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6「背徳と失望」

冒頭部分が纏まったので、UPします。途中保存の方法分かんないし・・・。

さぁ、存分に引っかかるが良い!


後、今回軽い下ネタが出るので嫌な人はまわれ右っ!


5/25 842文字文章追加

 薄暗い部屋の中で声が響く。一つは低く、そして甘い。もう一つは青く澄み()じている。



「無理です」

 伏し目がちに青年が告げた。声変わりを終えている割には高い声だ。

「あの時は出来たじゃないか」

 優しげな声で兎が諭す。彼の手が青年の肩に柔らかく置かれた。

 怯えに近い感覚が掌を通して伝わって来る。触れた瞬間、青年が身を(よじ)った様な気がした。


「・・・今は出来ません」

 困った様に青年の声が震えた。身体が震えているのは、屹度(きっと)濡れている所為だ。

「じゃぁ、次なら出来るのか?」

「それは・・・」

 耳元で(ささや)(わず)かに険を含んだ言葉がチクリと胸を刺す。屈辱未満の感覚が少し身体を熱くした。

 しかし、如何言われても希望に沿う事は出来ないのだ。





「おい、そんな言い方は無いだろ」

 見兼(みか)ねた鉄仮面が割って入った。甘過ぎないコロンの様な香りが鼻を(くすぐ)り、異性で無くとも少しドキリとする。

「あれは仮令(たとえ)(まぐ)れだとしても助かった事に変わりは無いだろう。最悪の事態も免れた。今、其の(まぐ)れをしろと言っても酷な話だ」



「すみません・・・」

 青年は肩を落とした。



 四人は捕獲した狂気を収容する施設の一角に来ていた。

 室内は広く、港に設置された倉庫に似ている。天井より少し低い位置には格子状の通路が掛けられ、其々格子の間に置かれた円柱形の透明な凍結装置には、強制的に休眠させられた大型の狂気が詰っていた。

 先のあの遣り取りも、艶めかしい場面でも糞でも無く、蟲との一戦で青年が発揮した真眼の力を再現出来ないか実験していた一場面である。



 此処に至るまでの事のあらましは、こうだ。

 蟲の捕獲、と言うよりは爆発で事態を収めた後、城に帰って直ぐに報告書を書く事となった。

 幸いチームで一つ製作すれば良い為、何だか面倒臭そうな事はすっ飛ばして、何事も万事問題無い様に書かれた訳だが・・・。其れが不味かった。


 内容の辻褄を合せるべく当事者の一人であるオーナーを帰し、女王に報告書を提出した所までは良かった。ところが、帰るどころか城内で迷っていたオーナーが職員の一人に保護され、女王の所まで連れて来られた事で事実が露見したのである。悪いことは出来ないもんだ。

 青年は真眼が発動した事、そして其れが先代とは異なる働きをした事も洗い(ざら)い白状し、四人共大目玉を食らったのは言うまでも無い。



 女王の激昂に縮み上がり、決意は何処へやら、青年は辞表を書く暇も無く此処へ連れて来られた。真眼の力を再現し、収容所の狂気を処理して来いと言う訳だ。黒兎達も有事の際の補佐として付いて来ている。

 全身は蟲の体液らしきものが付いた儘で、濡れた感触が気持ち悪い上に水分が気化して体温がダダ下がりである。

 しかし、期待に応える事は出来なかったが。




 それにしても・・・。


 鉄仮面の発言だが、フォローの筈が逆に擁護する対象の心を(えぐ)る結果となった。確かに言われた通りなのだが、二回も〝(まぐ)れ〟を強調されたのは傷付く。

 流石数少ない常識人、と思っていたのに・・・。勘違いだった様だ。



「ちぇっ、こっちは出来もしない再現に付き合わされてサービス残業してるんだから、此れ位言っても構わないだろ」

 黒兎は()ねた様に愚痴る。

 蟲の一件以来、一応仲間として認めて貰えたのか話し方が気易くなっていた。

 少々キツイ感じもするが。

 まぁ、女王に一喝された際に出来た頭上の大きなたん瘤でも見て溜飲を下げるしかない。



「付き合って居るのは、お前だけじゃないだろう。ヤマネもそろそろ限界が来ているのに・・・」


 そう言って鉄仮面が指した先では、山鼠がうつらうつらしている。

 しゅぴー、と鼻提灯でも出しそうな音を立てながら、時折首をふるふるして目を覚まそうとする姿は本来の小さい山鼠であったらさぞ可愛かったであろうに・・・。残念な限りである。



