転換
キッドは用意された部屋で日記を書いていた。今日起きた出来事、それに対して自分が感じたことを書いた至ってシンプルな日記だ。それほど価値があるようなものではない。
彼は五年前、冒険者になってから今日まで毎日続けてきた。書いたことを後に読んでなにかの参考にしたり、思い出を振り返ったりすることはない。彼にとってはただの習慣である。Bランカーになれない自分の中でなにか自負出来るものがあるとしたら五年間日記を続けていることだろう。”継続は力„なり。その言葉をどこか自分に言い聞かせるように今日もペンを進めていた。
今日、後輩たちと一緒にBランククエストを受けドール村に行ったこと。ゴブリンを圧倒する新人に度肝を抜かれたこと。自分が油断からピンチになり、あきらめそうになったこと。再びこのメンバーでパーティーを組んでよかったと思ったこと。そして……
キッドのペンが止まる。キッドが今日やらねばならないことを思い出し、ペンを置いた。
後輩に頼まれた今日で”一番大事な仕事„を忘れていた。終わらせない限り今日の日記を締めることは出来ない。
「先輩として失格だな」
キッドは立ち上がり、自分の部屋を出る。キッドは目的の部屋に着くとノックをした。
「キッドだ。今いいか」
しばらくすると開錠音がなり、ドアが開く。
「どうしました?」
部屋の中から眠そうな目をこするオーフェンが出てきた。
「寝てたのか。こんな時間に寝てると夜寝れなくなるぞ」
「すいません。それでなんの用ですか?」
「とりあえず中に入っていいか」
「はい。どうぞ」
キッドは部屋入ると、ベットに座ったオーフェンに向かい合うように置いてある椅子に座るように促され椅子に座った。
「それでなんの用ですか?」
あくびをしながらオーフェンは呑気そうに聞く。
ドール村に帰るときと比べると別人のようだ。
「ハルトの件だ」
「あぁ、その話ですか」
ハルトの名を聞いた途端にオーフェンは嫌そうな顔をした。
「なぜ、そこまでハルトを嫌う? 今回のクエストなんか命を助けられたじゃないか」
「話さなきゃだめですか?」
「お前がミアが好きなことお前らのパーティー全員にバラすぞ」
「すいませんでした。喜んで話させていただきます」
オーフェンは嫌そうな顔から背筋を伸ばして真面目な顔つき態度を一変させた。オーフェンにいうことを聞かせることは簡単だ。いつもこの手段を使ってわがままなオーフェンを黙らせてきた。ミアのことを好きなのは本人以外知っているというのに。おそらく遥人も知っているだろう。それぐらいオーフェンはわかりやすい人間だ。
「それで、なんでハルトのことが嫌いなんだ」
「元々、最初に絡んだときに育ちがよさそうで名字持ちだったところから気に食わなかったです」
オーフェンは基本、富裕層が嫌いだ。特に”貴族„に対しては憎悪の念まで抱いている。貴族とは騎士の中でも爵位を与えられた騎士の上位層たちだ。
オーフェンが富裕層、中でも貴族を嫌うのは彼が農民出身であることも理由の一つだが、最大の原因は彼の両親が貴族に殺されたからだ。それ以来富裕層、特に貴族には強い憎しみを抱いているらしい。皮肉にもキッドはこの話を貴族出身のリアムから聞いたのだが。
「そして、俺と戦ったときに舐めたようなセリフ吐きやがって。なのにミアとリアムたちは仲間仲間いってるのがムカつくんです」
「なるほど。だが、今回お前が調子こいて死にそうになったのを命をかけて助けてくれたんだろ」
「調子こいてって……もう少しオブラートに包んでくれないんですか」
「だって事実だろ」
清々しいほどはっきりキッドにいわれたオーフェンはしょんぼりと肩を落とす。
「それでどうなんだ」
