偽りの聖女(2)
エレナ=スカーレット
片手に聖書を持ち
馬上からひれ伏す民に向かい
おぼろげな微笑みを振りまくその姿はまさに聖女だ
遠巻きに見てもはっきりとわかる美しさ
艶のある肌に整った顔立ち
修道着からはみ出た黄金色の髪が特徴的だった
表向きは神に仕える崇高な天使
誰の目にもそう見えた
しかし
裏では金額次第で誰とでも体を重ねる魔性の娼婦
「この村に平穏の有らんことを・・・」
ここはエストアナから少し離れた小さな村
ボロ布を着た農民たちが一目その姿を拝もうと馬に乗ったエレナに近づき
それを4人の鎧で身を固めた兵士が突っ張ねる
エレナはすがるような農民たちに祈りの言葉をかけ続ける
迷える者達への聖女の救済だ
農民たちが名残惜しそうに見守る中
一行は小さな村から離れていった
聖職者が山や森を抜けた地方の村を訪れ
布教する様はよく見る光景だ
俺がオークだった時にも村に隣街の教会から訪れてくる奴らがいた
神がどうの、信仰がどうの、と力説していたのを思い出す
腐敗したエストアナの現状を考えてみると
あの時の奴らは純粋でまともな聖職者だったのだろう
・・・もっぱらオークが興味を示したのは護衛についてきた戦士たちの装備だったが
道中、魔物や盗賊たちが聖職者を襲う事件はよくある
身に着けている高価な装備なりを剥ぎに来たり
聖職者が美しい女性であるなら
犯された後に奴隷として売り飛ばされることも少なくない
その為、聖職者の旅には絶えず屈強な兵士が付き添っていた
一行はエストアナへ帰るために森の中を進む
森は見通しがよく、襲われる要素も少なかった
しかし
木陰が重なり、一瞬森が太陽を拒んだ
森全体を影が覆う
それはほんのわずかな時間ではあったが
数人の盗賊たちが一行を囲いこむのには十分であった
ヒュンッ
暗がりから放たれた弓矢がエレナを守る騎士の一人に突き刺さった
それを合図に茂みから3人の男が躍り出る
各々の手には鎧を引き裂くのに十分な刃が握られていた
誰かの怒号と共に
森の静寂が一瞬にして破られる
地の利を奪われ完全な不意を突かれた騎士たちは
つば競り合うこともなく次々と切り崩された
純白の鎧に歪に砥がれた直剣が突き刺さり、吹き出た鮮血が森を真紅に染め上げた
勝利を確信した盗賊たちは下卑な笑い声を上げ
馬上の戦利品に血まみれの腕を伸ばした
刹那
盗賊の頭に一本のナイフが突き刺さり、音もなく崩れ落ちた
「誰だッ!?」
次に不意を突かれたのは盗賊たちであった
立て続けに黒い戦士の放ったナイフが一人、また一人と血の池に沈める
「き、貴様っ!」
盗賊の一人が手慣れた手つきで弓に矢をつがえる
即座に弦を引き俺の方へと構えなおすが
一連の動作より早く男へと接近した俺の腰から放たれた剣が
男の下腹部を真一文字に切り裂く
最後の盗賊は苦痛に顔を歪め、地面に倒れこんだ
「おい、あんた怪我は?」
俺は剣を鞘に納め、体の硬直したエレナを馬から抱き下ろした
「あ、ああ。なんということ・・・」
エレナは森に散らばった肉片を見て、驚愕の声をあげた
「あ、あなたは?」
「旅人だ、エストアナに行こうとしていたんだが、あんたは運がよかったな」
「なんとお礼を言ったらいいのか・・・私はエレナと申します。エストアナにある教会の司祭です。あの、お名前は?」
「・・・グレンだ。街まではもう少しなんだろ?俺が護衛しよう」
俺はエレナを馬に乗せ、再び歩を進めた
もちろん、この盗賊を雇ったのも、仕向けたのも全て俺だ
伯爵の城に入るためには一枚の札が必要だった
