10 腕試し
レルア視点です。
「――と、いうことで。大丈夫だとは思いますが、一応最低限の実力があるか確かめさせてもらいます。レグルさーん!」
受付嬢が喧騒の中に声を掛ける。流石にあっさりしすぎているとは思ったが、まだ何かあるようだ。
「あーん? なんでぇ……ヒック」
「まったく、また昼間から飲んでるんですか。お仕事ですよ!」
こちらを振り返った酔っ払いは、"お仕事"と聞いてあからさまに嫌そうな顔をする。
「おう若いの。俺みたいのなんかに構ってねーでゴブリンの1匹でも狩ってこい。初めの内はそんだけの実力ありゃ十分でぇ」
「駄目ですよ! まだ登録直後ですし、正式に完了するのはこの腕試しのあとっていつも言ってるじゃないですか。魔力測定も上手くいかなかったんです、今回ばかりは逃がしませんよ!」
「チッ……しゃーねーな。付いてきな」
酔っ払いは重そうに腰を上げ、カウンターの奥まで歩いていく。そして、埃を被った扉を開けた。
――そこには、簡易的な闘技場のような場所が広がっていた。広い円形の地面に、2段3段と重なる観客席。
酔っ払いに続いてその真ん中まで歩くと、木でできた剣のような物を渡される。
「よーし、始めっか。その剣で俺に1発入れろ。それを受けて俺が合格だと思えば腕試し終了だ」
なるほど、1発入れるだけなら簡単だ。
「ほら、遠慮は無用だぜ。酒は回っちゃいるがこれでもBランク冒険者だ。お前さんの持てる限りの力全てで、殺す気でかかってこい」
本気? 何を言っているのだろう、この男は。
確実に死ぬ――いや、形も残らない。この剣も、男も。
Bランクがどれほど凄いものなのか分からないが、私の本気の一撃を受けてまだ人の形を保てるとはとても思えない。力が天界での2割とは言え、私は上級天使だ。
だが……男に構える様子はない。これほどの余裕なら相当の実力者なのだろうか?
そう考えている内にも、早くしろといったような視線を向けてくる。仕方ない。
「行きます。……本気で」
剣の柄を握り締め、意識を集中させる。感覚を研ぎ澄ませる。魔力を刃に這わせ、強化する。
1歩踏み出す。
続く2歩目で突きを放つ――
ここで、私は自らの犯した過ちを知った。
この男は、弱い。とても弱い。私の実力を計ることなどできるはずもない。一瞬後には剣先が自らの心臓を貫くというのに、呆けた顔で棒立ちしている。
確実に、死ぬ。
それだけは避けねばならない。致命傷までなら魔術で治せるが、死なれると終わりだ。蘇生魔術は禁術。大量の生贄を必要とするうえに、生き返った人間は人間でなくなる。
必死に軌道をずらすが――無情にも剣は男の上半身を掠めた。
轟音と共に私は剣ごと壁に突っ込む。観客席まで巻き込んで酷く抉れてしまったが、気にしている場合ではない。
砕けた剣の柄を投げ捨て、男のもとへ向かう。幸い息はあるようだったが、胴体の3割ほどが吹き飛んでいた。勿論このままでは出血多量で死ぬ。急いで治療しないと。
「根源より出でし力よ、我が願いに応えよ。その力を貸し与えたまえ」
根源魔術は大量の魔力を消費するため、並の術者では使用することすらできない。
また同時に大量の魔力を周囲に放出するため、世界が歪む。これは大きな問題ではないが、魔術に長けた者は少なからず異常を感じるはずだ。そうするとまた面倒な事になるが……そんなことは言っていられない。
「――治癒」
集まっていたこの世界を構成する"力"が、回復魔術の形で男に流れ込む。
治癒自体は基礎魔術だが、根源魔術として使うことでかなり高い回復力を発揮する。
魔力が渦巻き、傷口を塞いだ。止血完了。失った分の血液は魔力で強引に補える。
臓器の修復も粗方終わり。なんなら酒で弱っていた肝臓は以前よりも良くなっているはずだ。
残すは骨折だけ――というところで、扉の向こうからバタバタと足音が聞こえた。そして、大丈夫ですか、と呼ぶ受付嬢の焦った声。
あたりは依然男の血で染まったままだが、骨折なら時間経過で治る。そう考え、私は魔力を送るのを止めた。
血と抉れた観客席を隠さないと。男に忘却も必要か、隠蔽を使用している時間はない、急がないと――
――勢いよく扉が開いた。直後、受付嬢が、血に濡れた私たちを目にして驚く。
「あ――」
頭の中が真っ白になる。見られてしまった。
*
……気付くと、目の前にあの一軒家が建っていた。反射的に、私はマスターの迷宮に向かって転移を使ってしまったようだ。
いや、あの状況ならそれが最良の選択肢だったかもしれない。
だが。
私は「お遣い」すら満足にこなすことができなかった。
斯くして、マスターから頼まれた私の初仕事は失敗に終わった。




