焦燥
青年の心は揺れ動いていた。百ものゴブリンを従えた彼の目には辺境の街を守るのには大きすぎる東門が映っている。
青年はその大きな門の向こう側にはどんな世界が広がっているのか考える。今を変える希望、幸福なのか。それとも今を飲み込む絶望、悲劇なのか。
考えれば考えるほど彼の心は濁り渦巻き彼の思考に影を落としていた。
「ルノクサマ。ヒガシモンニツキマシタ。コウゲキヲシカケマスカ?」
ルノクと呼ばれた青年は部下であるゴブリンのたどたどしい言葉で意識を目の前に戻す。
「ここのまま待機だ。何もせずとも直にくる」
「カシコマリマシタ」
ルノクは冷静に指示する。今回の目的は勝つことではない。
彼の命令で待機する百体のゴブリンたちは一言も声を発さない。知能が低いゴブリンではあり得ない光景だ。
静寂が広がる草原の中、突風が音を立ててゴブリンたちに吹き付ける。
市壁の上から弓を構えた衛兵たちが現れる。
「弓矢放ってっっ!!」
衛兵の指揮官らしき人物の怒声を合図に弓矢が放たれ、雨のようにゴブリンたちに降り注ぐ。
弓矢を放った人間たちは倒れ行くゴブリンたちの姿を当たり前のように思い描いていただろ。
だがその当たり前はゴブリンたちは腰にぶら下っている鞘から慣れた手つきで剣を抜く。全ての矢を切り刻まれ地に落ちる。
常識を超えた出来事に弓の攻撃が止み衛兵たちは動揺の声を上げていた。
「進め」
ゴブリンたちはルノクの指示で歩を進める。
「ひ、怯むな! ありったけうち続けろ!」
指揮官は自らの動揺を打ち消すように衛兵たちを叱咤した。
再びゴブリンたちに弓矢が降り注ぐ。
だが、矢は簡単に防がれてしまう。
衛兵たちは矢を放ち続けた。しかし、ゴブリンたちの足を止めることが出来ない。ただ草原に矢の残骸が増えるばかりだった。
「怯むなっ! 放って!」
悲鳴のように叫ぶ指揮官の顔には怯えがはっきりと滲み出ていた。
「どうした!? 早く放って!」
衛兵たちは誰も弓を構えない。
「なにをしている? 早く放って!」
「もう……矢がありません」
「くっそっ! 」
指揮官は下唇を噛みしめ悔しそうに壁を殴りつける。
「止まれ」
ルノクは市壁の上の状況を察し短く命令を出す。
衛兵たちでは止められなかったゴブリンたちは一斉に足を止める。
敵が動きを止めても市壁の上は既に悲壮感が伝染し、いつしか衛兵たちの心を絶望が支配していた。
彼らには戦闘直前までの余裕はもうなかった。
ルノクは衛兵たちの脆弱さに今彼が待つ冒険者への期待が揺らぎ始めていた。
彼は父から冒険者の七割は人間だと聞いている。冒険者は高い能力を持っているというらしいがそのほとんどを占める人間がこのざまだ。それに加え、仮にも衛兵は街を守ることが仕事なだけあって戦闘能力は高いはずだ。考えられば考えるほど期待とはほど遠い感情が溢れてくる。
「やはり戦わなければわからないか」
ルノクはいつもと同じ答えに辿り着くと再び東門に意識を戻す。
東門から光を纏ったと思うと破裂音と共に光が弾け飛ぶ。
「やっと出てきたか……」
光の消失と共に門は開かれ二十人ほどの人間が現れる。
ルノクはほんの少し口が緩む。わずかな変化だがそれは彼が浮かべた久しぶりの笑みだった。
◇
ルノクが冒険者を待っていたその頃、門内には複数の冒険者たちが集まっていた。衛兵たちの顔に生気が戻る。
使い込まれた装備から冒険者たちはDランカー以上であるようだった。
「いいタイミングに来てくれた。すぐ門を開ける」
指揮官は縋りつくように内側の階段を降りると冒険者の前へに立つ。
「今、魔道具で門を開けるが油断しないでくれ。相手のゴブリンは普通じゃない」
「大丈夫だ」
冒険者の中から一人の青年が現れた。
「このCランカーのオーフェン様がいるからな」
「きみは確かリアムくんのところの……」
冒険者たちが騒つく。若手の中で1、2の実績を出しているリアムのパーティーはヴァローナでは注目されているのだ。
「俺がゴブリンごときに負けるわけがないだろ」
オーフェンの顔は自信に満ちていた。
「だが……」
突然指揮官のまえからオーフェンが消え、後ろからオーフェンに指揮官は首元にナイフ突きつけられる。
「これでも信用出来ないか?」
「くっ……お、俺が悪かった」
「分かればいいんだ」