 其れから暫く無駄な努力を続けたが、矢張り何も変わらず、青年の腹が情けなく鳴った所で残業は終了する事になった。







 四人は残業後、蟲に付けられたヘドロ状の汚泥を落とすべく、更衣室の隣のシャワー室で汚れを落としていた。

 市民プールに設置されている様なコンクリート製の其れは、個々の仕切りも無く、丸出(まるだ)・・・、いや開けた空間となっている。

 三人組みは其々入浴セットを持っていたが、不所持の青年は隣の鉄仮面に貸して貰う事となった。


 白く温かな(もや)が垂れ込める中に雨垂れの音が木霊する。

 鉄仮面の黒く焦げた長い指の合間から泡が流れ落ち、肩から身体へと伝い排水溝へ消えて行った。


「少ない髪にシャンプーしてどうするんだ」

 兎が泡で白ブチの(まだら)模様になった箇所(かしょ)をシャワーで落としながら鉄仮面にジャブを掛ける。


 また、髪の少ない人を敵に回す様な事を言って・・・。と青年は顔を洗いながら冷や冷やしたが、同時に、お湯が耳に入らない様シャワーキャップを付けている兎も、何とも言えず滑稽では有るから他人(ひと)の事は言えないだろうとも思ってもいた。


「全身毛達磨のお前に言われたくない」

 流石に鉄仮面は慣れているのか、さらりと()なす。


 事態が収束した様なので青年は髪を洗う為にシャンプーを借りようと(かが)んだら、見えてしまった・・・。別に意図した訳では断じて無い。眼の端に入ってしまっただけだ。不可抗力、事故である。



 負けた・・・・・。



 只、青年は少し敗北感を覚えた。

 別に勝とうなどと思った訳では無いが、ショックである。



 山鼠は洗い終わった獣毛に付いた水を雑巾の様に絞っていた。






 狂気三人組が着替える中、有子だけ筋肉が無い。三人は新宿二丁目が狂喜乱舞しそうな仕上がりで在るのに対して、青年はシルエットで言えば、胸の無い女子の様である。腹筋の存在を感じさせない平坦な腹部を見て、青年は溜息を()いた。



 「ぴゅひぃ」とノック代わりか声を上げ、更衣室のドアが開き、子連れ狼の様にカラカラとランドリーカートを()いたトランプ兵達が、鎧やスーツといった汚れた装備品を片付けて行く。

 青年は其の中にハートの3を見かけ、挨拶代わりに手を振ってみると(ひと)(さら)いに対峙した幼女並みに怖がられたが、丁度持っていたチョコをあげたら手を振って帰って行った。現金なもんである。


 狂気はチョコが好きなのだろうか。今度ジャバウォックでも試してみよう。


 一通り備品の回収を終えたトランプ達が退室すると、入れ替わりに研究室で会った魚男がドアの隙間から顔を出した。


「大和と二代目は残ってくれ。女王様が呼んでる」


 そう言われて、黒兎と青年は硬直した。呼ばれた心当たりは無い訳でもない。

 青年は真眼の発動が上手くいかなかった事だと思い、兎に至っては思い当たる節が有り過ぎて、どれが該当しているのか分からない始末である。

 どちらに代、雷は落とされたくない。


「ふふっ、まぁ、頑張れよ」

 意味深な言葉を残し、魚はドアの向こうへ消えて行った。












「住まい・・・、ですか・・・」

 女王が口を開くまで、二人は絞首台の囚人宜(よろ)しくゲッソリし、胃がストレスでメルトダウン寸前だったのだが、切り出されたのは何とも肩透かしな言葉であった。


「そうだ。貴様が拾った用紙にも書かれておっただろう」

 何を今更と言った顔で言うと、彼女は再び起こした身体を長椅子に預け、煙管を吹かせる。


 確かに住み込みと書いてあったが、今日からとは思っていなかった。

 親にも連絡しなければ・・・。面接が遅くなるかも知れないと事前に断っておいたが、此処まで遅くなるとは言っていない。

 其れに、荷作りも()だだ。


 そう言えば何処に住むのだろう?