「確かに助けてくれましたよ。だからなんでそこまで助けるのかわからなくてあいつに聞いたんです。そしたら『仲間だから』とか『嫌われているなら一層歩みよらなきゃだめだろ』っていったんです。その言葉を聞いてもっとなんで俺を助けたのかわからなくなって……だってそうでしょ? 自分のことを嫌っているってわかっている人間にそこまでしますか? 俺だったらしないです」
確かにオーフェンがいいたいこともわかる。キッドも信じあった仲間のために命を張れるかと聞かれたら即答で命を張れるといえるが、自分のことを嫌っている人間に命を張れるかと聞かれてすぐには答えられない。正直少し考えてしまう。
「キッドさんが俺の代わりに戦ってくれてからドール村に帰る最中までずっと考えました。なんであいつは俺を助けたのか。あいつに俺を助ける価値があったのか。そして、わかったんですよ。俺を助けた理由が」
オーフェンは笑う。
―― 悪い顔で。
「あいつは”仲間のミアとリアム„の信頼を高めるために俺を助けたんですよ! 俺を二人からの信頼を勝ち取るために俺を駒にしたんです」
「いや、ちょっと待ってオーフェン! そんなこと考えるやつなら命を張ってまでお前を助けたりしない。もっとリスクが少ない方法をするはずだ。そして、今日会ったばかりで日は浅いが、俺から見てもあいつはそんなやつじゃない」
キッドは想定外のオーフェンの発言に声を荒げて立ち上がってしまう。
今日キッドは遥人と話したり彼の行動を見てきたが多少、パーティーに居続けるためにオーフェンと仲を深めようと色々な工作はするかもしれない。だが、そこまで過激な考えをするような人間とは思えなかった。
キッドに否定されてもオーフェンの笑みは崩れない。逆に彼の口角は上がっていく。
「キッドさん、まず前提が間違っているですよ」
「前提が間違っているだと?」
「はい。なぜ”命を張った„という前提で話が進んでいるですか?」
「当たり前だろ。あんな数の矢をまともに食らったら普通は死ぬ。よくてもしばらくは動けないし傷痕だって一生残る。そんなこと近くで見ていたお前が一番理解してるだろ」
キッドも近くで直接様子を見たわけではないが遠目でも「受けたら死ぬ」とわかるほど遥人は大量の矢を全身に受けていた。
「そうですね。一番近くで見ていたからこそあいつが絶望的な状況であることは理解していました」
「だったらなおさら……」
「なおさら感じましたよ。あいつの”異常な回復力„を」
「なっ……」
「ミアとリアムは見逃していたみたいですが、俺ははっきり見ました。ミアが全ての矢を抜いた瞬間、生き物のように全ての傷口から流れる血が全ての傷口を覆いすぐにあいつの身体に吸い込まれっていった結果、綺麗さっぱり傷口は消えたんです。ここまでいえばわかりますよね」
キッドは椅子に座ると両腕を太股に置き、下を向いた。
「”驚異的な治癒„それがやつの”能力„なんですよ。俺たち三人はあいつから一度も能力がなにかを聞いたことがない。勝手にあいつの能力が”身体強化„だと思っていた。だからなにも聞いてこなかった。それをいいことにあいつは俺たちに自分の能力を隠し、”命を張ったふり„をして俺を助けてミアとリアムの信頼を得ようとしたんです」
オーフェンはベットからゆっくり立ち上がる。
「キッドさん。たしか、なんであいつが嫌いかって質問しましたよね? 答えはあいつは自分のためならどんなことでもする自己中なクソ野郎だからです。俺は嫌いを通り越して軽蔑してます。あいつの姿、名前を聞いただけで吐き気がします。やっぱり俺は最初から正しかったんですよ。あっ、凄いことに気づいちゃいました。たしか、ルノクとかいうゴブリン紛いも物凄い治癒力を持っているらしいじゃないですか。もしかしたらあいつはゴブリン側のスパイで今回のことも潜入のために……」
「ぷぷぷっっ……ははははは」
オーフェンの言葉をキッドの笑い声が遮る。
「な、なにがおかしいんですか?」
突然笑い出したキッドにオーフェンの笑顔は崩れ、困惑した表情を見せた。
