16 放課後の決意
「はあ……」
何度目かのため息がもれた。
(俺はいったい何をやってるんだ……)
放課後の教室。今日は風紀委員会の仕事で残っている。帰りのHRでとった校則に関するアンケートを集計しているのだ。俺の斜め後ろで仲里も作業中だ。
教室にはほかに女子が二人、窓のそばにいるだけで、あとは部活やプライベートへと散っていった。ちなちゃんも当然、いない。
窓の外には灰色の低い雲。晴天が続いたあとの久しぶりの雨になりそうだ。その重たそうな雲に親近感を覚えるくらい、俺の心の中も暗くて重苦しい。
「はあ……」
またため息だ。
(だって、思っていたのと全然違うもんなー……)
最近のちなちゃんを思い浮かべる。毎朝、言葉を交わすとき。それから……。それから……。
(離れて見てるだけだよな……)
そう。そうなのだ。今でもあいさつ以外、接点がない。何も進展しないまま、もう明日から6月だ。
5月は生徒会の選挙があって、ちなちゃんの邪魔をしたら悪いと思っていた。でも、選挙が無事に終わっても、あらたまって考えると話題が浮かばない。話が続かなくてつまらない男だと思われるリスクを考えると、最初から話しかけない方がマシだと自分に言い訳して何日も過ぎてしまった。
(同じ教室で何時間も一緒に過ごすのになあ……)
一日一回しか言葉を交わせないなんて、愚図にもほどがある。朝のあいさつなんて、仲良くなくてもするものなのに。
「はあ……」
(去年は野上がいてくれたからなあ……)
電車の中で、ちなちゃんはいつも俺と野上のやり取りを楽しそうに見ていた。くだらない話ばかりでも、馬鹿にしたりはしなかった。話を振れば素直に答えてくれた。
今だって朝は嫌な顔はされない。嫌な顔どころか、いつも笑顔で応えてくれる。だから、思い切って話しかければいいんじゃないかと思うけど、でも話題が……。
「は」
「うるさいよ」
後ろからビシッと声が飛んできた。出かかったため息を飲み込んで振り向くと、仲里が不機嫌な顔でこっちを見ている。
「さっきからこれ見よがしにため息ばっかりついちゃってさあ。そんなにやりたくないならやらなくていいよ。鬱陶しいからどっか行っちゃって」
「……ごめん」
目付きも言葉も相変わらず攻撃的だ。でも、鬱陶しいのは当然だと思うから素直にあやまるしかない。
「べつに仕事が嫌なわけじゃないんだ。ちゃんとやるから」
仲里は「ならいいけど」と言って作業に戻った。彼女は女子の回答を集計中だ。すぐに作業に集中していく仲里に、何か新鮮な驚きを感じた。
「なに?」
「あ、いや……」
ぼんやり見ていたのが気に入らなかったらしい。すぐににらむのは相変わらずだ。
「あー…、仲里って、いつも迷いが無いなあと思って」
「なにそれ?」
「何て言うか……、まっすぐに突き進んでいく感じ? そういうの、感心するって言うか」
言いながら椅子に座りなおす。横向きになって、椅子の背に腕を乗せて。仲里は持っていたアンケート用紙を置くと、背筋を伸ばして両手の指を組んだ。
「べつに迷わないわけじゃない。ただ、自分がどうしたいのかを考えてるだけ」
伸びた背筋と同じに、見返す視線も言葉もまっすぐだ。黒髪のショートカットでその凛々しさが際立つ。
「つまり、いつもやりたいことをやってるってわけ?」
「そう」
「風紀委員も?」
「風紀委員?」
彼女はフッと笑ってから答えた。
「そうだよ」
微笑みがそのまま残った顔はどこか挑戦的。俺も思わずニヤリとする。
「風紀委員をやりたかったのか? 仲里が? それは信じられないな」
「ははっ、まあ、そうだよね」
窓際にいた女子たちが「ミア、ばいばーい」と声をかけてきて、仲里が手を振って応える。彼女たちを見送ってから、仲里がまた話し始めた。
「あのときは、秋恵たちが智菜に押し付けようとしてるの見てムカついたから」
「ああ……」
「水澤だって気付いたでしょ? すぐ目の前でこそこそやってたんだから」
「む、う、まあ」
「だから、それを阻止してやろうと思ったわけ」
「阻止……」
つまり、あの三人組への対抗意識で風紀委員になったってことか? やるつもりがなかったことを? 仲里が?