「住む場所は・・・・そうだな、大和、貴様の部屋で良いか」

 ふぅーっと煙を吐きながら女王が口にした思い付きの言葉は、青年の疑問を解決し、隣の男に火の粉を振り掛けた。


「!?」

 突如、故意に(もたら)された厄難(やくなん)に、兎の顔は引き()れ、喉元に(つか)えた悲鳴が声ともつかない微かな残滓(ざんし)として漏れ出る。

「何だ、不満か」

 兎の反応を女王が暴慢に威圧した。

 艶めいた口の端に薄い笑みを浮かべる其の顔は獲物を(もてあそ)ぶ猫の様だ。



 嗚呼・・・、そういう事か。


 彼奴は、俺が何故同居を拒むのか知っている上で言っているのだ。


 「不満か?」だぁ?異議を唱えた所で採り合う心算も無い癖に・・・。

 このサディストがあああああああああっ!


 と心の中でボロ糞言ってみたが、習慣というのは、げに恐ろしい。

 給料袋を人質に取られ、表面的には飼い馴らされた社畜に反抗など出来る筈も無い。

「いえ・・・その・・・」

 そう言葉を濁らせただけである。正にパブロフ。


 此の最悪な状況に先手を打たねば・・・。



 さっさと行動に移したかったが、未だ社畜の呪縛が抜けきれずに足を引っ張る。

 心中の(わず)かな葛藤は、目に見えてソワソワするという形で現れた。

「有子、私は先に帰っているからお前はゆっくり来い。(これ)が此処から社宅までの地図だから道に迷う事は無いだろう」

 話しながら、兎はワイシャツのポケットから取り出した手帳に地図を走り書き、乱雑に切り離すと青年の眼の前に突き付けた。


 地図が有っても迷う事は在るのに、何をそんなに焦っているのだろう。



「ゆっくりだぞ!」

 青年の不安を無視して、兎は手書きの地図が書かれた紙片を半ば強引に握らせると、再度念を押して先に社宅へ駆けて行った。












 やっぱり、迷った。


 大和の渡した地図はかなり大雑把であった上に、周りは日も落ちて暗く、加えて自分の方向音痴の所為で余計に迷う事となった。

 誰かに道を聞かないと。そう思い、辺りを見渡すと人が二人道の隅にしゃがんでいるのが見えた。

「あの、すみません。道をお尋ねしたいのですが」

 青年の言葉に反応して、二つの影が振り向いた。


 やばい。


 人だと思った其れは大きく開いた口が額に張り付いた狂気であった。

 粘り気の多い泥溜りを棒で掻き混ぜた様な渦巻状のうねりが見える口内を微妙に開け閉めしながら、のたのたと近付いて来る姿に青年の背筋が寒気立つ。

 外観もそうだが、其れ以上に本能が危険だと警鐘を鳴らしていた。


 ジャバウォックは更衣室にトランプ兵が装備品を回収しに来た際に返してしまった。故に今の青年は丸腰である。只、手元に有ったとしても何とかなるか如何かなど分かりはしないのだが。


「目だ・・・」

「本質を見る目・・・。青果(せいか)の目」


「食ってしまおうか」

「食ってしまおう」


「真実が見えるその前に」



 狂気達が口々に話す言葉は、青年に危害が加わる事を直接的に指している。

 しかし、目の前に対峙する狂気の能力なのか、ついさっきまで硬く舗装されていた道がタール状に泥濘(ぬかるみ)、逃げようにも足を絡め取られて一歩たりとも踏み出す事が出来ない。


 足が、動かない。誰か・・・助けて。


 恐怖に声も出ず、心中で他人(ひと)頼みしか出来ないのが口惜しい。


 二体の同型の狂気は眼の前にまで迫り、縦に割れた口が青年を飲み込もうとする様子は大口海鞘(オオグチボヤ)に少し似ていた。


「おい、貴様等その辺にしておけ。切り(たお)すぞ」



「大和・・・」

 木の上で太めな茄子型をした手乗りサイズの兎の縫い(ぐる)みが大和の声で二体の狂気を威圧している。しかし、ややラブリーな其の姿で凄まれても余り効果は無い様に思うのだが。


「う・・・さぎ」

「女王の()・・・・(ぼく)


