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泣き虫の神様

作者: エイジ

 

 ――驚きました。

 降り続く雨を窓越しに見ていたら、

「ミヤ様が、お泣きあそばしているのでございましょう」

 と、クラスメイトの女子に声をかけられたのです。

「……え?」

 その女子が何を言ったのかわからなくて、僕は首を傾げてしまいました。いつまでも降り続く雨のことを言ったのでしょうか?

 もう、一週間も雨が降り続いています。

 教室の二階の窓から見えるグラウンドは、池のように水を湛えています。その雨を、うんざりして僕は見つめていたところです。

「なに固まってるのよ。私の名前、知ってる?」

氏置映美(うじちえみ)さんだよね」

 もちろん知っています。クラスメイトだから、友達でなくても名前くらいはわかります。

 僕たちは中学一年生です。男子と女子は敵対してるわけではないけど、お互いを意識し過ぎるためでしょうか? 男女間での会話はあまりありません。そういう男女の垣根がない生徒もいるけど、僕は意識する派です。僕からは女子に話しかないし、向こうからも話しかけてきません。だから声をかけられて驚いたのです。

 映美さんは、窓際の席に着く僕の横に立って、僕と一緒に外を見つめます。

「あの……ミヤ様ってなに? ミヤ様が泣いてるって言わなかった?」

木津井(こづい)神社の神様の名前。彼女が泣いてるの。雨はそのせいだと思う」

「こづい神社……?」

 僕は首をひねりました。そういう神社がこのへんにあったでしょうか。

「泣き虫の神様の」

「ああ」

 その説明で僕は合点が行きました。学校の近くにそういう神社がありますね。あの神社、木津井神社というんですね。最後に勉強になりました。自分の故郷のことはなるべく詳しく知っておきたいですから。

「あと二週間ね」

 寂しそうに映美さんが言いました。そうなんです。僕はあと二週間で転校します。父親の転勤があるのです。

「まだ二週間もあるじゃない」

 僕は笑顔を返しました。

 僕が転校するまで、あと二週間もあるのです。そういうふうに前向きに僕は考えています。二週間あれば、まだまだ色々なことができます。

「私、寂しいの……」

「ちょっと?」

 驚いたことに映美さんが泣いています。

 始まりがあれば終わりがあり、さよならがあれば初めましてもあります。映美さんとは、今まで口を利いたことがなかったけど、僕に話しかけてくれたのは僕がもうすぐ転校するからなのでしょう。一週間前に、担任が教室で生徒たちにそう告知しました。僕の口から言うのは照れてしまうので助かりました。だから映美さんも僕の転校を知っていたのです。

 映美さんとは、もしかしたら転校が無ければ一度も口を利く機会がなかったかもしれません。転校して会えなくなるのに、むしろ接点が転校のせいで増えた可能性があります。僕は前向きに考えることにしています。

「話しかけてくれて、ありがとう」

 僕はちゃんとお礼を言いました。

「私はいつも涼太(りょうた)くんに話しかけていたのよ。……心の中でだけどさ」

 恥ずかしそうに映美さんが笑います。

「そうなんだ」

 僕は平静を装って言いました。どういうことでしょう? 僕と友達になりたかったのでしょうか?

「さっき、へんな喋り方をしてなかった? へんなというか、丁寧な言い方。お泣きあそばしているのでございましょう、とか」

「私、神社の娘なの。それで、つい癖で」

「巫女さんでもやってるの?」

「たまに」

 映美さんの巫女さん姿を僕は想像しました。映美さんは清楚な佇まいで、ストレートの綺麗な黒髪を持っています。巫女さんの紅白の衣装が似合いそうです。ちょっと、残念でした。もう少しそれを早く知っていれば、初詣のときなどに映美さんの神社に出掛けて、その姿を見ることができたかもしれません。

 丁寧な話し方は、僕も母に言われてなるべく丁寧に話そうと心がけています。友達相手には笑われるので丁寧に話しませんが、それ以外ではなるべく丁寧に話します。僕は悪戯っ子で汚い言葉を使っていました。今も素行が悪いかもしれません。せめて言葉遣いくらいは丁寧でありたいと思っています。つられて、素行も良くなるかもしれません。

