偽りの聖女(1)
魔物の咆哮が深い森の中で響き渡る
遥か上空に生い茂る葉の隙間からこぼれる光が、かろうじて地面を照らしていた
正面に構えるのは漆黒の装備に身を包んだ男
巨大な狼の如き魔物は全身の毛を逆立て男を睨んだ
男は構えることもなく、ただ獣を睨み返した
獣の口がゆっくりと開く
何人もの冒険者を餌食にしてきた鋭歯が暗がりの中で不吉に光った
久々の食料に涎を垂らす
そして
魔物は強靭な足で地面を抉り
ただ本能のまま黒い男に飛びかかった
自分に勝てる生物など存在しないのだ
全てのモノは食料となる
それが食物連鎖の頂点に立つ者の定めなのだから
だがもし、この魔物に僅かな知性があったなら
この男が誰かを知っていたなら
森の覇者としての恥も外聞も捨てて逃げていれば
また朝日を拝むことができただろう
「だりゃァァァァァ!!」
魔物にも勝る男の声が森に響き渡った
鋭利な牙が男の半身を喰らうより先に
男の大斧が魔物の眉間へと振り下ろされた
斧の低く唸るような風切音が獣の毛並を揺り動かす
黒く、冷たい鉄の塊がいともたやすく魔物の頭蓋骨を破り
おびただしい血飛沫が吹きあがった
断末魔をあげる間もなく
顔を真っ二つにされた森の覇者は地面へと突っ伏した
冒険者になってから一週間
俺は一心不乱に依頼をこなし続けていた
魔物を狩り、獣を狩り
ただひたすらに殺した
気が付くと黒い戦士の異名がロザリアに広がっていた
「もうすっかり 人間 の冒険者ですね」
「来ていたのか」
木陰から姿を現したアルが皮肉交じりにそう言った
「対人戦が訛ってないといいですけど」
冒険者になってからというものの
アルには何かと助けてもらっていた為、すっかり頭が上がらなくなっていた
「ミリア様からの報告です。提督の居場所がわかりました」
「本当か!?」
提督・・・
俺がオークだった時に部隊をまとめていた人間の男
そして俺を嵌めた人物の一人
もしあの裏切りの謎を解く鍵があるとするなら奴が持っているはずだ
「どこにいるんだ」
「彼は戦後、一つの街を収める伯爵の地位を得ました。ここから遠くは無い、聖職者達の街エストアナです」
「そうか」
俺は斧を背負い、地面に落ちた黒いマントを羽織った
「アル、案内してくれ」
「えっ、これの賞金はもらわなくていいんですか?」
アルは血だまりを指さした
「お前にやる。冒険者ごっこも飽きてきたところだ」
「・・・勝手な人」
森を抜け北へしばらく歩くと、何もない地平線に巨大な壁が現れる
巨大な門は開いたままになってはいるが
両端には鉄の甲冑に身を包んだ兵士が
高台にはボウガンを手にした兵士が常に目を見張っていた
警備が手薄というわけではないようだ
街に入ると至る所に掲げられた十字架が目につく
街は日中だというのにも関わらず静寂に包まれていた
食料や武器を売るような店は少なく
代わりにこれでもかと教会がひしめき合っていた
街道を歩く者も白と黒の修道着に身を包んだ女性ばかりだ
片手に聖書を持ち、教会を出入りしている
俺たちのような冒険者の姿はあまりない
どうやら聖職者の街というのは伊達ではないらしい
「本当にこんな街を提督が収めているのか?」
俺の記憶が正しければ、奴は歳のくせに若い女を侍らせているような輩だったはずだ
それがなぜこんなところに?
アルと俺は街道に面した小さめの酒場に入り、席に座った
ちらほらと冒険者の姿はあるがあまり活気がない
他の席に座っている男たちは何故かきょろきょろと辺りを見回していた
「今にわかります」
アルがそう言うと共に一人の聖女が酒場の扉をくぐり、カウンターにいた男へと歩み寄った
年端もいかない修道着を着た少女は何かを男に耳打ちした
男は金貨の入った袋を女に渡し、少女がそれを懐へしまうと
2人は酒場の奥へと姿を消した
向こうにあるのはおそらく・・・
「なるほどな」
俺は深いため息をついた
「・・・だから僧侶は嫌いなんだよ」
夜
俺はベッドに座り、大斧を研ぎながら考えていた
(どうすれば奴と接触できる・・・?)
あくまで俺の狙いは帝国の内部に侵入する事
もし奴と不用意に接触し、誰かに俺の目的がバレてしまったらすべてが水の泡になる
だが、俺を襲った黒い騎士達が何者なのかを知らなければ
帝国内部に侵入したところで無駄な時間を過ごすだけなのは明白だった
とにかく今の俺に必要なのは確かな情報
誰にもばれることなく奴から情報を引き出し、始末しなければそれを得ることはできない
奴がいるであろう城の警備は手堅く
昼夜を問わず硬く閉ざされた門を守る大勢の兵士の目を掻い潜るのは不可能だ
兵士全員を始末することも考えたが
隠密にできるはずもない
時たま門をくぐり抜けていくのは兵士か修道着を着た売女ぐらいだった
迂闊に手が出せない
奴に会うためには城内部からの手引きがいる・・・
「いい考えは浮かびましたか?」
街の偵察から帰ってきたアルが窓から部屋へと入ってきた
その身のこなしはとても少女とは思えない
・・・少女
・・・俺の頭にある一つの名案が雷撃のように轟いた
内部からの手引き
奴の性格を考えれば簡単な事だった
「アル、売女になってくれ!」
「お断りします」
ぶん殴られた