会
定期テストから2日後に生徒総会が無事に終了し、その翌日から生徒会は新体制に入った。
総会の後始末や引き継ぎに来てくれていた3年生の先輩たちがいなくなったのはそれから一週間後。新メンバーだけで集まった生徒会室はなんとも淋しかったけれど、二年目の自分がしっかりしなくては、と思った。新生徒会長のチカちゃんのためにも。特技や才能が無くても、わたしが役に立てることがあるはずだ。
けれど……。
それからたった3日で不安に襲われている。これから一年間、大丈夫だろうかと。
(ふぅ……)
普通の大きさの教室を背の高いキャビネットを並べて前後に区切った生徒会室。書庫として使っている後ろ側のスペースで、備品の整理と確認をしながらそっとため息をついた。
不安の原因は仕事ではない。会長のチカちゃんを信頼しているし、副会長としての覚悟は変わらない。一緒に副会長をやる1年生の後藤勇也くんも、少し真面目過ぎるけれど頼りになりそう。
問題は仕事ではなくて……人間関係。それがプレッシャーになっている。
はっきり言ってしまおう。わたしの跡を引き継いで書記の一人になった2年生の志堂梨杏さん。彼女のことが少し……怖いのだ。
外見は……綺麗なひとだ。軽いクセのある髪に縁どられた卵形の顔に、長いまつげの大きな目が印象的。落ち着いた微笑を絶やさず、人当たりが良く頭の回転が速い。立候補の時点で聞いていたとおりパソコンの扱いにも慣れていて、生徒総会の議事録作りは滞りなく終わった。間違いなく生徒会向きのひとだと思う。でも……。
なぜか警戒心が解けない。いいえ、解けないどころか高まっている。
志堂さんはいつも笑顔だし、大きな声を出すことも、乱暴な言葉を使うことも無い。「ねえ、智菜?」と話しかける雰囲気はとてもフレンドリー。けれど、彼女と話していると、違和感や居心地の悪さをたびたび感じてしまう。
例えば書記の仕事の説明のとき。会話のわずかなタイミングとか、ほんの一言の相槌とかにドキッとする。そして、何か謝らなくちゃいけないような気分になる。彼女がイライラしているような気がして、自分の能力の低さが悲しくなる。
そんなとき、わたしの心は鎧をまとう。動揺したことを悟られないように。この数日でその回数が増えて、今日は生徒会室に入る瞬間にスイッチが入るほどになってしまった。今は誰にも見られていないから平気だけど。
(あたしの問題なんだよね、きっと……)
みんな彼女と仲良くしている。今も、キャビネットの向こう側では楽しそうな話し声。新しいメンバーがそろって十日、新しい人間関係が出来上がって来ているのだ。
なのに、それに不安を感じているわたしは……。
(前は居心地良かったんだけどな……)
もともと人見知りではある。けれど今回は、それよりも劣等感のせいだと思う。何でもソツなくこなす志堂さんに勝手に劣等感を抱いて、勝手に委縮している。彼女は何も悪くない。
(でも……)
書記の仕事をわたしを飛び越えてチカちゃんに訊きに行ったりされると……。
(いや、違う)
悪い方に考えちゃダメ。あれはきっと偶然だ。志堂さんはただチカちゃんが目に入ったからそっちに行ったに違いない。べつにわたしを信用してないという意味じゃない。そんな小さなこと、気にするのはやめないと。
(でも……)
やめようと思っても気持ちは下降気味で。
(ミアのことが影響してるかな……)
またため息。
ミアは生徒会室に来なくなってしまった。志堂さんと初めて顔を合わせた日、すぐに帰ってそれっきり。翌日、もう生徒会には行かないと宣言され、その切り捨てるような言い方に驚いたわたしに「あたし、あいつ嫌い」と志堂さんを名指ししたのだ。
ミアが来なくなることはショックで、その原因になった志堂さん――しかも、ミアが「嫌い」と宣言した――をわたしが受け入れ難く感じてしまうのは仕方がない気がする。
(でも、こんなこと、チカちゃんには言えないし……)
わたしも今は、チカちゃんはミアに想いを寄せていると確信している。それだけじゃなく、新しい仕事とメンバーに、わたしよりも大きなプレッシャーと責任を感じているはずのチカちゃんにとって、元気なミアがどんなに慰めになることか。
だから、もう来ないとは言えないでいる。
それに、わたしの不安も話せない。余計な心配をさせたくないし、生徒会の仲間に対してマイナスの先入観を持たせたくないから。
まあ、生徒会は少人数だから好き嫌いなんて言っていられない。だからわたしも良い感情を持ちたいのだけど……。
「智菜? 何してるの?」
「わ」
びくっとしてしまった。声の方を見ると、キャビネットの端から志堂さんが顔を出している。窓側に前後を行き来できるスペースがあるのだ。
「あ、……備品の整理とチェック」
鎧の装着完了。ちゃんと笑顔で答えられた。気持ちを隠すのはわたしにとってはもう慣れっこで簡単なことだ。
「先輩から、最初にやっておくといいよって言われてて」
「ふうん」
志堂さんが近付いてきて、わたしの手元のメモとキャビネットの中身を見比べる。
「いろんなものがあるんだね。手伝おっか?」
「ああ…ありがとう。でも大丈夫。あとここだけなんだ」
「そうなの? もっと早く気付けば良かったね。ごめんね」
「そんなことないよ」
(いい人なんだよね……)
親し気な笑顔を見ながら思う。
それなのに警戒しちゃうって何だろう? 自分が情けない。なんて心が狭いんだろう。
「先輩から言われたの、あたしだし。志堂さんだっていろいろ」
「やだ、智菜!」
言葉を遮られて、思わず身構えた。
「『梨杏』でいいって言ってるのに」
「あ……」
そうだった。
下の名前でいいよって、初日から何度か言われてる。でも、まだ完璧じゃなくて、つい名字が出てしまう。遠慮……かな、たぶん。
「ごめん。そうだったよね。つい……、ごめんね」
「も〜。あたしが『智菜』って呼んでるのに智菜は名字に「さん」付けなんて、まるであたしが威張ってるみたいに見えちゃうよ」
「そ、そうかな、ごめん」
「智菜が遠慮してるせいで、野上くんも佐久間くんも名字でしか呼んでくれないんだよ? これじゃあ、いつまでも仲良くなれないよ」
「ああ……、そうか」
(それ、あたしのせいなの……?)