「誰が下僕だ!」

 一括すると二体の狂気は慌てて逃げて行った。


「大丈夫か」

 しゅたっ、と綺麗に着地するも縫い包みの姿では恰好がつかない。

「えっと・・・、有難うございます・・・。・・・あの・・・」


「ん?之か」

 青年の逡巡した言葉の意味を感じ取り、ふりふりと尻に付いた丸い尻尾を振りながら、大和は衣装を見せる様に動いた。

「地上で活動する為の着ぐるみだ。Under groundの住人はどうしても目に付く姿をしているからな。狂気が間違って地上に出てしまった際に目立つ事無く狩る為にはこういう補助具が必要なのだよ」

 まぁ、確かに二メートルを超える兎やヤマネ、鉄の顔を付けた男が町中を歩いていたら騒動に為らない筈が無いだろう。

「何で縫い包みなんでしょうか?」

 カモフラージュなら、全く姿が見えない様にするか、人に化ける方が得策の様に思うのだが。



「勿論、女子高生への受けが良いからに決まっているだろう!」


 こいつ、変態だ。


 サタデーナイトフィーバーのポーズで断言する兎の位置付けは、お世話になる先輩から変態の位置付けに変わった。


 其れから5キロ程行った所に、四角い二階建てのアパートがぽつんと建っていた。少なくとも築五十年以上と思われる其れは、建設当初は白かったであろう壁も灰色にくすみ、表面には無数の(ひび)が入っている。二階建ての割に小さく、どう弁護しても襤褸(ぼろ)いとしか言いようのない外観は、正に国連議員もお墨付きの「ウサギハウス」であった。


 階段を上って三番目のドアに兎の住む部屋が有り、戸の横に在る住居者のプレートは相当な年月が経っているのか色が抜けかけている。


 ドアを開けると意外にも小奇麗な八畳程の部屋が視界に入った。

 奥に進んだ右側の壁には(ふすま)が有り、先には押し入れか小部屋でも在るのだろう。

「わぁ、意外と綺麗・・・」

 つい、思った事が口に出てしまった。あれ程切羽詰まった様子だったからには、如何足掻いても手遅れな感じの部屋かもしれないと覚悟はしていたのだが、杞憂(きゆう)だったようだ。

「意外とは失礼な」

 口を(とが)らせて抗議しつつも、兎は部屋と施設の一通りの説明をし始めた。

 三分の一畳程の広さで、コンクリートが打ちっぱなしになっている土間を通って直ぐ右はトイレで、寝室兼、居間は部屋の一番奥の畳敷きの場所である。

 赤茶けたプラスチックフレームが目立つブラウン管のテレビと布団を取った炬燵(こたつ)机、丈一メートル弱の小型冷蔵庫以外は置かれていないが、男二人が横になれば窮屈(きゅうくつ)に感じるだろう。

 ガラス戸を出た先には共有の物干し場が在り、予備の物干し場は二階に上がる時に登った階段の傍に設置された梯子(はしご)を経由しないと行く事の出来ない屋上に在る。

 キッチンはビジネスホテル並みの小規模な物だが、付いていないよりはマシだろう。

 因みに、風呂は付いていない。基本的に仕事が有る日は職場の更衣室に隣接するシャワー室で事足りる。後、必要な場合は社宅の裏手から真っ直ぐ続く農道を歩いて約十分で着く銭湯を使うかだ。


 昭和前中盤を地で行く生活環境である。

 別に懐古趣味云々(うんぬん)に固執している訳では無い。


 金が無いのだ。再三言い過ぎて悲しくなる程に。


 何かおかしくない?こっちは体を張って文字通り五体バラバラになる時もあるのに労災も無くて、然も薄給なのに〝集団的〟うんちゃらかんちゃらに適用される公務員は税金でウハウハとか。

 こんなの絶対おかしいよ!



