始まりの場所
白い世界の中心に一人の少女が座っていた。無彩色の世界には彼女しか存在しなかった。
少女は白が好きだ。
彼女をその胸の高鳴りごと優しく包んでくれるから。
少女は白い世界で生まれ育った。親も彼女は知らない。この世界には彼女しかいないのだから。
一人ぼっちの彼女がなぜ胸を高鳴らせているのか。理由は簡単。大切な人を待っているからだ。
矛盾はない。彼は外からやってくるのだから。
――白い世界が黒に飲み込まれる。
「あっ! 来た」
少女は満面の笑みを浮かべ立ち上がる。
胸の高鳴りはすでに最高値に達していた。
黒い世界の中心に一人の少年が現れる。
「やあ、こんばんは。待たせちゃったかな」
少年は少し申し訳なさそうに笑いながら手を振った。
「待ったよ。とっても」
「えっ、ごめんね。明日遠足でさ。楽しみで来るのが遅れちゃったんだ。本当はもっと早く来たかったんだけど……」
「大丈夫だよ。きみを待つ時間はとても楽しいから。いつも来てくれてありがとね」
少女は満面の笑顔で唯一の友達にお礼をいう。
「そういってくれると嬉しいよ。でもやっぱりきみは少し変わってるね」
少年は少し複雑そうな顔をする。
彼は知らないのだ。一人ぼっちの世界で生きている少女の心を。
少年には親も、友達も。帰るべき家もあるのだから。
「そうかな。こんな私嫌い?」
「そんなわけない。嫌いだったらここに来ても、きみに話しかけないよ。きみには僕の持ってないものをたくさん持っているから好きだよ。人を待つ時間を楽しく思えるところもその一つだよ」
少年は少女の悲しい言葉を一蹴する。
見た目にそぐわない言動で。
「私もきみが大好きだよ。きみのためならなんでも出来るくらいに」
愛を伝える少女の表情は一変していた。
それは悲しい少女を感じさせないどこか大人の、少なくとも少年が知らない表情だった。
「お、大袈裟だな。ところで今日はなにして遊ぶ?」
顔を赤らめた少年は思わず目を反らしてしまう。
「昨日話してくれた遊園地ってやつで遊ぼうかなって思うんだけど。どうかな?」
「もちろん。でも遊園地なんてどこにもないよ」
少年は見回すが、周囲にはただ白い空間広がるのみ。
遊園地どころか物一つ存在しなかった。
「ふふ、今はね。でも遊園地がないなら創ればいい。でしょ」
白い少女はウィンクをする。
今度はいつもの幼い少女のウィンクだ
「だね。やっぱりきみは”魔法使い„だ」
少女は魔法使いだ。
想像したものをつくることが出来る。
彼女が唯一胸を張って特技といえることだ。
「じゃあ、いくよ。えい」
少女が大きく開いた両手を前に突き出す。その先には……
「うわぁ……遊園地だ!」
少年は黒い世界に突如現れた遊園地を見て年相応にはしゃいでしまう。
闇の世界で光を放つ遊園地はより一層魅力的に見えた。
「どれから乗る?」
「僕はメリーゴーランドから乗りたいな」
「わかった。じゃあ、いこ?」
少女は手を差し伸べる。
「うん。行こう」
差し伸べられた手を少年は握る。
少女も強く握り返す。彼を離さないように。
二人は走り出す。”夢の国„へ……
少女は黒が好きだ。
彼と彼女を繋ぎ止めてくれるから。
黒い世界で少女は少年に出会った。彼女は少年のことを全て知っている。少なくとも今の彼は。この世界で毎日彼と過ごしてきたのだから。
観覧車のゴンドラから少女は下を眺める。
最初に乗ったメリーゴーランドから発せられる小さな光が闇の中で輝いていた。
「きれいだね」
「うん。まるで夜空みたいだ」
「夜空みたい?」
「あ、そうか。きみは夜空を見たことがないのか」
少女は白い世界と黒い世界しか知らない。
夜空どころか、星という存在も知らないのだ。
「太陽っていう大きな火の球みたいなものが僕が住んでいる世界を照らしているって話は前したよね」
「うん。太陽のお陰で世界が明るくなって空ってやつが青く見えるんでしょ」
「そうそう。でも太陽はずっと照らしてくれているわけじゃない。一日が終わりに近づくと太陽は沈んでしまうんだ。青かったは空は黒くなって夜空になるんだ」
「ふーん。なんか私がいる世界と似てるね」
「夜空には太陽の輝きで見えなくなっていた星っていうものが広がっているんだ。夜空に輝く星たちは物凄くきれいなんだよ」
「メリーゴーランドの光とどっちがきれい?」
「夜空の方がきれいさ。星はメリーゴーランドの光の数よりたくさんあるし、一つ一つ個性があるんだ。大きさもそれぞれ違うし、よく見ると色も違ったりするだよ」
「見てみたいな……夜空」
少女は寂しそうに呟く。
彼女には夜空を見ることが出来ない。白い世界に捕らわれている彼女には。
「僕が見せてあげるよ」
「えっ」
少年は真っ直ぐに少女を見つめる。
「僕がもっと勉強して、きみに夜空を教えてあげる。そしてきみが夜空を創るんだ」
「でも……」
「きみは”僕のためならなんでもする„といってくれた。今度は僕がいうよ」
少年は立ち上がる。
「きみのために夜空を見せる。そのためならなんでもする」
少女は震えた。心が。
彼が一層愛おしく思えた。
少女は目をつぶり息を吐く。
立ち上がり、目を開けて想いをぶつける。
「ありがとう。大好きだ……」
彼女から笑顔が消える。
目の前にもう彼はいない。気づけば世界は白く塗りつぶされていた。
少女は黒が嫌いだ。
彼を彼女から容赦なく奪っていくから。
少女は白が嫌いだ。
彼女に”独りぼっち„だと冷酷に告げるから。
少女はゴンドラの中で涙を流しながら眠りについた。
◇
背中の慣れない硬さで目覚めた少年はそわそわしながら眼を開ける。
目の前には見覚えのない黒ずんだ鉄製の天井が広がっていた。
もしかしてこの世界は……”明晰夢„!?
