19 同級生たち
第三章「6月」です。
6月に入った日、俺は朝から覚悟を決めて登校した。
その覚悟が漏れ出したらしく、剣道部の朝練では先輩たちから「今日は動きにキレがあるな!」と褒められた。それでさらに気持ちに勢いがついた状態で教室に着いたので、ちなちゃんにいつもよりもはきはきとあいさつができた。
(よし!)
この勢いを保つため、1時間目は弱気な考えを一切しないという決意をしている。そのためには授業に集中するのが一番だけど、国語の先生はぼそぼそと声が小さいのが難点だ。
いつの間にか先生をただぼんやり眺めているだけになり、すると、ふと今日の計画を思い出し、それが失敗する可能性が浮かんでくる。慌ててそれを追い払うけれど、気を抜くとまた同じことの繰り返しだ。
たいへんつらい1時間目を過ごし、終了のチャイムで再び気持ちを引き戻した。
(ちなちゃん、待っててくれ!)
急いで次の授業の用意をする。
次の授業は音楽。つまり、音楽室に移動。同じ目的地に同じルートを通って行くのだから、一緒に歩いたって何も不思議はない。
(宮田や風間もいるけど、ちなちゃんもたぶん誰かと一緒だし)
宮田と風間が同行の誰かと話が弾んでくれればちょうどいい。
(俺にチャンスがまわってくるってわけだ!)
思わずゆるむ口許を引き締め、真面目な顔を準備。斜め後ろに仲里がいるのはわかっているので、それを飛び越して一気にちなちゃんを見るつもりで立ち上がり、振り向く……と。
(え? うそ)
俺の目が捉えたのは、風間と並んで歩き出したちなちゃん。
(え? 行っちゃうの?)
風間が言った何かにくすくすと楽しそうに笑った。白い夏用のセーラー服にメガネの赤いフレームが軽やかに映える。教科書とリコーダーを持った二人が立ち止まって北井を待ち、そこに仲里も合流したところで廊下へと出て行った。
「水澤、お待たせ」
「お、おう」
べつに宮田を待っていたわけじゃなかったのだけど、この状況では話を合わせておくしかない。
「あれ? 風間は?」
「ああ……、もう行っちゃった」
「女子と一緒に!」……と、付け加えたい。
「ふうん。トイレかな?」
「かもな」
(そうかも知れない!)
音楽室は同じ階の東棟の奥にある。教室を出てすぐ後ろの角を曲がるとまっすぐに廊下が伸びている。うちのクラスの生徒がパラパラと歩くその中に、女子3人と一緒の風間の後ろ姿が見えた。
(やっぱり一緒だ)
宮田と話しながら、ずっと気になってしまう。
(いつの間に? 何がきっかけで?)
もちろん、席が近いのは知っている。朝、あいさつくらいは交わしていたのも知っている。ときどき話していたのも知っている。
だけど、風間が俺たち男友達を置いて一人でちなちゃんと行動するなんて、それは聞いてない!
「お、風間」
宮田が、俺が何を見ているのか気付いたようだ。
「なんだー。あいつ、本腰入れ出したのか」
「あれって、そういう意味?」
なんとなくむっつりした言い方になってしまう。
「うん、たぶんな」
「俺、全然知らなかったよ」
「俺だってはっきりとは言われてないよ。ただ、球技大会で見直したって、やたらと熱心に褒めてたから、もしかしたら…とは思ってたけど」
「ふうん」
同じ野球部だけあって、宮田の方が情報をつかんでいる。……となると、俺は風間と競わなくちゃならないってことだ。
「うちの部員でも5、6人いるんだよ、球技大会の雄姿にハートをわしづかみにされたってヤツ」
「え? そんなに?」
「ほら、見た感じスポーツは苦手そうなのに、あの頑張りはすごいってさ」
「ああ、確かに」
だとしても、そんなに何人も心を動かされていたなんて。
「中には去年の同級生もいるし、うちのクラスでも何人か動き始めてるし――」
「え、そうなのか?!」
全然気付かなかった!
