22 ◇◇ 智菜:チカちゃんと水澤くん?
「じゃあ、明日。野上にも言っといて」
「うん。部活、頑張ってね」
わたしの言葉に笑顔でうなずいて、水澤くんは教室から出て行った。
「水澤って能天気だね」
ミアのつぶやきに思わず吹き出してしまった。ミアはそれにつられること無く、呆れた様子で続ける。
「風間のこと、他人事だと思ってるんだから。自分だったかも知れないなんて、まったく考えてないでしょ」
「それはそうだけど、選ばれた人たちも考えてなかったと思うよ」
さっきのLHRで発表された九重祭の劇のキャスト。女子は事前に打診――と言うか、ほぼ命令――されていたけれど、男子は内容も知らされていなかった。だから主役に選ばれた3人はとても驚いていた。
(あたしは風間くんに決まってほっとしたよ……)
先週、夢佳たちから主役の最後の一人は風間くんに決めたと聞いた。決め手は水澤くんよりも風間くんの方が舞台で映えそうだから。要するに、顔だ。
選定理由については今一つ引っかかるものがある。けれど、水澤くんに決まった場合に自分がやらなくてはならなかった役割を考えると、今回の決定に反論するつもりは無い。
「風間くん、結局は引き受けたね。最初は本気で怒ってたみたいだったけど」
あのときはどうしようかと思ってしまった。隣の席だし、最近はよく話すようになっていたのに、主役に選ばれていることを黙っていて、きっとノエちゃんとわたしにも腹を立てているに違いないと思って。
「そりゃそうでしょ。あたしは引き受けるってわかってたよ」
「え、そうなの?」
「まあ、それなりに。智菜はわからない?」
「秘策があるとは聞いてたけど……」
確かにあのとき、那絵ちゃんが風間くんに何か言っていた。それが「秘策」だったのだろうけど、内容はわからない。
「何か取引でもしたのかなあ?」
するとミアがちょっと笑った。
「取引ってほどじゃないけど、出た方が得だと思ったんだよ、きっと」
「ふうん」
何だろう? でも、個人的なことならあんまり詮索したら悪いよね。
「でも、マーヤは意外だったね」
最近、「マーヤ」というニックネームを迷わず言えるようになった。深見さん――深見麻耶さんのことだ。球技大会から約一か月、どうやら敵意は抱かれていないと思えるようになって。
「三人一緒じゃなくちゃ嫌なのかと思ったのに」
マーヤはミアと同じ衣装担当になった。夢佳たちが考えていた少女アイドルユニットの一人にはならなかったのだ。夢佳たちの話では、アイドルは2人いれば足りるらしい。いつも一緒にいる芽衣理と秋恵ちゃんとは別行動をとるということに少し驚いた。
カバンをよいしょと肩に掛け、ミアと一緒に歩き出す。今日もミアは生徒会の仕事を手伝いに来てくれるのだ。
「あたしは納得だな。チャラチャラ舞台に出るよりも、衣装を考える方が断然楽しいもん」
ミアがきっぱりと言い切る。
「アイドルの衣装を考えるチャンスなんて滅多に無いんだから。しかも、男女二組だよ? 色とかデザインとか、もう……本当に楽しみ!」
嬉しそうなミアは見ているだけでも嬉しい。あまり親しくはない深見さんと一緒に仕事をすることを気にしていないところもさすがだ。
「あたしも楽しみになってきた。でも、予算に限界があるけど、どう?」
「そこが逆にいいんだよ。制限がある中でどこまでできるか」
「前向き! ミアらしいね」
やりたいことに向かって迷わない。そこが素敵。
(そう言えば……)
ミアの好きなひとって誰なんだろう?
きのう、チカちゃんの話を聞いたせいか、ミアのことも思い出した。あれからこの話はしていないけど、少しは前進したのだろうか。
(みんな恋をしてるんだなあ……)
わたしは……恋じゃないもんね!
