白き少女
風穴から入りこむ夜風が相対する二人の髪を揺らす。
遥人の視線の先に立つ少女は月の光も相まって薄暗い空間に溶け込むことがないほど白く輝いていた。
肩まで伸びた白い髪に透き通った白い肌。白いロングドレスの切れ込みから見える白く細い足。少女を支配する無彩色は彼女を神々しく見せた。その反面、遥人を見つめる朱い瞳は濃艶な妖しさを放っていた。
「牢獄以来だね」
少女は艶美に笑う
身長は遥人より小さく全体的に細い。年は遥人と同じか下に見えるが表情や雰囲気、特に妖艶な朱い瞳からは正確な年齢は分からない。
初めて出会ったのはロックに手足を斬られ放心状態になっていたときだった。
遥人が覚えているのは悲しそうに彼の首を締める少女の顔だけ。精神的にも肉体的にも追い詰められた状況だったこともあり実際に少女が遥人の目の前に現れなければ一生夢だと思っていただろう。
おかげで首を絞められた相手だが怒りの感情が湧いてこない。
「きみは何者なんだ?」
「あっ、そういえば自己紹介してなかったね」
少女は少し間抜けそうに驚く。彼女の反応は年相応なものに遥人は見えた。
「でも、その前に」
少女は手を上へ上げると指を鳴らす。
―― パチン
遥人の肌に心地よく吹き付けていた夜風が止み虫の声が消える。
「何が起きたんだ?」
「世界の時間を止めたんだよ。今日は二人きりでゆっくり話したいからさ」
「世界の時間を止めただと……?」
遥人は驚きのあまり少女の言葉をそのまま繰り返す。副監獄長のクレールも”触れた物の動きを止める„能力を持っていた。だが、少女が話したことが事実なら今起きたのはそんなレベルの話ではない。指を鳴らすだけで世界の時間を止めるなぞ人間技ではない。まさに神の出来る所業だ。
「じゃあ自己紹介するね。吾輩は神である。名前はまだない」
腕を組んで自慢げに自己紹介をする少女に冷たい視線を送る。
「そんなボケに突っ込む気分じゃないんだけど」
「つれないな。まあいいけどさ」
彼女の雑なギャグはともかく、遥人はチート技を目の前で見せられたからには彼女の神発言は信憑性は高く思えた。
「それより色々質問したいことがあるんでしょう?」
「この世界はなんだ?」
遥人は一番の疑問を自称神に投げかける。
この世界で目覚めてから立て続けに異常なことが起こりすぎて深く考える暇はなかったが心の奥にその疑問は常に持ち続けていた。
「なんだと思う?」
自称神はいじわるく笑う。
「わからないから聞いているんだよ」
おちょくるような態度に少しイラつき言葉が強くなる。
遥人の背後からゆっくりとか細い腕が現れ遥人を包むと彼は背中に暖かさを感じる。
「じゃあ、どうあって欲しいんだい? 思い通りにいかない現実? 楽しいファンタジーの異世界? それともきみのはかない幻想?」
耳元に囁く声は甘く何か誘惑するように遥人の心を揺さぶってくる。
「何が言いたいんだ?」
「僕がわざわざ言わなくても自分でわかってるはずだよ」
「やっぱり明晰夢の世界ってことか」
遥人の問いに少女は答えない。
「それが本当だとしても根拠がない。明晰夢なら自分の創造出来ることならなんでも出来るはずなのに何一つ思いようにならない」
「ふふふ」
遥人を抱いていた腕と暖かさが消えると目の前に再び少女が現れる。
「相変わらずお堅いね。遥人は」
「昔から知ってるような口ぶりだな」
「知ってるさ。昔から」
「きみは匂わせるだけ匂わせて何も教えてくれないんだね」
「でも好きでしょ? そういうの」
遥人は舌打ちをすると黙り込む。少女の手のひらで転がされているようで遥人はどんどんイラつきが溜まってきていた。
「まぁ、きみの矛盾は冒険者を続ければいずれわかるよ。それに生意気な僕が答えるより自分で見つけた方がいいでしょ?」
遥人は思わず心の中で生意気な自覚あったのかよと突っ込んでしまった。この自称神はあまり褒められた性格ではないらしい。
「あ、そういえば本題がまだだった」
自称神はワザとらしく手のひらをポンと握りこぶしで叩く。
「本題?」
「最初に言ったでしょ? 遥人の悩み事を解決する方法を教えてあげるって」
「忘れてたでしょ」と自称神は少し怒ったように口を膨らませる。時より見せる少女らしい仕草も遥人には全て演技臭く見えてしまう。
「じゃあ、その解決方法ってやつを教えてよ」
「うん、それで解決方法ってのはね」
自称神は変わらぬ笑顔で言葉を続ける。
「能力を受け入れることだよ」
「え?」
想像もしていなかった言葉に思考が一瞬止まる。