 そういった兎の小言は横に流しつつ、青年は部屋を見て回る。

 お前は、どこぞの魔法少女だ。と聞いてない割に脳内でツッコミを入れる青年の姿を見るに慣れてきたのだろう。あの異様さに馴染んで良いのかという問題も有るが、まぁ今の所は此れで良い。


 そう言えば襖の向こうについては一言も話題に上らない。


 意識的に触れないでいるのだろうか?俄然気になる。

 丁度問題の襖は目と鼻の先に在り、引手に容易(たやす)く手が届く位置だ。

「此の中は如何なっているんですか?」

 言うが早いか、ごく自然な形で素早く戸が引かれた。

「待て!其処は・・・・」


 兎の制止も間に合わず、すっと開けられた襖から、ずざざざざ、と雪崩の様な音と共に中に詰められていた物が鮮やかな色彩と共に青年を直撃した。


「・・・・・・・・・・」



 ああ、昔テレビ番組で雌雄の兎を一緒にしておくと雄は雌のアレが擦り切れるまでするという話を聞いたなぁ。と如何でも良い蘊蓄(うんちく)が呼び覚まされる。

 其れも此れも、畳の上に広がる気不味い物品を前に脳が半分現実逃避したからだ。半分は見たものが逃避内にフィードバックされてしまったが。


 結果として、開けた襖戸の先は押入れで、雪崩の正体は中から無理やり押し込んだオトナの雑誌やその他諸々と判明した。

 具体的には伏せるが、元国営放送の番組タイトルをもじった一見セーフなカモフラージュモノからパッケージもタイトルも中身と直結の隠す気なんぞ更々無いモノまで多数あり、フィギュアやポスターもちらほらと見受けられる。


 ざっと目に入ってしまったジャンルからしてロリコンと呼ばれる部類だろう。



 うわ・・・、此れは・・・・・・。


 アウトである。



 はっとして青年が振り向くと、回避不可の状況に逸早(いちはや)く逃げて玄関のドアフレーム越しにチラリと顔を覗かせていた黒兎が眼の合う前に頭を引っ込めた姿が見えた。

 耳がへにゃりと垂れ、否定しようの無い涙目も見てしまった。


 同居初日から同居人の暗部を色々(えぐ)ってしまった様である。然も地雷級の。

 青年は、少し反省した。





そろそろと外に出ると、逃げる気も失せたのか玄関横に黒兎が体育座りで項垂(うなだ)れている。周囲にはじめじめとした負のオーラが漂い大変話しかけ辛い。

 加えて兎の肩が小刻みにぷるぷるとしている。


 若しかして、泣いているのか・・・。

 大のおっさんの打たれ弱さを見誤っていた。再診の結果、心のダメージレベルは戦艦級である。


「成人男性なら此れくらい普通ですよ・・・。多分」

「本当?」

 そうは思っていないが、一応何だか分からない罪悪感から出た青年の気休めの言葉に勇気づけられたのか、兎が(うる)んだ目で見上げて来た。鼻声なのが何とも情けないが、元気になって何よりである。






 黒兎が部屋に引っ込んだ後、青年は其の儘外の共同通路に残り、ブレザーのポケットから携帯を取り出した。今や絶滅危惧種となった二つ折りのガラパゴス携帯を開き、落としていた電源を立ち上げる。電波は幸い来ている様で掛けた電話は直ぐに繋がった。


 電子音に置き換わった母親の声が耳に届く。声には疲れと少しの苛立ちが混ざっているのが聞き取れた。また何か有ったのだろう。起こった問題と彼女が此の後切り出しそうな言葉は容易に見当が付く。