オーフェンは短刀を首元から離すと瞬間移動で元の場所の戻る。
指揮官は小さくため息をつくと振り返り門に手をかざす。
「開門っ!」
指揮官の銀色の小手が光を放つ。それに共鳴するように門に黒い魔法陣が出現し割れるような音共に門が勢いよく開く。
「なんだよ。普通のゴブリンじゃねーか」
オーフェンは拍子抜けしていた。あの指揮官の言葉から見たことがない亜種ゴブリンだと思っていたが目の前にいる集団はオーフェンが飽きるほど見てきたゴブリンそのものだった。
確かにゴブリンにしては落ち着いた様子があるがあのゴブリンは所詮数だけ烏合の衆だろう。
「これじゃ、活躍しても俺の方が強いと証明できない」
頭に憎き男の顔が浮かべ舌打ちをする。冒険者たちの前で実力を見せ上機嫌だったオーフェンの顔から苛立ちが隠せていなかった。
遥人と初めて会ったときからオーフェンは気に食わなかった。そんなやつに負けたことを認めることが出来なかった。小さな体格でにやにや笑っていているのに戦闘時の強気で自分を見下したあの目は脳裏から離れない。そして、ミアとリアムが認めたことも気に食わない。特にミアが認めたのは……
負けてから遥人へより強いと証明することしか考えられなくなっていた。
「あれは……?」
オーフェンはゴブリンの中に一体だけ体格が違うゴブリンがいることに気づく。
「人間か……いや、あの耳の形はエルフか」
獲物を見つけた獣のように笑うとゆっくりと短刀引き抜く。
「お前ら雑魚は任せるぞッ!!」
「おい! 自分勝手に前に出るなッ!」
オーフェンはそう言い捨てると他の冒険者の言葉を無視して勢いよく地面を蹴りゴブリンの群れに向かって走り出す。
「くそッ! 俺たちも行くぞッ!!」
他の冒険者たちも仕方なくオーフェンに続く。
ゴブリンたちは先陣を切るオーフェンに襲いかかる。
「雑魚にはようはねーよ」
オーフェンは斬りかかるゴブリンたちを避け大将を狙う。
普通のゴブリンより強いとはいえ彼らの剣はオーフェンを捉えることが出来ないでいた。
オーフェンはそんなゴブリンたちにはお構いなしにすり抜けてるかのようにゴブリンたちの剣戟を避けていく。
「確かに普通のゴブリンとは違うようだがオーフェン様には止まって見えるぜ」
遂にオーフェンの眼が後衛に立つ無表情のルノクを捉える。
オーフェンは更にスピードを上げ、ルノクの後ろを取る。
「死ねッ!!」
オーフェンはスピードで勢いを斬撃に載せる。
「ッ!!?」
―― がルノクの前方を守っていたゴブリンがオーフェンの短刀を剣で受け止める。
「雑魚がッッ!! 邪魔するなッッ!!!」
オーフェンは怒りで顔を歪ませると瞬時に魔力を纏い短刀に力を入れる。
ゴブリンの剣にヒビが入る。
「おおおおおおおおッッ!!」
一度ヒビが入ればもろい。ナイフは剣を斬り砕くとゴブリンの身体に吸い寄せられゴブリンの身体はバターのように肩食い込み一筋の線を描く。ゴブリンは血しぶきを上げながら崩れ落ちる。
「次はお前だぁッッ! 」
振り下ろされた短刀を逆手に持ち替え、未だ振り向かないルノクに向け振り上げる。
が、ルノクに腕を片手で掴まれ投げ飛ばされる。オーフェンは空中で体勢を取り直し、着地すると地を蹴り上げ再びルノクの元へ走る。
走りながら草原に突き刺さっていたオーフェンが折ったゴブリンの剣の刃を抜くと投げ飛ばす。
ルノクは右手で容易に掴む。ルノクの意識が向いた瞬間、距離を詰めようとスピードを上げる。
「なっ!!? 」
オーフェンの目の前にルノクに投げたばかりの剣の刃が迫っていた。
「なめるなッッ!!! 」
オーフェンは身体を捻じりギリギリで避け走り続ける。
二人の距離が狭まる。
オーフェンの短刀とルノクの拳が同時に動き出す。
やはりルノクの拳は速い。短刀がルノクの首を斬りつける前にオーフェンの視界を拳が覆い隠す。
オーフェンはルノクの拳を限界まで近づけると瞬間移動でルノクの背後に回る。
勢いをつけるために屈み込み右手に握られた短刀でうなじを狙うためふくらはぎに力を入れる。
「ぐはっ」
突然オーフェンは頭を足で踏みつけられる。
地面に顔を埋められたオーフェンは自分の身に何が起きたか理解出来なかった。いや、理解したくなかった。
「その程度か? 冒険者」
オーフェンが初めて聞くルノクの声は暗くとても突き刺さる声だった。