「実際きみも体感しただろ? きみを害するものを破壊し、きみの描く世界を創造する強大な力を。あれほどの力があればきみが欲するものも手に入る。立ち塞がる大きな壁さえ簡単に排除出来る」
自称神は教えを説く聖職者のかのように雄弁に語る。
「今きみが悩んでいることなんて簡単さ、きみを殺そうと襲いかかる者もきみが気に食わなくって否定する者もその強大な力で殺せばいい」
「なにを言ってるんだお前……」
人を殺すこと平然肯定する自称神の言葉に遥人の頭はイラつきを通り越し怒りの感情が沸き上がっていた。
「なんでそんな怖い顔するんだい? 牢獄で嫌でも見せられたはずだ。この世界の常識を。なぜロックの拷問まがいなことにきみは抵抗出来なかった? なぜクレールはきみに従った?」
遥人は問いに言い返すことが出来ず歯を軋ませる。
「弱いからだ。力がないからきみもクレールも目の前の強者の気まぐれに従うしかなかったのさ。この街に来てもそうだろ。Aランカーで強者であるローガンは冒険者から認められ頼りにされている。世間は強者が支配し、弱者は支配されるんだ」
「だからって簡単に人を殺していいわけないだろ! そんなことをしてしまうとを分かって能力を使うのは逃げだ!」
牢獄で多くの人間を躊躇なく殺した姿が遥人の頭によぎる。ドス黒い高揚感に支配され殺人マシーンのような状態になっていたあの時の自分なら気に食わない相手を簡単に殺してしまう。それを考えるだけで遥人は恐怖を感じてしまう。
「あの力を使わないきみは生きていけるの?」
「いけるさ、Aランカーのローガンさんとも対等に戦えた、実力の高いルノクを追い詰めた。大抵は負けないさ」
「大抵は? それは逆にいえば負ける可能性も少なからずあるってことだよ。世の中ってきみが想像するほど甘くない。今の甘い考えのきみじゃほんの少しの敗北の可能性に殺されるよ。それにきみは嘘をついている」
「嘘?」
「きみはローガンにもルノクにも邪魔が入らなければ負けてたよ。それはきみが一番わかってるはずだよ。きみはその事実から目をそらしているんだ」
「くっ……」
「それに本当は気づいちゃてるんでしょ?」
自称神は笑みを浮かべると続ける。
「牢獄の姿こそがきみの本質だってことに」
「本質だと? 人を簡単に殺す狂人が本質? ふざけるな! 普通の状態で人を躊躇なく殺したことなんて……」
遥人は自称神の虚言を否定しようと怒声を浴びせるが途中で口が止まる。
突然全神経に鼓動が波のように伝わり脳内に映像を映し出す。
彼はそのはどんどん顔が強張っていくのが自分でも理解出来た。先程までに怒りが嘘のように消えていた。
「そう、ゴブリンとの戦いのときは無意識にルノクを殺そうとしてたよね」
少女の言葉が針のように遥人の心を突き刺した、小さく入ったひびの進行を早まらせる。
遥人は事実を拒否するかのように視線を下へとそらす。遥人の防衛本能もむなしく少女は近づいてくる。
「逃げているのはきみだよ。遥人はいつもそうだ。世間の考えばかり気にしてる。世間に自分を否定されるのが怖くて自分に嘘をつき自分から逃げ続ける。だからきみはいつも周りに振り回されて損をしていつも生きている心地がしないんだ」
遥人を追いつめるように少女は容赦なく針を浴びせ続ける。
「だから牢獄での遥人を見たときは感動したよ。きみらしいきみを見れて」
足音が止まる。代わりに生暖かい吐息が遥人の頭に掛かる。
遥人の顎に白い手が触れる。頭に掛かった吐息と反してその手は冷たかった。
白い手に導かれるように遥人の顔は正面に向けられる。
「でも、今のきみはいつもの弱い羊さ。それじゃ羊飼いにはなれない」
美しかった。遥人を真っ直ぐ見つめる遥人の姿を映すその朱い瞳は遥人の心を容赦なく傷つけてきた少女には似つかわしくないほど澄んでいた。
「まぁ、今はまだいいや」
「え」
少女は手を遥人から離すと後ろに下がる。
「僕が強引に能力を認めさせても意味はないからね」
急に遥人の視界がぼやけだす。
「次会うのはきみが本来の姿を取り戻してからかな。それまで元気でね」
遥人は視界に続き、身体の脱力感に襲われ倒れ込む。
手足はもちろん、声すら出すことが出来なかった。
「きみの求めるものは帝国の宝物庫にある。それを見れば全てがわかるさキーワードは『オリジンワールド』」
少女の言葉が終わると示し合わしたかのように遥人の視界が塗りつぶされる。
身体もすでに動かない。唯一最後まで機能していた耳が最後の少女の言葉の一部を拾い上げる。
「またね、僕の愛する……」




