進軍
ヴァローナから遥か東南に建てられた砦は朝から重々しい空気に包まれていた。
砦の名前はガイバル。
神聖ラシアニア帝国に敵対する三国連合を討伐するために組織された東征軍に所属する砦である。
「くそっ」
ガイバルの食堂に怒鳴り声とともにを卓を叩く音が響く。
卓に置いてある食器も小さく震えながら音を鳴らす。
白いクロスが引かれた縦長の卓の上座には、イラついているルークを尻目にパンを頬張る東征軍師団長アマギが座っていた。
「アマギは悔しくないのかよ?」
「なにが?」
「東征軍に配属されて三ヶ月。戦いではいつも端っこでろくに戦ってないし、いざ総司令に呼ばれたと思ったら監獄の死体掃除。そして今回は戦局を左右するであろう戦いで兵を半数取られた挙句に砦でお留守番だぞ?」
「平和でいいじゃない」
「平和って……完全に蚊帳の外にさてるんだぞ?」
「別にこの戦争に興味ないしこれ以上昇進する必要もないから」
ルークの訴えは虚しくアマギのパンを食べる手は止まらない。
自分の話に耳を貸さないアマギにルークは思わず溜息を吐く。
「そんな戦功を立てたければ戦場に行けばよかったのに」
アマギの不意な呟きにルークは一瞬頭が真っ白になる。
「い、いやエイミーとジョセフがどうしても行きたいっていうからさ。しかもナイトとしてお前を守らなきゃ行けないからな」
ルークは心拍数が急激に高鳴るのを感づかれないように心掛けたものの目は完全に泳いでいた。
「ナイトにした覚えないけど」
ルークの高鳴る心臓が急に動きを止め、同時に後悔が全身駆け巡る。
「い、いや、大隊長としてってことな。今のは言葉のあやってやつだよ あはは」
ルークは乾いた声で笑う。
出来ることなら余計なことを言った数秒前の自分を殴りつけたい。
「そう」
そんな大荒れなルークの心情を知りもしないアマギは目の前の皿に置いてあるパンを手に取り口に運ぶ。パンの間から混濁したケチャップとマヨネーズが飛び出して下に垂れ今にも白いクロスに落ちそうだ。
沈黙が続く。
せっかくジョセフに土下座してまでガイバルに残ったのにこのままでは意味がない。長い沈黙がルークを焦らせ追い詰める。
「っていうかどんだけ好き何だよ……そのケッチャプとマヨネーズ塗りたくったパン」
沈黙に耐えきれなかったルークはアマギの食べるパンを指差す。
アマギのパンを食べる手が止まる。
手に持ったパンを目の前にパンが二枚載った皿に素早く戻すと宝物を守るように抱えこむと紅白の染みを口元に付けながらルークを睨みつける
「んっ」
「心配するな食べないから」
「ならいい」
アマギは口の中のパンを飲み込むと皿に残った二枚のパンを重ねて持つと立ち上がる。
「どこにいくんだ?」
「寝室。何か問題でも?」
「いや、別に問題はないけど」
アマギは黙って背を向け食堂を去っていく。
ドアが閉まりアマギの姿が見えなくなると本日二回目の溜息をつく。
「ごめん、ジョセフ。今日も失敗だ」
自分の代わりに戦場へと旅だった友に申し訳なさそうに謝罪するとルークは抜け殻のように椅子にもたれかかった。
◇
アマギは扉を開く。
扉の先には白を基調としたシンプルなデザインのベットが真ん中に置かれていた。ベットの側面には取手が左右に二つずつ付いており収納スペースが設けられてある。
左側には小窓が設置されおり、不用心にも開かれた小窓から涼しい風が入り込んでくる。小窓の近くには白いクロスが引かれた小さなテーブルと椅子があった。テーブルの上にはティーポットと二つのティーカップが口を下にして重ねられていた。
アマギは空になった皿をテーブルに置くと開いていた小窓を閉めるとベットに仰向けに寝転んだ。
空中に手をかざすと分厚い本が現れた。
本は血のように赤黒く表紙には金色で魔法陣のよな模様が描かれていた。
アマギは人差し指で本に触れると物凄い勢いで開かれていく。
あるページまで来ると本の動きが止まる。
アマギはそのページを見ると直ぐに怪訝そうな顔をする。
そこにはドラグーン半島の地図が描かれてあった。ドラゴンのような頭をしていることからそう名付けられた半島の中央に位置する街が赤く点滅していた。
アマギは怪訝そうな表情をしたまま右耳に手を当てる。
「もしもし」
おっとりとした女性の声がアマギの頭に流れ込んでくる。
「久しぶりだなエスパシエル」
「あぁ、サリエルさんですか。お久しぶりです。いえ、今はヤガミ アマギさんでしたっけ」
「そっちにあいつは来てないか?」
いじらしく笑うパシエルに憶することなくアマギは質問する。
「いらっしゃってないですね。てっきり合流されてると思いましたが。何かあったんですか? 」
「ヴァローナから一切動かないんだ。しかも反応も薄い」
