嫌忌
遥人の前に現れた二人は対照的な風貌していた。
一人は遥人より一、二歳下ぐらいの少年だ。遥人と同様に冒険者特有の軽装な服装をしていた。中学生の垢抜けさがまだ残っている高校一年生のような顔立ちと無邪気な笑みからか、やんちゃな少年のようなイメージが想起される。
少年の隣にいるのは褐色の美女だ。期待を裏切らない抜群のスタイルに豊かに盛り上がった胸はまさに異世界クォリティ―だった。肩を露出し、身体の線が強調された服装は美女の魅力を更に高めていた。いつもならむっつりスケベな遥人は鼻を伸ばすところだが彼女の不機嫌な表情に遥人のスケベ心は萎縮してしまっていた。
「ニール、あんたが余計なことしたからこんな遅くなったのによくヘラヘラしてられるわね」
「仕方がないでしょ。あんな強そうなやつ見たらほっとけないよ」
「はぁ……その戦闘狂はいつになったら治ることやら」
美女はため息をつくと困ったように手を顔に当てる。
「あの……あなた方は……?」
「おじさんのパーティーメンバーさ」
いつの間にか遥人の隣にいたローガンが代わりに答える。
「私はヴィアナ。不本意ながらそこのだらしないおっさんのパーティーメンバーよ」
「僕はニールだよ。君も強そうだね。早速勝負しよ」
「初対面の人にすぐ勝負を仕掛けるな」
遥人に今にも殴りかかりそうに近づこうとするニールにヴィアナは拳骨を入れる。
「まぁ、変わったやつらだがいいやつらだよ」
「あはは……」
自分はあたかも違うかのようにいうローガンに遥人は苦笑いを浮かべる。
和んだ空気の中ルノクは糸から逃れようともがいていた。
「無駄よ。私の糸は鋼鉄をも切り裂くほどの強度があるの。いくら身体を強化しているからって無理に力を入れると自分の身体を傷つけることになるわ」
ルノクはヴィアナの忠告に臆することなく逆に糸を破ろうとする力は強くなる。
「はぁ……確かに諦めないことも大事だけど行き過ぎも考えものよ?」
糸の中から血が垂れてくる。時間が経つにつれ出血箇所は増えていく。対してルノクの表情は変わらない。
「ほらほら、言わんこっちゃない」
「おい、そこの黒髪」
ルノクは拘束されてから初めて口を開く。その瞳は遥人を見ていた。
「名はなんだ?」
ルノクは思いがけない質問に驚く。
遥人はすぐに笑みを浮かべる。
「八神遥人。冒険者だ」
「ヤガミハルトか」
ルノクは口元を緩める。
「っ!!?」
ルノクの纏う魔力が空気を貫くように膨れ上がる。
彼を拘束していた強靭な糸は音を立て引きちぎられ地へと落ちる。
「俺の名はルノク。人間とゴブリンのハーフだ」
ルノクの前に土の壁現れルノクの姿を隠す。
「逃がさないよ!!!」
ニールは素早く土壁に近づくと蹴りつける。
土壁はヒビ割れ崩れ落ちる。
「ちっ、逃げられたか」
土壁の向こうには既にルノクの姿はなかった。
戦場に残された遥人には土壁で隠れる直前に見せたルノクの表情が頭から離れなかった。
◇
ぐちゃぐちゃと絡み合う糸が少しずつほぐれていくのを感じる。
何か手が暖かい。絡み合った思考がほぐれ、一つ一つ繋がっていくと暖かさが自分の手を包み込むように感じるようになっていた。更に時が経つとそれが誰かが自分の手を握っていることに気づく。
この暖かさは誰なのか確かめるためにゆっくりと目を開ける。
「ミア……」
暖かさの正体は涙をにじませたミアだった。
「オーフェン!! よかった」
ミアはオーフェンが目を覚ましたことに気づくと抱き着く。
「ミア、痛いよ」
「あっ、ごめん」
ミアは咄嗟にオーフェンから離れる。
「大丈夫気にするなって」
痛みと裏腹にオーフェンの心は幸福に包まれていた。長年想いを寄せている相手の抱擁は至福の喜びだった。
「ここは……」
「冒険者ギルドの病室だよ。あの戦いから二日かも寝ていたんだよ」
「二日……」
オーフェンを支配する身体全体のだるさも二日間寝ていたなら納得出来る。
「あっ! あのエルフは!?」
オーフェンの頭に興味なさそうに剣を向けるエルフが頭に浮かぶ。
ミアはオーフェンの言う人物が思い浮かんでいないのかきょとんとしていた。
「ゴブリンを率いていたやつだよ」
