弱肉強食
「答えられないのかい? ならしょうがないね」
終始にこやかに笑っていたギャレックの顔は真顔に変わる。
「ロック。ここは一任する」
ギャレックは低い声で知らない名を告げた。
彼の命令で無言の巨人が動き出す。凶悪で無邪気な笑みを浮かべて。
「ありがとうございます。ボス」
目が笑っていないというのはこのようなこというのだろう。
遥人は思わず後ずさりをしてしまう。
ロックから放たれる殺気は勝算がある遥人を怯ませるほど鋭く荒々しいものだった。
「では、ハルトくん私は職務があるので失礼するよ」
ギャレックは怯む遥人を気にする素振りも見せず背を向けクレールと共に出入り口へと向かう。
「また、会えたらいいね……」
遥人はにこやかな笑顔を浮かべ振り返ったギャレックから初めて “狂気”を感じた。
まさしくそこにいたのはギャレック=ヨースティン監獄長。その人であった。
◇
「さて、殺し合いを始めようか……」
ロックは舌で自分の唇を舐めると構えを取る。
一方、遥人には不安が生まれていた。彼は戦い方を知らない。
過去にも争いに発展しそうなことはあったが、殴り合いになる前に話がつくことが多かった。
戦闘なれしていない事実に加え、ロックに殺気を当てられ続けている遥人は今にも逃げ出しそうになる自分を抑えこむために唇を噛む。
「くそっ……」
それでも浮き足立つ自分を踏み止まらせるため両足が食い込んでしまうかと錯覚するほど、足先に力を入れる。絶対絶命な状況だが遥人には打破出来る方法がひとつだけある。
目の前の怪物を倒すと願うことだ。
もしこの世界が、怪物が、自分の明晰夢が作り出したものならばこの危機的状況をひっくり返すことなど容易なはずだ。
普通の学生である自分が少し寝ただけで突然聞いたことがない監獄にいるのはおかしい。最もあの眼鏡を掛けた男が使った能力が実在すると考えるより全て夢だと考えたほうが自然だ。
遥人は藁をもつかむ思いでこの世界は明晰夢だと自身に言い聞かせると、目を閉じ、右手をロックに向けて突き出す。
「消えろっっ!!」
遥人の叫び声が反響し、消えると静寂が空間を支配する。
彼はここまで緊張感を感じた事はあっただろうか。
ここまで自分の頭が真っ白になったことはあっただろうか。
遥人は手の震えを否定するため、その重い瞼をゆっくりと開ける。
そこには……
驚愕の色に塗り替わったロックが立っていた。
ロックは動かない。
それどころか先ほどの構えを解き、脱力し腕を降ろしていた。
「成功だ」
遥人は思わず安堵の声を漏らす。
一体なにが起きたか理解出来なかったが、遥人を刺し続けていた殺気から解放されたということは自分の力で無力化したということだ。そうに違いない。
「はぁ……助かった。最後に明晰夢の方に賭けてよかった」
遥人は崩れるように座り込んだ。殺気から解放され一気に疲れが溢れ出てくる。
緊張もほぐれ思考力も戻ってきたようで現状把握をする余裕が出てきていた。
「明晰夢なのはわかったけど一体俺はなにをしたんだ?」
遥人は頭の中で消えろと懸命に叫び、願った結果降りかかる殺気は消えた。今もなお、敵の動きは止まっている。
しかし、ロックからの殺気は消えたが”ロック自体は消えてはいないのだ„。外傷はなく、周辺も変化は見られない。
「相手の精神を消したのか……? なにが起きたん……」
――顔に衝撃が走る。
気づいたときには遥人は後ろへと吹き飛ばされ壁に激突していた。
彼は痛みに悶えながらも突然の出来事を確認するため目を開ける。
眼前には土煙の中今にも殴りかかろうと拳を振り上げる、鬼の形相のロックがいた。
「き、貴様は俺達を侮辱しているのかぁぁっっ!!!!」
ロックは殴る。殴る。殴る。殴り続ける。
嵐のようにとめどなく襲いかかる拳は、遥人の思考を完全に奪う。
常人のパンチなら多少の感情の変化なら理解出来ただろう。