「不可解ですね。反応があるということは生きていらしゃることは確実なんですけどね。まさか私と同じように……」
「それはない。奴にはまだそんな力はない。それに裏切り者たちも動きを見せていないしな」
「実際にヴァローナに行くしかないようですね」
「ああ、だが私も立場上簡単には動けない。無理して動くと今までやって来たのが無駄になってしまうからな」
「そうですね。嫌みたらしいキャラを封印しながら大胆にもヤガミと名乗って頑張って来たんですものね」
「人をからかう暇があるなら最高のミルクティーをあいつに振る舞える準備をするんだな」
「ご心配なく。サリエルさんよりは美味しくいれることは出来ますよ」
「ふっ、言ってくれるな」
旧友との久しぶりの会話に笑みがこぼれる。
アマギにとって友と話すのは何年ぶりになるだろうか。
「体調はどうですか?」
「あともう少しで本調子になりそうだ。もう少し運動が出来ればいいんだが」
「そちらではなかなか運動出来る場所も相手もいないでしょ。やはりあの方にお願いするしかないですね」
「そうだな。早急に仕事を終わらせたらあいつを連れてお前のところへ行くよ」
「わかりました。楽しみにしてますね」
「ああ」
アマギはは右耳から手を離す。
「私らしくないがこういうのも悪くないな」
ベットから飛び起きると力強くドアを開け美しい赤髪を揺らしながら歩き出す。
食堂へ戻り抜け殻になっているルークに命じる。
「今から我が軍は本軍に合流する。出陣の準備をしろ。私は先に行っているぞ」
アマギはそのまま食堂を後にした。
ルークは食堂のドアの方を向いたままでいた。
「なにがあったの……?」
◇
五千の兵を率いてガイバルを出たアマギは針葉樹林の中を進んでいた。
「地竜だと森の中でも楽チンだな」
地竜に乗るルークはさっきまで抜け殻のように意気消沈していた人物とは思えないほど上機嫌だ。
アマギの軍は地竜に乗って戦う部隊が主流だ。地竜は馬と比べるとスピードが早く丈夫な皮膚を持っておりなおかつ小回りが利くため山や森林など入り組んだ場所でも簡単に移動が可能だ。完全なる馬の上位互換である。しかし、気性が荒く扱える者は少なくこれまで戦いに用いられてこなかった。今でもアマギの部隊しか用いていない。
アマギの調教により戦いに用いられているが、どのように彼女が調教をしたのか知る者はいない。
「このまま敵の陣まで直進か?」
「ああ、だがただの敵の陣までじゃない」
アマギはいじわるく笑う。
「敵の本陣の横までだ」
「正気か? 本陣の横といってもそれまでにいくつもの部隊を蹴散らさないと本陣に辿り着かないぞ。仮に本陣に辿り着いたとしてもその頃には体制を立て直した敵に包囲されて終わりだぞ」
「立て直される前に総大将を殺せばいい」
ルークは彼女の生き生きした表情を見たことがなかった。
その豊かな表情は今まで以上に彼女を美しく、可憐に見せた。
「わかった。従うよ」
ルークは彼女の美しくしさに気圧されて快諾してしまった。
だが、彼の中に一つの疑念が生まれた。
「なぜそこまで厳しい選択をするんだ?」
「速くこの戦いを終わらせたいからだ」
「なぜそこまで急ぐ?」
アマギは答えない。
今までもそうだった。彼女は答えたくないときは答えない。長年一緒に戦ってきたルークも彼女について未だに知らないことが多い。
しかし今回はこの戦いが終わればわかるかもしれない。
彼女に急激な変化を与えた何かが。
「うん?」
「どうした?」
「焦げ臭いな」
ルークは辺りの匂いを嗅ぐとアマギの指摘通り、微かに何かが焼かれる匂いがする。
周囲見渡すが見える範囲では匂いの原因らしきものは見つからない。
「東の方向から臭う。今から東へ偵察にいってくれ。私たちはそれまでここで待機している」
「わかった。はぁっ!」
ルークは地竜の身体を叩くと東へ向かう。
アマギはルークの姿が見えなくなるのを確認すると右手を上げ、指をはじく。
瞬間、アマギの乗っている地竜を起点としてドミノ倒しのように地竜たちが立ち止まる。
急に地竜が止まり兵士たちは振り落とされそうになるがなれているのか皆振り射落とされた者はいなかった。
アマギは魔導書を目の前に出現させると周辺の地図が描いてあるページを開く。
「東にはケペル城があるのか。まさか……」
ケペル城は帝国と三国連合の戦いの最前線にある城の一つだ。
そして今むかっている戦場の背後に位置する城でもある。
城の配置、焦げ臭い匂い。アマギの頭に悪い予感がよぎる。
地面を激しく蹴りつける音が近づきてくる。ルークを乗せた地竜が走る音だ。
ルークはアマギの近くで地竜を止めると深刻そうな表情で報告する。
「報告します。ケペル城が三国連合に包囲されています」
アマギの予感は現実のものになった。