「神社の娘って、お父さんが神主さん? だから神社のことに詳しいんだね。ミヤ様がお泣きになってるってどういうこと?」

「ミヤ様がお泣きあそばしているから雨が降ってるの」

「雨の神様?」

「ええ」

「じゃあ逆に、雨を止ませる神様にお祈りしなきゃね」

 僕は窓の外をみて嘆息しました。

 もうすぐ転校だから、自分の生まれ育った町をもう一度見て周りたかったのですが、こう雨ばかりが続いては、それもままなりません。

「どこの神様かな、雨を止ませるのは。あるなら僕、お参りに行ってくる」

「一緒に行く? すぐそこだから、学校が終わったら一緒に行こうよ」

「いいけど……」

 クラスメイトの女の子と出掛ける約束をしてしまいました。ちょっとデートっぽくはないでしょうか? 考え過ぎですね。

 でも、やっぱり色々な神様が居るようです。小さな神社や祠みたいなものが道の外れにあったりするので、雨を止ませる神様もその中に居るのでしょう。良かったです。またこの町のことを詳しく知ることができました。


 放課後、僕が下駄箱のところで待っていると、映美さんがすぐに現れました。それはそうですね、今さっき帰りの会が終わったばかりです。一緒のクラスだから、すぐに現れるに決まっています。

 映美さんは傘を持っていません。

「忘れたの?」

 僕は聞きました。毎日雨が降っています。そういうことがあるでしょうか。

「持って来てるに決まってるじゃない。誰かが間違えて持っていったか、盗まれたのよ」

「盗まれた?」

「いやんなっちゃう」

 しかし、なぜか顔はさっぱりしています。それほど悔しくないようです。

「その、雨を止ませる神様って遠いの? 一緒に入って行けるかな」

「入れてくれるの?」

「もちろん」

 僕と相合傘なんて嫌に違いない。そう思ったのは杞憂でした。嬉しそうに映美さんは僕の傘の下に入ってきます。僕たちは肩を寄せ合って雨の中を歩きました。

 ところが、歩いて少したつと雨が止んだのです。晴れ間がさっと出てきました。ああ、太陽っていいですね。一週間ぶりに見ました。

「ちっ……」

 映美さんは下唇を突き出して不満の表情をしました。

「今、舌打ちしなかった?」

 見間違いでしょうか? 彼女は清楚な見た目です。巫女さんの話を聞いてから、僕はもう彼女が巫女さんにしか見えなくなっています。そんな彼女が舌打ちをするでしょうか。

「い、いいえ。間違えて」

 映美さんは赤い舌を出して頬を紅潮させます。恥ずかしそうなその笑顔が可愛いです。

「もう少しで私の家だから来てくれる?」

「映美さんの家?」

「私の家、泣き虫の神様の神社だよ。お父さんがそこの神主だから」

「雨を止ませる神様は?」

「そんなの居ない。でも、泣き虫の神様が雨を降らせてるんだから、そこの神様をなんとかすればいいのよ。同じことよ」

「そうだね……」

 また雨が降り出しました。安定しない天気です。僕らはまた一緒の傘に入って泣き虫の神様の、彼女の家の木津井神社を目指します。雨は降ったり止んだりでした。肩を並べて歩くのが恥ずかしかったので、雨が止むと僕はすぐに傘をたたんで彼女と離れて歩きます。

「ちっ……ちっ……」

 って、僕が傘を折りたたむたびに映美さんは小さく舌打ちをします。癖なのでしょうか? せわしなく傘を開いたり閉じたりする僕にイラついてるのかもしれません。僕は少し怖くなって、雨が止んでも気付かないふりをして傘を差して歩きます。映美さんの横顔をちらりと見ると、映美さんも僕の方を見て満面の笑みを返してくれます。いいですね、ちょっと彼女が出来た気分です。こっそり、この幸せを味わいましょう。