少年、八神遥人は"明晰夢„に憧れを抱いていた。
明晰夢とは自分で夢だと自覚している夢のことである。
この夢の魅力は夢のコントロールが可能である点だ。なんでも好きなことが出来る。
例えば、空を自由に飛んだり、自分の部屋からパリのエッフェル塔、ハワイのビーチだって一瞬で行くことが可能だ。上手くいけば、この世のオタクたちが憧れる異世界で魔法を使って無双することだって出来る。厨二心をくすぐるまさに夢のような代物だ。
明晰夢を見るには”夢と現実との違い„から夢であることを自覚しなくてはならない。
急に夢を自覚しろと言われても困惑するかもしれないが、いたって簡単だ。
現実の世界ではあり得ないことや、現実世界の生活との矛盾を見つければいい。
例えば、突然天井から大量の包丁が落ちてきたり、死んだおばちゃんが当然のように家でお茶を飲んでいるとか。非現実的な”違和感„を見つけていけば夢の自覚は容易に出来る。
明晰夢に憧れる八神遥人は高校2年生17歳だ。
悲しいことにイケメンでも高身長でもない。
逆に容姿は老け顔と言われる顔に、身長163cmという女子にも負けるかもしれない低身長の持ち主だ。
至って平凡。いや、コンプレックスが多い遥人が明晰夢に憧れるのは無理もない話だろう。
遥人は湧き上がる期待を胸に秘め起き上がろうと上半身に力を入れる。
期待を裏切るかのように上半身に力が入らない。
――金縛りだ。
予期しない出来事にパニックを起こしかけている自分を制止し、手や足にも力を入れようとするがやはりぴくりとも動かない。
期待で胸が膨らんでいた遥人の心は空気が抜けた風船のようにしぼみ、不安が支配しつつあった。
”少なくとも自分の身に何かが起きている„ということに不安を覚えているのだ。
身体が動かない分、目から得られる情報は多くはない。確実にいえるのは目の前に見える薄汚れた鉄製の天井は身に覚えがないということだけ。もちろん目覚める直前の記憶は自分の部屋だ。
徐々に明らかになる異質な状況。遥人の不安は恐怖へと変わっていく。
◇
どのくらい経っただろうか。
時間を知る術がない遥人には検討がつかない。
唯一理解出来るのは、状況が好転に向かっていないことだけだ。
ただ、絶望的な状況の中で遥人はぼーっと過ごしていたわけではない。
自分の身に起きている現象の原因と解決法、ここは果たして現実なのか夢なのかを考えた。
しかし、出てくるのは憶測だけ。
答えを出すには明らかに情報が少なすぎた。
――変化は静かにゆっくりと訪れてくる。
突然、重量のある扉の開閉音が響き、こちらに近づく足音が聞こえてきた。
向かってくるのは一人ではない。
人数まではわからないが二人以上いることは確かだ。
足音が大きくなるにつれ鼓動が速くなる。
遥人の耳だけではなく全身からも近づいてくる足音は鮮明に伝わってきた。
もうすぐやってくるであろう変動に向き合う暇を与えず、それらは止まる。
「目覚めたようだね」
発せられたその声は、想像したものとは程遠い温厚な老人の声だった。
◇
「クレール、早く“能力„を解きなさい」
「了解しました。では失礼します」
遥人の心がざわつく。
原因は、老人らしき人物が語った”能力„という単語だ。その意味が彼の求めているものと同じなら……。
老人の命令でクレールと呼ばれた男が近づいてくるのが遥人には足音で分かった。
再び鼓動が大きくなる。
鼓動の意味はさっきとは異なり遥人の心に恐怖が薄らぎ希望の色に染まりつつあった。
一つの単語で劇的に変化している心境に奇妙さを感じながらも、自分の感情に身を任す。
視界にクレールと思われる人物が映り同時に、自分のなにかが身体に触れる感触がした。
麻酔を打たれたかのように何も感じなかった身体に感覚が甦る。
いきなり元に戻ったからなのか少しけだるさがあったがそれ以外いたって正常だった。
「今まであなたの身体の自由を奪っていたのは、私の”触れた物の時間を止める能力”によるものです。本当に長い間拘束して申し訳ありませんでした」