「何だよ、お前、気付いてないの? 話しかけてる男、けっこういるだろ?」
「いや。知らなかった」
「マジで? 俺なんか、この前、通りがかりに聞いちゃったよ」
小声になってささやいてきた宮田に思わず周囲を見回してから立ち止まり、顔を寄せる。
「何を?」
「廊下で、試合の応援に来てほしいって誘ってた」
「うぇ」
かなり積極的だ。でも、直接交渉に出るくらい想いが強いってことだ。
「速攻で断られてたみたいだけどな」
「そ、そうなんだ……」
「まあ、いきなり試合の応援って言われてもなあ? 誘う順番があるよなあ?」
「うーん……、まあ……」
そんな気はするけど、じゃあ、どうやってお近付きになればいいのかと訊かれても、具体的には浮かんでこない。
(いや、そこじゃなくて!)
再び歩き始めてからも宮田の話が頭から離れない。ちなちゃんを狙ってるヤツがそんなにいるなんて。しかも、すでに動き始めているのは風間だけじゃないというのだから。
「お、ほら、見ろよ」
音楽室の手前で立ち止まった宮田が小さく指を差した。開いている戸口から斜めに中が見える。
音楽室での席は教室と違う。出席番号順に座っても、机の並びが違うから。
(ちなちゃん……)
教室の真ん中あたりにいる彼女は左隣の仲里と話している。すぐそばに立っているもう2人の女子と楽しそうに。
「な? 競争率高そうだろ?」
「……どこが? 女子ばっかだけど……?」
後ろにいる男子は後ろを向いている。
「は? お前、どこ見てんの?」
「え? ちなちゃん」
「はあ? ちげーよ、風間を見ろって言ってんだよ」
(え? 風間?)
見直すと、少し手前に風間がいた。椅子に横向きに座り、話している相手は後ろの――北井だ。
(ん? 北井?)
「な?」
「あ、ああ」
まだ疑問が解けないままうなずいてさらに確認すると、ほかに3人の男が一緒に会話中だと見て取れた。
(もしかして……)
風間の相手は北井なのか?
「な?」
「うん」
(そうか……)
確かに球技大会でうちのソフトボールが3位に入ったのは北井の頑張りのお陰だった。その北井を風間は練習から見守って来たのだ。
(なるほど。そりゃそうだ)
風間が彼女に惹かれる気持ちはよくわかる。そして、3位決定戦は観客もたくさんいた。彼女の頑張る姿を見た生徒もたくさんいたのだ。
「なんだ。じゃあ、あれは……」
「あれって?」
「何人も狙ってるって」
「だから北井だよ」
(なんだー……)
ため息と一緒に力が抜けた。
俺は毎日、けっこうな回数、ちなちゃんを見ている。なのに、クラスの男が近付いていることに気付かなかったなんて、変だと思ったのだ。
「だから言っただろ? 『球技大会の雄姿が』って」
「う、いや、そうだけど」
ちなちゃんだって頑張ってたし……、まあ、バレーの試合では全員が頑張ってたけど。でも、ちなちゃんは本当にすごかったんだ!
廊下でこそこそ言い合ってる俺たちを、クラスメイト達がくすくす笑いながら通り過ぎて行く。俺たちも話がひと段落したので音楽室に入ることにした。ここでも俺と宮田は前後に並んだ席だ。
「なあなあ、水澤」
机の隙間を縫いながら振り返った宮田がニヤニヤしている。
「お前、小坂のこと何とも思ってないって言ってたじゃん」
「え……?」
とぼけようと思ったけど、宮田は追及の手を緩めない。
「なのに何だよ? やっぱ好きなんじゃん」
「ばっ、いやっ、何っ…ってんだよ?」
否定しながら顔が熱くなるのがわかった。周りに気付かれたくないけど……。
「隠すなよ。メッチャわかるし」
「やめろよ、声でけえよ」
歩きながら宮田の背中を音楽の教科書でたたいた。でも、宮田は止まらない。
「いいじゃん、名前言わないから」
「いや、でも……違うかも? 違うかもよ?」
「何だ、その変な否定の仕方は」
「だって……、だって、違うかも知れないじゃないか。俺、認めてないからな」
「何だそりゃ? 小学生かよ」
「だって俺、そんなこと一言も言ってないもん」
どんなに顔が熱くなったって、本人がいる教室でこんな話、絶対に「そうだよ」なんて言えるわけがないから!