 路地裏の道を映美さんに案内されて歩きます。このあたりは僕もよく知っています。小さい頃は遊びのテリトリーでした。久しぶりに歩いたのですが、昔となにも変わっていません。雨の日でもこうやって自分の町を見て周ることができるんですね。明日から、下校時には足を延ばしてあちらこちらを見て周ろうと思います。


 木津井神社の前までようやくたどり着きました。映美さんの家もここにあるようです。

「遠回りしたことに気づいた?」

 彼女が悪戯っぽく笑います。

「違う場所に行くのかなって思っちゃった」

「おかしいと思わなかった?」

 彼女は首を傾げて僕に聞きます。

「思ったけど、これで歩き収めかと思ったら、どの道も愛おしくて、歩けて良かっ――」

 そのときです。僕の言葉尻を消す勢いで雨足が強くなりました。僕たちはひとつの傘に身を縮めます。雨はすぐに弱くなりました。僕は続きを話します。

「君に感謝しなきゃね。僕のために、わざと遠回りしてくれたんだね」

「ちがうのよ」

 映美さんは言いました。

「涼太くんと一緒に歩きたかったのよ。わざと遠回りして距離を稼いだの」

「そうなの……」

「なぜだかわかる?」

「最後だからだね」

 まもなく転校して居なくなる僕に、惜別の想いを抱いているのでしょう。

「ちがう!」

 しかし、映美さんは言いました。ちがうって言う前に、軽く舌打ちもしていました。

「思ったより鈍感ね。最後の一言を今言わなきゃわからない?」

 ああ、もう鼓動が止まらなくなりました。映美さんが怒っています。たぶん、雨に濡れたせいでしょう。相合傘はロマンチックではあるけれど、はみ出して濡れてしまいます。映美さんは傘を盗まれ、しかたなく僕と一緒の傘に入る羽目になりました。雨は降ったり止んだり時々豪雨。苛々するのもわかります。僕は優柔不断だと母によく叱られますし、そういう欠点を隠そうとしても映美さんにばれてしまって、それも映美さんをイラつかせているのでしょう。

「ごめんね」

 僕は謝りました。

「どうして謝るの?」

「映美さんが怒ってるから」

「怒ってない!」

 ……いいえ、相当怒ってます。

 そのまま、怒って家に帰ってしまうのかと思ったら、映美さんはすぐに笑顔を復活させて、僕を泣き虫の神様の神社の中へと誘いました。僕たちは相合傘で境内に入って行きます。

「あそこが私の家なの」

 神社のとなりの二階建ての家を映美さんが指さします。お父さんはここの神主さんです。神主さんの私生活とは、いったいどういうものでしょう。晩酌にビールを一杯やるのでしょうか? ビールを飲みながらプロ野球中継を観たりするのでしょうか? 不思議ですね、神主さんと聞くと、そういう普通のお父さんの姿が想像できません。

「映美さんって結婚するの?」

「はあ?」

 眉を寄せて映美さんが僕を見ます。中学一年生に尋ねることではなかったかもしれません。

「いや……というか、映美さんって、ここの神社の娘さんでしょ。映美さんと結婚する男の人は、もしかしてここの神主さんになるのかなって。なんとなくそんなことを考えて」

「涼太くん、神主さんになりたい?」

「考えたこともない」

 正直に言ったのですが、

「ちっ」

 と、かなり大きな舌打ちを映美さんはしました。怖い顔で僕を睨みます。

「ねえ、一度もないの?」

「それは……」

 まあ、ないですね。でも雰囲気的に「ない」とは、はっきり言えません。

「どうだったかなあ」

 神社の息子でもない者が、神主になることを考えたりするでしょうか?