遥人は起き上がるとクレールと呼ばれていた人物の方を見る。そこには近代的な軍服を着用した眼鏡を掛けた男がいた。男は少し遥人の様子を確認すると彼から離れていく。
遥人は深呼吸するとクレールの話していたことをもう一度頭に思い浮かべる。
触れた物の時間を止める”能力„。
彼の心はもう恐怖から歓喜へ完全に塗り替えられた。
弾む心をおさえつつ、クレール以外の声の主に目を向ける。
目線の先には彼と同じ軍服を着た二人の男がいた。
一人は長身でがっしりとした身体付きでクレールとは正反対な脳筋のような風貌をしたいかつい男。
脳筋男とクレールの間に立つ人物が恐らく最初に話した老人だろう。
声の印象と変わらぬ温厚さはあるが、目から力強さを放っており、ただの年寄りとは思えない雰囲気を醸し出していた。
「私はここの長を務めさせてもらっているギャレック・ヨースティンだ」
「俺の名前は八神遥人です。ここはどこですか?」
遥人は”ギャレック„と名乗る老人に自己紹介を挟みつつ質問する。
「ここはアルディエル牢獄だ。殺風景なところだよ」
ギャレックの話したことが本当なら遥人がいるのは監獄ということになる。
もちろん遥人は監獄に入れられるような罪を犯した覚えはないし、アルディエル牢獄なんて監獄聞いたことがない。現実世界とは到底考えられなかった。
遥人は改めて周囲の様子を確認する。
規模は一人を収容するには大きく、体育館ほどあった。
天井、壁、床全てが鉄製でそれ以外何もないまさに牢獄に相応しい風景。ギャレックの言葉通り殺風景な場所だ。
「ではなぜ牢獄に? 動きまで封じといて保護では通りませんよ」
「簡単な話だよ。君は危険だと判断したからだ」
「危険? 俺がですか?」
遥人はギャレックの発言に驚く。至って平凡な生活をしてきた彼は今まで一度も危険なんていわれたことがない。
ふっと遥人の中で一種の期待が芽生える。もし、ここが”明晰夢が作り出した世界„なら物凄い能力を持ってたり、どこかの主人公のように莫大なチャクラ的なものを持っているとかいわゆる、チートがあるかもしれない。
「君が牢獄の正門で発見されたことだ」
違ったみたいだ。
遥人はギャレックの発言に拍子抜けしてしまう。彼が考えた以上に普通だし、はたして牢獄の正門で発見されたことは危険なのだろうか。危険というよりおかしいという表現の方が近いのではないのか。
「君は理解していないようだが、牢獄の正門で発見されること自体がありえないのだよ」
「どういうことですか?」
「ここの周辺にある樹海は、広く複雑な構造をしているうえに生命を吸い尽くす。これがなかなか厄介でね......。一時間もいれば私たちでも無事でいられるかわからない。しかし、君はそこを抜けた。考えられるのは、我々三人しか知らない抜け道を通って来たか、なにかしらの対抗手段を持っているということだ。そんな不確定要素を持ち、牢獄の近くまで勝手に侵入したときた。そんな男を危険と思わない人間がどこにいるのだね?」
たしかにギャレックのいうことは間違っていない。彼がいうことが本当であれば遥人でも同じ判断をしただろう。”樹海„というだけで危なそうなのに、生命を吸い尽くすというワードがついている場所を抜けたら誰しもが”危険„だと思う。
「質問は以上かな? ではこちらから質問させてもらうよ。君はどこからきたのかな? そして、目的はなんだい?」
遥人にとってこれらの質問は答えづらいことだ。
事実を答えても信じてもらえる可能性は低い。
嘘をついてもバレてしまったらただではすまないだろう。
拳を握りしめ、覚悟を決める。
――今ここで世界の創造主は力を行使することを決めたのだった。
初めまして、HIGEKIです。読んでいただきありがとうございました。拙い文章ですが、これからも読んでいただければ幸いです。ご感想、ご意見、誤字脱字報告などお待ちしております。