明後日(あさって)の夕方、荷物取りに行くから。じゃ、お休み」

スピーカーの向こうから、答えに詰まる話が切り出される前に青年は用件を手短に述べて電話を切った。


 安堵なのか、切り終わった携帯を前に溜息が()れた。


毎日では無いが、最近度々起こるあの問題は、電話を隔てていても何とも居心地の悪い空気を落とす。

 明日の土曜は授業が四限までで、課目も今鞄の中に入っている物で事足りる。少なくとも日曜の夕方まで、あの重圧から解放される事は有りがたかった。



「大丈夫か?」

 薄い壁の所為で何となく重い空気が声と共に伝わってしまったのか、兎が気遣う様にドアの隙間から顔を覗かせた。

 碧闇に浮かぶ冷えた月に照らされ、兎の艶やかな毛並みの先が銀色に見える。

 問題無い、と一言で済ます事も出来たが、青年は真実をほんの少し置き換えて話してみる事にした。


「あの・・・、()し、会社の派閥が二分(ぶん)されていて、双方に恩が有ったら、大和さんはどちらを選びますか?」

「無論、綺麗な女性の居る方だ」

 回りくどい言い方で聞いた自分が馬鹿だった。

 更に、兎に聞いたのも間違いだった。

 即断された答えに対し、青年が眉間を摘まむ形で(うな)っていると、兎が思い出した様に切り出した。


「ああ、そういえば、ビールが切れたんだ。今から買い物に付き合ってくれ」







 月明かり以外は足元を照らす光源の無い農道を二つの影が歩いていた。

 一つは中間、もう一つは極端に小さい。短い足をちょこまかと運んでいる小さい影は言うまでも無く、あの縫い包み型スーツに身を包んだ黒兎であった。中は冷暖房完備で快適らしい。少し羨ましいと思ってしまった。

 (うずたか)く盛られた土の道の下では、背が高く密になった緑色の稲穂がそよそよと風に(そよ)いでいる。聞けば、基本的に狂気は食料を必要としないが、精神の均衡を保つ対策の一環として、生前や発生元となった生き物の生活風景を一部再現しているのだと言う。効果は如何程なのか実感は無いが、更地が延々と続いているよりはマシだろう、と兎が独りごちた。今買いに行く酒についてだが、此れは只の娯楽である。

 三〇分程歩いた所で道の先に浮かぶ街灯の明かりを視認し、更に歩みを進めると、少し広めの辻に建つ一軒の商店に行き着いた。戦後間もなくに建てられた様な赤茶けた軽い瓦葺屋根の下には、木製の土台に釘で打ち付けられた鉄板の看板が掛けられ、其の錆かけた表面には「コンビニ梅田」の文字が見て取れた。如何見ても梅田商店の方が会う気がする。

 更に店のちぐはぐなイメージに拍車を掛けたのが、隣接したATMで、硝子張りの自動ドアには「ガケフチローン」なるロゴシールが貼られていた。財政状況進退窮まり、正に崖っぷちを思わせる響きの其処には絶対踏み入りたくない。青年は距離を置く様に、其の場を一歩横に退(しりぞ)いた。



「おーい、爺さん、居るか?」


 ビールケースを運ぶ為に温かった縫い包み型スーツを惜しみつつ脱ぎ、閉店後の閉まった雨戸を軽く、しかし、しつこく叩き続けていると、紙の海がさざめく様な音と共に、(きし)んだ木戸の合間(あいま)から白く細い腕が覗いた。


「兎さ公かね?お入り」


 手招く仕草に従い、入った店内は駄菓子屋に似た棚や瓶類が雑多に並び、閉店後に仕舞い込まれたアイスボックスが断続的にモーター音を鳴らしている。

 奥の番台に一灯だけ点いた黄緑がかった明かりが、限定的に周辺を(ほの)(あか)く照らし、薄闇の中に在る物の輪郭をぼんやりと映し出していた。


 天井を仰げば(はり)の上に、木製の車輪と投網(とあみ)、鋲打ちの金具に縁取られた(つづら)が置かれ、打ち付けられた杭には束ねたロープと鶴嘴(つるはし)が掛かっている。敷地は狭い(ながら)も「コンビニ」を(うた)っているだけあって、大量の物が置いて在るが、小動物の各部位を合わせて造った木乃伊や(すす)けて何が入っているのかも判らない瓶詰、薄い油紙に墨文字が書き殴られた護符の様な物等、半数程は用途不明の品々で、棚に載り切らない物に至っては、一つ抜き出した途端に雪崩でも起きそうなガラクタの集合体元(もと)い壁となって各所に鎮座していた。



其奴(そいつ)は人かね?」


 酸化に()り所々脆くなった和紙を張り重ねて、長襦袢(ながじゅばん)を羽織った様な人型を成した姿の老店主を先頭に、商品棚の間に設けられた(やや)狭い通路を歩く中、老人は青年を指差し尋ねた。


「BARの店主の今カレだ」

 声を上げる間も無く、兎の手に塞がれた青年の口に代わって彼が返した答えは青年を戦慄させるに十分なものであった。


 何て事を言うのだ。付き合う所か気の効いた会話一つ真面(まとも)に出来ないのに。

 わなわなと震える青年の脳裏に銃剣を構えた彼女の姿が浮かぶ。此の事がばれたら兎の巻き添えで蜂の巣にされる様な予感がして、気が気で無かった。


「手ぇ出すなよ。何されるか分からんぞ」

「其れは怖いね」


 ()も残念そうに(まなじり)を垂らし、老爺(ろうや)(のろ)い足を進める。地面から()()で、両の腕と体を繋ぐ蜃気楼めいた鎖が、しゃらり、しゃらりと歩みを共にしていた。