門番の持つ札と合わせ、絵柄が揃う者だけが入ることを許される
この札の片方を持つのは伯爵の選んだ美しい聖女たち
幸い選ばれた娼婦たちの顔は把握されていない
門番の兵士はあくまで札によって入城する娼婦たちを確認していた
俺が札を入手し、アルが聖職者に扮して伯爵に接近
後は移動魔法で縛りあげた伯爵ごと城から抜け出せばいい
問題はこの札をどうやって入手するかだ
俺の作戦が上手くいけばいいが・・・
「本当に何と言ったらいいか・・・言葉が見つかりません」
エストアナに着いた俺はエレナの好意で教会を訪れた
教会の庭は綺麗なバラで彩られ、数人の庭師が枝を整えていた
教会の隣には小さな孤児院が立っており、建物は装飾がかった柵で覆われていた
正面には大きな鉄製の扉があり
鋼鉄の錠前がぶら下がっている
「ここでは戦争によって住処を奪われた子供たちを積極的に保護しているのです」
「へぇ、大したもんだな」
「それが使命ですから」
エレナは微笑みながらそう語った
しかし俺は目の前の建物に僅かな違和感を覚えた
洒落た外装だが、見方によっては黒く大きな監獄のように見えなくもない
子供たちを封じ込める巨大な檻
いつのまにか日は沈み、聖堂に明かりが灯る
古ぼけた木の入り口の向こうには
木製の長椅子が整列し、正面には威厳ある聖像と十字架が置かれていた
スタンダードな形だ
使用人たちはもう帰ったのか
気が付くと聖堂にいるのは俺達だけだった
「ふぅ」
エレナはフードを脱ぎ、肩まで伸びた綺麗な黄金色の髪が露わになった
「お強いのですね」
エレナの蒼色の目が俺の目を見つめる
澄んだ色だ
思わず吸い込まれそうになる
「是非お礼をしたいのですが・・・このような身分なので金品は差し上げられないのです」
細く、可憐な手が俺の腕をそっと掴んだ
エレナの人差し指が俺の腕を下から上へなぞり上げた
そのまま上半身を伝い、唇の前で止まる
「たくましい体・・・」
「ここは教会だぜ?」
ミリアは俺の手を握ったまま、教会の奥へと足を進めた
重々しい鉄製の扉のカギを開け
俺を部屋へと招き入れる
そして内側からカギをかけ直した
「ここなら神様も見てないの」
その部屋は異様だった
部屋の中央に置かれた巨大なベッド
その横には剣を持った騎士の姿が
いや、実寸大の置物のようだ
壁一面に得体の知れない絵が描かれていた
俺には全く理解し難い世界観だ
しかしここには俺たち以外誰もいない
絶好のチャンスだ
ドンっ!
俺はエレナをベッドに突き飛ばし、そのか細い首を上から押さえつける
「な、何をッ!?」
暴れるエレナを無理やり押さえつける
「お前に興味なんかない、伯爵から受け取った札を渡せ」
「くッ!死ねッ!」
エレナが指を鳴らした瞬間、横にあった騎士の像が剣を振り上げた
おそらくは操作魔法だろう
出来た魔法だが俺の障害ではない
俺は腰に携えていた直剣を抜くと共に鎧目がけて思いっきり投げつける
バンッ!
直剣を受けた衝撃で鎧が吹き飛び、鎧は剣ごと壁に串刺しになった
空中を切っていた像は魔法の効果が切れたのか
やがて動かなくなった
「あ、悪魔・・・」
「どっちが悪魔だ、孤児をかき集めて男に売るような奴が聞いてあきれるぜ」
「札ならその机の引き出しの中にある!本当よ!だ、だから殺さないで・・・」
俺はそう懇願するエレナを気絶させ、机から札を取り出した
間違いない、俺が探し求めていたものだ
「手間かけさせやがって」
これでようやく一歩進むことができる
俺は命よりも大切な札を丁寧に持ち上げ
女性に触れるかの如くそっと撫で上げた