しかし、それをさせないほどロックのパンチは重かった。
遥人の目から涙が流れる。
意識が飛びそうになるほどの痛み。
筋肉が潰される感覚。
弾け飛ぶ血しぶき。
鈍い音を立てて砕かれる骨。
理想を破壊するように現実が容赦なく遅いかかってくる。
ロックは気が済んだのか乱撃を止め、両腕を降ろす。
ぐったりと倒れたそれ《・》は全てが赤黒く変色し、見た目だけでは生きているのか死んでいるのか判断できないほど。
「俺としたことが取り乱しちまったぜ」
ロックはさっきまでの出来事がなかったかのような落ち着いた表情でこちらにゆっくりと歩み寄ってくる。
「なぁ小僧。俺は強いやつとやり合うのも好きだけどよ……」
ロックは口角を上げいい放った。
「弱いやつを苦しませながら殺す方がもっと好きなんだぜ」
ロックはポケットから薬品のような紫色の液体を取り出し、遥人に飲ませようと強引に口元に押しつける。
遥人は反抗しようとするが、すでに通常の機能を失った身体は動かず謎の液体を飲まされてしまう。
「その薬はな、飲んじまったらしばらくどんなことをされても死ななくなる。しかも、都合よく痛覚もアップする。だからわかるだろ?」
強者は欲望で歪んだ表情を弱者に向けにやりと笑う。
「ってことで小僧。遊ぼうか?」
絶望が遥人を飲み込んでいく。
弱者には抵抗する術はなかった。
「じゃあまずは腕からだな」
「ぎゃああああぁぁぁ!!!!!!」
断末魔を合図に強者による弱者への不公平極まりない遊戯が始まった。
◇
一室で二人の男が相対していた。
場所は獄長室。
白い天井と壁に、明るい木目調のフローリング。
左右に本棚に収納されている本の数々からは同じ監獄にあるとは思えない。
どちらかというと書斎の方がしっくりくる。
「監獄長。彼をどうするつもりなのですか?」
クレールは正面の高級感を漂わせる机に肘をつけて座るギャレックに問いかける。
「少し、試験を受けてもらうだけだよ。誰かを採用するときには行うことだろ?」
「まさか、彼を仲間にするつもりなのですか?」
「副監獄長である君だからこそ話したんだ。まだ内密にしてくれないかな?」
「わかりました。しかし彼の相手をしているのはロックです。下手をしたら殺してしまうかもしれません」
クレールの声と顔には不安の色が浮き出ていた。
それほど彼のロックへの信用度は低い。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。ロックには殺さないようにいってある」
ギャレックは笑顔で答える。
クレールはギャレックの反応を見て安堵の表情をみせた。
ギャレックは立ち上がり左側の本棚から本を取ると元の椅子に座り本を開く。
「仮に殺してしまったとしたらその程度の男だったってことだ」
「か、監獄長……?」
ギャレックの小さな呟きにクレールは困惑する。
「冗談だよ冗談」
「悪い冗談はやめてください。たださえ、監獄長の冗談は妙にリアリティーがあるのですから」
クレールは指でメガネを押しながらギャレックに苦言を呈する。
「それで、本国の件はどうなっている?」
「あと、二時間ほどで樹海に到着するようです。人数は四人。代表は“ヤガミアマギ”です」
本棚から本を取り出し、読書をしていたギャレックはクレールの報告からその名前が出たとき眉をひそめ読書を辞めた。
「あの”龍殺し„か。本国も厄介な奴を派遣してくる。君はこの派遣についてどう考える?」
「普通に考えるなら毎年恒例の視察だと考えられますが、この“龍殺し“の存在は気になります。計画が露見しているかは今の情報だけではなんともいえません。ですが最悪の可能性も考慮すべきかと」
トントン
クレールが意見を述べ終えたとき突然クレールの背後のドアからノック音が鳴る。
「入りなさい」
「失礼します。今帰りました」
勢いよく開かれたドアから全身に返り血を浴びたロックが現れた。