「智菜ちゃん! ミアちゃん!」
東棟の階段の手前でチカちゃんが追い付いてきた。生徒会室はこの階段を下りた2階にある。
「今日も来てくれるの?」
階段を下りながら、チカちゃんがミアに尋ねた。
「うん。特に用事無いし、生徒会に行けば、あたしでも役に立てるしね」
「ミアは仕事が速いから、どこに行っても歓迎されるよ。ね、チカちゃん?」
「うん。特に今日は有り難いよ。明日から試験前の活動休止に入るから、なるべくたくさん仕上げたいし」
「あ、そうだ」
明日の話で思い出した。
「あのね、水澤くんが、部活休み中は一緒に帰ろうって」
「おお、やった!」
チカちゃんが嬉しそうな顔をする。
「ここのところ、帰りにちっとも会わなかったよなあ。同じくらいの時間まで学校にいるはずなのに」
「朝も会わなかったもんね?」
「うん。剣道部、朝練はどうなのかなあ? テストまでは朝も会えるかなあ?」
そわそわしているチカちゃんは、まるでデートの話をしているみたい。確かにここのところずっと一緒にならなかったけど。
「チカちゃんって、そんなに水澤のことが好きなんだ?」
ミアが指摘すると、チカちゃんがギョッとしたように見返した。そして。
(え……)
ワイシャツから見えている首と耳が見る間に真っ赤に。こんなチカちゃんの反応は初めてだ。
「あ、そうなんだよ」
めずらしく何も言えないチカちゃんの代わりに返事をしてあげる。
「チカちゃんだけじゃなくて、相思相愛なの。剣道部の間ではよく知られてるんだよ」
わざと秘密めかして言うと、ミアは「ああ、そうだったんだ?」とチカちゃんを振り返った。
「あたし、性別がどうのとか気にしないタイプだから、隠さなくていいよ」
そんな落ち着いた反応にチカちゃんがあわてた。
「あのさあ、それ、冗談だからね?」
念を押すように言う頬がまだ赤い。
「あ、そうなの?」
ミアの無邪気な表情――もちろん、わざとだ――にチカちゃんが言葉に詰まった。まるで嘘を見破られたみたいに。
(え、まさか……)
その弱気な一瞬の表情に、ふと、ある仮定が浮かんだ。けれど、それは軽々しく口に出すべきことではなくて……。
「な、何でもないってことは、智菜ちゃんが証明してくれるよ。ねえ、智菜ちゃん?」
「うん……。登下校のときは、イチャイチャしてたりっていうのは無かったよ」
「それは智菜が一緒にいるからでしょ? ふたりきりのときは分からないよ。ね?」
「あはは、確かに」
同調して笑ってみせたけど、浮かんだ考えが消えない。胸もドキドキしてきたし。チカちゃんの様子を窺うと、なんだか難しい顔をしている。
(もしも……。もしも、そうだったら?)
あり得ない話じゃない。思い出してみると、初日からその兆候はあった気がする。初対面なのにあっという間に仲良くなっていて……。
(だから、ふたりの関係をあんなに気にして……?)
今まであんなこと無かったのにって思った。その違和感はチカちゃんの中に今までと違う気持ちが芽生えたから?
(水澤くんに……?)
考え出したら間違いない気がしてきた。
チカちゃんが、誰に告白されても全部断ってきたこと。どんなに可愛い女の子にも興味を示さなかったこと。そして、きのうはあんなにわたしと一緒に帰ることにこだわった。それは他の子からのアプローチをブロックするためかも知れない。もちろん、わたしを守ってくれてる気持ちも疑っていないけど……。
(あたし……お邪魔?)
「水澤とチカちゃんか。2人並んだところは見たこと無かったなあ」
聞こえたミアの声にハッとした。思わず、それに縋りつくような気持ちで口が動いた。
「あ、じゃあ良かったら、ミアも一緒に帰らない?」
(あ! ダメだったかも!)
…と思ってももう遅い。水澤くんと仲良しのミアがいたら、チカちゃんが水澤くんとじっくり話せないのに。
「わざわざ水澤と帰るの? そんなのめんどくさい」
(おお!)
断ってくれた! 誘っておいて申し訳ないけどほっとする。
「めんどくさいって……、同じ方向に帰るだけなのに」
安堵の気持ちを呆れた表情で隠す。わたしとしてはミアも一緒に帰りたいのだけど。
(でも……)
今の様子だと、ミアの想う相手は本当に水澤くんではないみたい。それはそれで嬉しい事実で……。
(いやいや、あたしは憧れてるだけだし)
水澤くんが誰とくっついても、幸せになるなら応援するんだから。相手がチカちゃんでも。
「無理にとは言わないけど、良かったら、たまにはどこかに寄ってもいいし」
チカちゃんの言葉に「へえ」と思った。水澤くんとミアの仲を心配していたのに誘うなんて。
水澤くんを独り占めできなくてもいいのかな? それとも、チカちゃんはそんな風に心の狭いことは言わないのかな。でなければ、やっぱりカモフラージュ? 誰かが一緒なら知られずに済むって……?
「ん~、そうだなあ」
ミアは言葉を濁すだけ。
「まあ、気が向いたらね」
(だよね……)
誰に言われても、やりたくないことはやらない、それこそがミアだ。興味が無いことはばっさり切り捨てる。その潔さがわたしを惹きつける。
(ああ、だけど……)
こうなると、明日からしばらくは水澤くんも一緒に3人の登下校だ。今までだって何度もあったし、さっきまでは楽しみだった。でも今は。
(大丈夫だろうか)
チカちゃんが水澤くんを好きなのだとしたら。わたしが邪魔者だとしたら。
(あ、でも、そうだ)
よく考えたら、今まで3人のときは、わたしは基本的に聞き役だった。これからだって、きっと同じだ。たいして邪魔になんかならない。
(うん、そうだよね)
それよりも。
チカちゃんには幸せになってほしい。だから、この件については慎重にならなくちゃ。早とちりで変なことになっても困るものね。
まずは落ち着こう。それから、できる範囲で確認しよう。
(よし)
明日からの登下校、チカちゃんの様子をしっかり見ていよう。そして、水澤くんの様子も。




