4 はぐれ邪竜
レルア視点です。
やはり、マスター呼びはまずかったのだろうか――迷宮の外に出てからふと考える。
しかし、こちらへ来る前に読んだ「勇者補佐の心得」には迷宮王の呼び方は載っていなかった。一般的に迷宮の王はマスターと呼ぶとマスター自身の記憶にあったのだが。
「笑われてしまいました」
だがそれは決して嘲笑などではなかった。不快に思われた様子もなかったし、良しとしよう。
それよりも。
「これが、世界……」
草原に吹く心地よい風、あたたかな日差し、草木のこすれあう音、その全てが私には新鮮だ。
ずっと、ずっとこの世界に憧れていた。天界で知識として得た世界が、目の前に広がっている。
知識の中の少年、あるいは少女のように、この草原を駆け回りたい――
――遠くに竜種の鳴き声がした。どうやら浮かれている場合ではないようだ。
気持ちを落ち着かせ、竜種の気配を探る。
迷宮側の存在が他の魔物や敵対生物を殺した場合、その数や質に応じてDPとやらが入るらしい。私は使い魔に属するはずなので、恐らく迷宮側の存在として数えられるだろう。
迷宮への侵入の危険はないだろうが、本来この辺りに竜種は生息しないはず。はぐれだろうか?
ひとまず竜種の背後に転移する。
「こんにちは」
「ッルルォォォ!!」
竜種が振り向きざまに放った一撃は空を薙いだ。私の背丈程もある凶悪な爪が鈍く光る。
ほんの少し魔力をちらつかせただけでこれなら、確実に邪竜だ。堕ちているならば狩っても邪竜教以外からはお咎めがない。……そんな邪教はとうに廃れているが。
「土の精霊よ、我に従え。彼の者を拘束せよ――土鎖」
地中から数本の鎖を呼び、黒く変色しかけた緑色の鱗を抉って拘束する。
どうやら、力が天界での二割ほどに制限されているようだ。鎖が細く貧弱だし、数も少ない。
「ォ゛ォォォ!!!」
邪竜が痛みにのた打ち回る。地は揺らぎ、亀裂が走った。鎖はもう数十秒と持たないだろう。にわかには信じがたい強度だが、これも受け入れるしかない。
「っ」
竜種の放った鎌鼬が私の頬を掠めた。この程度眠っていても躱せたはずだが、反応速度までも鈍っているというのだろうか。
「加護を――治癒」
擦り傷を治している間に振り解かれる。なんという油断。仮にも戦闘中に掠り傷を治そうとするとは。
だが、幸運なことに既に邪竜は瀕死だった。連続で鎌鼬を放つこともせず、ただ地に這い蹲っている。
「では、失礼。地の底に眠る焔よ、今この場に顕現せよ――業火」
天を突くような業火で邪竜の全身を包み込む。断末魔の叫びは燃え盛る火炎に掻き消された。
頃合いを見て火を消すと、そこにはまだ黒焦げの死体が残っていた。
「確か……」
死体が消えていく。やはりそうか。
殺した相手は全てその場でDPに変換されるらしい。まともな竜種には遠く及ばないにしろ、DPも少なくない量が入手できているはずだ。
まだ邪竜の気配が残っているような気がして少し探すが、結局見つからなかった。こちらに来て探知の感覚まで鈍ってしまっているらしい。
他に脅威となる存在はいなそうだ。ならば――
「戻るとしましょう」
何故か転移先に迷宮が指定できなかったので、私は迷宮の入り口に転移する。
* * *
「なっ……」
私は迷宮を見て驚愕した。
洞窟の入り口があったはずの場所には、一軒家のようなものが建っていた。木造二階建て、この世界での一般的な一軒家だ。
トントントン、と軽くドアをノックしてみる。
「はーい」
マスターの声ではない。若い女性のような声だ。
ドアが開く。
「どなたでしょう?」
「――!」
……知らない顔だ。思わず身構える。
室内にはこの女を含めて計四人の男女がいた。一見普通の家族にしか見えない。
集中して魔力を量る。一般人と同程度だ。その気になれば瞬殺できる。
人間ではない。となるとゴーストだろうか? 無詠唱の聖浄ならば今すぐにでも撃てるが、どうするか。
母親然とした女が口を開く。
「あ、レルア様ですね。お帰りなさいませ! 迷宮内部は既に強化された転移無効の結界が張ってありますので、こちらの転移門をお使いください」
「……失礼ですが、あなた方は?」
「自己紹介が遅れ申し訳ございません。マスターによって生み出されたゴーストの一種です。迷宮外の環境にも適応できるよう、一般人程度の魔力タンクをいただいています」
「ふむ、なるほど」
確かに、集中して魔力を探ればマスターの「色」を感じる。どうやら嘘は言っていないようだ。
こちらの世界では迷宮の"外側"にも気を遣わなければならない。外装も含め考えることは多いのだろう。
私は警戒を解くと、転移門へと向かった。