「あの・・・、如何言う事ですか?」

 ひそひそと小声ながらも語気を荒げる青年の耳元に兎が顔を寄せ、一言、

「あの(じじい)には人体収集癖が在るんだ。右奥の棚を見てみろ」

 と言うと、顎を(しゃく)って視線を向ける様に(うなが)した。


「・・・・・・」

 埃と結露で薄汚れた業務用冷蔵棚の硝子を注視すると、内部照明に浮き出た陰影が人影に見えなくもない。背筋が凍った。



「身体が見つからなくてねぇ」

 兎の声が聞こえていたのか老人が会話に割って入った。

「他人の臓器も拒絶反応さえ起きなければ移植できるだろ?身体も出来るんじゃないかと思ってね・・・。でも駄目だねぇ、死体を使っている所為かね。生物(なまもの)なら或いは・・・」

 そう言って、彼はチラリと此方を見る。眼玉の無い、落ち(くぼ)んだ暗い眼孔(がんこう)で見詰めないで欲しい。居心地が悪く、青年は人見知りの子供の様に黒兎のワイシャツの袖を掴んで、後ろに少し隠れた。


「富士の樹海で我慢しとけ」

「仕方ないねぇ」


 老人が生きた人間を諦めたのか否か真意は定かで無いが、此処で其の話は打ち切りとなり、業務用冷蔵庫の隣に置かれた木製二段式冷蔵庫の前で止まった店主が中から瓶ビールを取り出しては脇に積まれたビールケースに詰めていく。

 三ケース出来上がった所で作業は終了した。


「あたしにゃ理解できないね、どうせ身に付きゃせんのだし。飲んだ所で砂を食む様なもんだろ」

 釣銭を渡しながら店主は言った。確かに狂気が活動するのに飲食は必要では無い。過去の惰性。只のごっこだ。

「酔いはするさ。こんな仕事、素面(しらふ)じゃやってらんねぇよ」

 と、アルコール中毒で身を持ち崩しそうな人間がよく口にする台詞を残して兎は店を後にした。






 カランコロンと歩く度にケースの仕切りの中で、ビール瓶達が気分良く頭を揺らす。中に入った琥珀色の水面に、曇った月が浮いていた。


(さっき)の人も狂気ですよね?」

 店を出てから見えなくなるまで押し黙ったままだった青年が、(おもむろ)に口を開いた。

 帰り(ぎわ)、老人の視線が再び此方に向けられた気がして、声を上げる事も儘成ら無かったが、此処へ来て其の恐怖も薄れた様だ。未だ強張(こわば)った声ではあったが、其の内元に戻るだろう。

(あれ)は水害で流された者達の成れの果てだ。水に呑まれ、感情も身体も(ばら)けたものが混ざって一個体を成している。あの店、多くの物が集められていただろう?多くの人間の恐怖と苦しみが()し重なって昔の記憶が掻き消えても、嘗て人で在った事を再現するかのように物を集め、無くした身体に執着している。元に戻れはしないのに・・・」

 そう話す兎の顔は、少し寂しそうに見えた。


 人を襲う可能性が極めて強い狂気は狩られるのが常だが、彼はあの店に繋がれる事を条件に駆除対象から除外されている。定期的に物資と死体を供給してやる事と引き換えに。まず逃亡する事は無いだろうが、店を出ようとすれば、体中に(めぐ)らされた鎖が中へ引き戻す。冷蔵庫の死体はUnder groundに来る前に集めたものと、富士の樹海から支給されたものであった。