困ってしまうのはこういうときだ。わたしが悪いと決めつけられているようで。
チカちゃんが名字で呼ぶのはチカちゃん自身の判断だと思う。だって、ミアのことは最初から「ミアちゃん」って呼んでいたもの。それに、一緒に2年目をやる会計の佐久間くんがわたしを呼ぶ「サカチ」は、「小坂智菜」が佐久間くんの中で自然に変形したもの。最初は名字で呼ばれていたのだ。
でも、そんな反論をしたらもっと何か言われそうで、怖くて言えない。ここはとにかく謝って切り抜けたい。
「ごめんね。ほら、選挙のポスターとか書類で、梨杏の名前、文字でばっかり見てたから。名字の方が頭に残っちゃって」
「ああ…、まあ、知り合いじゃなかったしね」
「うん。でも、これからはちゃんと呼ぶよ。ね、梨杏?」
志堂さん……梨杏がやっとにっこりした。納得してくれたみたい。
「お願いね! じゃあ、何か手伝えることがあったら遠慮なく言ってね。生徒会の仲間なんだから」
「うん、そうする。ありがとう」
打ち合わせスペースに戻っていく彼女を見送ってほっとした。そして、ふと気付いた。
(あたし、芽衣理と秋恵ちゃんのことは呼んでるのに)
明らかな敵対心を見せる彼女たちに話しかけることなど年に数回だろう。でも、頭の中でも彼女たちのことは「芽衣理」「秋恵ちゃん」と呼ぶ。最近は深見さんのことも「マーヤ」と呼べるようになったし……。
(芽衣理や秋恵ちゃんも怖いんだけどな……)
あからさまに嫌な目付きをされたり、嫌味を言われたりしてきた。そのたびに悲しい気分になった。立ち向かう勇気が無い自分のことも。
(でも……)
芽衣理たちも怖いけど、志堂さんに感じる怖さとはちょっと違うんだよね……。
(違う。志堂さんじゃないよ。梨杏。梨杏梨杏梨杏……)
頑張って慣れよう。また指摘されたら嫌だから。
「ミアちゃん、最近来ないね」
帰りの電車の中でチカちゃんが言った。
新メンバーでは椿ケ丘から下り方面に乗るのはわたしたちだけ。駅で下りホームに降りながらほっとする自分にちょっぴり罪悪感を覚えている日々だ。そこに持ち出されたミアの話題に、胸のあたりが軽くつかえた。
「ん…、生徒総会が終わって、忙しさもひと段落したみたいって言ってたよ」
これはウソじゃない。本当にミアが言った言葉だ。2番目の理由として。
「ああ……、そうだよなあ……」
チカちゃんがぼんやりと言った。
「忙しいから手伝いに来てくれてたんだよなあ……」
「あたしも、ミアが来てくれないと淋しいよ」
チカちゃんがうなずいて、視線を窓の外へ移す。そしてため息をついた。
(そうか……)
クラスが違うチカちゃんは、ミアとの接点は生徒会しか無かったんだ。廊下ですれ違うことはあっても、ミアは自分から積極的に誰かと関わるタイプじゃないし……。
(あの話……)
水澤くんからの提案。チカちゃんとミアを近づけるために何かしようって。
話を聞いたときにはOKできなくて、そのままになっている。ミアには誰か気になる人がいると聞いたことを覚えていたから。
(だけど……)
彼氏と彼女にならなくても、友だちとして仲良くするのは構わないはずだ。テストのとき、一緒に帰ったのも楽しかったし。
(協力、か)
チカちゃんには楽しく過ごしてほしいって、心から思ってる。
4人で遊びに行ったりするのも楽しいよね。チカちゃんが一緒なら、うちの親も心配しないだろうし。
(水澤くんも一緒だ……)
遊びに行くだけじゃなくて、話す機会も増えるよね? 考えるとドキドキしてくる。
(いいのかな?)
チカちゃんのためと言いながら、自分が楽しみなんじゃないかな。やりすぎの計画を練って、チカちゃんとミアが険悪になったりしたら本末転倒だ。
(でも)
今のままではチカちゃんが淋しいのは確か。そして、ミアとチカちゃんの間に入れるのは水澤くんとわたし以外に無いのも確か。無理なことを計画しなければ大丈夫……?
(うん、そうだよね)
あの話、水澤くんはまだ覚えてるかな。夜にでもちょっと連絡してみようかな……。