「悪い、悪い。笑うつもりなかったんだが色々とツッコミどころが多すぎてついな」
「ツッコミどころ? どこがですか?」
オーフェンは納得いかないのかキッドに詰め寄る。
「オーフェン落ち着け。ちゃんと一つずつ話していくからまずは座れ。なあ」
キッドは詰め寄ってきたオーフェンの肩を持って興奮気味のオーフェンをなだめる。
彼の言葉に渋々従いオーフェンは少し頬を膨らませながらベットに座った。
二人のやり取りは外から見るとおもちゃを買ってもらおうと駄々をこねている子供をなだめる親に見えるに違いない。
「確かにお前がいう”驚異的な治癒„能力って話は可能性としてあると思う。この点は俺を含めた他のメンバーが、その治癒されていく瞬間を見ていなかったという事実に、とりあえず無事でよかったという思いでそこまで考えがいかなかった。特にリアムとミアはそれぞれお前みたいに悩み事があってそれどころじゃなかったんだろう。あと、お前以外命を張った、張ってないとかいう考えがなかったしな」
「褒めてるのか貶してるのか詳しく聞きたいところですが、それは置いておいといて、今の話だけだと俺の考えは間違っているどころか信憑性が上がっただけじゃないですか」
「じゃあ、ハルトが自分の能力を隠しているという根拠はなんだ? 」
「俺たちは仲間だとかほざいてるくせに自分の能力をいってないことです」
「じゃあ、お前はハルトに自分の能力を教えたことがあるか? 」
オーフェンは言葉が詰まる。常に敵対心を剥き出しにして遥人との交流を拒んでいた彼は遥人に自分の能力を説明したことがなかった。
「図星みたいだな。ならハルトにも同じことがいえるんじゃないか? お前のいう通り隠してる可能性もたしかにある。だが、それはどこまでいっても”可能性„でしかない。お前がいう命を張ったふりをしてリアムとミアの信頼を勝ち取ろうとしたって話も同じく一つの”可能性„だ。だからそんなドヤ顔で自信満々に話すようなことじゃない」
完全に論破されたオーフェンは力が抜けたようにベットに倒れ込む。もう彼の顔にはあの笑顔が消えていた。
だが、キッドの仕事はまだ終わっていない。
「おい、オーフェン起き上がれ」
キッドに促されてオーフェンはゆっくりと起き上がる。
「オーフェン。お前ハルトのことを自己中といったがそれはお前だぞ」
「え?」
オーフェンはキッドの指摘に眉間に皺を寄せる。
「お前の自己中エピソードはいくつもあるぞ。ハルトに負けたショックで行く約束をしていた昇級試験の応援にいかなかったこと。ゴブリンがヴァローナに襲撃したときも功を焦り勝手に自分一人で突っ込んだせいで自分も殺されかけ、他の冒険者たち全員の命が犠牲になったこと」
オーフェンの顔が徐々に青ざめていく。
彼の様子など気にすることなくキッドは続ける。
「今回の任務でもお前が油断したところを助けた仲間に対して感謝の言葉どころか嫉妬心から根拠もないのに悪態をつき、自己中扱いして挙句に敵のスパイ呼ばわり」
キッドはオーフェンの襟元を掴みあげ睨みつける。
「お前の自己中心的な行動で何人の人間に迷惑をかけてると思ってんだっ!! ゴブリン襲撃のときお前が他の冒険者と協力していたらあんな悲しい結果になることはなかったっ!!彼らにも家族がいたんぞっ!! 実際、お前のせいで路頭に迷った家族がいるんだっ!! 今回だって起きたハルトがさっきお前が散々いったことを知ったらどう思う!?」
怒声が部屋中に響きその声は廊下まで漏れる。
「もっと人のことを考えろ。そしてわからなかったらちゃんと聞け。今のお前は殴る価値もない」
キッドはオーフェンをゴミのようにベットに投げ捨てると背を向けた。
「今夜はしっかり反省しろ。そして、自分が犯したことに向き合ってこれからやらなければならないことを考えろ」
キッドは振り返ることなく部屋を出る。
残されたのは尻餅をついた屑だけだった。