 映美さんは言いました。

「だって、私と結婚する人が神主さんになるかもしれない。そういう可能性を涼太くんは今、考えたんでしょ? 涼太くんは私と結婚する可能性を一度も空想したことがないの? 空想だよ? 今まで過ごした何万時間の中で、たったの三秒の空想もしたことがないの? 本当に?」

「それは……」

 ありませんでした。

 映美さんは、さっきグラウンドを見つめる僕のとなりに来て、それで僕は彼女の存在を認識したのです。それまでは、名前を知ってるだけのクラスメイトの一人です。たったの三秒も、彼女との結婚生活を考えたことがありません。

「ねえ、ないの? 私との結婚を空想したことが。たったの一度も」

「何度かあった気がする」

 嘘をつきました。

「どうだか……。涼太くん気を付けて。私が最後の一言を言ったら終わりだからね」

 嘘がばれたのでしょうか? また怖い顔で映美さんが僕を睨みます。笑顔が可愛い子なので、そのギャップで、より恐ろしく見えてしまいます。

「終わりと言うか、最後の一言はお別れのときに言うつもりだったからとっておく」

「お別れか……」

 悲しくなってきました。

 

 この木津井神社は別名、泣き虫の神様――。

 本殿の前に僕らは並んで立ちました。小さな神社ではないのですが、雨降りということもあって誰も居ません。掃除の手は行き届いているようで静寂として、雨に濡れた境内は荘厳な雰囲気で佇んでいます。

 からんからん……と、映美さんが鈴を揺らし、僕たちは手を合わせました。

 雨が止みますように……。

 僕はそうお祈りしました。お賽銭も入れていません。こんなので神様がお願いを聞いてくれるでしょうか。

「なにをお願いしたの?」

 すぐに映美さんが僕に聞きました。答えようとすると、

「お願いすることなんて一つしかないよね」

 と、僕の返事を待たずに映美さんが言います。

「私も涼太くんと同じことをお祈りしたの」

「映美さんも?」

 短い間ですが、彼女の性格がわかってきています。うっかり自分の願い事は言えません。「同じこと」と彼女が言った以上、違かったら火傷をします。

 僕は探りを入れました。

「本当に同じかなあ? 映美さんはどんなことをお願いしたの?」

「もちろん、涼太くんが転校しませんようにって。転校しても、早く帰ってきますようにって」

「僕が?」

「同じじゃない?」

「も、もちろん同じ。転校なんて誰だってしたくないし、できれば戻ってきたいし」

「怪しい」

「えへへ……」

 でも、願い事が一緒でなくても大丈夫のようです。映美さんは、僕の「雨が止みますように……」という本当の願い事を聞いて、綺麗な笑顔で笑ってくれました。面白い子ですね。もっと早く知り合えたら良かったです。あと二週間で僕は転校ですから、これから仲良くなっても別れが辛くなるばかりです。

「神様って、どんな願い事でも聞いてくれるのかなあ?」

 僕は、お社を見上げて言いました。願い事を聞いてくれるなら、本当に転校を取り消してほしいです。

「うん。そこの絵馬だって、受験のお願いをしたり、健康祈願をしたりで色々だよ。なんでも神様は聞いてくれるんだよ」

「ふーん。僕、ここに小さい頃に連れてこられたことがあるよ。泣き虫だったから、それを治して貰うために」

「泣き虫、治った?」

「たぶんね」

 小さい頃、母に連れられて泣き虫の神様に、僕の泣き虫を治して貰いに来たことがあるのです。でも、ちょっと誤解だったようです。映美さんによれば、この神社は神様自体が泣き虫で、神様がお泣きになると雨が降る……。そういう伝説の神様らしいです。

 昔、日照りがあると、村人がここに集まって、神様に恐ろしい話を聞かせたのだそうです。するとその話を聞いて、神様が泣いて雨が降る。そういう神様が祀られているそうなのです。

「僕のお母さんが、泣き虫を治す神様だって誤解したんだね」

「そうね」

 映美さんは、お腹を抱えて笑いました。

「そんなに面白い?」

「あはは。だって、泣き虫の子を連れて来たら、神様もつられて泣いちゃうじゃない」

「そういえば、あの日は雨が降ってたかも」

「覚えてるの?」

「小さな女の子と、僕は一緒に泣いたような……」

 僕は首をひねって考えました。すっかり忘れていたのですが、ここに来て思い出しました。ここに連れてこられた僕は、ここの神社が恐ろしくて、さらに泣きました。本殿から顔をのぞかせた僕と同じくらいの小さな女の子がいて、泣く僕を見て一緒に泣いたのです。


