24 ◇◇ 智菜:水澤くんとの電話
(そろそろかな……)
テスト2日目の午後、最終日のための勉強の手を止めて時計を見た。2時ごろと言っていたから、間もなく電話が来るはずだ。
今朝、水澤くんから連絡先を教えてほしいと言われてとてもびっくりした。2組の前でチカちゃんと別れて、うちのクラスに入る前。
部活休止で朝練も無い水澤くんが同じ電車で登校するようになった初日にこの最後の何メートルかを二人で歩いたときは気が遠くなるほど緊張した。それを隠してやり過ごし、やっと慣れてきたと思ったらこの申し出だったから、想像力がちょっと暴走して、パニックを起こしてしまった。でも。
「野上のことでちょっと……」
少し困ったようにうつむいて、頭を掻きながら水澤くんは言った。
それを聞いた途端、舞い上がっていた自分が恥ずかしくなった。あるわけないのにって。大福にメガネのわたしなんかに。水澤くんが気になるのは、当然、わたしよりもチカちゃんのことだ。
勘違いが恥ずかしくてほっぺたも耳も熱くなったから、水澤くんの視線がこちらに向いていないことに感謝した。急いでスマホを取り出しながら、取り繕おうとペラペラしゃべっている自分がみっともなくて嫌になった。
(テストの日で良かったよね……)
試験中はほかのことなんか考えている余裕が無いもの。顔が熱いのはけっこう長く続いて困ったけれど。
(どんな話だろう?)
水澤くんは何か気付いてるの?
わたしと同じ疑いを持っているのだろうか。それとも違うこと?
この約一週間、登下校に観察していた結果、わたしは自分の推測がかなり高い精度で確かだと思っている。つまり、チカちゃんは水澤くんのことを……まあ、何と言うか、好き……なのだ。一緒にいると嬉しさを隠せないくらいに。
このことに水澤くんも気付いたのだろうか。
(どう答えたらいいんだろう?)
この時間は家にはわたし一人だから、気兼ねなく話せるのが助かる。でも、どんな話の流れになるのか不安だ……。
『ごめんな、勉強中に』
水澤くんの声。好きな声だけど、ちょっと雰囲気が違う。スマホの電話は似ている声を合成してるって聞いたことがあるけれど、これがそうなのかな。
「大丈夫だよ。明日で終わりだし」
水澤くんの連絡先も分かったし……と、心の中で付け加える。だからと言って、これをわたしが使うことは無いだろうけど。……こっそりため息。
『ええと……、ああ、その……』
「チカちゃんのことって言ってたけど……?」
話しにくそうだったから言ってあげた。落ち着いている自分がすごいと思う。自分のことじゃないと思うとこんなに平気だ。
『うん……、あのさあ』
決心した気配。
『野上、ちょっと変じゃない?』
「変?」
訊き返しながら少し警戒。水澤くんはどんな風に感じてる?
『なんか……ときどきぼんやりしてるよね? ここ最近』
「ああ……」
その部分なら大丈夫。
「うん、そうだね。あたしも気が付いた」
『原因とか……分かる? 何か心配事とかあるのかな? 智菜ちゃん、何か聞いてる?』
(そうか……)
心配してくれてるんだ。そんなにチカちゃんのことを思ってくれてるんだね。
わたしのことは?……なんて、やめよう。
「ううん、具体的なことは何も……」
好きなひとがいるとは聞いたけど言えないし、それ以上のことは分からない。わたしが勝手に推測してるだけ。当たっていると思うけど。
『具体的? 具体的じゃなくても何か聞いてるの?』
(しまった!)
言い過ぎちゃった。やっぱり緊張してるのかも。頭がちゃんと働いてない。
「あ……、ええと……」
今度はわたしが言葉に詰まる番。どう言えば水澤くんを納得させられる?
『なんかさあ』
考えていたら、先に水澤くんが話し出してくれた。少し時間が稼げそう。話の流れを見ながら……。
『俺を見てるときもあるような気がして……』
(そこも気付いてたんだ……)
そう。歩いているときや電車の中で、チカちゃんはじっと水澤くんを見ているときがあった。
『ちょっと怖い顔してるんだよな。俺、何かやったかなあ?』
「ああ……、それは違うと思うよ」
怖い顔じゃなくて、拗ねたような顔だった。ミアと水澤くんの会話が弾んでいるのを見ながら。
だとしても、水澤くんは悪くない。……ううん、誰も悪くない。
「淋しいんじゃないかなあ」
これくらいなら言ってもいいはず。冗談として話す分には。ほかの人も言ってるし。
『え? 淋しい?』
「うん。せっかく久しぶりに一緒に帰ってるのに、水澤くんがミアとばっかり話してるみたいで。ふふ」
『何だよ、智菜ちゃんまで』
怒ったような口ぶりだけど、笑っているのが分かる。でも……。
(チカちゃんが、水澤くんとミアの関係を気にしてるのはホントだよ)
チカちゃんに二度も訊かれたし、一緒に帰りながら見ていたもの。こんなこと、言えないけどね。
『俺、そんなに仲里と話してる? 智菜ちゃんにもそう見える?』
「んー、まあ、あたしはクラスでも見てるから……」
『だから?』
「見慣れてるって言うか……」
『見慣れてる?!」
(うわ)
『見慣れてるって、つまり……俺と仲里のこと? よく一緒にいるって?』
「うん。まあ、同じ中学出身だし、一緒に風紀委員やってるし、仲良くても仕方な」
『いや、違うから!』
「へ?」
水澤くんの勢いに、思わず変な声が出てしまった。
『俺と仲里は絶対に仲良くなんかないからね? 誤解しないでくれる? 絶対にそんなことない。あり得ないよ!』
「あ、ええと、そうなの?」
『そうだよ。仲良くなんかなれないよ。あいつ、いつも上から目線で俺のこと馬鹿にするし』
「あ、わ、分かった。分かったよ。分かったから」
こんなにきっぱり否定するとは思わなかった。「あり得ない」なんて。
『ホントに? 間違いなく?』
(まだ言ってる)
なんだか笑ってしまう。でも、……ってことは。
「うん、ホントに。無いのね。分かった。ちゃんと理解した」
『ならいいけど……』
つまり、水澤くんは本当にミアのことは特別には考えたことがないってこと?