やっと思い浮かんだのか「あぁ!」と納得した顔をした。
「逃げたよ」
「逃げた? ローガンさんが追い払ったのか?」
「違うよ」
ローガン以外で追い詰める可能性があるとしたらローガンのパーティーメンバーの二人だが依頼で不在だったはずだ。だとしたらリアムしか考えられない。
オーフェンの頭に稲妻が走りある人物が浮かぶ。しかし、すぐその可能性を否定する。
ありえない。ローガンに簡単に潰され今頃無様にベットで寝ているはずだ。
「びっくりするよ」
ミアは満面の笑みでエルフを追い詰められた人物の名を告げようとする。
オーフェンに嫌な予感がよぎる。あるはずがない。あっていけない。オーフェンの頭にはその言葉で埋め尽くされていた。
「ハルトくんだよ」
オーフェンの心が引き裂かれる。
さっきまでの幸福は破られ黒く塗りつぶされた。
「まだ冒険者じゃないのに凄いよね」
それ以上やつを称えるな、認めるな、やつにその笑顔を向けるな。オーフェンはミアに声高らかに叫びたかった。
だが、それは出来ない。ミアが、彼女が自分から離れる気がしたのだ。
「いやー追い詰めたまでいってないよ。褒めすぎだって」
オーフェンは固まる。突如聞こえたミアではない声の方へと顔を向ける。
そこには照れくさそうに頭を掻く憎たらしい男がいた。
「ヤガミハルトッッ!!」
オーフェンは溜まり溜まった怒りと憎しみを込めて男の名を呼ぶ。
「ど、どうしたの……?」
遥人は突然の怒声に困惑の表情を浮かべる。
オーフェンはさらに苛つく。
「そんな人をコケにするのが楽しいか」
「いや、コケにしてないよ。ただ心配で」
「帰れ」
「えっ?」
「帰れって言ってんだよ! お前の顔見るだけで不愉快だ」
遥人は動揺をしたのか口を開け固まっていた。
オーフェンは遥人の間抜けな顔に思わず口が緩む。黒く塗りつぶされた心は少しずつ明るさを取り戻していた
しばらく硬直していた遥人は口を噛みしめ下を向く。
「わかった。お大事に」
遥人はうつむいたまま扉を開け病室を出ていく。
「ふぅー すっきりした。見た今の顔? 最高に……」
病室に乾いた音が響く。
オーフェンの頬に痛みが走る。
「ミア……?」
「なんであんなことをいうの?」
ミアは涙を流す。だが、表情と声には悲しさが染み出ていた。
「ハルトくんは剣で貫かれて瀕死のあなたを運んでくれたんだよ?」
「えっ……?」
「オーフェンがハルトくんをよく思っていないのはわかってるけど命の恩人にあんなこというのは酷いよ! もうオーフェンなんて知らない!」
「待てよ、ミア!」
オーフェンの呼び止めを聞かずにドアを開く。
「おっと」
ドアを開けるとリアムが立っていた。ミアはリアムを押しのけ病室を走って出ていく。
「オーフェン、何したの……?」
困惑したリアムの質問にオーフェンは返す気力が出てこない。
オーフェンの頭は真っ白になっていた。
「とりあえず落ち着きなよ。話はそれからだ」
◇
「くっそっ!」
遥人は暗い自室の壁に拳を叩き付ける。
色々と絡み合った感情が籠った拳は壁に風穴を開ける。
冒険者ギルドを出た遥人は心休まる誰もいない場所へ向かってただひたすら走った。
まだヴァローナに来て日が浅い遥人にはストレス発散には狭い宿の自室しかなかった。
遥人の心は荒れていた。その荒れようはもはや自分が抱いている感情すら正確に把握出来ていないほどだった。
唯一分かるのは自分が傷つき苛ついていることだけだ。
「くそっ! くそっ! くそっ!」
溢れだす感情を発散するため風穴を増やす。
遥人は力尽きたように倒れ込む。当初の部屋の姿はもうなく、風穴からは綺麗な満月が遥人を照らす。
頬から涙がこぼれ落ちる。
遥人は涙を止めようと感情を抑え込もうとするが、抑え込もうとすればするほど涙が流れる。
プライドだけでは抑えきれないほど心はダメージを受けていた。
「辛そうだね。僕がいい解決方法を教えて上げようか?」
遥人は瞬時にネガシオンを抜き振り返る。
「き、きみは……」
「戦うきみもいいけど泣くきみも魅力的だね」
月明かりは鈴のような声の主を照らす。
肩まで伸びた白い髪をなびかせた少女が朱い目を細め遥人を見つめていた。