 此処まで譲歩しているのは、彼の成り立ちに対する(あわ)れみが強い。

 ()むを得ずに狂気と成り果てた者は多く、Under groundで働く狂気は大抵過去に傷を持っていた。

「どいつもこいつも過去に縛られてばかりいやがる」

 兎は自嘲気味に(つぶや)くと、ビールケースを足元に置き、胸ポケットの煙草に手を伸ばした。


「未成年の前なんですけど・・・」

青年が注意を引く様に咳払いをして(たしな)める。

「真面目だな」

 少し笑って、兎は素直に煙草の包みを戻した。

「其れだけが取り柄なんで」

黒兎の言った言葉が、何だかからかわれている様に感じて、青年は、ぷいっと外方(そっぽ)を向いた。

「お前、器用そうに見えて其の(じつ)貧乏籤(くじ)ばっか引いてるだろ」

「・・・・・・・・」

 最早、沈黙するしかない。

 でも、真面目で、よく気の付く人間でいなければ自分の居場所を確保できなかったのだ。例え其の居場所が、吹けば飛ぶ様な微々たるものであったとしても。


 特筆して取り柄の無い者は、大人の社会に対して、手の掛からない真面目な人間で在り続けねばならない。そうすれば最悪、学校や家庭と言う縮小世界の中で切り捨てられる事は無い。そして、子供の社会に()いて、立場の弱い、主に〝優しい〟〝大人しい〟と称される者は、他人が好まない事や役を重い空気の中、半ば押し付けられる形を自ら買って出る事で階級の差を補い、突出せず、自己を平均化する。言動への気配りは昨今の政治家の比では無い程に慎重だ。

 其の生き方は、荒波の中、無理をして岩にしがみ付く寄居虫(やどかり)に近い。

 心を殻に秘して耐える。辛い、悲しい、嫌悪は特に。ぶつけられる言葉の中の悪意を理解している事を気取られてはいけない。反論は尚更。只、愚鈍で気付かない振りをして、時には道化の様に(おど)けるのだ。

 人の居ない場所で泣きそうな顔を(つね)って、悲しみを痛みで紛らわせていたのは数年前の遠く無い日だった筈だ。


〝良い人〟で居ようとするから良い様に扱われるのだ。ヒトは、そう言うだろう。

だが、最初の一歩を踏み出そうとした時、〝同じ〟位置から始めようとした時に此方を見たあの嫌そうな目で判ってしまったのだ。(都合の)良い人でなければ、生きられそうにない事に・・・。

残念な事に、自分は嫌に勘が良かったのだ。


幸い今は、そういう事は無い。人の巡り合わせも含めて、運が良かったのだろう。

 只、染み付いてしまった処世術は抜ける事無く、今に至っている。

 半生以上をそつなくこなす事に慣れ、合わせる事に慣れてしまった今、如何指標を持てば良いのだろうか?



「俺は()ういうの好きだけど」

 (わず)かな沈黙に入り混じった過去と現在の中を黒兎の言葉が、すっと吹き抜けた。「どんな事が有っても変わらないのも強さだが、変わってやるのも強さだ。此処まで腐らなかった奴は、此れからも大丈夫さ」と言ってから少し照れくさそうに笑う兎の顔はとても優しかった。


「・・・風下なら良いですよ」

「?」

「煙草」

 青年が、ぼそりと答える。今出来る、せめてもの感謝だった。





前書きで言っていた、引っかかる云々は、まぁ、こういう事ですよ。


つまり・・・・、


「腐○子ホイホイ」!


それらしい甘い言葉を並べておいて、最後に叩き落とす。

キャンディ ェアーンド スマアアアアアアアッシュ!


それもこれも、新しい文体に挑戦する為だ。我が文体に一篇の悔いなし!


ごめんよ・・・・。


本文中のウサギハウスの記述についてですが、これは戦後日本に来た海外の国連議員が「日本人は、こんなウサギハウスに住んでいるのか」と言った事実に基づいています。

そこそこ有名な話なので、50代以上の方なら覚えているかも知れませんが。

後、お遊びとして「まどかマギカ」の「こんなの絶対おかしいよ!」というセリフを入れてみました。見つけてみてね。


えーっ、前書きに書いた下ネタもとい兎の性癖に関する蘊蓄は事実です。

ゴールデンの時間帯に放映してたのは問題にならんかったのだろうか。



この間酷い風邪と下痢で、鼻セレブの会社は尻セレブを作ってくれないだろうかと真剣に考えた。


貧乏くじのくだりは作者の幼~中学時代の事が如実に反映されています。

カースト底辺と優等生を同時進行していた影の時代の内容はブログに置いてきたので、探す余力のある方はどうぞ。

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