(そして……)
ミアも水澤くんのことは特別には思っていないようだった。その結果は……。
ふたりは何でもないってこと。
(確認できちゃった……)
ずっと気になっていたのに。そこそこ覚悟もしていたんだけど、違ったのね。
(あ、違う)
覚悟なんて変だよね。わたしは最初から水澤くんのことはただ憧れていただけで、恋とは――。
『あ! きっとそれだ!』
突然の大きな声!
「な、何?」
『野上だよ。仲里だろ』
「え? 何が?」
『だから、俺を見てた理由』
「あ、ああ……?」
『俺と仲里のことを勘違いしてるんだ』
(まずい)
あれがヒントになっちゃった? どうしよう?
「ええと、それはさっき冗談で言ったんだけど……」
ドキドキする。なんだか冷や汗も出てきた。これって、わたしが秘密を洩らしたことになるの……?
『違うよ。だから仲里だってば』
「ミア……?」
『そう。野上はヤキモチ焼いてるんだ』
「ヤキモチ……」
本当に気付いたみたい。わたしがあんなことを言ったから……。
『そうだよ。あの目つきはヤキモチのせいだ。それであんなに険しい顔で見てたんだよ』
「険しい顔なんかしてたかなあ……?」
なんとか誤魔化せないだろうか。わたしのせいで、水澤くんとチカちゃんの関係が悪くなったりしたら……。
『してたよ! いやー、もっと早く気付くべきだったなあ。前に言われたことあったんだよなあ』
「い、言われたの? チカちゃんから?」
『うん……、まあ、今になればそういう意味だったんだなあって感じ? かなり遠回しな言い方だったから』
(言ってたんだ……)
遠回しにでも同性に告白するなんて、すごく勇気が要るよね。そのときは水澤くんは気が付かなかったのか。だからチカちゃんはもう少し様子を見るつもりだったのかも……。
「それで……、水澤くんはどうするの?」
『もちろん、協力するに決まってんだろ?』
「え、協力?」
鼓動が一気に二倍くらいになった。こんなに簡単に答えを聞いちゃっていいの……?
「あの、それは水澤くんも……」
こんなデリケートな話、訊きづらいけど、これからのことを考えたら確認しないと。
「その……同じ気持ちってこと?」
『はあ?』
「え、あの、何て言うか、ええと」
はっきり言わないとダメ? 恥ずかしいんだけど。
「み、水澤くんも、チカちゃんのこと……」
(ええい、言ってしまえ!)
「好きなの?」
何秒か、スマホからは何も聞こえなかった。それから。
『プッ、あはっ、あははははははは!』
すごい笑い声が聞こえてきた。しかも、なかなか止まない。
『ち、智菜ちゃん、違うよ。そうじゃなくて、フッ、ふははははは…』
訳が分からなくてぼんやりしていた耳に、笑いをどうにか抑えた水澤くんの声が届いたのはかなり経ってから。
『俺じゃなくって、仲里だよ』
「え……?」
『野上が好きなのは、たぶん仲里だと思うよ』
「あ」
(そうか!)
言われてみれば、部活紹介の日にミアを誘ったのはチカちゃんだ。あの日が初対面だったのに、わたしがカバンを取りに戻っている間に仲良くなっていて驚いたっけ。
(そうだ……)
ただ、あれからミアとチカちゃんが二人で話しているところは見た記憶が無い。生徒会では応援のミアに何かをお願いするのは主にわたしだし、一緒に帰るときもチカちゃんはミアとはわたしの友だちとしての距離を保っている。
でも、水澤くんが相手だと考えるよりも、ミアの方が可能性が高いかも知れない。
(でも……)
本当のところは分からない。あくまでも推測に過ぎないのだから。
ミアと水澤くんの関係だって、思っていたのとは違っていた。水澤くんの推測も、正解だとは限らない。