 また、雨がどっと降ってきました。滝のような雨で、僕らは本殿のひさしで雨宿りをします。

 日が傾き始めているので夜みたいに暗くなりました。映美さんは怖いのか、僕のとなりに肩を押し付けるように居て、僕の手をそっと握ってきました。柔らかくて温かい手です。握り返すのもなんだかだったので、僕の手に重ねられたその手を心で握り返すだけにしました。

「映美さん?」

 うつむいている映美さんの顔を覗くと泣いていました。

「僕、気付いたかも……。あの女の子、もしかして映美さんだった?」

 僕と同じくらいの女の子です。映美さんはここの神社の娘だから、あの日、本殿に居たのかもしれません。

「……覚えてるの?」

「うん。思い出した。あれ、映美さんだったんだね。映美さんは、あれが僕だって知ってたの?」

「うん。知ってた。あのとき、一緒に遊んだのを覚えてる? すっごく楽しかった」

「そうなの? 映美さんは、僕とのことをずっと覚えてたの?」

「うん。ずっと」

 あれは幼稚園の頃だと思います。映美さんとは幼稚園も小学校も同じでした。でも、中学一年生で初めて同じクラスになりました。

 そういうことがあったから、今日は僕に話しかけてくれたのでしょう。転校は嫌だけど、こうやって良い意味もあります。転校がなければ、映美さんはずっと僕に話しかけてくれなかったかもしれません。泣き虫でここの神社に連れてこられた記憶も、霞の向こうに消えて忘却の彼方に追いやられるところでした。

「治ってないよ」

 映美さんが僕の瞳を指さしました。

「……いや、これは嬉し涙。思い出せて良かったから」

「うん。思い出してくれてよかった」

 映美さんも嬉しそうに笑います。

「わあっ!」

 僕はおもわず声を上げました。あざやかな夕焼けが雲の間から見えます。不安定な天気が劇的な光景を作り出しました。美しい夕焼けが棚引きます。空の青と雲の白。それに夕焼けのオレンジ。その中を雨がぱらぱらと降っています。

「嬉し涙はお天気雨」

 映美さんが綺麗な笑顔を浮かべてそう言いました。

「嬉し涙はそうなの? なら、この一週間は、泣き虫の神様はずっと悲しかったんだね。ミヤ様だっけ?」

「うん。ミヤ様は、ずっとお泣きになっているの」

「どうしたら泣き止んでもらえるの?」

「わかんない」

 映美さんが両手で顔を覆って、わんわん泣き始めました。また、雨がどっと降り出しました。すぐに夜みたいにあたりは暗くなりました。

「もしかして君が……君がミヤ様? 君が雨を降らせてるの?」

「わかんない、わかんない……。涼太くん、行かないで……」

 彼女は泣き止みません。映美さんはミヤ様に乗り移られているのでしょうか? それとも、彼女自身がミヤ様なのでしょうか? 彼女が「わかんない」ものを、僕がわかるはずがありません。


 雨は強勢のまま、さらに二週間も続きました。道路が冠水して登校困難になって休む生徒が日に何人か出ますが、だいたいは出席しています。僕も長靴で登校しています。

「雨、相変わらず降ってるね」

 昼休みに、僕は映美さんのところに行って話しかけました。もう、女子に話しかけるのが恥ずかしいとかはないです。僕は今日を最後に転校します。

「ミヤ様がずっとお泣きに……」

 その後は、言葉が詰まって映美さんは言えないようでした。

「まだ、お泣きあそばしてるの?」

「ええ……」

「映美さん、僕に言いたいことがあったんでしょ? 最後のときに言うって。もう今日が最後だから言ってよ」

 僕は、毎日一回くらいは映美さんに声をかけるようになっていました。本当の映美さんなら、このあたりでイラついて舌打ちをするところです。イラついてというか、上手くいかないこととか、予定外のことが起こると彼女は舌打ちをします。それも彼女の個性ですが、あんまり良い癖ではないですね。