「まあ、それだけじゃなくて」
どこか楽し気に仲里が続ける。
「あの姿のあたしが『やる』って言ったら、みんなびっくりすると思ったし。そういうの、面白いじゃん?」
「え? みんなを驚かせたくて風紀委員になったのか?」
「そだよ。悪い?」
あのとき、もちろん俺も驚いた。でも、今もまた驚きだ。
「そんな理由で……」
「いいじゃん? 少なくとも前向きな理由だよ?」
「そうだけど……」
俺が非難したと思ったのか、仲里に不機嫌な表情が戻った。
「じゃあ、水澤は何よ? それこそ、やりたかったわけ? それとも、犠牲的精神を発揮した?」
「俺は……まあ、そうだよ。誰もいないと終わらないと思ったから」
まさか、ちなちゃんが目当てだったとは言えない。
「うそ」
「はあ?」
「うそでしょ、それ。智菜のためだよね?」
「……………………」
黙ったら認めたのと同じことだったかも……。
「智菜と一緒にやれたらいいなって思ったか、あそこで秋恵たちの相談が途切れることを狙ったか、どっちか…ってところだね」
「あはは…は、なんでそんなことわかるんだよ?」
「まあ、べつに白状しなくてもいいけど」
(ああ、そうかい)
とは言っても、すでに悟られてるわけで……。まあ、放っておいてもらえればありがたい。
「それで……だから積極的なのか?」
「え?」
「風紀委員会。校則の話なんか持ち出したりしてさ」
「ああ、あれは、せっかくだから訊いてみようと思っただけ」
アンケート用紙をそろえながら仲里が気楽そうに答えた。
「訊いてみる?」
「うん。風紀委員会だから、校則の意味とか、みんな理解してるんだと思ったんだ。そしたら自分に返って来ちゃって、びっくりした」
「ええ? お前、問題提起したんじゃなかったのかよ?」
「そんな偉そうなことしないよ。ただ疑問に思ってたことを訊いただけ。それがこんなに大ごとになるとは思わなかったよ」
「マジか……」
この全校アンケートが仲里の単純な疑問から出発したと思うと、何が起こるかわからないと言うか……。
(あ、そうか)
俺の思い付きも関係してるんだった。「みんなが考えたらいい」なんて言ったことが。本当に、何が起こるかわからない。
「でもさあ」
仲里が明るく続けた。
「あたし、あのとき『やる』って言って良かったよ」
「どうして?」
「智菜と仲良くなれたから。智菜ってすごくいい子だから」
「う……、へえ」
自分が褒められたわけじゃないけど嬉しい。ちなちゃんが他人に好かれていることが誇らしいなんて、彼氏気取りって言われそうだけど。
「あんまり口数は多くないけど、なんか……奥の方にやわらかい土台があって、何でも受け止めてくれるみたいな。だから安心なんだ」
「ふうん」
「智菜と仲良くなってから、クラスの女子とも普通に話せるようになったし」
「それ、髪が黒くなったからじゃないのか? 金髪は近寄り難いぞ」
「あはは、周りはそうかも知れないけど」
仲里がこんなに自然な表情で俺と話すなんて、覚えがないような気がする。
「あたしはさあ、自分の個性を主張して、それが誰にも理解されなくてもいいと思ってたんだ」
「それ、すっげえ感じた」
「ははっ、でしょ? あたしの意地だったから。でもさあ、あの風紀委員を決めた日ね、智菜がわざわざ追いかけてきてくれたんだ。いろいろ心配だったみたいで。罪悪感も持ってたみたいで」
「そうか……」
ちなちゃんも三人組の相談に気付いていたんだ。嫌だっただろうなあ。
「あのころ、あたし、クラスで浮いてたでしょ? あの見た目だから当然だし、自分でもそれでいいと思ってたんだ」
思い出すように仲里が続ける。
「なのに、見るからに真面目でおとなしい智菜があんなあたしを追いかけてきてくれてさ、気にしてくれてさ、それだけでけっこう智菜を見直したのに、あたしのこと『カッコいい』なんて言うんだもん」
「カッコいい?」
「見た目のことじゃなくて、あたしの性格……って言うのかな。あの子はさあ、外側がどんなかってことに関係なく、中身を見てるんだよ。で、いいところは『いい』って認めてくれるの」
「俺だって仲里は怖かったのになあ……」
「あははは。だよねー?」
仲里は見た目もそうだけど、態度が攻撃的で怖かった。あの日は智菜ちゃんにだって脅すような言い方をした。なのに。
「でね、智菜に認めてもらったら、急に意地張る気が失せちゃったの。そしたらほかの子たちとも普通に話せるようになって」
「ふうん……」
「生徒会もね、今もときどき手伝いに行くんだ。生徒会ってなんとなく威張ってるイメージあったんだけど、みんな普通なんだよね。仲良くなれるなんて思ってなかったよ」
「それも金髪じゃなくなったからじゃないのか?」
「違うよ! 最初の日はまだ金髪だったもん。でもちかちゃんが『来れば?』って誘ってくれて、先輩たちも『来てくれてありがとう』って笑顔で仲間に入れてくれたんだよ」
「そうか……」
野上は怖くなかったのか? いや、ちなちゃんの友達だってわかっていたから怖くなかったんだ、きっと。
「さあ、早く集計終わらせよう」と言われて仕事を思い出した。机に向き直りながら、心が軽くなっていることに気付いた。ちなちゃんの良いところを聞けたせいかもしれない。
(中身を見てる……か)
ちなちゃんの目には、俺はどんなふうに映っているんだろう。カッコ良く? 頼もしく?
(……は、無理だな)
あいさつしか接点が無いんだった。それじゃあ、判断のしようが無い。
(やっぱり頑張らないと)
俺を見てもらえるように。もっと積極的に。
(よし、明日から)
ただし、焦って失敗しないように、だな。