 彼女の舌打ちは、

「あら」

 というほどの感嘆詞なのです。心が弾けたときについ出てしまいます。でも、近頃は元気がなくて、それを聞くことも無くなっていました。

「ねえ、僕に言いたかったことを言ってよ。気になるよ」

「なら、言う」

「うん」

「……さよなら」

 映美さんは机につっぷしました。肩が震えています。天を突いたような雨が突然降り出しました。


 僕は帰りの会で教壇に立ちました。そして、最後のお別れの言葉をクラスメイトに言いました。映美さんは僕の方を見ません。悲し気に窓の方を見ています。

「元気でな!」

 男子たちが僕の頭や肩をがしがし叩きます。これで終わりです。最後の日がやがて来るのは知っていました。本当に来ると泣きそうになります。


 校門を出て、僕は自分の家ではなく、泣き虫の神様のところに向かいました。もう一度、映美さんに会いたかったからです。

 映美さんは、神社の鳥居の前に立っていました。

 僕は慌てて映美さんに近寄ります。映美さんは雨の中、傘も差さずに立っているのです。

「風邪ひくよ。また傘を盗られたの?」

「盗られた?」

「前に傘を学校で盗まれたって言ってたじゃない」

「あれは嘘。涼太くんと相合傘がしたかったの。今は涼太くんの姿を見た瞬間、傘を放り投げたの。駆け寄ってくれると思ったから」

「そうなの……」

 映美さんの後ろに、放り投げたらしいピンク色の傘があります。僕の傘の下で、「ごめんね」とピンクの傘に謝って、映美さんはそれを拾い上げてたたみました。また、僕らは相合傘です。

「長靴なんて履いちゃって」

 軽く、僕の長靴を映美さんが白のスニーカーで蹴りました。少しお行儀が悪いです。せっかくの白のスニーカーは雨で濡れて台無しになっています。

「来てくれる気がしてた」

 映美さんはようやく笑ってくれました。

「映美さんに言いたいことがあったから」

「……なに?」

 そうやって、面と向かわれると言いにくいものです。でも、最後だから勇気を出します。

「君に会えてよかった」

「……それが涼太くんの最後の一言?」

「うん」

 元気が戻ったようです。ちっ……と、映美さんの舌打ちをする音が軽く聞こえました。

「その舌打ち、あんまりいい癖じゃないね」

「……はい。気を付けます」

 恥ずかしそうに映美さんは首を竦めました。

「今度は私の番。私、言うよ。最後の一言」

「学校で聞いたような……」

「これから言うことが本当の最後の一言」

「……うん。なに?」

「私は涼太くんのことが、ずっと好きでした! ずっとずっと、幼稚園のときから」

「あ……」

 僕はやっぱり鈍感でした。薄々も気付いていませんでした。そう言って貰えるなら、僕が先回りして「好きだ」と言うべきでした。この二週間、彼女のことばかりを考えていました。意識するに決まってます。彼女との結婚生活も、何度も空想しました。僕が神主さんになる姿も空想しました。なり方はわからないんですが。

「言っちゃった」

 映美さんは真っ赤な顔で舌を出しました。雨がさっと止んで、晴れ間が出てきました。

「僕、ちょくちょく遊びにくるからさ」

「どうやって」

「となりの県なんだよ、僕のお父さんの転勤先。休みの日には毎週だって来られるよ」

「……そうなの? 私、もう会えないと思ってた」

「だから僕、会いに来るね」

「誰に?」

「誰にというか……」

 僕は躊躇しました。でも、男の子だから言うしかありません。

「映美さんに!」

 晴れ間に、ぱらぱら雨が降ってきました。お天気雨です。お天気雨は大丈夫です。すぐにカラッと晴れるでしょう。〈了〉


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― 新着の感想 ―
[良い点]  最後に言いたいことって何だろう。  きっと告白だ、とわかっていても、緊迫感ある地の文でハラハラしました。 [気になる点]  舌打ちに何か意味があるのかな、と思っていたのですが、悪い癖だと…
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